第439話 ルシフェルとの交渉
地の底にて、聖守は力の限り戦った。
(ですが……こんなところで止まってはいられない)
本来の目的は魔神の討伐だ。
ただの――というには強すぎるが――魔物如きに足止めされるわけにはいかない。魔神に挑むことすら許されず、散っていった部下のためにもクィグィリナスは戦う。
お互いに一歩も引かない戦いだった。
だが時間はクィグィリナスを追い詰める。聖守は迷宮魔力の守りによって多くの攻撃を遮断するが、一方で肉体は普通の人間だ。戦い続ければ体力は尽き、魔力とて消耗しすぎれば動けなくなる。
「魔神に使うつもりでしたが、仕方ありませんね」
今は多少の魔力を消費したとしても、早急に勝負を決める必要がある。
故にクィグィリナスは大技の発動を決意した。聖王剣の刃が光り輝き、大魔術が処理される。周囲の温度が上昇し始め、火の粉が舞った。
「初代様、力をお貸しください。《
炎の第八階梯と呼ばれる魔術だ。
初代聖守スレイ・マリアスにより伝わり、書物の中に記された大魔術。その性能において特筆するべき点は熱量である。禁呪を除いて、という前提はあるが最も熱量が高いのである。
余波の熱量で周囲の単細胞生物は燃え尽き、仮に植物があれば即座に発火していたほどに。
当然だが分裂によって霧化した
《
「消えてくれ。このまま」
轟々と燃える炎の熱が肌に突き刺さる。
炎は揺らめき以上に激しく蠢き、内部で
「こんなに広かったのですか……探すとすれば苦労しそうです」
深淵渓谷はクィグィリナスが想定していたより遥かに広い。そして生命にとって最悪の環境だ。
今の彼は知らないが、実はかなり運がいい。
元よりこの大渓谷は地下のマグマ溜りが禁呪によって刺激され、吹き飛んだ結果生じた。つまり火山爆発のようなものだ。人間にとって有毒なガスが満ちているエリアが多数あるので、下手に動き回れば毒ガスを吸い込んで死ぬということもある。聖守も呼吸は欠かせないので、毒には弱いのだ。
そして彼は知るはずもない。
ズルズル。
グチュグチュ。
ベト。
ベト。
「ッ!」
悍ましいその音を忘れるはずもない。
クィグィリナスは反射的に振り返る。そこにあったのは激しく流動しながら蠢く二体目の
「な、なぜ……」
振り返って驚愕するクィグィリナスは、更に背後で熱が消えるのを感じる。あれほど明るく照らしていた炎が消失したことは、再び闇が戻ることによって理解できた。
初めに遭遇した方の
ズルズル。
グチュグチュ。
ベト。
ベト。
ズルズル。
グチュグチュ。
ベト。
ベト。
二重奏となった這いずりの音が耳に残る。
この程度の魔術で
腕から力が抜ける。
聖王剣を手放すことはなかったが、その切先が硬い岩盤の地面に当たって音を立てた。
「騒がしさを感じて来てみれば……」
どこからともなく光る鎖が現れ、二体の
次々と変わる状況に適応できず、クィグィリナスは息をすることも忘れる。あるいは死の迫った緊張感がそうさせていたのかもしれない。ともかくその男が現れて数秒後、思い出したかのように息を吸い込んだ。
「はぁっ! はぁ……なん、なのですか。あなたは」
「探しに来たのだろう? 私を」
「ならばあなたがッ!」
察してしまったクィグィリナスは身体に力を入れる。
だがそれよりも早く鎖によって縛られてしまった。鎖の根本は男の袖口に繋がっている。
聖教会の怨敵、魔神の能力で間違いないのだ。
「私は、お前を――」
戦いにすらならない。
魔装、契約の鎖を介して迷宮魔力が送り込まれる。その対象はクィグィリナスと二体の
こんなものと融合すれば、理性など容易く崩壊する。
魔神の憎しみを受け継いだ化け物になり果てる。
「死ね……死ね! 全ての元凶! お前だけは私が―――」
クィグィリナスはそれ以上の言葉を紡ぐことすらできず、迷宮魔力に包まれた。人々の救いを求めた彼が残したのは呪いの言葉であった。
口から吐き出された呪いは『悪』を呼ぶ。
しかしそれは魔神には関係のないことであった。
「魔族を増やす、人間を滅ぼす、人を守る、国を守る、殺す、守る、滅ぼす、助ける」
魔神は虚ろなまま支離滅裂な言葉を吐き出し続ける。
響き続ける呪いの言葉は着実に理性を侵し、スレイ・マリアスだった頃の意思を溶かす。魔神の呪縛と聖守の意思が混じり、
ニンゲンを守っても苦しい。
人間を傷つけても苦しい。
初代魔神アリエットが目論んだ通りになっていた。
◆◆◆
アポプリス帝国を訪れたシュウたちは、ガブリエルの転移魔術によって王座の間へと訪れる。壁と一体化したその
「どうしたというのだ冥王」
「二つほど用事があってな。一つ目がこの子だ」
こういった無機質なやり取りも慣れたものだ。
シュウは娘の背を軽く押し、ルシフェルに見せる。いつもそばに控えているアスモデウスはセフィラが産まれたときに会っている。しかし今までルシフェルに見せたことはなかった。
面と向かって、という前提は付くが。
「ふん。面白い」
ジッと見つめられて気まずくなったのか、セフィラはもじもじと落ち着かない。そんな彼女をアイリスが後ろから捕まえ、安心させた。
「世界のどこであろうと見えるあんたのことだ。初めて見るわけでもあるまいし」
「なんだ。娘が心配か」
「直接この子を見せに来ただけだ。後で街で遊ばせる」
「俺の系譜から外れた存在は希少だ。大事に育てよ」
「言われずとも分かっている」
この世界の創造主にして魔王でもあるルシフェルは予想外を求めている。世界を創り、世界を支えるルシフェルにとって、あらゆる物事が既知だ。だから常に刺激を求めている。セフィラは冥王アークライトの系譜に連なる魔物であり、ルシフェルの支配から外れた存在だ。そんな彼女が何を為すのか、彼は楽しみにしていた。
まるで見たことのない物語を楽しむ子供のようである。
シュウからすれば娘を面白おかしく観察されるのは気に食わないが。
「アイリス」
「はーい。セフィラちゃんを連れていきますね」
用件は一つ終わらせた。
ここからは少し難しい話をするので、セフィラはつまらないだろう。それを気遣って、アイリスに連れて行かせた。食事時にでも合流するのが丁度良い。
二人が転移で姿を消す。
すると少しばかり王座の間で重い空気が流れた気がした。シュウだけでなく、ルシフェルの雰囲気も変化したからである。俗な言い方をすれば仕事モード、となるだろうか。鋭利な刃物を思わせる、戦闘直前のような圧が部屋を満たした。
だがこれも『王』からすれば挨拶のようなもの。
互いの意思を押し通すための問答に過ぎない。この程度で屈するのであれば、とても意見を通すことなどできないのだ。
「二つ目は不浄大地、と呼ぶあの土地のことだな?」
「そういうことだ。死魔法で削除、あるいは封印を考えている」
「あの地を消すな。あれは可能性を孕んでいる」
「……そう言うと思った」
シュウは溜息を吐く。
この世界において全知全能であるルシフェルは何でも知っている。シュウがここに来た時点で答えを用意していたのだろう。全く揺らぐ様子がない。
ただ長い付き合いなので、シュウもこのくらいは予想していた。
「なら第二案だ。封印はいいんだな?」
「その方が面白いからな」
「かなり負担が大きいんだが……」
「お前は固定に向いた魔法を確保しているだろう。それを利用すれば良い」
「は? ああ、獄炎魔法のことか」
かつて獄王ベルオルグが残した魔法を冥界に封じたことがある。炎の概念として存在しているので、物理法則に左右されない。つまり消えることのない炎ということだ。また獄王は破壊的な炎の性質を弄り、ただ苦しめるためだけに放つこともできた。
シュウが回収した獄炎はそういった性質のものである。
「確かに消せないからニブルヘイムに保管してあるが……」
「あれの性質で隔離すれば良かろう」
「俺が冥界を作ったように、ということか?」
「隔離した亜空間ごと獄炎で固定してしまえば良かろう」
「なるほど」
それはシュウには思いつかなかった案だった。
確かに獄炎は空間に留まり、燃え続けるという性質がある。物理法則に左右されないので、『熱』『酸素』『燃えるモノ』という要素を必要としない。更には炎で捕らえたモノを固定して離さない法則もある。これを利用しようという話だった。
可能かどうか、という点においては間違いなく可能である。
(獄炎で固定してしまえば魔力を使って固有時間を維持し続ける必要もない。最悪は冥界の一部にするつもりだったが、確かにそれなら……)
不浄大地は放っておけばどんな変異を起こすか分からない。
発生すれば即座に対処すればよいだけの話だが、不発弾のようなものを放置したくはない。封印できる手法があるならば使わない手はない。
だがルシフェルはただで提案した訳ではなかった。
「封印するならば鍵を作ることだ」
「鍵だと?」
「人間がその世界にアクセスするための鍵だ」
「なぜそんなことをする?」
「その方が面白いものが見えるだろう? ああ、それと冥界の鍵も作っておけ。厄介な門番を置いたらしいが、それではつまらない」
「はぁ? どういうつもりだ。ダンジョンコアにチャンスを与えるのか?」
「俺はそうなったとしても構わんぞ。魔族とかいう興味深い存在を生み出してくれた礼だ。多少の慈悲はくれてやっても良い」
徐々にルシフェルからの圧が強くなっていく。世界そのものを支配する力魔法は既にこの世に満ちている。ルシフェルが願えば世界はそのように変遷し、ルシフェルが拒めば運命すら否定される。本気で戦うならばシュウも《魔神化》という切り札を切らねば話にならない。
それこそ、世界が滅びる勢いで戦わなければならなくなるだろう。
「……あんたと戦うのは割に合わない。ならば鍵は俺が望む相手に渡す。それでどうだ?」
「その程度は譲歩しよう」
「鍵を渡した人間のことも監視させてもらう」
「好きにせよ」
「あとそちらの要求を呑むわけだ。こちらの願いも叶えてもらう」
ルシフェルは傲慢で、それを納得させる力を持っている。しかし理性のない怪物というわけではない。死の世界を創造し、管理するシュウのことは一応同格だと認識していた。故に交渉が通じる。
そもそも彼を交渉の席に着座させるだけでも大したものだ。
「魂に関するデータを貰いたい。その目的は――」
「冥界による魂の錬成か」
「そういうわけだ。お前の益にもなるだろう?」
「確かにその通りだ。そもそも魂の領分はいずれ冥王に任せるつもりなのだからな」
「少しずつ形にしている。セフィラを生み出した時の実験でデータを集めた。セフィラ用のシステムを構築するついでに魂の研究も進めているんだが……まぁその話はいい。知識をくれるというならば貰っていく。神域書庫に入らせてもらうぞ。原初の人間、アダム=アポプリスの記録が俺の目的だ」
「よかろう。交渉成立としようか」
シュウは妖精郷の主にして冥界の王という立場にある。同じくアポプリス帝国の王たるルシフェルとは対等な立場だ。しかしそれだけであり、互いに機密を語り合う仲ではない。
まだシュウでも立ち入ったことのない、奥の奥に知りたい情報がある。
それは自身の計画を妥協したとしても必要なことだ。
おおよそ話がまとまり、ひとまずアイリスやセフィラと合流することにする。マザーデバイスによる転移でアイリスのマーカーへと移動を試みる……寸前にある情報が通達された。
『深淵渓谷にて異常発生。五代目聖守クィグィリナスの魔族化によって業魔が誕生いたしました。急激に莫大な魔力にまで増大し、その身体を膨れ上がらせています』
その厄介事を耳にして転移は中止した。
何かに気付いたのか、ルシフェルが語りかける。
「早く行った方が良さそうだぞ。アレは興味深い。だが人間では対処できないだろう」
「そうかもしれないな。俺が行く他ないか」
「一つ忠告だ。気を付けよ」
「……珍しいな。そんなことを言うなんて」
ルシフェルの様子に若干の違和感を覚えたが、今は急ぎの事態だ。
転移先の座標を切り替える。
魂を選別し、死の世界を統治する冥王アークライトとして深淵渓谷へと向かった。
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