第428話 王家の秘伝


 西グリニアが魔族によって滅ぼされる前、彼らは終焉戦争を始まりとする新しい暦を使っていた。神聖暦が終わり、希望のない暗黒の時代になった。その罪を忘れぬよう、初代聖堂は暗黒暦と名付けたのだ。

 しかしながら全ての国がこの暦を利用しているわけではない。

 暗黒暦一四一三年。

 それはプラハ王国においてバルドル王暦四十三年と記録される年であった。バルドル王は老齢だが、既に次の王も決定しており後継者争いもない。また王太子ローラン以外の子たちもおおよそ進路が確定している状況だった。王宮の状勢は悪くない。寧ろバルドル王暦は安定していたと言えるだろう。

 ただし、別の面で危機的な状況に陥っていた。



「カイルよ。間もなく私は死ぬだろう」

「父上……」



 ローランは病床に伏す王のもとに寄り、手を握った。

 父親でもある彼はローランのことをカイルと呼ぶ。この名は家族や配偶者、あるいは親しい友人だけが呼ぶことを許される。



「ローラン=カイル・スレイン・パルティアよ。私は明日にでも王の称号ファルエルを譲渡しなければならない身かもしれん。故にお前に伝えよう。王家に伝わる秘された口伝を」

「そんなものが……!?」

「ある。私も父王より伝えられた。そしてお前も次の王に伝えなければならない」

「……その口伝とは一体」



 思わず喉を鳴らしてしまった。

 そのようなものがあるなど聞いたことがない。だからこその秘された口伝なのだろうが、ローランは緊張で冷や汗を流してしまう。あらためて王の重責を感じたからだ。

 ゆっくり、そして重々しくバルドルは口を開いた。



「妖精郷を知っているな」

「伝説の……」

「いいや、伝説ではない。妖精郷は確かに実在する。そして滅びの王……冥王アークライトが住まうのだ」

「それが口伝、ですか?」

「確かに重要な事実だが、さらに秘匿すべき情報がある。我がパルティア王家に仕えるプリマヴェーラは妖精郷の……冥王アークライトの手先だ」

「は?」



 まさか。

 冗談に違いない。

 それがローランの心の内だった。

 プリマヴェーラとは王家の補佐官として仕える者たちを指す。彼らは一族というわけではなく、一つの集団という扱いだ。プリマヴェーラだけが補佐官をしているわけではないが、多くの重要な役割を担っているのは間違いなかった。

 それが冥王の手先など、簡単に信じられる話ではない。



「彼らが……? そんな、まさか」

「案ずるな。プリマヴェーラたちは決して悪いようにしない。王国のために尽くしてくれている。しかし彼らは決してパルティア王家に忠誠を誓っているのではない。冥王アークライトのために王国を保ってくれているのだ」

「どういうことですか」

「パルティア王家より以前、我が王国には数々の王家があった。そのプリマヴェーラはその全ての王家に仕えてきたのだ。どれだけ王国が混迷を極めようと、その度に介入して国が滅びぬよう尽くしてくれた。それが真実だ」



 ローランは妖精郷伝説など信じていなかった。

 所詮は迷信だと思っていたほどだ。老人たちは妖精郷に畏怖を抱え、冥王アークライトを強く恐れる。同時に妖精を幸運の前兆として扱う。それだけのものだった。

 しかし父の言葉が正しいのだとすれば、もはやプラハ王国は妖精郷なしではいられないということになる。国の中枢を妖精に握られているということなのだから。

 声の弱くなったバルドルはさらに続ける。



「彼らは森妖精エルフと呼ばれる者たちだ。我々と似た姿をしている。しかしその知性は我々をも超えるだろう」

「……私はどうすれば」

「彼らを信頼しなさい。しかし委ねてはならない。もしも彼らに委ねるのならば、その時はパルティア王家が終わるだろう。彼らは人がプラハ王国を治めることを望んでいる。プリマヴェーラから学びなさい。プリマヴェーラは優秀な者たちだ」



 すぐに返事を返すことはできなかった。

 だがローランは遅れて頷き、さらに遅れて返事をする。うまく頭が回っている気がしなかった。







 ◆◆◆







 突如としてプラハ王国を襲った飢饉は、もう五年も続いている。少しずつ土地が渇き、川が枯れ、木々は実りを止めた。人々は北部から離れ、南部の王都アンブラ付近に集まりつつあった。元より食料の備蓄はあったが、充分な量とはいえない。

 少しずつ、国は疲弊していた。

 王国は全力を尽くして原因と解決策を探していたが、残念ながら答えには至っていなかった。また疲労が祟ったのか、元より老齢だった国王も体調を崩しがちとなっている。王位継承を視野に入れた王宮の動きもあって、普段より鈍くなっていたのは確かだった。

 次期国王が確実となっているローランは足音を立てて廊下を歩き、ある場所を目指していた。そこは王の執務室からもほど近い資料室である。



「プリマヴェーラはいるか?」



 ローランは資料室をノックして返事も待たず入室する。すると室内では幾人かの人物が紙を相手に作業していた。その内の一人が立ち上がり、ローランのもとまで歩み寄る。



「どうなさいましたか殿下」

「……」

「殿下?」

「いや、何でもない。王国の飢饉をどうにかできる手段は見つかったか?」

「具体的な手段はありませんが、興味深い情報があります」



 対応したのは全体的に色味の薄い男だった。美形に分類されるのだろうが、あまり目立たない容貌だといえる。こうして相対して会話しても、部屋を去ればその顔を忘れてしまうのではないかと思わされた。



「……その情報とは?」

「女神の丘、と噂される場所です。ウルヘイスの丘陵地が今はそのようになっているとか。どうです。興味が湧きませんか?」

「それだけでは何も分からんぞ。新手の儀式集団か?」

「ある意味でその通りでしょう。彼らは女神という存在を信じ、豊かさを享受しているようです。まだ調査段階ですが、女神の丘には数万もの人が集まっているようです」

「なんだと!? それでは王都に匹敵するではないか!」



 思わず大声を上げてしまった。

 だがそれも仕方ない。王都アンブラは最も栄える都市だが、それでも数万程度の人間しかいない。現在は枯れていく大地から逃れるため多くの人が殺到しているものの、本来は数万の人間が住まうというだけで大都市扱いなのだ。

 それが知らぬ間に、枯れていたはずのウルヘイスの地に誕生していると聞けば驚かないはずがない。



「確かな情報なのだろうな?」

「寧ろそのお蔭で王都は保っているのですよ。本来なら故郷を捨てて王都にやってきた人々はもっと多いはずでした。とっくの昔に食料の備蓄が無くなり、全ての市民が飢え、国が荒れ果てていたはずなのです。我々の予想を覆した『何か』を探していました」

「それが女神の丘だと?」

「間違いないかと」

「何なのだ。女神とやらは」

「なんでも祈れば豊かさを与えてくれる存在だとか」

「バカバカしい」



 ローランはそう吐き捨てる。

 そのような都合の良い奇跡があるはずもない。この世は厳しく、ただ祈り求めたからといって望みが叶うとは限らない。



「この世にあるのは実力だけだ。神などいないさ。幸運をくれる妖精だって疑わしい」

「おや。そうですか? 神はいますよ」

「何を根拠に」

「人知を超えた存在を神と呼ぶ。それだけのことです。常識を超えた力を持ち、人間にできないことを成せる存在を神と呼称し、畏れるのですよ」



 補佐官プリマヴェーラの言葉は一部納得できる。確かに全知全能にして慈悲溢れる神というよりは理解しやすい。

 しかしながらローランはそのようなものを信じようと思わなかった。

 神に委ねる王など、民を苦しめるだけだ。それは王としての責務を放棄することに他ならないとローランは考えている。



「王とは誰よりも孤独でなければならない。誰かに縋ってはならない。全てを受け取り、全てを与える存在でなければならない」

「素晴らしい王道です。しかし」

「しかし、何だ?」

「ローラン殿下は一度たりとも王都の外をご覧になったことがないでしょう。己が目で国の全てを見たわけではないのでしょう。その有様で斯様な王道を語るとは」



 彼の言い回しは無礼な部分が多かった。だがローランはそれを咎めない。

 王の補佐官とはそういう存在なのだ。何をしても良いというわけではないのだが、特にプリマヴェーラたちの権限は強い。



「プリマヴェーラよ。何が言いたい」

「女神の丘へ行ってみては如何でしょうか。その目で見て、神の存在に触れてみては如何ですか? そうすれば新しいものが見つかるかもしれません」

「それは必要なことなのか」

「どちらにせよ、女神の丘は調査しなければならないでしょう?」



 ローランの脳裏に父王の言葉が過る。

 父は床の間で秘伝を残した。それはプリマヴェーラの正体についてである。



(父上はこの男たちを森妖精エルフだと語ったが……)



 見る限りプリマヴェーラたちは人間だ。

 こうして人間に擬態してまで何をしようというのか、ローランでは予想もできない。だが彼の言うことも尤もだった。



「そうだな。確かめておきたい。ウルヘイスがどうなっているのか、私はこの眼で見ていないのだからな」

「準備いたします」








 ◆◆◆








 明るい陽射しの差す野を、六頭の馬が駆けていた。

 氷河期が終わりを迎え、太陽が顔を出すようになってから野には草花の姿が戻っている。しかしながらそれも全土とはいかない。



「……止まれ!」



 馬上のローランがそう叫ぶ。

 すると護衛の兵士に魔術師、そしてプリマヴェーラの一人が手綱を引いた。



「殿下」

「ああ、これが枯れた大地という奴か」



 まるで世界が切り替わったかのように荒野が広がっている。異質な光景だった。



「これは確かに作物を育てるどころではないな。知ってはいたが、これほどだったとは。プリマヴェーラの調査はこの先にまで及んでいるのか?」

「事前の報告より荒野が広がっていますね。先に調査した者の報告では、一月前までそこの大岩のあたりが境界線だったようです」



 プリマヴェーラが馬上で指さした先にはよく目立つ岩山があった。それはメサと呼ばれる地形に近い。丘陵地が風化により削られ、硬い岩石だけが柱のように残った奇妙な構造である。

 街道がしっかり整備されているわけではないので、このような目印が基準となる。

 都市から都市を移動するためには日付と太陽の位置から方角を割り出し、大きな目印を頼りに移動していくことになる。当然だが、迷えば待っているのは餓死だ。王の世継ぎの移動であるため、こういった事前の調査は抜かりない。

 間違いなく、ウルヘイス丘陵地に向かっていた。



「今から移動すれば陽が沈む前には到着するでしょう」

「そうか。他の者も疲れはないか?」

「殿下が問題ないのであれば、我々は付き従うのみです」

「ならば行こう。ウルヘイスをこの目で確かめなければな」



 彼らは再び鞭を打ち、馬を走らせ始めた。

 ここからは水も草もない土地だ。間違った方向に走らせれば馬など簡単に力尽きてしまう。大丈夫だと分かっていても、ローランは緊張を隠せない。



(だが、確かめてみたい。父はプリマヴェーラを頼れと言った。彼らがどれほどのものか、私は直接目にしたことがない。これは彼らの実力を目にするいい機会だ)



 これは試しではない。

 プリマヴェーラの優秀さはよく知っているからだ。しかし、彼らはあくまでも王の補佐官である。王子でしかないローランが直接関わる機会はほぼなかった。間もなく国を継ぐ者として、その働きが如何ほどのものか知っておきたい。

 先導するプリマヴェーラの背を眺めつつ、ローランは思考に耽る。



(彼らが妖精だというのなら、委ねるわけにはいかない。女神の丘のことも、彼らには任せない。この国を治めるのは……私だ)



 その態度は妖精郷から見て好ましいものだ。

 だからこそ、先頭を行くプリマヴェーラは彼を導いた。妖精郷の、王女の御許へ。








 ◆◆◆








「プリマヴェーラの一人から連絡が来た。王子を連れてくるらしい」

「この国に潜入している管理局の人たちですよね」

「潜入と言っていいのかは謎だがな」



 シュウはマザーデバイスの画面を閉じる。

 大陸管理局には第一分室プリマヴェーラという部署が存在している。分室は大陸に存在する国へと直接入り込み、情報収集や工作を担当する単位だ。歴史の長いプラハ王国の場合、王家に直接取り入ることで内情をコントロールしてきた。

 決して滅びぬよう、調整する役目があった。

 尤も、シュウは基本方針のみを伝えて放置していたが。



「話を聞く限り、ローラン王子とかいう奴は好ましいな」

「珍しいですね。シュウさんがそんなことを言うなんて。てっきり人間が嫌いなのかと思っていたのですよ」

「そんなことはない。敵対することが多かっただけだ。ロキとは仲が良かっただろう?」

「『鷹目』さんですか。懐かしいですね」

「それに『黒猫』とも協力関係を継続しているだろ」

「うーん。言われてみれば」



 アイリスも納得したが、シュウの経歴を鑑みれば驚きも仕方ないのかもしれない。確かに滅ぼしてきた国は数多く、殺害数も総合すれば六桁に届くのではないだろうか。



「それで何が好ましいのです?」

「神を言い訳にしないからだ」

「それって信じていないだけでは?」

「神を信じるのは構わん。だがそれを理由に勝手するのは好きじゃないな。その点、ローランとかいう王子は中々にプライドの高い奴だ。俺は楽しみだよ。そいつが『女神』を目の当たりにしてどんな選択をするのか」



 おそらく力によって冥王シュウ・アークライトに並ぶことはない。もはや人間の敵う領域ではないのだ。しかしながらその試しを乗り越えることはできる。

 挑戦者を待つ。

 そんな思いでシュウは南の地平を眺めるのだった。







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