第431話 女神の契約
セフィラに案内されるローランたちは、日が真上に昇るより早く目的地へと到達した。そこはすっかり枯れて生命力を失った大地が広がっており、草の根一本すら残されていない。
「よく見てて」
馬上のローランたちは緊張した面持ちでセフィラを見つめる。彼女は適当な位置まで進むと、魔導を発動した。途端に乾燥で罅割れた地面が揺れる。
急に起こった地震に驚いた馬を宥めるのに必死で、ローランはセフィラから目を離してしまった。ようやく落ち着きを取り戻した時、思い出したかのように視線を戻す。そこには地面から球根を引きずり出したセフィラがいた。
球根は髭根が絡み合うことで繋がっており、網目のように地中で広がっているだろうことが予想できる。
「これが寄生群体だよ。土地の養分を吸い尽くすの」
「何だ……魔物なのか?」
「魔族の能力で生み出されたんだよ」
「それは魔物と区別される、ということだな?」
「うん」
ローランは無言で魔術師、続いて騎士に目を向ける。しかし彼らは無言で首を横に振るばかりで、魔族という言葉に聞き覚えはないらしい。
そして念のためにプリマヴェーラに目を向けると、彼から答えが返ってきた。
「魔族とは魔神の眷属です。倒せば魔力として霧散してしまう魔物と異なり、魔族は明確に肉体を保有しています。そして高い不死性を有するのが特徴です。心臓部にある魔石というコアを破壊しなければ決して死にません」
「そんなものがこの世に存在しているというのか!」
「ええ。魔石を破壊しない限り、腕を千切ろうが首を吹き飛ばそうが再生します。彼らの王たる魔神ほどになれば並みの武器や魔術では傷一つ与えられないとか」
とても信じがたい話だった。
そのような、御伽噺としか思えない存在が現実にいるとはとても思えない。魔術師の一人が否定の言葉で気持ちを露にする。
「あり得ない!」
「ふむ。そう言われましても、存在するというのが事実ですから」
「私はそのようなものを見たことがない。理解できない」
「それは悲しいことです。あなたの世界がそれほど狭いとは」
嘲笑うプリマヴェーラは普段とは少し異なっているように見えた。一切感情によるブレを見せず、仕事に忠実なのが彼らだった。それが今は明確な感情を見せているのだ。
ローランも信じ難い気持ちを抑えきれないが、プリマヴェーラの言葉にも道理が通っている。
「落ち着け。無様を晒すな。それでも私の魔術師か」
「殿下……私は……」
「我が国は氷に閉ざされ、小さな世界で歴史を紡いできた。我々の知らないものが広い世界のどこかに存在していたのかもしれない。妖精郷の伝説とてその一つではないか」
「へぇ。随分と大人なのね」
「セフィラと言ったか。私は国を預かる者になる。現実から逃避することはない。魔族とやらが真実なのであれば、それはどこにいる。話を聞く限り倒せない相手ではないのだろう?」
これだけ突拍子もない話にもかかわらず、ローランは随分と早く受け入れた。それだけ覚悟が決まっているということだろう。騎士たちは身を引き締め、魔術師も心の動揺を抑え込む。自分たちの主人が堂々たる姿を見せているというのに、それに倣えないのは配下としての怠慢だ。
強気なローランを気に入ったのか、セフィラは素直に、そして正直に答える。
「多分無理だね」
「なぜだ」
「理由は簡単。この国に悪いものを持ち込んだ魔族は特別なの。業魔族と呼ばれる強力な個体で、その中でも七仙業魔という魔神の側近みたいな奴らなんだから」
「つまり魔族にも格の違いがあるのか。魔物の階級に当てはめればどの程度になる?」
「一概には言えないけど、七仙業魔は本当に強いよ。
「神話の領域ではないか!」
たとえば冥王アークライト含む六王は
だから
「殿下、そのようなものが国内に入っているとなると」
「分かっている。もしも本当ならば討伐などできるはずがない。軍は
実際、プラハ王国が魔物に滅ぼされなかったのは奇跡に近い。千年以上の間、
より正確に言えば、敵対意思を有する
真実を言うならば妖精郷大陸管理局がプラハ王国を守るべく害になりそうな魔物を狩っていたというだけの話だった。
「真実なのだな? プリマヴェーラよ」
ローランは念を押すように補佐官へと尋ねる。
当然だがプリマヴェーラは頷いて肯定した。
「私は聡明なる殿下であればすべて理解し、真実であるという結論に至るだろうと考えてここまでお連れしました」
「ふん。私は完全に裏切られた気分だがな」
「お戯れを。私は殿下のため、王国のためを思って動いております」
「だと良いがな」
彼らはプリマヴェーラに大きな秘密があり、完全にプラハ王国やパルティア王家の味方でないことを薄々ながら理解しつつもそれを口にすることはなかった。
「理解はした。私たちの手に余る敵がいるということはな」
ローランには次期王としての矜持がある。
国を統治し、民に幸福を与え、世界を発展させる義務がある。
そのために必要なものがあれば、それを用意することに躊躇はない。王国に未来のため、まだ見ぬ世界に潜む大敵に備えるため、ローランは必要を理解した。
「女神セフィラよ」
だから敢えて彼女をそう呼ぶ。
「私のモノになれ」
ローランは馬から降りて、彼女に右手を伸ばした。
「この手を取れ。『王』たる私にはあなたが必要だ」
「何それ。私の方が強いのに」
「そんなものは関係ない。私は王だ。いや、まだ王子でしかないが、必ず王になる。その覚悟を持った私は誰であろうと膝を折らない。神を名乗る存在にも頭は下げない。私は王として民よりも、部下よりも、そして神をも先に進まなければならない」
「だから私を利用するって?」
「その通りだ。プラハ王国を切り開くのは王たる私だ。神ではない。私が道を作り、障害を取り除き、人々を導くのだ。だから私を支えてほしい」
それは不遜で、一つ間違えればこの場で殺されるかもしれない台詞だった。
だが彼が傲慢ゆえに述べた言葉でないことは、目を見るだけで分かる。経験の少ないセフィラですら、心に訴えてくるローランの覚悟を知った。
(やっぱり面白い人間)
あれだけ冷徹な笑みを浮かべていたプリマヴェーラですら、ローランの暴挙を目の当たりにして焦りを浮かべている。今、ローランはセフィラの機嫌一つで全てを失いかねない状況なのだ。
しかし杞憂であった。
脆弱で力もない人間には、強靭で強力な覚悟が宿っていたからだ。
「いいよ」
だからセフィラは笑って答えた。
「試してあげる。あなたのその想いが続く限り、私は手を離さないであげる」
伸ばされた手を取り、セフィラは告げる。
すると二人の手を包み込むようにして魔力の光が灯った。ローランは自分の中に何かの力が流れ込んでくるのを感じる。思わず手を離しそうになったが、すぐに思い直した。
「度胸あるね」
「私から伸ばした手だ。私が離すことはない。少し驚いたがな」
「そうでなくちゃ、力を分けてあげる意味がないもの」
「力を分ける?」
「そうだよ。私の能力は繋げる力。私と繋がっている限り、あなたは私から力を分け与えられる。祈りを受け取って大地を豊かにしているのもこの能力だよ」
「やはり、絡繰りがあったのだな」
「当り前じゃない。でも、それを奇跡だとか言って有難がらないのはあなたが初めてだったけどね」
魔力の光が消えて、契約は完全に成る。
そこでようやくセフィラは手を離した。
一方のローランは右手を握ったり開いたりして感触を確かめていた。今はもう力が流れ込んでくるような感覚もない。しかし意識すれば確かにセフィラとの繋がりを感じられた。
「これをあげるわ」
セフィラは手元で植物を成長させた。すると種でしかなかったそれは、あっという間に木の苗となる。恐る恐る受け取ったローランは当然の権利として尋ねた。
「これは?」
「セフィロトの苗。私の加護を受けている木だよ。広いところに植えれば勝手に育つから、枝を切り落として女神像を作って」
「枝で像を? それは難しいのではないか?」
「大丈夫だよ。かなり大きな木になるから」
「なるほど。必ず、広い場所を確保すると約束しよう。女神像の件もな。つまりはそれに祈ればあなたに魔力が届き、それを大地に分け与えてくれるということだろう?」
彼の理解は正しい。
だからセフィラも頷いた。
「ならば、色々とやることができた。女神の助力を頂けるのだ。正しく利用しなければな」
「どうするの? 聞かせて」
「ふむ。まずはあなたの言った通り、女神像を作るところから始めなければな。そしてそれを普及させ、枯れた大地を取り戻す。後はこれを神の奇跡ではなく、王家の力の一部として広める準備も必要だ」
「どうして?」
「神と王が同時に存在すれば碌なことにならない。それはプラハ王国の歴史が証明している。女神と我がパルティア王家が表裏一体であることを示せば、政治的に安定するという理由もあるがな。我が王家なしには国が立ち行かぬようにしてみせるさ」
それは権力欲しさではなく、国の安定を考えての行動だ。
もしも魔神や魔族、そしてまだ知らぬ世界の脅威が敵となるならば、国内で分裂している場合ではない。確固たる絶対の王家とその力が必要なのだ。
「神職や神殿のような余計なものはいらない。王家こそが女神の窓口だ。人々の拠り所を王へと集中させなければならない」
「酷い重役ね」
「言ったはずだ。覚悟はある」
「いいね。強い人間は好ましいってお父様も言ってた」
「……人間は弱いのではなかったのか?」
「昔はお父様に手が届く人間もいたらしいよ。それに強さも色々あるから」
セフィラは浮遊してローランの頭上を跳び越え、そのまま彼が乗ってきた馬に腰かけた。
「早く行こう。ちゃんとしてよね。相応しくないと思ったら契約は切るから」
「はは……気が抜けないな」
「覚悟はあるんでしょ?」
「当然だ。二言はない」
ローランはそう言いながら
そして唖然とする補佐官へと命じた。
「お前も戻るのだ。プリマヴェーラは王の補佐官なのだろう?」
「……なるほど。その器、確かに王ですな」
「私を誰と心得る。ローラン=カイル・スレイン・パルティアだ」
勇気と信念を持つ人の王は女神と契約を交わした。
それは歴史に伝説の一幕を刻むこと間違いない。力もない人間が、その心によって女神を口説き落としたのだから。
この歴史的瞬間に居合わせた魔術師の一人は、後年になってその鮮烈な記憶を歴史書に記す。多少美化され脚色も混じっていたが、ほぼ事実のまま、ローランは伝説の王として語り継がれることになるのだ。
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