第392話 アリエットの選択


 フェイが目覚めた時、自分がどうなったのか思い出すのに時間がかかった。石造りの質素な部屋は聖堂地下にある牢獄である。冷たく、じめじめとした空間は不快感しかない。



(そっか。僕は捕まって……)



 いつかはこうなるかもしれないと思っていた。

 だがルーとのかかわりは心地よく、荒んだ日々を癒してくれた。初めは止めなければという思いも残っていたが、いつしかルー無しの生活は考えられなくなった。

 罅割れた石の床に寝かされていたので全身が痛い。また両腕は後ろで縛られたままの状態だった。血流が滞ったせいで手足が痺れている。



「いっ……」



 立ち上がろうとして転んでしまい、顔を床に打ち付けてしまう。何とか這って壁まで辿り着き、それを支えにして体を起こす。



(お腹、空いたなぁ)



 かなり長く眠っていたらしい。

 明かりなど空気穴から入り込んでくる松明のものだけで、今は昼なのか夜なのかも分からない。しかしながら酷く空腹なのでかなり時間が経っていることは確かだった。

 その気になれば異空間から食べ物を取り出すこともできる。

 しかし腕を後ろ手に拘束されている以上、食べるのは困難だ。よってこのまま耐えるしかない。



(なんとか、解けるといいんだけど)



 身をよじり、腕を縛る縄を解こうと試行錯誤し始めた。







 ◆◆◆






 フェイを捕らえた聖堂は、ギルド紫水花に対して事情聴取を行っていた。ギルド員から魔神教に反する者が現れた以上、更なる調査を行うのは当然のことである。

 そして紫水花の中で最も厳重に調べられたのがフェイの所属したゼクト班であった。



「なるほど、なるほど。ではあなたがたは全く認知しておらず、あの大罪人の仕出かしたこととは何の関係もないと」

「その通りです神官様。俺は何も知らなかった」

「あの罪人が見知らぬ大金を手にしていることを知り、不審に思って調べ、結果として魔物を飼っていることに気付いたと?」

「その通りです」



 たった一人、取調室に入れられたゼクトは淡々と答えていく。相手は魔神教神官なので、印象を悪くしないように努めて丁寧な言葉を選ぶ。探索者といえど、その程度の教養はあった。

 また尋問中の神官もゼクト達を疑っているわけではない。

 彼らこそがフェイの違反を発見し、通報した張本人なのだから。あくまでも確認のようなもので、責めるような口調ではない。



「なるほど、なるほど」



 再びそう繰り返し、神官は書面に何かを書き込む。



「そういえば、あなたがたの元荷物持ちは特殊な魔装を持っていましたね。確か物を収納できるとても恵まれた魔装だとか」

「いえいえ。小さなカバン程度しか収納できない無能です」

「なるほど。しかしそれはつまり、カバンに収納できる程度であれば保持したままであると」

「そうかもしれません」

「では、彼がどこかから見つけてきた古代遺物……その代金を持っているということですね」



 神官は尋問を担当するだけでなく、今回の事件についての調査も行っている。末端とはいえローウェル一族に仕える者の一人なのだ。様々な権限を使い、正確な情報を集めた。

 だから彼はフェイが持ち帰った古代遺物、召喚石についても認知している。たった三つとはいえ古代の強大な魔術が封じ込められたアイテムだ。召喚石は西グリニアの古い文献でしか詳細が伝わっていない遺物の一つで、終焉戦争においてもグリニアを苦しめたと言われている。魔物を使役するという性質上、嫌悪されている部類だ。

 だからその罪を問うこともできる。

 邪悪な古代兵器を復活させたという罪である。

 あらゆる手段を使ってフェイの資産を奪うことができるだろう。そして神官はそのやり方も熟知していた。



「では彼が隠しているであろうの場所。あなた方なら引き出せますね?」



 また神官は畳みかけ、圧力をかけるが如く続けた。



「これはあなた方の潔白を証明するのに必要なことです。同じパーティだったのですから、どうしても疑いの目は向きます。後は分かりますね?」

「はい。勿論やらせていただきます」



 ゼクトでも神官が言わんとしていることは理解していた。

 召喚石を換金したことで手にした金は勿論、召喚石を発見した場所という情報財産を含めた全てを吐き出させるのである。

 にんまりと笑みを浮かべた神官は満足げに頷く。



「良いお返事です。聖職者は拷問のような汚らわしい行為に携わることを禁じられています。しかし仲間による聞き込み・・・・ならば問題ない。そうですね?」



 フェイを売ったのは正解だった。そう思うゼクトであった。









 ◆◆◆







 アリエットは用事があるわけでもなく一人で迷宮を進んでいた。考えることはフェイのことだけ。ずっとアイリスに言われたことが気になっていたのだ。

 自分の復讐を優先し、フェイを見捨てることは簡単だ。寧ろその方がアリエットの為になる。まだアリエットは修行中の身であり、まだ大事を起こしたくはない。こうして平穏に暮らせる環境があるからこそアリエットは力を高めることに集中できるのだ。仮にフェイを助けるために暴れた場合、西グリニアから激しい攻撃を受けることになるだろう。所詮は小さな罪人一人だと見逃してはくれない。そうすれば魔神教そのものの信頼が落ちるからだ。



「あ……」



 考え事をしている内に、いつもフェイと会っていた場所まで来てしまった。ここ最近の習慣になっていたので、特に意識しなくともここまで来ることができてしまう。それだけフェイに修行をつける生活が馴染んでしまったということだ。

 いつも彼と会っていた遺跡に近づき、腰かける。

 落ち着いて考えるにはいい場所である。

 すると遺跡の隙間から可愛らしい鳴き声と共に一匹の羽兎ラビリスが姿を見せた。フェイが飼っていたルーである。もうすっかりアリエットにも懐いており、恐れる様子もなく足元まで寄ってきた。そして悲しそうに鳴き始める。



「あんたは無事だったのね。逃がしてもらえた?」

「キュ……」

「ご主人様は捕まったわよ。アバ・ローウェルってところに移送されると思う。これまでの咎人と同じようにね」



 おそらく言っても理解されないだろうと思いつつ、フェイの状況を語る。ルーもフェイが捕まっていることだけは分かっているようで、元気がなかった。

 それにつられたからか、アリエットまでも気落ちしてしまう。

 切り捨てるべきと理性は言っているが、感情はそこまで簡単ではなかった。情も移ってしまっているし、復讐心だけでそれを塗り潰すのも難しい。自分の中に他者を慈しむ心が残っていたことに驚きで、意外でもあった。



(……でも、純粋に助けたいってだけじゃないのよね)



 フェイに色々と教えていたのは最終的につがいとしての役割も想定したからだ。滅ぼされたロカ族を復興させるためのパートナーとして期待していたのだ。ここで死なせるには惜しいと思うほどには才能もある。



「キュ?」

「そんな顔してもだめよ。あたしにも事情があるんだから。悩んでいるけどね」

「キュ! キュ!」

「あたしの目的は復讐にしかない」

「キュー……」

「また来るわ」



 本当に見捨てるつもりならもう二度と来る必要もない。鳴き続けるルーのこともここで始末してしまえば煩わしいものもない。

 しかしアリエットは何もせず、何か未練でも残すかのように去っていった。ルーはただ、アリエットの背中を見つめながら淋しそうに鳴いていた。










 ◆◆◆









 アリエットはしばらく自分を高めることに集中していた。

 いや、集中しているつもりだった。

 地下迷宮に入って修行しても身が入らない。上達しているような気がしない。本当はフェイのことが気になって仕方ないということを認めるまで時間がかかった。



「ねぇ、アイリス。あたしはどうするべきだと思う?」

「フェイさんのことですか? 確かもうアバ・ローウェルに更迭されましたよね」

「助けた方が良かったのかって今でも思うのよ。修行も集中できないし」

「なら、本当はアリエットさんも助けたいと思っているのでは?」



 そう言われて黙り込む。

 ずっと認めたくなかったことを指摘されたからだ。実際、このまま修行に集中できないのでは本末転倒である。それならば問題解決に尽力したほうがいい。



「助けたいなら手配しますけどねー」

「どうするつもり?」

「こんなこともあろうかと、フェイさんのことは追跡していますよー。その気になればすぐ追えます。必要なら手配してもいいですけどねー」

「お願いするわ」

「意外と素直ですね」

「そこまで指摘されて、用意されているんだから迷う必要ないわ。それに自分のことに集中できないことは分かっていたもの。あたしは復讐を優先したいけど、その邪魔になるものもすべて排除する。それだけのことよ」



 アイリスは無言でソーサラーデバイスを操作し、シュウにメールを送った。当然だがその内容はアリエットがフェイを助けることにしたという知らせである。同時に手配も頼んだ。

 元からこうなると思っていたからこその素早い対応だった。









 ◆◆◆








 シュウはアバ・ローウェルで待機し、ローウェル一族子飼いの暗殺者に成り代わっていた。元から顔を介さない連絡方法で依頼を受けていた暗殺者だったので、その立場を奪ったとしても全く問題なかった。また依頼者側からしても実力さえ伴っていれば素性など関係ないと考えているため、都合が良かった。

 また暮らすだけなら妖精郷に転移して戻ればいい。

 かつての『死神』時代を思い出しつつ、気ままに情報収集する生活を続けていた。



「あ? なんだ、アリエットも決めたのか」



 メールを受け取ったシュウは早速とばかりに準備を始める。

 彼女が少年一人を助けると決めたことに疑問は覚えない。アリエット自身は復讐に生きると誓っているつもりかもしれないが、まだまだ甘さが残っている。ちょっとしたきっかけで復讐の炎は燃え上がることだろう。しかし逆に言えば、そのきっかけさえなければ普通の少女の域を出ない。

 またどんな思惑があるにせよ、シュウとしても都合が良かった。



「咎人の救出となると迷宮内でやるのがいいんだが……まぁ、それよりも先に魔石抽出だよな。今時珍しい空間系の魔装だし、魔石に変えるのも勿体ないか。転移があるからこっちの移動時間は考えなくてもいいし、救出は魔石抽出前にしよう」



 正直な話をすれば、フェイが魔装を奪われ咎人になった後ならば簡単に助け出すことができる。咎人を縛るために使われる罪印など死魔法で簡単に削除できるし、咎人が一人いなくなったところで聖堂は気にも留めないだろう。

 穏便に済ませるなら様子を見るのが一番だ。

 しかしそれを勿体ないと思うならば、少しばかり激しい立ち回りを要求される。具体的には厳重に警備されている今の段階で襲撃し、罪人として扱われているフェイを助け出す必要があるからだ。当然だが指名手配され、西グリニアと戦争する覚悟が必要となるだろう。

 シュウの計画とは主にそちらとなる。

 どうやって国と戦い、今後の布石とするか。かつては『鷹目』がやってくれた情報収集や情報操作もシュウがやらなければならない。



「久しぶりの国堕とし……気合入れないとな」



 国の混乱は何も悪いことだけではない。

 激しい騒乱が起こればその分だけ付け入る隙も生じる。西グリニアは何かしらの意図を受けて誘導されていると思われるので、その正体を調査するのに丁度いい。今のところはローウェル一族の権力に探りを入れることで発見を目指しているが、もっと大胆なこともできる。

 ただ国を亡ぼすだけなら大規模魔術で吹き飛ばせば完了だ。転移や時間停止を駆使してフェイを助け出せば角も立たない。シュウにとって重要なのはあくまでもダンジョンコアの本体を発見して滅ぼすこと。その欠片でも手掛かりが得られるなら手間は惜しまない。



「あー……死魔法で楽したい」



 ほんの少しだけ、本音は漏らすが。








 ◆◆◆







 西グリニア首都アバ・ローウェルまで移送されたフェイだが、かなり大人しくしていた。抵抗しても無駄という諦めが心に根付いていたからである。異空間の中に仕舞ってあったものは全て出し、問われたことには全て答えた。

 その途中でかつてのパーティメンバーに暴行を受けるということもあったが、それらはアリエットから習った魔力の操作で無事に受け切った。どうやらゼクトたちはフェイへの尋問を踏み絵代わりにされていたらしく、かなり容赦がなかった。もしも魔力による防御を覚えていなかったら死んでいたかもしれないと思うほどである。流石に武器を使ってくることはなかったので助かった。



「さっさと降りろ罪人共」



 固く閉ざされた荷馬車は石造りの堅牢な建物の前で停まる。移送任務を受けた聖騎士はぶっきらぼうに指示を出し、馬車から降りるように促した。馬車に乗る罪人はフェイだけではない。花の街だけでなく他の街でも罪人として認定された者が同じ馬車に乗せられ、ここまで運ばれたのだ。

 ただやはり最年少はフェイであり、同じ罪人からも奇異の目で見られていた。

 他の罪人が聖騎士によって建物内部へ連行される中、フェイだけは三人ほどの聖騎士に囲まれて別の場所に移動させられることになった。

 理由は魔石の生成である。

 現在は洗礼と称して魔装を魔石に変える儀式を行っている。西グリニアでは自由意志によって行われるということになっているが、罪人の場合は事情が異なる。これから咎人となる者に魔装は不要だ。だから強制的に魔装を抽出され、魔石に変換されることとなる。



(ごめんなさいアリエットさん。折角鍛えてもらったのに、無駄になりそうです)



 フェイとて馬鹿ではない。

 これから自分の魔装が奪われようとしていることも聖騎士たちの会話から気付いていた。しかし全く抵抗はしない。教わったロカの秘術も使わない。

 彼の心は折れていた。








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