第391話 冷酷になる覚悟


 その日、アリエットはどこか騒々しさを感じて目を覚ました。

 昨晩は夜遅くまで魔力修練をしていたので、精神的に疲れていたらしい。気付けば日も高く昇っており隣室に入るはずのアイリスも気配がない。



「……何よ」



 目を擦りながら窓を開く。

 すると幾つもの武装集団が通りを占拠していた。しかしその武装集団には聖堂に所属することを意味する服装をしているため、何かの反乱というわけでもなさそうだ。物々しい雰囲気から祭りというのもあり得ないだろう。



「迷宮の方に向かっているの? あたしも行ってみようかな」



 窓を閉じ、呑気にそんなことを考える。

 このときは思いもしなかった。まさかあんなことが起こるとは。






 ◆◆◆






 ゼクト班としての活動を休止しているので、フェイは朝から迷宮へと向かう。そこにアリエットがいるかどうかは運次第だが、もしもいれば修行を見てもらうのが日課だ。折角、大金を手に入れてゼクト班として働く必要もない日が続いているのだ。今の内にできることを増やしておきたい。そう考えるのは自然なことだった。



「ん……?」



 だが、今日は違和感を覚える。

 フェイはいつもの通路で何度も後ろを振り返った。アリエットから教わった結界術が何かの反応を見せたように思えたのだ。何度か通路を戻って確かめようとしたが、何かが見つかるわけでもない。段々と恐ろしくなり、やがて足を速めて目的地に向かうことを決めた。

 いつも通り、魔物を避けて森の広がる空間へと辿り着く。

 地下にもかかわらず光の降り注ぐこの場所で逃げるように移動した。できるだけ木々の陰になる場所を伝い、何者かに追跡されていたとしても撒けるようにしたのだ。



(何となく、人がいる気がするけど……結界には引っかかっていないし)



 自分の術が未熟なのかもしれない。

 そんな予感が決心を狂わせる。誰かに見られている状況でルーに会いに行くのは危険で、引き返すべきだと訴える自分がいる。しかし一方で気のせいでしかないという思いもあった。

 フェイは結界の技術ではなく、その心構えが未熟だった。慣れ親しんだ道だからと高を括っていた。

 だからいつもの通り、崩れた遺跡で親友の名を呼んだ。



「ルー」

「キュッ!」



 その背から小さな翼を生やした兎が顔を出す。

 ルーは鼻をピクピク動かし、フェイであることを理解する。喜びを全身で露わにしてフェイの胸に飛び込んだ。早速とばかりにフェイも異空間から草の若芽を取り出し、ルーに与えた。

 和やかな時が流れた。

 いつも通りの安らぎが得られると思っていた。

 しかし今日ばかりはフェイの感覚を信じるべきだった。何かに後ろを付けられているという感覚は正しかったのだ。

 フェイが気付いたときには逃げ場所などなくなっていた。



「っ! これ!」

「キュキュ!?」

「ご、ごめんルー」



 不意に立ち上がったフェイのせいでルーが驚き、鳴き声を上げる。だがフェイもそれどころではない。教わった感知結界に反応がある。それもフェイとルーを取り囲むように大量の反応があった。残念ながら逃げる隙間はない。

 どうすればいいのか分からない。それで立ち往生している間に包囲は狭まっていく。どう考えても魔物の動きではないことには気付けた。逆に冷静になった思考のお蔭で、余計なことまで分かってしまう。

 もう見えるほどにまで包囲は狭まっていた。



「ぁ」



 声が掠れている。

 当然だ。フェイの前に出てきたのは、パーティメンバーたちだったのだ。反射的に振り返るとまた別の男たちが塞いでいる。どこかで見たことのある顔だった。フェイは名前を知らないが、紫水花のメンバーだと知っていた。

 恐怖のせいか足が震える。




(僕は……馬鹿だ)



 その気配はあったのに、見逃してしまった。

 気付けたはずのことだったので余計に後悔が深い。



「よぉフェイ。俺たちに隠れて馬鹿なことをしてくれたよなぁ? 知っているか? 聖堂が定めた法によると、魔物との馴れ合いは大罪だ。お前はそれを犯したんだよ。残念だぜ。可愛がってやった荷物持ちがこんなことをしでかすなんてよ」

「僕は……」

「犯罪者は黙ってな。親が死んで路頭に迷っていたテメェを拾ってやったのによ。本当に残念だ。テメェのせいで紫水花にも迷惑がかかるんだ。だからよ、終わりにしてやるよ」



 ゼクトは一歩、力強く踏み出した。

 囲まれているという緊張のせいか、後ずさることすらできない。しかし慌てて自分のするべきことを理解して、遺跡の隙間に向けてルーを投げた。申し訳ないと思いつつも今は配慮する余裕がない。



(ルーだけでも逃がさないと)



 ただそれだけがフェイの中にあった。

 一方で放り投げられたルーは遺跡に打ち付けられるも、魔物なのでその程度では怪我もしない。心配そうにフェイの方を見つめていた。しかし魔物を逃がそうとしたフェイに慌てたのか、ゼクトたち紫水花のギルド員たちが包囲を狭める。ルーも驚いて遺跡の隙間に入っていった。



「あんな雑魚魔物どうでもいい! フェイを逃がすな!」



 羽兎ラビリスが弱小に類する魔物であることが運命の分け目だった。これで中位ミドル級だったなら優先的に討伐されていただろう。低位レッサー級くらいなら現代でも無視されることすらある等級だ。ルーは幸運だった。

 そしてフェイは不運であった。

 一瞬にして地面へと叩きつけられる。直後に全身に痛みを感じ、気を失ったのだった。



(ごめんなさい。アリエットさん)



 せめて彼女にだけは罪が及ばないように。

 そう願って。








 ◆◆◆








 騒がしさを感じて出かけることにしたアリエットだが、特に焦ることなくゆっくり準備していた。迷宮に向かう一団があったとしても、どこかの大手ギルドが遠征しようとしている風にしか見えない。聖堂の関係者がいたことだけは疑問だが、なにも慌てるほどのことではないのだ。

 だから迷宮前に集まる人だかりにアリエットは驚かされた。



「どうしたのかしら」



 花の街から繋がる地下迷宮への入口に近づくことができない。迷宮内で修行する予定だったアリエットとしては鬱陶しい限りだ。

 少し街道から外れて回り込み、地下迷宮へ向かおうとする。

 だが迷宮の地下入口付近に魔神教の神官や聖騎士が立って道を塞いでいた。それによって迷宮に入ろうとする探索者を侵入させないようにしていたのである。



「おいおい、どういうことだよ。理由もなしに入れないは納得しかねるぜ?」

「ふざけるなよ! 俺たちはこれを飯のタネにしてんだ。入れないのは困る。どうしてくれんだ!」

「俺ら赤猪あかじしがどれだけ花の街に貢献しているか知らないとは言わせねぇぞ」

「どうなんだ! なんとか言え!」



 入口を守る聖騎士に詰め寄るのはギルド赤猪の探索者たちだった。

 今来たばかりのアリエットでは状況がよく分からないが、推察するに聖堂の戦力が迷宮を完全封鎖しているらしいと分かる。しかもその理由を明確化していないのだ。



(強力な魔物が出現した、とかなら協力を要請するわよね? だったら何? 聖堂が独占したい遺物でも見つかったのかしら?)



 説明がないと不信感が募る。

 そしてアリエットのような推察に辿り着く者も少なくない。赤猪のメンバーも納得できない者が多いらしく、言い合いが続いている。また納得できない理由は他にもあった。



「紫水花の奴らは入っていただろ! なんで俺たちだけ」

「そうよ! おかしいわ!」

「寄るな! 離れろ! 聖堂の命令だぞ!」



 詰め寄る探索者たちに押し込まれ、聖騎士たちはどうにか押し返そうとする。彼らの言う通り、聖騎士や神官は紫水花に所属する一部のギルド員だけが迷宮に入ることを許されていた。だからこそ余計に納得できない者たちが多い。

 アリエットとしても赤猪の者たちと同意見だった。

 ただ迷宮は修行に便利だから潜っていたのであって、お金を稼ぐ場ではない。普段の暮らしも支援を受けているので金を稼ぐ必要はない。探索者たちに比べてアリエットは気楽であった。



(まぁいいわ。今日は森にでも行けば)



 そう思い、背を向けようとする。

 だがそのタイミングで地下迷宮入口から一団が現れた。紫水花のギルドメンバーがその多くを占めており、数名ほどの聖騎士も伴っている。アリエットはその中で気絶したフェイを見つけた。ぐったりとしたまま縄で縛られ、どう見ても迷宮攻略でしくじっただけには見えない。

 状況が理解できず、またこのまま去ることもできず、行く末を見守る。

 すると金属鎧で武装した男が剣を抜き、注目を集めるためにそれを掲げた。文句を言っていた探索者たちも口を閉じて静まる。



「迷惑をかけた。ギルド紫水花のマスターとして謝罪しよう。非常に残念ながら私のギルドから異端に染まった者が現れた。ケジメとしてギルドの総力を挙げ捕らえていたのだ。そのために君たちが被った損害は紫水花が補償しよう。既に赤猪のマスターとは話をつけている。大罪人を油断させるため、説明が後になってしまって申し訳ない。だがもう安心だ。この通り、罪人は捕らえた」



 彼がそう告げると同時に、縄で縛られたフェイが掲げられる。

 まだ小さな子供だ。

 一体どんな理由があって罪人と認定され、しかもこれほど大げさな事態になっているのかと皆が口々に話し合う。しかし一方でアリエットは心当たりがあった。



(もしかしてルーのことが)



 その予測を裏付けるように、紫水花のギルドマスターが声を張り上げる。



「聞け! この小僧はあろうことか魔物を飼いならしていたのだ。これは魔神教への叛意であると同時に、極めて危険な行為である。この小僧のせいで花の街が魔物に襲撃される可能性すらあったのだ。そのような危険を冒しただけでも大罪である。だが安心してほしい。もう諸悪の根源は絶った。この小僧は咎人としてアバ・ローウェルへ送ることになる」



 歓声と感嘆と安堵が同時に漏れ出た。

 魔神教において魔物を飼いならすことは大きな罪である。咎人制度が施行される前は花の街でも兎系魔物を見逃していたものの、今は厳密に判定される。聖堂の教える通り、魔物は殲滅しなければならない。

 だが詳しい事情を知るアリエットからすれば納得しかねる話だ。

 フェイが可愛がっていた魔物は低位レッサー級に属する羽兎ラビリスだ。またルーはフェイにとても懐いていた。



「何も知らないくせに」



 ほぼ無意識にアリエットは一歩踏み出していた。

 しかしその瞬間、背後から肩を掴まれて止められてしまう。



「駄目ですよアリエットさん」

「っ! アイリス」

「もしかしてあの子供を助けたいのですか?」

「悪いの? フェイは何も悪くないわ。それにあたしの弟子よ」

「静かに。私が音を遮断しなかったらアリエットさんも異端認定されてしまいますよー」

「あたしの魔装・・を考えれば似たようなものでしょ」



 アリエットを止めたのはアイリスだった。全く気配を悟られずに背後へと回り込む技量は流石という他ないが、今はどうでもいい。アリエットにとって重要なのはフェイを助け出すことだ。

 無理にでも助け出そうとするアリエットに対し、アイリスはそっと近づいて耳打ちする。



「フェイさんでしたっけ? あの子供を一人助けるためにこの国を亡ぼす覚悟があるのですか?」

「は? あたしは」

「今、大衆の目の前でフェイさんを助けるということは、西グリニアに正面から敵対するということなのですよ。罪人を奪われた聖堂は威信を取り戻すため、徹底的にアリエットさんを狙ってくるのです。勿論フェイさんを逃がすということもないでしょう」

「この国から逃げれば……」

「幼いフェイさんを連れて過酷な旅でもさせる気ですか? 外の世界はとても危険なのですよ」



 次々と提示されるデメリットに反論することができない。アリエットは徐々に力を抜き、苦悩を浮かべた。今ここでフェイを助けて解決する問題ではない。フェイだけでなくアリエットも魔神教に、ひいては西グリニアに敵対することとなる。

 力を付けるために拠点としているこの国を捨てる覚悟が必要だ。



「アリエットさんが落ち着いて復讐のために力を付ける場所は限られているのですよ。それを捨てる価値があるのです?」

「それは……」

「よく考えてから動くといいのですよ。どちらにせよ、殺されることはないと思いますよー。ま、咎人にされるとは思いますけど」



 風に溶けるように、アイリスの気配と声が消えた。

 転移でこの場から去ったのだろう。

 止める者がいない以上、アリエットはフェイを助けることも自由だ。しかし聖騎士に連れ去られていくフェイを見つめるだけで、その場から動くことができなかった。









 ◆◆◆








 転移でどこかへと消えたアイリスだが、彼女は山水域の森の中で一人になっていた。花の街や街道から離れた場所なので、人間が近づいてくることはない。そこでアイリスはソーサラーデバイスを使い、シュウに通話を試みていた。

 数度のコールの後、デバイスからシュウの声が聞こえてくる。



『どうした?』

「アリエットさんが面倒を見ていた子供が魔神教に捕まりました。罪状は魔物を飼っていたことなのですよ」

『ああ、とうとう見つかったのか』

「それでアリエットさんが助けようとしていたので止めました。デメリットを説明したのでしばらくは悩んでくれると思いますよ。シュウさんはどう動くと思いますか?」

『さぁな。何を優先するかにもよる』



 まだ氷河期の影響が残っている地域が多いので、地表が豊かな自然に覆われている山水域は貴重な場所である。アリエットがスレイへの復讐を優先するなら、力を付けるためにも有利な土地だ。

 弟子のように育てているとはいえ、引き換えにするかどうかは彼女次第である。

 ただ、シュウは別の期待もしていた。



『この状況、かつての俺たちに似ているな』

「え? まぁ、そうですね」

『アリエットがどうなるかは彼女に任せればいい。彼女の選択に介入する必要はない』



 何かあれば報告しろ、と言い残してシュウは通話を切る。

 アイリスも仮想ディスプレイを消した。



「アリエットさんは何を選択するんでしょうねー」



 かつての自分たちを重ね合わせ、応援してしまう自分がいることに苦笑するのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る