第390話 アンジェリーナ・トラヴァル
斥候バードにとってその光景は驚くべきものだった。古代遺物から研究された遠眼鏡より目を離し、一人難しそうな表情を浮かべる。
彼が見たのはフェイが
(こいつは……俺一人じゃ決めきれねぇ)
まず彼が考えたのは保身の方法だった。
曲りなりにもフェイはゼクト班の荷物持ちであり、対外的には仲間だと認識されている。つまりこの光景が表に出た場合、連帯責任を取らされる可能性が高い。
(どうする? どうする? あの野郎に巻き込まれるのはごめんだぞ……)
罪印を刻まれたら最後、全ての権利と財産が没収されて
ひとまずは手を出すことなく、彼は元来た道を戻った。
パーティメンバーへと事情を説明するために。
◆◆◆
ギルド『戦士の塒』は最大級の組織だけあって歴史が古い。その始まりは狩人たちが協力して獲物を得るための組織だったと言われている。地下迷宮に住む動物を狩るためにノウハウを溜め込み、副業として遺物を持ち帰り始め、やがてそれが本業となった。
そもそもが食料を得るという国家事業を担っていたので、魔神教とも繋がりが深いのだ。
「――以上、第六次大遠征の成果になります」
「ふむ。ご苦労」
革張りの椅子に腰かけたギルドマスター、ザスマンが満足気に頷く。それを見て報告した男もホッと息を吐いた。地下迷宮遠征探索の責任者としての仕事を無事に果たせたからである。莫大な予算を注ぎ込んでいるだけあって、相応の成果が求められる仕事だ。これで大した遺物を持ち帰れなかったとでも言おうものなら、冤罪をかけられて咎人にされても不思議ではない。
(あんなのは御免だ)
男は迷宮探索において咎人たちがどのように扱われているのか知っている。そのように扱うよう指示した本人なのだから当然だ。
咎人は未知の魔物が出現するたびに特攻させられ、夜は寝ずの番を命じられ、崩れそうな遺跡を発見すれば安全確認をさせられる。しかも罪印による呪縛のせいで命令に逆らうことができない。いつ死んでもおかしくない立場なのだ。
時には敵わない魔物から撤退するための
そんな人生の最期を迎えたいとは思えない。
「山水域地下迷宮の構造をかなり広く知ることもできました。よく探索できなかった部分も記録していますから、継続的な発掘も期待できると思います。何より、今回の遠征で法王聖下より依頼を受けていた分を採掘完了しました。大仕事、完了ですよ」
「よくやった。君ほどの男が未だに現場監督というのは勿体ない話だ。来月から役員の席を用意しよう」
「は! ありがとうございます」
「さて、少し気が早いかもしれんが、役員となる君にも今後の戦士の塒について考えてもらおう」
「……と、おっしゃいますと?」
尋ね返す声は少し不安げだ。
ようやく安全と未来が約束された役員の席を手に入れたのだ。こんなところで失敗はしたくない。緩む気持ちを引き締める。
そんな彼を知ってか知らずか、ザスマンは軽い調子で告げた。
「なぁに。簡単なことだよ。魔神教上層部は聖教会を今度こそ完全に滅ぼしたいようだ。今回の大規模遠征もそのための準備というわけさ。さて、君に頼みたいのはトラヴァル家との交渉だ」
「あのトラヴァル家ですか」
「その通り。ローウェル一族の一つ、トラヴァル家だ」
「交渉とはどのようなものでしょうか?」
「またいずれ語ろう。今日のところは帰り、休んで良い」
「かしこまりました。また伺います」
ローウェル分家の一つ、トラヴァル家は強大な武力を有することで有名だ。その権力によって多くの私兵を抱えており、トラヴァル家そのものも強大な魔装使いを輩出してきた。
トラヴァル家が動くということは、西グリニア軍が動くことにも等しいほどである。
何か大きな動きがある。
男はそんな気がしていた。
◆◆◆
トラヴァル家はともかく実力主義の家系だ。ローウェルの血を引いているので相応の権力は保有しているが、それ以上に力そのものを信望している。魔装や魔術についての研究を欠かさず、遺物から古代兵器の復活すら目論んでいた。
ある意味で力に溺れた者たちなのである。
もっと、もっと、さらに武力を。そんな執念の果てにある血族だった。そんな血族だからか、当主への権力集中は凄まじい。
「よく集まったな」
すっかり年老いたその男は深い笑みを浮かべながらそう告げる。彼の前にいる三人は緊張しつつも、表面上は余裕を繕っている。
老人はその一人一人へと順番に目を向け、ゆっくりと話し始めた。
「私も長くはない。トラヴァル家の慣習に従い、魔装を継承する。そして魔装を継承した者こそがトラヴァル家当主だ」
彼がそう言うのと同時に、影が蠢いた。そこから真っ黒な何かが飛び出し、左右に揺れながら裂けた口を開いていく。その化け物は手も足もなく、老人の影から離れることができない。
「トラヴァル家の継承する魔装、餓楼だ。こいつに憑りつかれたら最後、トラヴァルの使命を全うしなければならない。貴様らに覚悟はあるのか? 全てを背負う覚悟が」
どこか脅すように問いかけても、三人は顔色を変えなかった。
それもそのはず。
ここにいる者たちは皆、トラヴァル家当主継承者候補として選ばれている。当然だが当主の座は一つであり、誰もが残る二人を蹴落とそうと狙っていた。更に言えば三人ともが異なる思想を持っている。妥協という選択肢はない。
「当然ですわ」
真っ先に宣言したのは唯一の女性だった。
トラヴァル家は常に最高を求める。そこに性別など一切関係なく、精々危険思想を持った者を弾く程度でしかない。彼女は、アンジェリーナは自信たっぷりな様子であった。
それもそのはず。彼女は候補者の中でも筆頭と呼ばれる人物であり、現当主ジルバーンも大層可愛がっていることは周知なのだ。この継承者争いは出来レースであると噂する者もいる。残る二人は乗り遅れないように慌てて続いた。
「僕もです」
「アンジェリーナだけと思うなよ爺さん。俺だってこのためにどんな苦しいことだって耐えてきた」
「ふむ。イゼベルもグリュンも頼もしい。だが分かっておろう。私が餓楼と当主を譲り渡すのはたったの一人だけ。価値を示せ。私が全てを託したいと思えるように」
ジルバーンは後継者候補たちに命じた。
何か成果を上げてみせろ、と。
◆◆◆
自室へと戻ったアンジェリーナはソファへと腰かけ、御付きの女にお茶を持ってくるよう命じた。すぐに準備されて湯気と共に香りが漂ってくる。
「ギルドはどんな反応をしてきたの? 返事くらいは返ってきたのでしょうね?」
「お嬢様、こちらを」
差し出された手紙を受け取り、ペーパーナイフで開封する。しなやかで細い指が紙の上を這い、上品な所作で開かれた。挨拶の定型文から始まるそれは、比較的簡略化されて面倒な文言が含まれていない。品位を損なわない程度に実質剛健なこの手紙は間違いなくギルドマスターから送られたものだった。
一字一句見逃さないように、後で揚げ足を取られないように、勘違いのないように解釈する。
「そう。いい流れね」
アンジェリーナは手紙を封筒へと戻した。
そして御付きの女に声をかける。
「聖堂に行くわ。ジオーン家と歩調を合わせる必要がありそうよ」
「かしこまりました。準備いたします」
「戦士の塒も私に付いたわ。あとはジオーン家を味方につけて、アスラ家からも支援を得れば私が当主になることは確定よ。イゼベルにもグリュンにも渡さないわ」
「流石はお嬢様です」
「当然よ。私は選ばれた人間なのだから。そしていずれは法王にも……」
ローウェル一族の一人、アンジェリーナ・トラヴァル・ローウェルは野望に燃えていた。
◆◆◆
西グリニアは魔神教を伝える清く正しい国である。
この国で生まれた子供たちはそう教わる。かつて六大魔王によって世界が滅び、西グリニア建国の父たるクゼン・ローウェルは生き残りを集めて安住の地を作った。それから千年以上の時が経ち、ローウェル一族が国家を牛耳るようになった。主に三つの家系へと分裂しているとはいえ、ローウェル一族の権力は絶大である。これほどの権力を得るに至ったのは、裏表を共に支配してきたからだった。
大きな組織であるほど綺麗ごとだけでは回らない。
ローウェル一族の一つ、ジオーン家子飼いの暗殺者ダートも必要悪の一人であった。
「ぐぉ……」
だがその日、ダートは突如として死んだ。
いや殺された。
「悪いな。お前の立場を頂く」
冥王シュウ・アークライトの訪れである。気まぐれに訪れる厄災の如く、ただ運が悪かったという理由でダートは殺された。
ジオーン家からの依頼で暗殺を実行した直後、背後から魂を抜き取られた。無理に魂を引き抜かれた衝撃で苦痛の声を上げるも、次の瞬間には身体のあらゆる機能が停止する。そしてシュウは抜き取った魂を冥府へと送り込んだ。
この辺りは山水域が広がっている。つまりダンジョンコアの迷宮魔法によって空間支配されている領域なのだ。そのため煉獄も押しのけられており、上手く機能しない。シュウが直接冥府に送り込む必要がある。
「これでローウェル御三家に食い込めるといいんだが……まぁ、やってみるしかないか」
死魔力でダートの死体も完全に消滅させ、シュウはジオーン家子飼い暗殺者に成り代わった。裏から食い込むかつてのやり方を踏襲したのである。
目的はただ一つ。
西グリニアからダンジョンコアの影を見つけること。シュリット神聖王国が預言石を通じてダンジョンコアに操られているであろうことも予想している。そうなると、魔神教を国教とする西グリニアにダンジョンコアとの窓口があっても不思議ではない。
そしてダンジョンコアはアゲラ・ノーマンであった頃から裏に潜んできた。
ならば同じく裏側に潜り込むのが最善である。
こんな雑な方法でダンジョンコアまで到達できるとは思わないが、手掛かりくらいは入手できるだろうと考えていた。
「さてと、早速だが依頼人に報告してやるか。こいつの代わりに」
姿を隠した暗殺者は隠れ蓑に丁度いい。
こうしてすり替わったとしても気付かれないのだから。
◆◆◆
花の街にある地下迷宮より帰ってきたバードは、ゼクト班の仲間たち集めて話し合っていた。ただし、その場所はわざわざ金を払って借りたギルド個室である。ここはパーティが秘密の話をするために使われるため、防音は完璧である。同じギルドと言えど、パーティごとに迷宮攻略の戦略は変わってくる。パーティで秘匿して成果を独占したいと考える者たちのために用意されたものだ。ギルドからすれば各パーティが成果を上げれば、それはギルドの成果となる。また他のパーティもこの部屋を利用するパーティを目撃すれば、次は自分たちもと奮起する。
ただ、ゼクト班もまさかこんな話をするためにこの部屋を利用することになるとは思わなかったが。
「おいおい。冗談だろ」
「冗談じゃねぇよ」
「分かってるさ。別にお前が嘘を言っていると思ってるわけじゃない。少し現実逃避したかっただけだ」
バードの報告を聞いた他のメンバーは沈黙。無理を言って怪我で苦しむジズも呼んだが、痛みを忘れたように表情が抜け落ちていた。
そして唯一、リーダーのゼクトだけがころころと表情を変えている。そのどれもが苦悶や困惑に悲痛といった表情であったが。
「くそ。このままじゃ共倒れになりかねない」
「そうなんだよリーダー。だから俺もわざわざ戻ってきて意見を聞いてんだ。初めは殺してあいつの持っている金を奪うだけにしようと思ったさ。けど、あいつはよく分かんねぇ方法で俺の追跡に気付いてやがった」
「はぁ? お前斥候だろ! 荷物持ちの雑魚に気付かれたのか!?」
「言っておくが俺は油断なんかしてねぇからな。かなり距離を空けていたし、常に物陰に隠れて音も立てないように気を付けていた。魔物との戦闘だって回避した。それでもあいつ、偶に振り返って首を傾げてたんだよ。たぶん、俺だとは気付かれていない。でも後ろから付けられていることは気付いていたかもしれねぇんだ」
「……くそ。あの小僧、何を隠してやがる」
変わった魔装を持っている荷物持ちという風にしか思っていなかった。だが知らぬ間に自分たちの知らない何かを身に付けている。
そして極めつけが、魔物と遊んでいたというバードの証言だ。
ゼクト達はフェイが何か邪悪なものに手を出しているのではないかという予想までしてしまう。魔神教において魔物と馴れ合うことは重罪であり、裁判もなく即座に咎人にされてしまうだろう。事の重大さによってはゼクト達にも連帯責任が及ぶ。
「くそ、くそ……」
「なぁ、ゼクト。ここはやっぱり」
「ああ。告発するしかねぇ。俺たちの評判は落ちるだろうが、咎人になるよりはマシだ。俺は奴隷なんてまっぴらごめんだぜ。お前らはどうするんだ?」
「お、俺も嫌に決まってんだろ」
「当たり前だ! それにあいつが招いたことに俺らが巻き込まれるなんて納得できねぇ!」
「聖堂に告発しよう。そうすれば俺たちだけでも助かる」
議論の余地などなかった。
対して役にも立たない荷物持ちに未練もない。少し勿体ないとは思うが、それだけだ。咎人にされてしまうリスクとは釣り合わない。
「いいか? 俺たちで告発内容を合わせる。嘘を見抜く神官がいるかもしれねぇから、絶対に嘘を吐くんじゃねぇぞ。バードの見たものを基に、俺たちにまで罪が及ばないようにするんだ」
当たり前だ。
そう言わんばかりに皆、頷いた。
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