第429話 試練の問答


 それはローラン=カイル・スレイン・パルティアにとって人生の転換点だった。

 彼は目にしてしまったのだ。

 『神』という存在を。



「あなたは私に祈るの? それとも拒絶するの?」



 魔術に詳しくないローランですら感じ取れる絶大な魔力。

 天上の美。

 心を溶かしこむ声。

 そして大自然を支配する権能。

 これを目の当たりにすれば平伏す他ない。

 ローランは膝を折り、震える両腕で身体を支える。



「私は――」







 ◆◆◆






 少し前、ローランたちは女神の丘に到着した。

 荒地を進んでいた彼らは少し前から再び草木豊かな土地へと入り、更に馬を走らせると畑や家屋を目撃することになる。そしてしばらくの後、女神の丘へと到達したのだ。



「信じられません。荒地の真ん中にこのような……」

「何ということだ。魔力が溢れている」

「住んでいるのは農民ばかりのようですね」



 付き添いの騎士や魔術師たちも馬を降り、手綱を引いて進む。ローランは馬上のまま、付き添い騎士に馬を引かせていた。

 部下たちの会話を聞きながらローランも思案する。

 やはり気になるのはプリマヴェーラから聞いた話だ。『女神』が豊かさを与えているというこの土地は異質と表現する他ない。その中心部にある、見たことのない巨大な樹が放つ威容は身を震わせるほどだ。



「本当にいるのか? 女神が」

「殿下、私がいます。問題ありません」

「信じているぞプリマヴェーラよ。お前が私をこの地にいざなったのだ。必ず私の役に立て。このような所で屈するわけにはいかん」

「それでこそ殿下です」



 既に王子ローランが訪れるという御触れは流してある。真っすぐ大樹へと向かっていくローランたちを咎める者は一人としていない。

 一度も止まることなく、誰からも呼び止められることすらなく、女神の丘の中心へと辿り着いた。そこで初めてローランも馬から降り、衣服を正す。



「これが女神像という奴か」



 大樹の根元には社があり、その中には木像が安置されていた。既にプリマヴェーラから話を聞いている。これが祈りの対象たる女神であると。



「少し話を聞きたい。この集落の代表者を呼べるか?」

「ええ。すぐにお呼びいたします」



 プリマヴェーラがすぐに了解し、ジェスチャーで何かの指示を出す。すると集落の人間がどこかへと走っていった。

 手際の良い男だとローランは苦笑し、暇潰しのために大樹を見上げた。

 非常に巨大な樹木だ。その幹は根元になると大人が数名ほど手を繋ぐことでようやく囲むことができるほど。枝葉の密度も濃く、太陽の光をほとんど通さない。



「凄いな。これほど見事なものは見たことがない」

「信仰対象となってもおかしくありませんね。私の故郷の村でも祖霊が宿ると言われる大樹がありました。これほど大きくはありませんが」

「そうなのか。確かにお前は辺境出身だったな」

「はっ。陛下の温情により騎士を名乗らせて頂きました」



 騎士とは本来、土地を支配する士族を意味する。どれだけ武功を立てても平民では騎士を名乗ることが許されない。彼も辺境出身とはいえ、その村を支配する名士の一族だった。

 そして文明から離れた地域では先祖の霊を祀ったり、炎に神が宿ると信じたり、山を神の住処だと考えたり、とにかく祖霊信仰や自然信仰が行われたりもする。プラハ王国としては特定の宗教を強制しているわけではないので、そのあたりは歴史文化に任せるがままとなっていた。

 妖精伝説もその一種と言えるだろう。

 ありふれているからこそ、ローランは神を信じない。

 仮に存在したとしても、それは神ではなく恐ろしい自然的な何かであると考えている。



「なるほどな。これが女神信仰の正体というわけか。この大樹が何かしらの影響を及ぼし、土地を豊かにしているのかもしれん」



 合理的かつ理性的な思考と判断力だ。

 まさに王として相応しい力だと言えるだろう。

 しかし時として、与太話は合理を超える。途方もなく信じがたい話が真実ということはあり得るのだ。ローランはまだ、例外を経験したことはなかった。

 初めての予想外は、とても刺激的なものとなる。



「ふーん。外から人が来たから新しい住人かと思ったけど、違うのね」



 一瞬にして理解させられた。

 次元の違いが強制的に認識させられた。

 恐ろしい重圧が襲いかかる。ローランも護衛の騎士も魔術師も、ほぼ同時に膝を折ってしまった。



(なんだと……)



 聞こえたのは幼い女の声に思えた。

 子供が声をかけた程度で屈するほど柔ではないつもりだ。ローランは王族として、何より次期国王としての矜持により身体を起こそうとする。しかしどうしても膝が笑ってしまい、力が入らない。

 せめて声の主を目に入れようと、どうにか首だけ上に傾けた。



「あ……」



 そこにあったのは膨大な魔力の塊だ。

 あるいは奔流と言っても良い。ローランですら理解できてしまう強い魔力が『彼女』より発せられていたのである。全てが彼女へと集まり、全てが彼女より供給されている。

 黒髪金眼の少女が宙に浮き、ローランたちを見下ろしていたのだ。



「あなたは私に祈るの? それとも拒絶するの?」



 確かにローランの予測は一部正しい。

 女神とは超自然的な存在だ。神などという曖昧な『何か』ではなく、超越的な自然の一種。乱暴な言い方をすれば、赤子から見た大人のようなものだ。あまりにも格が違うので理解できないのである。

 恐怖ではない。

 畏れだ。

 ローランは自分の中に恐怖だけでなく、敬う心があるのを知った。



(は……『女神』か)



 ここに来るまでローランは少しばかり侮っていた。神などという曖昧な存在に頼り、心を維持する民たちに安寧を与えようとすら考えていた。

 だがそれは誤りであった。

 絶対的な存在がウルヘイスに君臨していたのだ。

 ローランは震える両腕で身体を支え、頭だけは垂れぬよう耐える。このまま女神に従ってしまうのが楽なのだろう。全ての苦痛を忘れたいという欲望がローランを誘惑する。



「私は――」



 何と答えれば良いだろうか。

 このまま力に屈して信者の一人となるべきか。



「私は……否! 私は王とならなければならない。民の前で屈してはならない。私はローラン=カイル・スレイン・パルティアだからだ!」

「へぇ」



 女神は興味深いと言わんばかりに声を漏らした。

 彼女の眼にはもはやローランを試す色はない。彼は唯一、女神の威光を退けてみせた。



「私の名はセフィラ。初めてだよ。あなたのような人は」



 押し付けるような強い魔力が消え去った。

 ようやくローランたちも重圧から解放され、体が軽くなった。本来ならばすぐにでも護衛騎士たちがローランの身を確保しなければならないはずだが、誰一人として動けない。魔力に対する耐性が高い魔術師たちですら同様だった。

 これは口答えまでしてみせたローランの精神の強さを際立たせる。

 しかしながら無事というわけではない。すっかり呼吸が乱れ、今にも倒れそうな有様だった。重圧から解放されたことで緊張の糸が切れたのだろう。徐々に意識が遠のいていく。



「この人たちを休ませてあげて。疲れているみたいだから」



 涼やかな女神の声も最後まで脳に届かない。

 ローランは完全に気を失ったのだった。








 ◆◆◆








 ローランが目を覚ました時、まず記憶の確認から始めた。

 自分の部屋とは思えない粗末な天井、庶民が使う質の悪いランプ、少し硬いベッド。起き上がったローランはようやく思い出した。



「そうか。私はウルヘイスに」

「気が付いたのね」

「っ! 何者だ!」



 勢いよく声の方に振り向くと、部屋の窓枠に少女が腰かけていた。外は既に暗くなっており、夜風が入り込んでくる。



「私はセフィラ。自己紹介したでしょ?」

「君はいったい……」

「ここに来るのは皆、可哀そうな人たち。いつも救いを求めている。だから祈りに相応しい豊かさを返してあげてるの」



 セフィラは窓枠から降りて、ベッドに座るローランへと近づいた。ローランは護身用の短剣を差した腰へと手を伸ばす。あれだけの圧を放った存在なのだ。見た目に騙されてはいけない。



「あなたは不思議ね。どうして私を拒否したの? 頭を下げて祈りを捧げれば、私はあなたを豊かにしてあげたのに」

「私が王になるからだ」

「王? それがどうしたというの? 人間は皆、同じでしょう?」

「……やはり人ではないのか」



 彼女の台詞からローランは真実に辿り着く。

 魔物でありながら人に近い存在というものを知識に持っていた。



「妖精郷の魔物、なのか?」

「やっぱりわかるんだ」

「……実在するというのか。妖精郷が」

「え? そこから?」



 溜息を吐くセフィラは一見すると人間らしい。だがローランは彼女の言い回しを聞き逃さなかった。王になる者として、他者の話はよく聞くように心がけている。それが役に立った形だ。

 カマをかけるつもりで妖精郷の名を出してみたところ、セフィラは決して否定しなかった。

 つまり、そういうことである。



「あなたは妖精なのか?」

「ううん。違うよ。私は精霊の一種かな。冥王アークライトと時の魔女アイリスが娘、セフィラよ」

「何だと!?」



 あっさりと正体を言葉にしたセフィラに驚き、遅れて跳び起きる。ベッドを挟んでセフィラと対峙し、強い警戒を見せる。

 冥王といえばプラハ王国の誰もが知る伝説の存在だ。

 妖精郷伝説の一つであるが、その中でも恐怖の象徴として描かれている。その娘であると名乗った人外に警戒しないはずがない。真実ならば、神どころかとんだ脅威である。



「……君たちが我が国に悪意を持ち込んだのか」

「悪意? 寄生群体のこと? それなら私が潰してあげているのよ。言いがかりはよして」

「寄生群体とはなんだ?」

「知らなかったの? 土地を枯らしている元凶だよ」

「やはり何者かの意思が介入していたのだな」

「魔族がいるってお父様が言ってた」



 魔族という言葉は聞いたことがなかった。

 念のため、ローランは尋ねる。



「それは魔物のことなのか?」

「違うよ。魔族は魔神の眷属。魔物とは違うかな。運が悪かったね。ここからずっと北に住んでいる魔族に目を付けられたんだから」

「……その魔族とやらは何の目的で我が国に?」

「さぁ? 目的なんてないんじゃない? 私もあんまり詳しくないし。お父様なら色々知っていると思うけど」

「冥王……」

「うん」



 苦々しく呟くローランはかなり混乱していた。妖精郷の魔物だと名乗る少女のこともそうだが、彼女が冥王の娘であったり、魔神や魔族といった初めて耳にする言葉もその要因である。全てが信じがたく、しかし真実だとすればすぐにでも対処しなければならない事態だ。



「証拠はあるのか?」

「寄生群体なら見せてあげるよ。もう暗いから明日になるけどね」

「そうか。では頼もう。どうやら色々と調べなければならないらしいな」



 危険を承知でここまで来た意味はあった。

 他者から語られた言葉のみでは真だと判断するのに足りない。ローラン自身の眼で確認し、判断しなければならない。女神などという王ではない存在が頂点に立つのを許してはならない。それを許容すれば、国は二分されてしまう。

 かつて起こった内乱により、プラハ王国は幾度も王家が変わってきた。

 その度に争いや戦いが激化し、民は困窮し、国は疲弊した。争いが起こるのは、常に二つ以上の指導者がいるときである。プラハの歴史がそれを証明している。



(問題があるならば、それは私が解決する。いや、そうでなければならない)



 ともかく明日のため、ローランは体を休めることにした。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る