第433話 二代目魔神の動き


 暗黒暦一五二〇年の初め。

 プラハ王国ではローラン王暦一〇七年の祝いが行われていた。この国では月初めに豊穣祭が必ず行われている。どのような村、街、都市であったとしても民衆が一斉に祈り、女神へと魔力を捧げるのだ。女神として君臨するセフィラからすれば『定期収入』ということになるだろう。

 それ以外にも普段から女神像に祈りを捧げる人が多いため、毎日のように魔力が送り込まれてくる。ただしセフィラもその魔力を土地に還元しているので、全てを回収できるわけではないが。



「諸君、また新しい年が始まった」



 今年で百二十五歳になるローラン王は、配下を集めて挨拶を行っていた。王宮にて必ず行われる年初めの祝宴であり、豊穣祭と同じタイミングで行われるものだ。

 その目的は有力貴族たちの子息や令嬢のお披露目の他、特に優れた者への表彰、そして昇進もこのタイミングで行われる。貴族たちのみならず、平民出身の軍人や豪商もこの場に呼ばれるため、ただ参加するだけで益のある催しとなっていた。

 グラスを片手に壇上で立つローランは、慣れた様子で挨拶を続ける。



「ここにあるのはセフィラがもたらしてくれた豊穣の一部。宮廷の料理人たちが最高のモノに仕立ててくれた。今年も存分に楽しんでくれ」



 この祝宴の目的は食べて飲んで楽しむことだ。

 王の挨拶が終わった後はそれぞれ自由に歓談し、場が盛り上がってきたところで表彰式となる。それからもう一度自由な時間があり、閉宴は夜中になるのが常だ。

 かくいうローランも飲み物を一口含んだ後、軽く摘まめるものでまず腹を満たした。



(実に豊かだ)



 貧しい時代の王国を知るローランは毎年のようにそう思う。

 普通ならば寿命を過ぎている彼だが、まだまだ肉体は健康である。髪にも艶があり、肌も実に若々しい。まだ三十代と言ってもでも通用する容姿だった。



「陛下、相変わらず若々しい限りですな。魔力技術開発部でも評判ですぞ。陛下は不老不死の加護を受けているのではないか、と」

「ルビス長官か。開発部も盛況なようで何よりだ。それに私とて不死ではないさ。身体が強く、老いにくい特性があるに過ぎない。それもセフィラのお蔭だよ」

「そういえば今日は女神様もいらっしゃらないので?」

「用事があるそうだ。妖精郷に帰っている。詳しくは知らないがな」



 ルビスはなるほど、と言いながら頷く。

 彼は国防省の魔力技術開発部で長官を務める男だ。女神の事情についても詳しい。それに一般市民程度にも女神セフィラと妖精郷の関係くらいは知られていた。

 しかし国民からすればどうでもよいことだ。

 冥王の住まう伝説の地として語られることも多かったが、今では女神の島という側面が強い。そもそも『豊穣の祈り』に明確な教えがほぼ存在しないというのも大きい。とにかく女神像に向かって祈れば、豊穣の加護を得られる。それだけが重要なのである。



「残念です。女神様にもご挨拶申し上げたかったのですが」

「また今度でよかろう。今日のように不在ということもあるが、大抵は私と共にいる」

「ええ。またのご機会に」

「それよりも開発部の躍進は随分なものだと聞いた」

「はい。今年より特待制度で卒業した優秀な平民新人も入りまして、これが中々使えるのです。全てを……という訳には参りませんが、実力主義で這い上がった者たちも採用を増やしていきたいものですな。この後、国民省の方を紹介していただく予定になっているのです」



 ローランは少しずつだが改革を進め、国の発展と共に支配階級の特権を緩和しつつある。本当に少しずつなので不満も最小限だ。かつてパルティア王家は各地の有力者に領地と権威を与え、士族とした。それは土地を守るだけの戦う力を備えていたからだ。時代と共に少しずつ役割も変わり、経済力や政治力に特化した貴族へと変化してきた。権力もかつてと比べれば小さくなったことだろう。

 そんな中、王家の権力だけは変わらない。寧ろますます力を強めている。

 見た目が変わらない王の神聖さ、そして実在する女神がパルティア王家の権威を絶対的なものとしているのだ。だから国民は常に王家を支持する。



「存分に祝宴を利用するとよい。ここはそのような場だ」

「はい」



 国土はローラン即位の年と比較しておよそ二倍にまで広がり、国民の数は十倍以上になった。そして民の数はこれからも増えていくことだろう。そうなれば国を治めるのに士族だけでは足りなくなる。こうなることを予測して、執政官や研究員に平民を採用する方策を進めてきた。

 だが平民を登用するには教育が必要である。

 国語、数学、歴史、地理、法律など必要な教養は多岐にわたるだろう。こればかりは先行投資が必要なので成果が見えにくい。士族の中にはまだ納得できていない者もいる。そういった者を説得するのもこの場の役目だ。 

 ローラン自身も積極的に動き、目的の人物と語らい始めた。








 ◆◆◆







 セフィラは基本的にプラハ王国で暮らしているが、妖精郷に戻ることもある。

 産まれて百年以上になる彼女は見た目こそ少女のままだが、精神的には成長している。相変わらず子供っぽさは抜けなかったが、論理というものを覚えていた。



「お父様、急に呼び出してどうしたの? いつもは妖精郷から来てくれるのに」

「そろそろ妖精郷……というより俺の目的について話しておこうと思っただけだ。丁度いいことに分かりやすい説明材料があるからな」

「……どういうこと?」

「深淵渓谷を監視している奴から連絡があった。魔神が動き出した」



 その言葉にセフィラは背筋を伸ばす。

 詳しい話は知らなかったが、表面的な知識としては聞き及んでいた。



「人間を憎む怪物、だよね」

「一言でいえばな。一人の人間から始まった呪いでもある。今は二代目魔神だ」

「それがお父様の目的に関係あるの?」

「説明する前に深淵渓谷に移動する」

「ママは?」

「先に向かっているだけだ」



 手を差し出すと、セフィラはそれを無視してシュウの背中に回り込む。そして首に腕を回して背に掴まった。



「普通にできないのか」

「これが私の普通だもん」

「その辺はアイリスそっくりだな……まぁいい。移動するぞ」



 マザーデバイスに仕込まれた賢者の石を使い、転移を発動する。一瞬にして景色が切り替わり、二人の眼前には底の見えない渓谷が広がっていた。

 大地の裂け目というより、大穴と表現する方が良いかもしれない。

 それほどに広く深い裂け目であった。



「ママ!」



 しかし壮観な風景はさておいて、セフィラは宙に浮くアイリスの姿を見つけて飛びついた。性格や見た目が似ているということもあり、母子というより親友のようにも見える。



「セフィラちゃんも連れてきてもらったんですねー。よしよしよし」

「ママ久しぶり!」

「今日も可愛い可愛い」

「じゃあママも可愛いね」

「おい。遊んでないで。魔神はどうなったんだ」



 このまま放っておけばいつまでも女子トークが続くので、シュウが本題へと引き戻す。アイリスは浮いたままセフィラとじゃれていたのを止め、ある方向を指差した。

 そちらはシュリット神聖王国のある東であった。



「もうスレイさんは移動してしまいましたよ。まっすぐヴァナスレイを目指しているようですね。溜め込んでいたモノが爆発したのかもしれません」

「そうか。ならセフィラには移動しながら説明しよう」



 元より霊系魔物のシュウとセフィラは種族としての能力によって浮遊し、アイリスはソーサラーデバイスの浮遊魔術で空を飛ぶ。霊体の二人は空気を透過できるので抵抗なく進み、アイリスは風を切って突風を引き起こしながら東を目指した。

 その道中、シュウは念話を使って三人で思考をリンクさせる。



(まずは復習だセフィラ。魔神スレイについて知っていることは?)

(えっと、魔族の創造主だよね。人間と魔物を融合させて魔族を作ってる。魔族の中でも強力な個体を業魔族といって、更にその中でも魔神の側近クラスが七仙業魔だったかな)

(ならば七仙業魔は全て言えるか?)

廻炎かいえん魔仙、八怪はっかい魔仙、睡蓮すいれん魔仙、疽狼そろう魔仙、邪妖じゃよう魔仙、九尾きゅうび魔仙、死兎しと魔仙。ママが邪妖魔仙を倒したんだよね)

(ちゃんと覚えていて偉いですねー)

(そのくらいは当たり前)



 とはいえシュウがセフィラに教えていることはそれほど多くない。プラハ王国の発展と、女神としての役割に集中させていたからだ。かつて邪妖魔仙の影響でプラハ王国が危機に陥ったので、それに関連した基礎知識だけは覚えさせていた。

 しかしながら魔神の誕生した経緯や、それに関連する聖教会についてはまだ多くを知らない。



(もう少し落ち着いたら終焉戦争以前の歴史も勉強してもらう予定だ。その時に詳しく教えるが、スレイ・マリアスという男はその当時に活躍した覚醒魔装士だった)

(千五百年以上前の人が今も生きているの? 覚醒魔装士だから生き残っていたってこと?)

(時間系の魔術か何かで今の時代に跳んできたようだな。俺もアイリスも詳しくは知らない。だがこの時代に流れ着いたスレイ・マリアスは一人の女と出会った)

(分かった! それでその人と結ばれたのね!)

(あー……誰かと結婚したようだが、そのことについてはよく知らん。俺の言った女の名はアリエット・ロカという。彼女が後の初代魔神だ)

(ど? どういうこと?)



 困惑が念話を通して伝わってくる。

 そこでアイリスが補足事項を伝えた。



(セフィラちゃんもお勉強しましたよね。魔神は一種の呪い。魔神を倒した者に呪いは移り、新しい魔神として再誕させるのですよ。初めに魔神となったアリエットさんを、初代聖守のスレイさんが倒した。その結果、スレイさんが二代目魔神になったのです)

(うん。なんか聞いた気がする)

(詳しく説明すると時間がかかるので省略しますけど、スレイさんはアリエットさんの村を壊滅させたのですよ。だからアリエットさんは復讐のため、力を求めました。シュウさんと私はそんなアリエットさんを発見して力を貸し、魔神として完成させました。『魔族化』もアリエットさんの保有していた魔装を元にしているのですよ)

(えっと、聖守は聖教会で一番強い人だよね。星盤祖マルドゥークに選ばれた戦士とか)



 魔神に深く関係する聖教会についてもそれほど詳しいとは言えない。セフィラは表面的な知識だけを口にするも、自信はなさそうだった。

 ただ深くこの話をするためには前提となる別の情報が必要となる。

 そのためあやふやになっていたとしても仕方ない。



(セフィラ、現存する『王』の魔物は覚えているか?)



 唐突なその質問にセフィラは戸惑ったようだった。

 しかしシュウに聞かれたまま、自らの知識を披露する。



(まずはお父様でしょ。それと魔王ルシフェル、魔王妃アスモデウス、天王バハムート、海王リヴァイアサン、地王ベヒモスの六体だよね)

(正解だ。だがもう一つ、俺と明確に敵対している『王』の魔物がいる)

(それって?)

(恒王ダンジョンコア。スラダ大陸に迷宮を生み出し、広げている存在だ。そして月に封印されている虚飾王パンドラというのもいる。恒王は虚飾王の配下にあたる存在と言えるな)

(その二つを倒すのがお父様の目的ということ?)

(目的に至るため必要な手段という方が正確だな。俺は魔王ルシフェルとは虚飾王パンドラを倒すということで利害を一致させている。俺の目的は、人と魔を分離させることだ)



 思わずセフィラは思考が停止した。

 なぜならシュウは積極的に人と関わっているように思えたからだ。実際にセフィラをプラハ王国の女神として君臨させ、妖精郷戦力を大陸各地に配置している。人の世と積極的にかかわっているとしか思えない。

 まして母たるアイリスは人間である。

 意味が分からないと思ってしまっても仕方ないだろう。



(お父様は何がしたいの?)

(言いたいことは分かる。だがそれは俺の最終目的であって、そのためには回り道が必要というだけの話だ。それが恒王ダンジョンコアとの敵対に繋がる。虚飾王と恒王の繋がりは別の機会に話すとして、ダンジョンコアをこの世から消滅させることが直近に達成するべき目的だと覚えてほしい)

(そのために人間と関わっているというの?)

(魔神と聖守はどちらもダンジョンコアの魔法を宿しているからな)

(ふぅん。そういうことなのね)



 その情報で大体は理解したらしい。

 セフィラも馬鹿ではないということだ。つまり魔神と聖守はダンジョンコアに連なる存在であり、ダンジョンコア討伐を目指すシュウとしてはそれに繋がる手掛かりとして監視している。今回も魔神に動きがあったので、シュウ自らが動いたというわけだ。

 ついでにセフィラにも色々教えておこうという魂胆である。



(今回は見るだけで手を出さない。アイリスもセフィラもそのつもりでいろ)

(悲惨なことになりそうですけどねー……)

(うーん。分かった)



 ローランと契約しているセフィラとしては、それなりに人間へと思い入れがあるつもりだ。外国とはいえ、人間に訪れる脅威を見逃せと言われても気は進まない。

 慣れた様子のシュウやアイリスと異なり、セフィラはどこか不満そうであった。






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