第419話 アリエットの呪い
ルフェイの空間切断はスレイの首を刎ね飛ばすかに思われた。
空間切断とは時間のずれを生じさせ、物質を結合する電子のエネルギーに不和を起こすことで生じる。だから治癒魔術と同じく、人体にも干渉可能で魔力に守られたスレイを即死に追いやることができる……はずだった。
空間が歪み、ルフェイは弾き飛ばされる。
それは二つの歪みが衝突したことによる衝撃波のようなものだった。
「……不完全ながら空間転移をコピーしておいて正解だったな」
そんな言葉を小さく呟く。
アリエットはそれを聞いて目を見開いた。
「読んでいたとでもいうの……ッ!?」
「私の魔装は術式を読み取りコピーし、魂に蓄積する。その対象は魔術にも及ぶ。不完全にコピーした空間転移の事故でこの時代に流れ着いたわけだが……まぁそれはいい」
スレイは弾かれたルフェイに向けて樹海の魔装を使い、縛り上げようとする。ただ空間転移の使い手としてルフェイは連続で転移を発動し、拘束など無意味とばかりに逃れた。
だがそれはスレイとて承知している。
無駄に樹海の魔装を使ったのではなく、逃げ道を奪うためにそれを使っていたのだ。そうして限定された空間へとルフェイは転移してしまう。所詮は弱い魔物と子供を元にした業魔族だ。戦闘経験値など大したことなく、見事に嵌ってしまった。
そこへスレイは闇の孔を発動する。
空間の孔は周囲のエネルギーを飲み干そうとして、それに対抗するべくルフェイは空間切断での相殺を試みた。だがそれはルフェイがその場に留められてしまうということ。
「止め――ッ!」
縛られたアリエットは鎖を伸ばしてスレイを引き留めようとしたが、少し遅かった。スレイの手元に召喚された拳銃より弾丸が放たれ、それはアリエットの頭部を貫く。幻術弾を放つ覚醒魔装の銃だ。これによってアリエットの精神は激しい衝撃を受け、思考が真っ白に染まった。
何も考えられない時間が続き、見えているもの、聞こえているもの、匂いや触覚まで全てが理解できないものとなってしまう。
見えているのにそれが何か理解できない。
聞こえているのに意味が分からない。
だからアリエットはルフェイが聖王剣で貫かれるその様を黙って見ていることしかできなかった。精神の衝撃から回復した時、もうルフェイの魂は契約を伝ってアリエットの元に戻ってきていた。
「スレイ! マリアスゥゥゥゥッ!」
魔剣を伝って闇魔術が侵食し、アリエットの拘束を無害化する。自由の身となったアリエットは全身から契約の鎖を放ち、更には魔剣から《
最後の手段だったルフェイによる暗殺も失敗した。
連れてきた魔族も、洗脳して操った市民や術師も、樹海の魔装で圧し潰された。
だからもうアリエットが自らの手でスレイの命を刈り取るしかない。
粒子レベルで結合エネルギーを腐食させる《
ただこの間にスレイを契約の鎖が囲い込む。
「悔しいか? それとも憤りか? だが私は憂いている。お前のくだらない感情で私の目的を邪魔するな!」
「くだらない? そうね。復讐はくだらないのかもしれないわ。でもそれでいいの! あたしはそれだけのために何だってしてきた。無関係の人間だって虐殺した。魂を汚して魔族にした。だからあたしはここで復讐を遂げなければならないの!」
「私とて同じさ。私は何も守れなかった。犠牲を強いて守ったのが私自身だった。だから私はこんなところで止まるわけにはいかない。私の両肩には無数の命がかかっている!」
「あたしは友達の! 家族の! 村の人たちの無念と恨みを一身に背負った! お前に奪われたものをあたしが奪うまで! あたしは! 絶対に――!」
アリエットは宵闇の魔剣を。
スレイは聖王剣を。
互いに強く握りしめ、信念と感情をぶつけあう。激しい剣の応酬は徐々にスレイ優位へと傾き、それに対してアリエットは契約の鎖へと力を集中して周囲に鎖を躍らせる。聖なる光と剣に集中するスレイは力強く聖王剣を振るい、アリエットの右腕を斬り飛ばした。
こうして彼女の腕を切り落とすのは二度目。
暴食タマハミと融合することで復活したアリエットの右腕が宙を舞う。そして彼女の握っていた魔剣も弾かれてしまった。もはやアリエットの攻撃手段は魔装しかない。
「だったら――」
魔力と意志を絞り出し、あらんかぎりの鎖を操って周囲を覆い尽くす。細かく編み込まれた鎖は繭のように二人を包み込み、戦場を隔離した。
「何もさせないさ」
もはやアリエットに攻撃を防ぐ手段はない。
再び聖王剣による刺突が胸に突き刺さった。それは迷宮魔力を破り、常盤の鞘による防御を徐々に貫こうとする。一方でアリエットはここで引くことなく、鎖へと魔力を注いだ。アリエットを貫こうとするスレイに鎖を伸ばし、手足へと巻き付けていく。
しかしここまで来てしまえば、もうスレイの勝ちは確定的だった。
一気に刃が進み、青白い刀身がアリエットの背を突き抜ける。
「う、ぐっ……」
「手応えがあった。魔石は砕いた。私の、勝ちだ」
スレイは聖王剣を引き抜く。
すると彼女の胸から血飛沫が飛んだ。魂の収められた魔石が破壊された以上、もうアリエットは死へと転がり落ちていくだけ。
実際、アリエットは仰向けに倒れて動かなくなってしまった。
「終わったか」
犠牲は大きかったが、聖教会や聖石寮にとっての脅威は排除できた。魔族とそれを作り出す魔神アリエットは早く対処しなければ世界の害になっていたことだろう。
「もしもアリエットが復讐心で動いていなければ……復讐を急ぎ、焦って私に戦いを仕掛けていなければ危険だった」
しかしそれは『もしも』の話。
考えたとしても無意味な妄想の類だ。スレイは|くだらない(・・・・・)過去に囚われている暇などない。どれだけ恨まれたとしても、スレイは気にしない。ただそれを背負い、未来だけを見つめる。
その先にこそ、統一された平和な世界があるのだ。
百年後か、千年後かは分からない。
今日の戦いも、今日の犠牲も、全てはより良い未来のための布石だ。魔力嵐に包まれたコントリアスを見たいのも、一区切りつけたいというだけのこと。全ての過去を清算した時、スレイは本当の意味で
(ようやく、一つ終わった。また一つ、次も片付けなければ)
未だに巻き付く鎖を煩わしそうにしつつ、スレイは聖王剣を鞘に納めた。血だまりに沈むアリエットはもうピクリとも動かない。
間違いなく、死んでいた。
だからスレイは油断していたのだ。
アリエットの
殺される寸前に発動していた契約の鎖はそのための布石だった。切り札の発動に必要なマーキングこそが目的だった。そのために心臓を貫かれることを許容した。
――アリエットの遺体から魔力が燃え上がる。
―――それは悍ましい色だった。
―魔力は契約の鎖を伝ってスレイに殺到する。
スレイはすぐに鎖を振りほどこうとしたが無駄だった。
強い魔力が体に流れ込み、次の瞬間には全身に痛みと違和感が走り回る。まるで全身の細胞を破壊して組み立て直しているかのような、自分が作り直されているような感覚だ。
それは呪いであった。
アリエットがスレイを殺しきれないと判断したからこそ残した呪い。自身を殺害した
「ぐっ……が、ぁ……ぐああああああああああああ!」
魔神アリエットの精神と力が
本来ならば一つの肉体に二つの魂は存在し得ない。だからこそ、魔族は魔石という核を生成し、そこに魂を封入し、融合させることによって安定させる。
つまりは契約の鎖によって魔族化が強制的に引き起こされた。
スレイは何の準備もなく魔神アリエットの魂を受け入れることになり、その精神と融合する。
「げほ、うぐ……」
ようやく体の痛みも収束してきたが、しばらくは動けそうにない。心の奥底からアリエットの意思を感じてしまい、それを正しいものだと認識してしまう。だからスレイが築き上げてきたシュリット神聖王国、聖教会、聖石寮を潰せという声に納得してしまう。
そしてアリエットが魔族に与えた人間への悪意が何度も木霊する。
(これが君の復讐だったとでもいうのか)
項垂れ、どうにか『本来のスレイ・マリアス』を維持しようと試みる。
そんな彼の元に黒が降り立った。
「これは面白い結果になった。予備プランがこんな形で結ばれるとは」
その声も、その姿もスレイは知らなかった。
だが融合したアリエットの魂が彼の正体を教えてくれる。
「冥王……アークライト!」
「魂を見ればわかる。アリエット……いや、魔神と結びついた。本来、お前の言う聖守と魔神は表裏一体の存在。恒王ダンジョンコアの加護を受けた存在だ。まぁ奴は俺が弱体化させたが、その魔力は健在というわけだな」
「何を……?」
「魔神と聖守。それらによって勢力を二分し、正義と悪を明確にする二元論は非常に操りやすい。正義のためならばどんな冷酷なこともできるからな」
その言葉にスレイは背筋が冷えた。
心当たりがあったからだ。
過去を失い、今すら失ったスレイは絶対の正義と未来の平和のため、あらゆる犠牲を強いた。当然だが聖守として守れるものは守ってきたし、そう簡単に人々を捨てたりはしない。だが正しき義のため、合理性を追求する性質には覚えがある。
スレイとアリエットの精神は間違いなく一つとなった。
そしてダンジョンコアにより割り振られていた性質までも一つに結び付いた。
「聖守の力と魔神の力は一つに結び付いた。お前はいずれ魔神の意識に塗り潰され、人という種に敵意を抱くようになるだろう。何十年か、何百年か……あるいは数年ほどで変わってしまうのかもしれないな」
「馬鹿な。私を歪めて……それが復讐というわけか」
「ん? ああ、アリエットの記憶でも見たか?」
「知らないさ。だが、魂が言っている。私の願いを踏み台にした復讐だったのだろう。大したものだよ」
大きく息を吐くスレイ。
だが次の瞬間、右手を伸ばす。すると遠くまで弾き飛ばされた宵闇の魔剣がその手元へと収まった。そして禁呪《
しかし当然のように死魔法で無効化され、魔力を食い尽くされた。
スレイの攻撃はただ空を切るだけに終わった。
「はは……人間とは、小さいな」
最後の最後にしてやられた。
今も頭の中には魔神の意思が蠢き、人間を魔族にして滅ぼせと語っている。いずれはこの言葉に負けて、心までも魔神になり果てるのだろう。
スレイは意気消沈した様子で歩き始めた。
そんな彼にシュウは問いかける。
「どこへ行く?」
「私の理性が保たれる内にするべきことをするだけだ。化け物になり果てるまでに」
「そうか」
とぼとぼと歩き、その背は小さくなっていく。
アリエット・ロカは確かに復讐を遂げた。その命が尽きた時に発動する最後の罠によって復讐を達成したのだ。だが、その結末は酷いものだという他ないだろう。アリエットは果たされた復讐を知ることもなくスレイと同化した。スレイは呪いによってその身を魔神に落とし、彼が守ろうとした人類の敵対者になってしまった。
実に救いのない終わりであった。
◆◆◆
「良かったのですか? こんな結末で」
「ああ」
アリエットとスレイの戦いは初めから終わりまで観察していた。スレイの姿が見えなくなったころ、アイリスがそんな風に声をかける。
「シュウさんの提案……結局その通りになったのですよ」
「まぁ、な。アリエットの実力でスレイ・マリアスを打倒するのは不可能だった。知識を与え、武器を与え、力を高める場も与えた。それでも無理なら、自爆しかない」
「それが魔神の性質を契約の鎖で移す、ですか」
「アリエットだからこそできた復讐方法だな。死をトリガーとして魔神アリエットとしての魂をスレイに明け渡し、強制的に魔族化させる。結果として二代目魔神が誕生した。あくまでもメイン人格はスレイになるが、融合したことでアリエットの影響も出るだろう。スレイは自分が創り上げ、守ろうとしたものに対して破壊衝動を覚えるようになるはずだ」
非常に残酷な方法だと思う。
アリエットは死後の安寧すらなく、魂の転生すらない。ただスレイの養分として復讐を遂げる。スレイとて魂を汚され、人を止めさせられ、目指していた夢すら諦めさせられる。
「しかし、予想以上に結びつきが強かったな。確率の低い方が成功するとは」
「なのですよ。私たちの予測では魔族化に抵抗したスレイさんの影響で互いの魂が弾け飛ぶというものでしたし」
「お互いに迷宮魔力の影響を受けている。そのせいだろう。あれは独立空間を生み出す魔法だ。二つの魂を結び付け、一つの独立空間として形成するようはたらいてしまった」
「幸運なのか不運なのか……」
「さてな」
シュウはそうはぐらかした。
間違いなく不運だと確信しながらも、この結末を推し進めたのはシュウ自身だ。アリエットの復讐心を利用して運命を弄んだ。
「だが俺にもスレイの気持ちは分かる。俺も、そのように生きてきた。これからも……どんな犠牲や不幸を強いることになったとしても、俺は目的と必要の為にそれを成し遂げる」
「……シュウさん」
「アイリス、俺についてきてくれるか?」
「勿論なのですよ! どこまでも一緒なのです!」
「……そうか」
ありがとう、と珍しい言葉を送る。
それを聞いたアイリスは微笑み、受け取ったのだった。
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