第381話 宵闇の魔剣


 アリエットは山水域で魔物との戦闘経験値を蓄え、自身の魔装について研究を進めていた。アイリス監修のもと、最終的には狐系魔物を全滅させるまでに至ったのである。



「ハァ、ハァ……これで、終わり」



 彼女は感知できる限り最後の一匹を始末する。ロカの封印術と鎖の魔装によってガチガチに拘束した天狐エルクスを磨り潰した。これによって鎖の魔装が脈動し、一瞬だけ光り輝く。ただ、その光もこの世のものとは思えない悍ましい色合いであった。



「分かってきた。あたしの能力……」

「みたいですねー。どうですか?」

「命を握った感覚なんて気持ちいいわけないでしょ。ちゃんと縛ってないと復活しようとしてくるし、慣れるまでは気分悪かったわ。勿論、今も最低な気分だけど」



 魔装を消したアリエットは土埃を払う。

 左手には剣こそ握っているものの、刀身は折れて残っている部分にも亀裂が走っていた。武器としては使い物にならないだろう。



「剣も新しいのが必要ですね」

「正直、途中から剣なんて使わなかったわよ。折れちゃったし、魔装の方が強いし」

「普通の剣ですから仕方ないのですよ! でも困りましたね。アリエットさんの出力に耐え切れる武器となると、ちょっと面倒なのです」

「あたし、そんなに馬鹿力じゃないわよ」

「無意識で魔力強化しちゃうから、攻撃時に負荷がかかるのです」

「ふぅん」



 初めての剣ということで愛着もあったのか、少し残念そうだ。

 それと同時に、シュウが用意しているという専用装備への期待が膨れ上がった。魔物との戦いを重ね、自分の力を把握し始めたアリエットは大抵の武具を意味のないものにしてしまう。覚醒した魔装士ともなれば武具に頼るより、自身の魔装や魔力に頼った方が強い。

 自分の力の大きさを理解したからこそ、アリエットは期待している。

 復讐に必要な力は幾らあってもいいのだから。



「戻るわ。早く迷宮で遺物を見つけるの。そうすれば装備をくれるんでしょ?」

「シュウさんが張り切って用意してくれていますよー」

「楽しみね」



 アイリスが転送魔術を使えるので、その気になればいつまでも修行することができる。しかしいつまでも森の中では文明の感覚を失ってしまうことだろう。アリエットもそろそろベッドで眠りたいと考えていた頃だった。

 二人は揃って花の街へと帰還した。








 ◆◆◆








 十三日ぶりに戻った花の街はすっかり変わり果てていた。



「ねぇ、これ」

「一通り討伐したみたいですねー。兎さんたちを」



 元々、無数の花が自生しているからこそ花の街と名付けられていた。しかし今はその花もほとんどなくなっており、あれほどいた劣種兎レッサー・ラビットも姿を消している。炎系魔術を使った跡を思わせる焦げた地形も残っていることから、激しい戦闘があったものと推察された。

 激しいと言っても、かなり一方的な戦いを彷彿させたが。



「命令通り、やったみたいね」

「あーあ……可哀そうに」

「あんたそんなこと聞かれたら捕まるわよ」

「聞こえないから大丈夫ですよー」



 それならいいけど、とアリエットは呟きつつ街に入る。象徴的だった花畑がすっかり焼き払われているせいか、街の人々もどこか顔色が暗い。明らかに活気が低下していた。

 またギルド、ジェスター・ファミリーのメンバーが見回りを強化している。兎系魔物を討伐したことで生態系が崩れ、より強大な魔物が街に襲撃を仕掛けてくる可能性がある。それの対策であることに間違いはなかった。

 アイリスとアリエットは大通りを進んでこれまでも利用してきた宿屋を目指す。その宿屋は花の街でも比較的大きな建物で構えており、いつも宿泊客で賑わっている。しかし今日だけはどこかピリピリとしており、エントランスでも一部の宿泊客どうしが固まって会話している他は静かであった。

 それらを無視して階段を上がり、宿泊室へ向かおうとしたアイリスにアリエットは疑問を呈する。



「部屋は取らなくていいの?」

「シュウさんが取ってくれていますよ」

「いつの間に連絡とってたのよ」

「アリエットさんが戦っている間ですねー」



 古代から生きる存在ということで、アリエットは追及を諦める。現代からすれば通信道具など想像もつかない遺物であり、考えることも諦めるほど不思議なことだった。

 アイリスは迷わず階段を昇り切った先へと歩を進め、ある扉の前に留まってノックした。鍵が開く音と同時に開かれ、その内側からシュウが顔を見せた。



「シュウさんお久しぶりです」

「ああ。まずは入れ。色々話すことがある」



 招かれるままにアリエットも敷居をまたぎ、シュウが指を鳴らすと勝手に扉が閉じられる。どんな手品かと初めは驚いたが、今はアリエットも慣れてしまっていた。

 二つのベッドが備え付けられた部屋で、ここにはシュウとアイリスが泊まっている。当然だがアリエットは隣の別部屋だ。比較的高級な部屋ではあるものの殺風景で、ベッドの他は荷物用の棚やテーブルがある程度だった。テーブルに備え付けられた椅子へはアイリスとアリエットが座り、シュウは自分のベッドへと腰を下ろす。

 そしてマザーデバイスからワールドマップを起動し、空中に地図を映し出した。



「これが俺たちの住む世界だ。この領域が迷宮山水域で、その内部に西グリニアがある」



 シュウが指差すのは大陸の左上あたりであった。

 山水域として色分けされたエリアに、点々と黒い印が打たれている。それらが西グリニアの街を示すことはすぐに理解できた。

 アリエットが気になったのは山水域から東に外れた場所にある点々であった。そこは自然溢れる山水域から外れているにもかかわらず、かなりの街が密集していることが分かる。



「西グリニアの東方……まぁ、正確には南東に位置する国なんだが、ここが西グリニアにとっての目標らしい。この国の名前はシュリット神聖王国。追放者シュリッタットたちの国だ」

「どういうことよ、それ」

「シュリット神聖王国は西グリニアで隔離された者たちの反乱から生まれた。西グリニアでは犯罪者や皮膚病患者、感染症患者といった者たちをまとめて隔離する街があったらしい。追放者の街と呼ばれていたそこには冤罪で送り込まれる奴らもいたようだ。何せ上層部が腐敗している国だからな。都合のいい島流し先は重宝されていたんだろう。だが、やりすぎた。追放者の街はシュリッタットたちで溢れかえることになったんだ」



 後は分かるよな、といった調子で簡単に続きを述べていく。



「シュリッタットの中に西グリニアへと反乱を企てる者たちが生まれたらしい。だいたい五十年ほど前、シュリッタット事変が起こった。どこから仕入れたのか魔石を使って反乱を試み、最終的には敗北。追放者の街からさらに東へと逃れ、迷宮蟲魔域と呼ばれるエリアへと落ち延びて地上に新しい国を作った。それがシュリット神聖王国というわけだ」

「反乱を起こした勢力だから西グリニアは征伐しようとしているってことね」

「それもあるが、シュリッタットは魔神教から派生した聖教会というものを作っている。エル・マギア神という概念を排除し、魔力や魔術を信望するある種の自然信仰だな。ベースは魔神教だが本質を失っているし、別の宗教と考えた方がいい。何より、魔装を否定しているし」

「……それが何か関係あるの?」



 アリエットからすれば疑問の連続だ。

 今いる西グリニアのことすらそんなに知らないのに、新しい国について説明されたのだ。確かに西グリニアとはかかわりのある成り立ちだが、それが今のアリエットと関係あるかは分からない。

 ここでアイリスが咎めるような口調でシュウの説明を止める。



「シュウさん、それ言うのですか?」

「言うなら今だろうと思っただけだ。状況的にもいずれ知られる。俺たちの視ていないところで知られるくらいなら、今教えた方がいい」

「それはそうですけど」



 ただ結局はアイリスも反対するつもりはないらしい。苦言はするが、シュウの考えに従うということで折り合いをつけたようだ。



「いいかアリエット、よく聞け。そして落ち着け。お前の復讐相手はシュリット神聖王国にいる。魔物の大軍を退けた英雄としてな」



 途端に勢いよく立ち上がり、アリエットの座っていた椅子が倒れて煩わしい音を立てる。そして彼女はシュウへと詰め寄った。



「早く続きを教えて!」

「聞いてどうするつもりだ?」

「決まってるわ。今すぐ追いかけて殺すのよ。事情が変わったわ。あいつがいるなら……あいつの居場所が分かるなら、あたしはすぐに行く。あたしは力を手に入れた。武器を頂戴。すぐに殺す!」

「落ち着けと言っただろう」

「あたしの武器は!」

「はぁ……」



 凄まじい剣幕のアリエットに気圧された訳ではない。しかしシュウはマザーデバイスを使って転送魔術を発動し、一本の剣を取り寄せた。

 黒い紋様が網目のように張り付いた鞘へと刃が収まっている。シュウが僅かに抜くと、収められていた剣は片刃であることが分かった。またその刃も金属質ではあるが、光沢を帯びた黒であった。蛇の意匠が特徴的で、どことなく邪悪さを感じさせる。

 それを見たアリエットも言葉を失い、その激しい剣幕も鳴りを潜めてしまった。



「お前のために作った武器と防具だ。剣と鞘がセットになっている。銘は……宵闇の魔剣に常盤ときわの鞘。これを使えば国を滅ぼすことも容易い。欲しいか?」



 アリエットは喉を鳴らす。

 そして手を伸ばした。シュウの提示した魔剣から発せられる気配は並ではない。魂の底から震えるような気さえする。

 だが、それさえも復讐心によって捻じ伏せた。

 奪うようにシュウから魔剣を手に入れ、部屋から飛び出していく。

 残された二人はしばらく開け放たれた扉を見つめていたが、やがて言葉を交わす。



「どうします?」

「行かせてやれ。どうせまだ勝てない。だが、迷子になられると困るからな。精霊で導いてやろう。お前が助けてやれ。これを渡しておく」

「え、ちょ、投げないでくださいよ」



 シュウが投げ、アイリスが受け取ったのは魔晶であった。

 しかもそれは遥か昔にハデスで開発した召喚魔術を込めた魔晶である。当然だが今の妖精郷でも幾つか保管している。これもそのうちの一つであった。



「殺されることはないと思うが、捕まりそうなら助けてやれ」

「はーい。シュウさんは?」

「少しやりたいことがあるからな」

「調べものですか?」

「ああ、アリエットは良い囮になる。聖教会について調べるためのな」



 指を鳴らすと、アリエットが開けっ放しにした扉が閉じられる。また自動的に鍵も閉められた。

 シュウもアリエットの復讐心を低く見積もっていたわけではない。こうなることも予測した上でスレイについて語り、コントロールできる内に魔剣も与えたのである。宵闇の魔剣と常盤の鞘があれば死ぬことはないだろうと考えた上での判断だった。

 人の心はないのかとアイリスが呆れる間に、シュウは転移で消えてしまう。そういえば人じゃなくて冥王だったと思い直し、彼女も転移でアリエットを追いかけた。









 ◆◆◆









 殺す。

 その目的だけを心に浮かべ、ひたすら走る。奇異の眼で見られようと、構わず彼女は走った。花の街を出て、太陽の位置から方角を割り出し、南東に向けて走る。シュウに見せられたあの地図は今も目に焼き付いていた。どの向きに走ればシュリット神聖王国に到達できるか分かっている。

 殺す、殺す。

 殺意を込めて加速する。景色が次々と過ぎ去り、風すら置き去りにした。アリエットはその目的の為に足を動かす。ただ一人の男をこの世から消し去り、復讐を成し遂げるために。



(あいつは……殺す!)



 ギュッと魔剣を握りしめた。

 そこに秘められた力の大きさは何となく理解できてしまう。願うだけであらゆるものを滅ぼせるかもしれない。一度刃を抜き放てば、もう止めることができないと確信していた。

 これならばあの時の借りを返せる。

 親友を殺され、一族を殺され、村を燃やされ、右腕を奪われた借りだ。

 憎悪は感情を活性化し、魂の活動を激しくする。自然と噴き出す魔力が彼女の身体を強化し、多少の障害物はものともしない。



(殺す、殺す、殺す!)



 一度燃え上がった怒りは静まらない。そればかりか油でも注がれているかのように、更に激しく、どこまでも熱くなる。喉の奥が痛いほど熱を帯び、心臓が締め付けられた。おそらくは怒り以外の感情も渦巻いているのだろう。しかしながら今のアリエットにそれを理解する余裕はなかった。

 だからだろう。

 不意に、浮遊する光の玉を目撃しても怪しむことがなかった。アリエットを導くように動き回るそれは、彼女を誘っているように見える。アリエットは何となく、その光る玉を追いかけた。

 人外の身体能力で導かれるままに走る。

 殺意の衝動に身を任せていた。






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