第420話 魔神戦役
聖都シュリッタットは追放者たちが建国の足掛かりとして築き上げた都市だ。故にシュリット神聖王国において歴史の始まりともいえる重要な地である。それゆえ心の象徴たる教会には聖アズライール教会と名付けられ、聖教会の初代指導者の名を冠すると同時に神聖視もされている。
心のよりどころたる聖教会、防衛の要たる聖石寮、そして国家運営を担う王政府の三つがシュリット神聖王国を支える柱だ。
そしてこの日、それぞれの代表者が聖アズライール教会に集まって秘密会議を行っていた。
「そんな馬鹿な! 聖守様が魔神に敗れたと!?」
荒々しい声とともに立ち上がったのは国王であった。
シュリット神聖王国は一つの王家を持っているわけではない。歴史が浅いということもあり、建国の祖となった幾つかの一族、つまり貴族たちの中から代表者を選んでいる。今の国王も有力な貴族の一人でしかなかった。
立法や行政を担う王政府はこれから訪れる混乱に対処しなければならないだろう。聖石寮の指導者がいなくなるということは、国家の柱の一つが折れたということ。不動の最強であった聖守スレイの不在はそれだけ大きい。
とはいえ、
「いや、敗れたとは語弊がありますな。声を荒らげて申し訳ない」
「こちらこそ何といえばよいのか。ですが、私はもはや聖守としてはやっていけません。魔神の力……いや、呪いをこの身に受けてしまいました。今は理性を保っていますが、近い内に二代目魔神になり果てるでしょう」
「そんな……我々はどうすれば」
「落ち着いてください王よ。私はすぐに魔神になることはありません。ですが私の内にある強力な魔族……七仙業魔の魂がこの世に具現しようとしています。それに魔神の魂が言っているのです。人間を憎悪し、殺し尽くしてしまえと。いつまで抑え込めるか分かりません」
「何という……」
王は崩れるように腰を落とし、背もたれに身体を預ける。
ただでさえ魔神や魔族との戦いで幾つかの北部都市が壊滅している。その復興にも時間はかかるだろう。そして宿敵たる西グリニアはもはや魔神と魔族の住処になっているというのだ。王は思わず頭を抱えてしまう。
そんな中、これまで黙っていた最高神官アズライールが口を開いた。
「預言がありました。
「最高神官殿……」
「王よ。私たちは魔族という新しい脅威に備えねばなりません。聖守スレイは新たなる魔神となり、その証明として新しい聖守が預言されました。聖守とは聖王剣の担い手です。聖石を集め、新たな聖守のための聖王剣を生み出す儀式をせよとも預言されています」
聖アズライール教会の秘宝、預言石は
だから和解の道はなく、敵対しかなかった。
建国して時間も経っておらず、魔物からの防備も少なく、経済的にも不安定だ。その上で魔族という明確な敵が現れたのだから目も覆いたくなる惨状である。
しかしスレイはできるだけ優しく語りかけた。
「私がいなくともこの国は強い。ですから気を落とさないでください。私はできることを済ませ、深淵渓谷に行きます。そこで私自身を封印し、魔神への変化を遅らせましょう。そうすればこの国が、聖教会が、聖石寮が力を蓄える時間となるはずです」
「聖守様がそう仰るなら」
「王よ、我ら聖教会も全力でお支えします。しかしスレイ殿も深淵渓谷へ赴くのは大げさではないでしょうか。あれは私が戦士の塒にいた時代、少しだけ調査させました。あれは底のない地獄。どんな魔物がいるのかも分からない危険な場所です」
「分かっています。だからこそ、私を封じる場所に相応しい」
スレイの意志は堅い。
だからこそ、自ら秘境へ籠ることを提案した。
深淵渓谷は巨大な大地の裂け目で、底なしの世界だと信じられていた。かつて『戦士の塒』のギルド長をしていたアズライールは、冒険心によって調査していた。そして調査を受けた西グリニアはその地を神から捨てられた場所とした。
神の光も届かぬ見捨てられた地の底。
それが深淵渓谷。
自らの力が強大であると理解するスレイは、そこに入ることで被害を減らそうと考えた。もはや猶予は少ない。聖守ですらなくなったスレイはこの国にいるべきでもない。だから彼は立ち上がる。
「最後に忠告を。冥王アークライトに気を付けてください。六王の中でも特に危険です」
それは初代聖守の言葉として後世に伝えられることになる。
皮肉なことに、スレイが語った理想が途絶えても、この忠告だけは消えることがなかった。
◆◆◆
シュリット神聖王国が残す歴史書において、初代聖守は偉大な人物と記されている。
建国の際に聖石寮を立ち上げ、国防の要である術師という存在を作り出した。教育カリキュラム、作戦規定、術師倫理などの基礎を固めたというのが主な功績である。しかし初代の最も大きな功績は魔神を討ち滅ぼしたことだろう。
魔神は魔族という魔物とは違う存在を率いて現れた。
まだ守りも貧弱だったこの国は北の地を滅ぼされ、民の多くが殺された。当時の生き残りは本当に僅かであり、それはそれは恐ろしい相手だったと伝わっている。幾つもの街を滅ぼした魔神と魔族を水際で食い止め、国を救った。だから初代聖守は救世主にして英雄と言われているのだ。
「初代が創り、二代目が均した。まさにその通りの治世ですな」
一方で二代目聖守デュオニクスは平和な世界において基礎を基盤にまで昇華させた。
いずれ魔神は復活する。
深淵渓谷の底に魔神は眠る。
それが王国に伝わる伝承である。いずれ蘇る魔神や魔族の軍団に対抗するため、聖教会は人々に教えを説いた。王政府は経済を回し、法整備や復興を続けた。そして聖石寮は二代目聖守をトップに据えて戦力の増強を続けた。
だから聖石寮本部の存在するヴァナスレイは聖都シュリッタットに匹敵するか、それを超えるほどの勢いで発展することになる。洗礼による聖石保有者も年々増加し、術師の数や質は右肩上がりとなった。これらは二代目の見事な手腕だったとされる。
また二代目聖守デュオニクスは教育や発展に力を入れただけではなく、魔族残党の討伐も進めた。旧西グリニアに残る魔族の数体はデュオニクス本人が討伐している。更には術師たちを連携させる訓練も行い、聖守なしでの討伐実績も作った。
「最高神官殿、わざわざ――ごほっ」
「無理をなさらず。さぁ、そのままに」
「申し訳ありませぬ」
「聖守様といえど、老いと病には勝てますまい。デュオニクス様はこの国を強固なものにしてくださいました。そして魔族を幾つか討ち、その手法を確立された。どうぞ安らかにお休みください」
「ええ……そうするとしましょう」
デュオニクスが息を引き取れば、三代目聖守となる人物が預言によって選ばれることになる。聖教会最高神官は彼を看取り次第、預言石の間へと向かうことになっていた。
「私が……聖守が不在となる間も手筈通りに。そして三代目を育て上げてください」
「勿論です。約束いたします」
シュリット神聖王国は少しずつ成長していた。
大きな危機を乗り越え、新世界の秩序を形成しつつあった。聖守と魔神の因果は初代同士の戦いによって強く結ばれ、続いていく。
これが長い人と魔族との戦いの始まりであった。
◆◆◆
「義理は果たしたぞ。ロキ」
完全な廃墟となった首都アバ・ローウェルをシュウは歩いていた。
西グリニアという国家が存在した場所は廃墟しか残っていない。それは魔族に破壊された跡であった。終焉戦争以前の大国だった神聖グリニアを源流とし、山水域の豊かさを享受することで繁栄していた。かつての教えからは変化してしまったが、それでも魔神教の性質を受け継ぐ国家であった。
しかしその繁栄はもう存在しない。
魔族が徘徊する危険地帯に成り下がっている。
「魔神教は消えた。救いの神は人類の敵になった。俺なりのアフターケアって奴だ」
シュウとしては元から魔神教を完全消滅させるつもりもなかった。残ったら残ったでダンジョンコアを見つけるための目印になると思っていたからだ。
しかし丁度良く、アリエットという手駒を見つけた。
またダンジョンコアも魔神教のみならず、聖教会という新しい組織を作っていた。だから目印を分かりやすくする意味も込めて魔神教は西グリニアごと滅ぼすことを許容した。滅びるかどうかはアリエット次第だったが、そのように誘導したのはシュウだった。
「魔神に魔族……因果を感じる組み合わせになったものだ。魔神と聖守で二分されているなら、こちらのコントロール下において――」
考え事をしていると、不意に地面を割って魔族が襲ってきた。全身にびっしりと毛が生えた獣型の魔族だった。地面を液状化させる能力を持った魔族だ。
しかし瞬時に吹き飛ばされる。
瓦礫が崩れる激しい破壊音が遠くから聞こえた。
「さて、氷河期も終わりだな」
魔族を殺さないよう
空が澄んでいく。
元より山水域は太陽を閉ざす厚い雲も寄り付かない。しかしこの日を境に山水域だけでなく、全世界で空を覆う雲が消え去った。千三百五十年ぶりの晴れは眩しく地上を照らす。
「これからは地上の国も増えてくる……二代目魔神が本格活動するまでが準備期間だな」
ダンジョンコアは聖守と魔神の関係性を利用し、力を付けようとしてくる。迷宮魔力を分け与えてまで作った対立の仕組みなのだ。弱体化している今、むざむざ捨てる理由はないだろう。
シュウとしてもダンジョンコアの動きを座して待つことはない。
今度こそ確実に討伐できるよう、そして逃がさないように策を練る予定だ。
故に聖守と魔神の因果にも介入する。
「魔神発祥の地がこんな廃墟じゃ淋しいもんだ。勇者を迎え撃つ城くらいは用意してやらないと」
シュウを中心に魔術が発動する。
瓦礫という瓦礫が分子レベルで解体され、それらは魔術により結合して新しく組みなおった。発動に伴う膨大な魔力を警戒してか、魔族たちは恐れをなして逃げ始めた。知能が高い魔物も、本能に忠実な魔物も同じように逃げていく。
晴れ渡り、光の差し込むその地に陰りが生じた。
それは造り出された建造物があらゆる光を吸収する黒だったからだろう。オリハルコンを素材とし、その表面部に黒の色素を吸着させた城壁がそびえる。また城壁の内側には数々の塔が立ち並び、恐ろしい獣を模した像が所々に立っていた。
やがて
誰が作ったのか。
いつ、作られたのか。
どのような素材であるのか。
ありとあらゆる謎が支配する魔神の宮殿はしばらく人の目に留まることもない。
千年続く人と魔族の争い。
その、始まりである。
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