第425話 妖精郷の幼子
長い氷河期はスラダ大陸を蝕み、すっかり疲弊させていた。千年の閉ざされた日々は終わったが、それでも傷跡は深い。同じように長い時間をかけて修復するのを待つしかないのだ。
一方で妖精郷の環境システムは氷河期をも打ち消しており、余波によって恩恵を受けていた国があった。プラハ王国という大陸南西端の国家である。終焉戦争時代より存在する歴史の深い国家で、政変で幾度か王家が変わったものの、彼らは氷河期の間も地上で暮らしていた。
「今年も豊作だなぁ」
「ああ。毎年収穫が増えている。嬉しいことだよ」
農民たちにとってこの頃は順調そのものであった。これまでは芋ばかりを育てていたが、最近では様々なものを育てられるようになり、そのノウハウも蓄積されつつある。自分たちが豊かになりつつあるのを彼らは実感していた。
目の前に広がる成果を見渡し、彼らは満足気である。
「そろそろ畑を広げようかって話もある」
「人も増えてきたしなぁ。ガルスの所はガキが多すぎて継がせる土地が足りないなんて嘆いていたし」
「今度の村会で人を集めんとな」
「ああ」
農民たちは希望に満ちていた。
あまり栄えているとは言えない王国辺境の村だが、活気は増しつつあった。
「ぁぁー……」
彼らは自分たちの国家で完結しており、世界の動きを知らなかった。
「今、何か言ったか?」
「言ってない。それに俺も聞こえた。何かの声だ」
「魔物か?」
そんな会話を最後に彼らは口を閉ざし、周囲を見渡す。その雰囲気が伝わり、畑作業をしていた他の農民たちも周囲を警戒し始めた。辺境なので元より危険は大きい。こういったことも想定されていた。
彼らは農具を手に、その声が聞こえたであろう場所に注目する。
「アァー……ァ?」
小さな子供のような何かが現れる。
それは背中に小さな羽を持ち、不気味な声を発しつつ浮いていた。農民たちはその正体が魔物であろうことを確信しつつジリジリと囲み始める。
だが彼らはすっかり見た目に騙されていた。
小さな魔物だからと、今までの弱い魔物と同じように考えてしまった。
「今だ!」
鎌を持った男が声を張り上げ、ソレに飛び掛かった。
「ア?」
しかしその瞬間、ソレの周囲が枯れた。一瞬のうちに大地が干からび、青々としていた草も命を失う。それは人間も同様であった。
彼らは激しい飢餓感を覚え、同時に渇いていく。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
そして悍ましい金切声が響き、『枯れ』の被害から免れた者たちは動きを止める。それは根源的な恐怖を煽る恐ろしい声であった。
更にはその子供のような魔に睨みつけられた者たちは突如として発狂し、首を掻きむしって自殺してしまう。この場は混乱の渦に沈められた。
「アァ?」
その名は邪妖魔仙アールフォロ。
初代魔神により生み出され、七仙業魔の一つとされた強大な魔族である。世の流れを知らぬプラハ王国に魔族の脅威が押し寄せようとしていた。
◆◆◆
子育てというものは大人たちにとって試練の一つだ。幼い子供ほど思い通りにならないものはない。魔物は急激に魔力を吸収することで大きく知能を伸ばすこともあるが、セフィラはゆっくりじっくりと育てられていた。
「まま! いっぱい木の実作った!」
「あらら……やっちゃいましたねセフィラちゃん」
両手いっぱいに色とりどりの木の実を抱え、浮遊するセフィラの顔には満面の笑みがある。一方でそれらを差し出されたアイリスは苦笑気味であった。
見渡せば部屋中に植物が繁殖し、花を咲かせ、あるいは実りを垂らしている。妖精郷大樹の上に建設された冥王の神殿は木造である。壁や床、あるいは天井から生えた植物を処理するのは苦労するだろう。
「はい! どうぞ!」
「ありがとうセフィラちゃん」
悪気のない相手を納得させることは難しい。
愛着のある我が子だからこそ叱ることにも抵抗が生まれる。子供は失敗する生き物だ。その失敗を怒らず、親として躾けることの何と難しいことか。
「セフィラちゃん。魔導を使って部屋を汚しちゃ駄目ですよ」
「えー」
「豊かさを分け与えるセフィラちゃんの魔導は素晴らしいですけど、無暗に育てちゃ駄目なのですよ」
「んー……やだ!」
「あ、ちょ」
系譜としては霊系に属するセフィラは、自らを霊体化させて逃げてしまう。こうなってしまえばアイリスも時間停止や空間転移で追いかけるしかない。
「待つのですよー!」
これが妖精郷の日常となっていた。
◆◆◆
冥王アークライトは妖精郷の王である。
絶対者という意味では神とも言える。その娘が生まれたことは妖精郷の霊や妖精にとって非常に喜ばしいことだった。
「まぁ! これはセフィラ様。ようこそ温室へ」
「お花! 見にきたの!」
「ええ。どうぞご覧になってください」
セフィラは聖樹霊《セフィロティ)というだけあって、植物に対して強い興味を抱いていた。こうして神殿を抜け出しては妖精郷にある植物の研究所や花畑を訪れている。そういったところは霊や妖精たちが管理しているので、その者たちの中でセフィラはアイドルのような扱いであった。
「おやおや。今日もセフィラ様がいらしていたのかい」
「ええ。とても愛らしいわ」
「だったら蜜菓子を持ってこようか。丁度焼いたところだからね」
森妖精《エルフ)の男は温室で飛び回るセフィラに微笑みつつ、調理室へと向かう。この温室は植物由来の製品を開発するための施設で、菓子や香り、あるいは染料などを作っていた。
彼が盆に乗せた菓子を持ってくると、その香りに気付いたのかセフィラが寄ってくる。
「お菓子!」
「はいどうぞ。アイリス様には秘密ですよ。怒られちゃいますからね」
「しーッ! だね!」
「ええ。しー」
セフィラは実体化して香りの強い蜜を乗せた菓子を掴み、頬張る。軽い触感と共に良い香りの蜜が染み出し、口の中が幸せいっぱいとなる。それは彼女の表情を見れば明らかだった。この菓子を持ってきた森妖精《エルフ)の男は勿論、他の職員たちも微笑ましく見守る。
そうして食べ終わったセフィラは再び霊体化して浮遊した。
「お礼! 育ててあげる!」
「ありがとうございます。君、種と大型の鉢植えを持ってきて」
「はい。すぐに」
公然のものとして、セフィラの魔導は有名であった。
女性職員が持ってきた鉢に種が埋め込まれ、セフィラはそこに魔力を注ぐ。すると種が芽吹き、早回しビデオを見ているかのように育ち始めた。その種はあっという間に茎が太くなり、それはやがて幹となる。これは樹の種だった。
本来ならば年単位での観察を必要とする、あるいは魔術で時間加速をかける必要がある。しかしセフィラの能力があれば自然な形で植物を促成させることができた。
「できた!」
あっという間に小さな木となり、そこに青い木の実が生る。それはすぐに赤く熟れて美味しそうな見た目となった。
「何度見ても凄い。ただ植物を育てる能力じゃない」
「我らが王の言によれば、接続する力とか。今は分け与えておられますが、奪い取ることすら可能と伺っております。セフィラ様の機嫌次第で栄えもすれば滅びもする。そんな二面性のある能力だと」
「将来が楽しみだよ」
「全くだ」
成長すればどれほど有用になるだろうか。
妖精郷ではオンリーワンな性質を持つ魔導で仕事している者も多い。その代表例がアレリアンヌだ。魔術で再現するには大規模になり過ぎる場合があるため、個人の資質に任せているのだ。
同様にセフィラの力も妖精郷にとって重要なものとなることだろう。
「セフィラちゃーん! やっぱりここにいましたね!」
「みつかった! にげるー!」
「あ、待つのですよ!」
尤も、そのような未来はまだまだ先のことだ。
アイリスもこうして追いかけてはいるが、感知と転移を組み合わせて無理やり捕まえるようなことはしていない。戯れの一つだと皆が理解している。
職員たちは微笑ましく母娘の様子を眺めていた。
◆◆◆
アイリスから逃げるセフィラは、最終的にシュウのもとへとやってくることが多い。そこに合理的な理由はなく、本能的なものであった。
「おとうさま! きた!」
彼女はシュウのことを『おとうさま』と呼ぶ。一方でアイリスのことは『まま』だ。
シュウはこの違いを系譜だと考えていた。セフィラからすればシュウは父親というより創造主である。それは名付けによる定着という過程からしても当然だった。父親という認識に加えて自分の主であるという本能も刷り込まれているのである。
「なにしてるの?」
「お仕事だ。プラハ王国で動きがあるみたいでな」
「ぷらはおうこく?」
「ああ。妖精郷のすぐ近くにある人間の国だ」
「にんげん! 行ってみたい!」
セフィラは新しいことにすぐ興味を示す。
気移りしやすいという点においても精神は子供そのものだった。そしてシュウは権力も実力もあるのでセフィラの望みを大抵は叶えることができてしまう。だから首を縦に振ることが多い。
「そうだな。視察も行こうと思っていたし、ママと一緒に出掛けるか?」
「うん!」
予定は決まった。
元よりスラダ大陸西側はシュウの担当区分として監視しているため、異変が起こった場合は自ら赴いて確かめることも多い。仕事の延長で出かけると思えば煩わしいこともなかった。
アイリスにメールを送るとすぐに転移でやってくる。
「もう! やっと捕まえましたよ!」
ギュッと抱きしめつつ捕まえたアイリスに対し、セフィラは楽しそうに高い声で叫んでいる。アイリスに似た元気過ぎる子供だった。
「アイリス、プラハ王国へ視察に行く」
「今からですか?」
「ああ。魔族が何かやっているらしい。シュリット神聖王国は周辺に設立した国家群と手を結びつつあるみたいだが、プラハ王国にはその手が伸びていない。だからつけ入られたんだろう」
「魔族を撃退しますか?」
「ほぼその予定だな」
「早い方がいいですね。わかりました。行きましょう」
話の見えないセフィラは霊体化してすり抜け、アイリスの背中に張り付いた。そして構ってほしいと言わんばかりの様子である。
「はいはい。これから人間の国にいくのですよー」
「うん! いく!」
「じゃあ転移しますねー」
転移魔術が発動し、三人の姿は露と消えた。
◆◆◆
プラハ王国の王都アンブラはレンガを使った気密性の高い建造物が特徴の都市だ。氷河期時代も地上で繁栄していたという痕跡であった。
「さむーい!」
氷河期は終わったが、常春の島である妖精郷と比較すれば肌寒さを感じる。初めての感覚だったセフィラは興奮気味だった。
それで彼女が浮遊しようとしたので、慌ててアイリスが押さえる。
「もう、ここで飛んじゃだめですよ」
「なんで?」
「セフィラちゃんが魔物だって気付かれないようにするためなのです」
「どうして?」
「見つかったら人間に虐められるからですよー」
「えー、やだー」
最悪はセフィラが魔物だとバレても問題ない。転移で逃げればそれで対処完了である。それにプラハ王国は妖精郷伝説が今も根付いており、大きな騒ぎにはなりにくい。なぜなら妖精郷が冥王の住処であることは古代より知られているからである。
被害がなければ王国としても騒ぎにはしたくないだろう。
だからセフィラへの教育としては丁度良い。
「シュウさん、どこに行きましょうか」
「まずはセフィラの勉強といこうか。分かりやすく王城でも見に行こう」
「ですねー」
プラハ王国は氷河期に晒されていた。だから裕福とは言い難い。逆に氷河期が終わったことでようやく豊かさを取り戻してきたばかりだ。故に王家ですら贅沢を敵とみなし、慎ましく時代を乗り越えてきたのである。
中には重税を課し、贅沢を求める王もいた。それらの治世は民衆の怒りを買い、あっという間に落ちぶれてしまったが。幾度かの政変がありつつ、千年以上の時をプラハ王国として続けてきた。歴史的な重みは街並みにも表れていた。
そして象徴たる王城も、堅牢さ優先であって煌びやかな部分は最小限でしかない。
「ここが国で一番偉い人が住んでいる場所だ」
「ちいさいねー」
「セフィラちゃんからすればそうですよねぇ。生まれてから巨大建築ばっかり見てますし」
「人間って頭悪いの?」
「そんなことはないですよ。でも、今は落ちぶれていますから」
「ふーん」
少しばかり興味も落ち着いたらしい。
はしゃいでいたセフィラは周囲を見渡して、衛兵を指差した。
「あの人の持ってる棒は何?」
「セフィラからすれば逆に珍しいのか。あれは槍だな」
「原始的な武器は妖精郷にありませんから」
そもそも妖精郷では武器を使う者などいない。大抵が魔術や魔導で解決してしまうし、そうでない場合はソーサラーリングを使う。大規模破壊兵器であれば魔術砲台や禁呪弾もあるが、それらはセフィラの眼に留まることがない。
故に彼女からすれば武器とは珍しいものだった。
「……よわそう?」
「あれくらいならセフィラでも勝てそうだな。普通の人間はあんなもんだ」
「かわいそうに」
「そう悲観することもない。意外としぶとい生き物だ。それに魔装使いもいる」
「まま?」
「そう。ママみたいにな」
アイリスはセフィラを抱きかかえ、『私凄いんですよー』とでも言いたげだ。実際、アイリスは魔装士の中でも特別なので、人間とは比較しようもないが。
「あんまり、おもしろく、ない?」
「妖精郷の方が楽しいかもしれないですねー」
セフィラからすれば都会を出て田舎にやってきたようなものだ。落ち着いた大人ならばともかく、子供であれば面白みのない場所なのかもしれない。
シュウとて仕事でなければ自らプラハ王国に来ることはない。
「だったら、早めに仕事を終わらせるか」
「ですね」
「おしごと? 何するの?」
「そうだな……簡単に言えば、悪い奴が近くにいるから退治するってことだな」
「おもしろそう!」
「遊びじゃないが、まぁ……社会勉強にはなるだろ。少し外まで移動するぞ」
シュウは身を翻して元来た道を戻っていく。王都アンブラは雪対策で急峻な三角屋根の建物が多く、その関係で建物の間に隙間が多い。そのどこかに入って転移すれば、王都から出るのは簡単だ。
この往来で治安の悪い建物の隙間に入り込む夫婦と子供という図は如何にもな怪しさこそあるが、どうせ転移で消えてしまうので問題にならないだろう。
だから誰も気づかない。
伝説上の存在となった冥王が、王都に侵入していたことなど。
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