第436話 五代目聖守の育成
ヴァナスレイで人間という存在の側面を知ったセフィラは、あまり外に出なくなった。善意に対して邪悪で返される経験というのは鮮烈な記憶として残っている。ある種の人間不信に陥っていたのである。
「そうか。今日も」
「悪いな。ローラン」
「こちらこそ。かの冥王を伝言役にする日が来ようとは」
シュウは度々プラハ王国を訪れ、ローランとセフィラの間を繋いでいた。セフィラも全くプラハ王国を信頼できなくなったという訳ではない。今も女神の加護は続いているし、『豊穣の祈り』にも応えている。だからプラハ王国は今も豊かさを失っておらず、人々は相変わらず祈りを捧げている。
しかしもう三年ほど、セフィラは姿を見せなかった。
「手紙を用意している」
「必ず届けよう」
用意していたセフィラ宛の手紙を取り出しつつ、ローランはいつもの文言で尋ねる。
「セフィラの様子はどうなんだ?」
「あまり外に出たくないらしい。だがこの国のことは心配しているようだな。俺や母親に国がどんな様子だったか聞いてくれるからな」
「まだ私のことも……」
「少しずつ心は開いている。問題は期間が空きすぎたことだ。ずっと国から離れているから戻りづらいんだろうさ」
手紙を受け取ったシュウは、それを亜空間に収納した。何気なく披露される再現不可能な魔術を目の当たりにして、ローランは妙な汗が流れる。
パルティア王家と妖精郷の関係は少しずつ深くなっていた。
女神の加護で寿命が長くなっているローランは、神秘の王として支持を集めている。この人気を利用して妖精郷の情報も少しずつ流し、国民が受け入れやすくなるよう意識改革を行っていたのだ。結果として、元より伝説として根付いていた妖精郷は実在のものとして常識化している。また冥王の扱いとして、死後の世界を司る『王』であると変化していた。
人間は物事を二つに分けるのが好きだ。
二元論は非常に分かりやすく、複雑怪奇をシンプルに表現してくれる。生命を司るセフィラ、死を司る冥王アークライトという構図は人々に受け入れやすく新しい神話として定着しつつあった。
「セフィラが引きこもっている理由は説明したのか?」
「情報は加減を見て解禁している。しかし多くの国民が、北には女神セフィラと敵対する蛮族が住んでいるのだと信じているだろう。私もそう思っているがな」
「魔物を等しく敵と断じる姿勢は確かに野蛮だと思うがな」
「私はセフィラが純粋な子供だということを知っている。子供に石を投げるような行為をする者たちに正当な判断を下しているに過ぎない」
王として百年以上も君臨するローランだが、この件については今も強い怒りを覚えたままだった。どんな家族よりも長く過ごした相棒が傷つけられたのだから、この感情は人として当然のものである。同時に、自国民に同じことをさせないよう、教育にも力を入れていた。
知識を与える教育ではなく、社会性や倫理観を育てるための教育だ。
豊穣が約束されているため子供にまで労働を強いる必要がない。どれだけ貧しくても最低限は国から保障される仕組みなのだ。故に国民も王国の意向に反対することはなく、生まれた子供は積極的に学舎へと通わせている。
「最近は北の開拓にも力を入れているらしいな。それも関係しているのか?」
「流石によく知っている……その通りだ。北の樹林から外国の人間と思しき者たちが現れたそうだ。初めは言葉も通じなかったが、最近では少しだけ意思疎通も図れるようになっている。いずれは外の人間と対話する日もあるだろう。国民の教育はそれに備える意味もある」
「一人でよくやる」
「プリマヴェーラにかなり手伝ってもらっているがな。だが最近は頼り切りということもなくなった。人が育ってきている。セフィラも喜んでくれていたというのに」
ローラン王暦が始まってから、プラハ王国の発展は目覚ましい。食料生産に余裕が生じたことが何よりの原因だが、元よりローランは革新的な王だった。現状に満足せず、より良い国を目指すということに注力し続けた。
豊かさにかまけて堕落していった人間を多く見てきたシュウからすれば、ローランの在り方は王として好ましい。女神の力に頼り切りとはならず、自分たちの力を発展させようとしているのだから。
「北方の民族が野蛮なのであれば、武力を整える必要があるかもしれない」
近いうちに国交が開かれることもあるかもしれない。
あるいは未知なる存在として敵対することになるかもしれない。
現代の人間にとって他国というものは完全な異物だ。その時になってみなければ分からないことの方が多いだろう。ただでさえセフィラのこともある。故にローランは『戦い』を視野に入れた備えをしていた。
◆◆◆
シュリット神聖王国は順調に発展を続け、周辺に誕生した国家とも連携を取るようになっている。時代を先取りして国交を開いている珍しい国と言えるだろう。
その背景には聖教会があり、魔族や魔物に対抗する大勢力を作りたいというものがある。
何よりも重要なのが、聖守の選定であった。
「クィグィリナス様、その調子ですぞ」
ヴァナスレイの聖石寮本部は幾つか修練場が存在する。その中でも限られた者だけが利用する奥の修練場では、小さな子供が剣を振っていた。
彼こそが五代目聖守クィグィリナスである。
まだ幼いながらも厳しい教育を受けさせられ、いずれ聖守となるべく修行を施されていた。
当代聖守が命を落とした時、その力は赤子の適性者へと宿る。聖アズライール教会の預言石が新たなる聖守を示し、聖教会は即座に確保する。そして成人となる十五歳になるまで全力を以て育てる。
「この剣、重い、です」
「む。しかし成長に合わせたものですから」
クィグィリナスはすっかり息を切らしている。
少しずつ鍛えているとはいえ、剣を持って運動するのは幼子にとって重労働だ。しかしいずれは聖王剣を操ることになる。だから剣の技術を鍛えることは何よりも重要だ。
だが人間は機械ではない。
大人に囲まれ、毎日のように厳しい修行をさせられればストレスを抱えてしまう。
だがメンタルケアに至るまでは充実していなかった。
「さぁ、続けてください」
聖守は歪むべくして歪んでいく。
二代目によって随分と整備されたが、それでも未熟な部分が多かった。
◆◆◆
シュリット神聖王国は深淵渓谷と呼ばれる裂け目の東にある。かつて黄金要塞を撃退するべく発動した禁呪により生じたこの大裂け目だが、その成り立ちの影響なのか、渓谷の底には魔力が蓄積していた。また深淵渓谷より北西部には迷宮山水域も存在しており、魔族や魔物が大量に生息していた。
地形的な問題で付近の人間たちは苦しい日々を強いられてきた。
だから彼らにとって聖教会の教えは救いであった。
想像力次第では自在に魔術を操れる聖石に救われた。何か一つでも特異な力がなければ人間の生息地を作ることすらできない、そんな厳しい時代だったのだ。
「陛下! 陛下! 陛下!」
アルザードと呼ばれる都市国家は騒がしさに包まれていた。
この国は領土と呼べるものは保有しておらず、都市国家群という方が正しい。王都市を含めて三つの都市があり、それぞれ一万人と少しの住民がいる。その他は幾つもの村が散らばっている程度だった。
魔族一体で容易く壊滅してしまう、そんな貧弱な国なのである。故に聖教会の教えは心地よく、簡単に受け入れられた。
「どうしたというのだ」
「ここにおられましたか陛下! 魔族です。北より魔族が現れました。奴は民を殺し、畑を荒らしております。更には魔物までもが現れ、大変なことに……」
「術師たちはどうなった? 出動したのだろう?」
「全滅しました」
王は思わず目を見開いた。
そしてすぐに焦燥へと変化する。
「ベリアとルーインに使いを送れ。そこの聖石寮を通じてヴァナスレイより聖守出動を要請するのだ。ミダスの名のもと、確実に要請させるのだぞ!」
「す、すぐに! しかし魔族はどのように。たった一体とはいえ……」
「戦う気のある者はいるのか?」
「兵は全て戦う意思を無くしております」
「で、あろうな」
アルザードの王、ミダス・オルニクスは溜息を吐く。
「ならば私が出るしかあるまい。魔族は私が引き受けよう。兵士を配置し、魔物から国を護れ」
彼はそう言いつつ、手元に一本の剣を手繰り寄せた。オルニクスが軽く引き抜くと、黄金の刃が垣間見える。この剣こそ初代王アルザードより伝わる宝剣なのだ。アルザードはこの剣により英雄として立ち、王国を作り上げた。
ミダスとは初代王を称える称号であり、黄金の王を意味する。
初代以降の王も血筋ではなく、アルザード王国で一番の勇士が称号を継ぐことによって即位が成り立つ仕組みとなっていた。
「頼むぞ
オルニクスが触れた黄金の剣が僅かに震える。
すると彼は満足気な表情で出陣したのだった。それから二日後には援軍も到着し、オルニクスは術師たちと共に魔族の討伐を完遂する。しかしアルザードの被害は甚大なものとなっていた。
◆◆◆
聖守の教育は剣のほか、歴史も重要視される。
シュリット神聖王国の成り立ち、魔神との戦い、魔族による襲撃の記録、そして他国の辿ってきた歴史など学ぶべき項目は多い。五代目として教育されているクィグィリナスはうんざりした様子で勉学に励んでいた。
「良いですか? 聖石寮はヴァナスレイに本部を置きますが、シュリット神聖王国を守る戦力とは言い切れないのです。魔族や魔物から人類を守る。それが聖石寮の意義なのです」
講師の男は広いテーブルに地図を並べた。
この地図は聖石寮本部でも秘宝扱いの品だ。いつ訪れるかも分からない危機に備え、緊急出動できるよう作製したのである。目的地へと最速で向かうためには、地図を用いた計算が必須だ。難易度が高いのでクィグィリナスはまだ修得していないものの、いずれは学ばなければならない。
ただ今は教育資料として利用されていた。
「聖石寮が設置されている他国は覚えていますか?」
「ルーイン王国、ベリア連合王国、アルザード王国です」
「その通りです。この中で我が国と隣接しているのはどこですか?」
「ルーイン王国」
「それも正解です。ベリアはルーインから南、アルザードはルーインの西側に位置します」
まだ詳しいことまでは勉強していないが、位置関係くらいはクィグィリナスも理解していた。講師は地図上のある場所を指し示す。
「ここにあるのが深淵渓谷です。魔神が潜むとされています。先代聖守様はその魔神と戦い、ヴァナスレイを命懸けで守ったのです」
さらに彼は指を地図上でスライドさせ、少し南を指した。
「ここが隣国となるルーインですね。東方よりやってきた移民たちの国です。彼らとは言語が異なりますので交流は最小ですが、意欲的な者が多いことで有名です。聖石寮の受け入れも早く、術師を積極的に育成しています」
そこからまた南へと指を移動させる。
「ここがベリア連合王国。中心都市のベリアでは塩が取れますから、シュリット神聖王国にとっても非常に重要な国となります。三つの国が一つになっているのです。正式にはウレイアス・カルト・テメグラス連合王国といいます。彼ら連合が成った中心都市ベリアから取って、よくベリア連合王国と呼ばれます」
「王様が三人もいるの?」
「シュリット神聖王国の王も貴族たちから選挙によって選ばれます。しかし王は一人です。ところがベリアは三人の王が同時に存在しているのです。この事情は難しいので、またいずれ語るとしましょう。そして最後の同盟国がアルザードですね」
最後に彼は深淵渓谷より南西の位置を指して軽く円を描いた。
「最も厳しい環境にある国、アルザード王国です。しかし
「
「触れたものを黄金に変えるとされる剣です。魔族も例外ではありません」
「ならどうして聖石寮が必要なのですか?」
「アルザードは王だけが強いのです。広く人々を守るためには聖石寮が必要となります」
「そう、なんですね」
人間が安全に過ごせる領域はかなり狭い。
常に魔物や魔族の脅威にさらされ、気を抜けば国が滅びる。そんな歴史や地理的な背景を聞かされ、クィグィリナスは自身の責務を理解しつつあった。その重責を幼くして感じていた。
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