第424話 冥王の系譜


 通称クリファの卵は大樹神殿の居室へと運ばれることになった。シュウとアイリスの寝室に浮かぶそれは、絶えず不気味な輝きを見せている。



「シュウさん、まだ起きていたのですか?」

「俺はそもそも眠る必要がない。アイリスは寝ておけ」

「でも」

「予定時間が来れば起こしてやるさ」

「お願いするのですよー」



 かなり眠そうなアイリスはすぐに同じリズムの呼吸をし始めた。ここ最近は彼女もオーバーワーク気味だったので疲れ切っていたのだろう。ひと段落したことで気が抜けたらしい。

 神殿はシュウとアイリスの他、大樹の管理人たるアレリアンヌ以外は誰一人として入ることを許されていない。しかしながら霊や妖精たちは大樹の周りに集まり、彼らが神と崇める存在の子を待ち望んでいた。

 それだけクリファ計画は妖精郷にとって一大事であった。



(なんだろうな。この感覚)



 シュウが眠らない理由は他にもあった。

 普段はアイリスの生活リズムに合わせるべく睡眠を実行しており、よほど忙しくない限りは人間に近しい生活を心がけている。

 だが今日ばかりはどうしても眠る気になれなかった。



(年甲斐もなく期待しているのか?)



 楽しみという感情とも違う。

 新しい成果を得られることに対する喜びとも異なる。

 自分自身のことが分からず、シュウは悶々としたまま夜を過ごした。







 ◆◆◆








 クリファ計画において最も注力したのは自然発生メカニズムを誘導する仕組みだが、そうして完成するはずの魔物をどのように確認するかについても技術を注ぎ込んだ。つまり一定以上成長すればクリファの卵が自壊し、二人の子が生まれるようにと仕組みを整えたのである。

 そこで活用したのがアイリスの《縮退結界》である。

 これは内部を『閉じた系』として断絶しつつ、その界面に選択性を与えることができる。不浄大地でのシミュレーションに妖精郷の数値を当て嵌めた結果、魔物として形質が構成されるタイミングを予測することができた。そのタイミングで簡易冥界を回収し、内部を観測できるようにするのである。



(そろそろ時間か)



 間もなく夜明けとなるその時間に、シュウは眠るアイリスの側へと寄った。そして軽く揺らしながら声をかける。



「そろそろ第二段階に移行する。起きろ」

「ん……はぃ」



 東の空が白み、窓からは淡く陽光が差し込む。

 アイリスはすぐに目を覚まし、体を起こしてクリファの卵を見た。眠る前に見たものと特に変わりない。簡易冥界により封印されているのだから当然といえば当然だが。



「冥界を解く。どうなっているか……」

「楽しみですねー」



 グッと背伸びしたアイリスはソーサラーデバイスを起動し、録画機能を使う。これは記念するべき瞬間だ。実験の記録を付けるという理由もあって、ビデオカメラは同時に十基以上も起動している。そして当のアイリスはクリファの卵のすぐ側まで移動し、間近で観察を始める。



「シュウさん」

「なんだ?」

「楽しみですね!」

「それ二回目な」

「いいじゃないですか何度言っても!」



 成功すればこれまでにない実績となるだろう。

 だがアイリスにとってはそれ以上に自身の子であるという意味もある。それも千年を超える月日を共にしたシュウとの子供だ。感慨深くもなる。

 それはアイリスだけでなく、シュウも同じであった。



(なるほどな。俺も期待しているということか)



 人間らしい感性など失って久しい。

 時折思い出すように人間性を思い起こすのは、やはりアイリスのお蔭だろう。彼女も中々に人外へと染まってきたが、それでも人らしさは残していた。

 シュウは魔神術式を足元より伸ばし、空間を伝ってクリファの卵へと接続する。すると黒い卵は術式へと吸い込まれて徐々に溶けていった。やがてその内側より、《縮退結界》で保護されたクリファの卵の本体が現れる。



「……上手くいったようだな」

「はい。これが私とシュウさんの子供、ですよね」

「人間の営みとは異なるが、系譜としては間違いなく子供だ」



 アイリスが卵に向かって両腕を伸ばすと、それが浮遊して彼女の胸に収まった。術式で覆われたその卵の内部は透けて見える。シュウとアイリスの情報体魔力で満たされた内部では、一つの命が育まれていた。

 実体を有するそれは霊系魔物の中でも精霊エレメンタルと呼ばれる種に属する証だ。しかしながらその見た目は人間の幼児のようであった。人の年齢に換算すれば二歳ほどだろうか。身体を丸め、今も魔力を吸収しながら眠っている。



「器の構築には成功した。あとは魂に精神が芽生え、定着するかどうかだが……」

「きっと大丈夫ですよ。シュウさんの専門じゃないですか」

「まぁ、そうなんだが」



 シュウは死魔法の力を使い、その魂を見透かす。

 魂を感知するまでに至ったシュウならば何も苦労することのない、当たり前の視界であった。



「……少しずつ魂に魔力が蓄積されている。間もなく閾値しきいちを越えるだろう。そうなれば魂を維持するための魔力を精神構築に回せる」



 死魔法の本質は魂の掌握だ。

 本来ならば器を必要とする魂をそのままに操ることができる。そこからエネルギーを引き抜き即死させる『デス』もその応用である。魂の滅びを終わらせ、死という名の浄化と循環を与えた魔法に新たな境地を見出した。



(この実験は俺の思った以上に有意義だ。俺自身で魂を生み出すこともいずれは……)



 ただ、今は素直な喜びを。

 シュウはアイリスと向かい合い、彼女が抱えるクリファの卵へと触れた。



「まだ生まれるまで時間がかかる。もう少し見守るとしよう」

「だったら名前を決めませんか?」

「名前? そういえば……」



 子供というからには、しっかりと名を付けなければならないだろう。シュウはジッと卵の内側で眠る我が子を見つめ、様々な言葉を巡らせる。当然だが何か意味を与える名である方が良い。

 しばらくは仕事に身が入らなさそうだ。

 そんなことを思った。






 ◆◆◆







 シュウは生活のほとんどを研究することで過ごしている。

 冥界は今も未完成で、完全なものに近づけるべく方法論を探っていた。ひとまず冥界は形になり、一応の機能はしている。しかし非効率的であったり、最終的には生死のサイクルに耐え切れなくなった魂を破棄しなければならない状況にある。

 魂の領分を受け持つと決めた以上、魂の製造法も考えなければならない。

 だから日々、魂について研究を重ねていた。



「揺らぎ、か。難しいな」



 複数のディスプレイを眺めつつシュウは唸る。

 魂の再現において最も困難な部分は代謝だ。魂とは突き詰めれば魔術陣なのだが、この魔術陣は自律的に代謝している。周囲の魔力を取り込み、自己構築した上で不要部分を排出しているのだ。また器となる肉体とも積極的に交信し、必要とあらばエネルギーのやり取りもしている。

 身体が新陳代謝を繰り返すように、魂もまた代謝している。

 この仕組みが非常に難しい。

 しかしながら魂が代謝するからこそ精神に成長という余地が生まれる。これは魂が魂であるために必要な機能であった。



「代謝させると術式が揺らぐ。このトレードオフが解決しないことには……」



 ああでもない、こうでもないと唸っても考えは行き詰まるばかり。ここしばらく魂の研究は行き詰っている部分もあった。

 ブレイクスルーが必要だ。

 そう考えていたところに都合よく事は起こる。



「シュウさん!」



 隣の部屋にいたアイリスが飛び込んできた。



「あの子の様子が」

「何?」

「早く! シュウさん早く!」



 彼女はシュウを引きずる勢いで隣の部屋へと連れて行く。そちらの部屋にはクリファの卵が安置されており、常にシュウかアイリスのどちらかが様子を見ている。

 こうしてアイリスが慌てているということは、クリファの卵に何か起こったということだった。



「《縮退結界》の内部で反応があります。意識が……」

「この数値は確かに……俺たちの会話に反応しているようだな」



 シュウは目を凝らし、その魂を見透かす。

 すると確かに肉体と連動する様子が確かめられた。



「アイリス、解いていい」

「はい」



 その言葉に従って界を断絶する結界が解かれる。すると内に封じられたその子は解放された。アイリスがその子を抱きとめ、顔を覗き込む。すると幼子は目を開いてアイリスを見つめ返した。

 顔つきはアイリスの因子を強く受けたのか、その目は金色である。しかしながら内側に宿す魔力は強大で、ただの幼子とは思えないほどだった。

 霊系魔物なので性別という概念は存在しないものの、どちらかといえば女のようである。やはり器としては肉体を持つアイリスの影響が強いらしい。



「シュウさん、私たちの子供なのですよ!」

「ああ。こうして見ると感慨深いものだな」

「抱きますか?」



 無言で頷き、両手を伸ばす。

 するとその子はシュウをじっと見つめた。アイリスからその子を受け取り、もっとよく見ようとした。だがそれは中断せざるを得なくなる。

 他ならぬ侵入者によって。



「おめでとうございます冥王アークライト様」



 この転移妨害の結界で守られた妖精郷に容易く侵入してきたのは悪魔の女であった。かつては色欲王とも呼ばれ、今は魔王妃として語り継がれるアスモデウスである。こうして妖精郷の魔術防御機構をすり抜けたのはルシフェルが関わっているからだろう。

 ルシフェルの干渉から完全に逃れたいなら、それこそ冥界に行くしかない。



「用件はなんだ?」

「先も申し上げました通りです。ルシフェル様はお二人の子が生まれたことを喜び、その言葉を伝えるために私を遣わしました。何か問題が?」

「その不遜さはまさに傲慢王だな」



 シュウは分かりやすく溜息をついた。



「それで、その言葉って?」

「ご息女は人と魔の間に生まれた新しき種と言えましょう。今は魔族とやらがいるようですが、それとは異なる道筋によって誕生しました。故にルシフェル様は名を与えられます」

「名前は俺たちで決めているんだがな」

「存じ上げております。あくまでルシフェル様が与えるのは種としての名です。冥王アークライト様が冥天輝星霊セレスティアル・アストラルという種族名を持っているように、その新しき世界の子にも名を与えなければなりません」



 魔術的な手法に頼ったとはいえ、人と魔物の間に生まれた子供はルシフェルの興味を引いたようだ。またアスモデウスを通した彼の言葉が正しいとすれば、二人の子はこの世に誕生した新しい種なのだろう。



「では王より告げられたその名を言い渡します。その子は聖樹霊セフィロティ。大いなる樹の運命を背負う子です」

聖樹霊セフィロティか」

聖樹霊セフィロティですかー」

「お気に召しませんか?」

「いいや。しっくり来る。俺たちの考えた名前に合わせたのか?」

「それはルシフェル様だけが知ることです。私はただの伝令役ですので」

「贅沢な伝令だな」



 シュウは聖樹霊セフィロティの種族名を与えられた我が子を見遣る。無垢な目で見つめ返すその子はまだ何も知らないのだろう。首を傾げるばかりである。

 そればかりか勝手に浮遊し、アイリスの胸に飛び込んでいった。



「あー、あ!」

「可愛い……いい子ですねー。ママですよー」

「ま?」



 随分と活動的な幼き我が子を目の当たりにしてシュウは驚いた。



「今のは……いきなり魂が活性化した?」

「はい。ルシフェル様の名付けによって世界に定着しましたから」

「名付け、定着。そうか」



 個の確立。

 その瞬間をはっきり目視したシュウの中で、何かがカチリと嵌った。我が子と戯れるアイリスを眺めつつ、シュウは髪を掻き上げて呟く。



「全くその通りだ。魂はルシフェルの作ったもの。俺のものではない、か」

「ええ、その通りです」

「だがあの子は渡すつもりないぞ」

「あら。それはそれは」

「だから俺自身が名を与える」



 アスモデウスの言葉を遮ったシュウは、アイリスに抱き上げられた聖樹霊セフィロティの子をしっかりと見定めた。



「俺とアイリスが与える名は『セフィラ』。クリファの卵より生まれたセフィラ。人と魔の間に立ち、いつか神秘の境界線となるための名だ」



 その名は世界へと浸透し、確かに刻み付けられる。

 シュウが構築した冥界と結びつく魂の一つになった。




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