第380話 アリエットの実戦


 大陸地下迷宮は幾つもの領域に分かれている。

 その中でも山水域は特別だ。何故なら地下ではなく地上にまで迷宮が及んでいるからである。大陸北西部に広がる山水域は、その名の通り自然に溢れている。西グリニアはその恩恵を独占することで人類を生き永らえさせていた。

 氷河期の中で数少ない地上の楽園である。

 当然だが人間だけでなく大量の魔物も生息することになった。



「ここは?」



 転移で現れた少女二人は、西グリニア人が全く侵入しようとしない領域に踏み込んでいた。広い山水域において、人類の生存可能エリアは非常に狭い。多くが魔物の生息域となっているため、人類はその隙間を縫うようにして暮らしているのだ。だから魔物の群れを少しでも刺激すれば、それを始まりとして生態系変化が起こり、人類は追い詰められてしまうかもしれない。

 故に魔物の縄張りに踏み込むことは西グリニアにとって暗黙の禁忌なのであった。



「ここは狐系魔物が暮らしている場所ですよ。調べた限りだと天狐エルクスが縄張りにしているのですよ」

「それってどんな魔物?」

「大きい狐です。尻尾が伸縮自在で厄介なんですよねー。あと魔術を使うだけの知能もあるので距離を取っても危ないですよ」

「他には」

「狐系の下位ですね。そもそも獣型の魔物は動物をモデルにしていますからね。狐然り、兎然り。同じ系統の魔物を従える傾向にあるのですよ」



 アイリスは即座に魔力を感知し、魔物の位置情報を認識する。しかしまだアリエットは経験が足りないのか、感知が遅れた。しかしすぐに印を組み、空間魔術で感知を開始する。魔力感知と違って手間も労力もかかるが、精密性に優れる。

 まるで神の視点を得たかのような感覚に襲われ、アリエットは少しふらついた。



「こいつらね」



 空間魔術による把握はアリエットに魔物の姿すら見させた。確かに狐である。しかし動物の狐と異なる点がある。大きいのだ。野生動物とは思えない大きさなのである。最も小型の個体ですら牛ほどある。



「数は……三十ほど」

「無理そうなら助けますけど?」

「余裕よ」



 自分自身の内部へと意識を向ける。

 魔装を使うのは簡単だ。思えば発動し、望むままに操れる。衣服に覆われ、隠されたアリエットの右腕から鎖が現れた。めくれ上がった袖からは真っ黒な腕が見える。

 腕を伸ばすと、その勢いごと鎖が射出された。その方向は彼女が感知した狐系魔物の居場所である。狙いは当然だが天狐エルクスであった。魔力の鎖が木々の間をすり抜け、草の根を分けて進み、何かへと巻き付く。

 手応えを感じたアリエットは勢いよく引き寄せた。

 それと同時に剣を抜き、突きを入れる。

 迫ってくる巨体に向けて刃は刺し込まれた。



「ほらね?」



 根元まで刺さった刃は天狐エルクスの腹を抉る。間違いなく致命傷で、普通ならばこのまま死んでしまうに違いない。だが天狐エルクスは魔物だ。この程度では死なない。

 まして天狐エルクス災禍ディザスター級なのだから。

 太い脚でアリエットを蹴る。その凄まじい脚力によりアリエットは弾き飛ばされた。その際に鎖は解け、剣は抜ける。またこの不意打ちで剣も手放してしまった。



「手伝いが必要なら言ってくださいねー」



 アイリスはそれだけ告げて空に消えていく。

 地上に一人残されたアリエットは、幾つもの木々を薙ぎ倒しながら速度を減じさせ、岩場に叩きつけられてようやく止まった。

 彼女はタマハミをその身に取り込んだ影響か、これだけのことがあっても死んでいなかった。骨折どころから切り傷すらない。しかしながら内部には多少ダメージがあるらしい。



「ぺっ……口の中を切っちゃったじゃない」



 小さな血の塊を吐き捨て、剣を構え直す。

 吹き飛ばされてきた方向に目を向けると、その奥で小さな閃きが起こった。咄嗟に転がって横に回避すると、雷が通り抜ける。アリエットは走ってその場から離れた。しかし雷撃は止まらず、正確にアリエットを狙ってくる。

 そこでアリエットは鎖を伸ばし、木に巻き付けて空に逃げた。

 浮いた瞬間に鎖を消して、また新しく鎖を伸ばすことで移動していく。



「見えた!」



 真っ白な巨体はよく見える。

 空に向かって放たれた雷撃は鎖を放つことで打ち消した。鎖は金属製ではない。そのため電撃を絶縁し、一切通さない。

 大量の鎖が天狐エルクスを覆った。

 天狐エルクスは軽く吼えてから鎖を尾で薙ぎ払う。視界を覆い尽くすほどの鎖も、その尾にかかれば一瞬で打ち払われてしまう。だが鎖を消し去った時、そこにアリエットはいなかった。



「こっちよ」



 気付いたときにはもう遅い。

 アリエットは大量の鎖を囮に、自身は地上に降りていた。そのまま天狐エルクスの後ろから完璧な不意打ちを決める。首に刃が突き刺さり、勢いよく振り抜かれた。

 首の半分が裂けたことで天狐エルクスが怯む。

 だがアリエットはさらに踏み込み、その傷口へと手を突っ込んだ。そして鎖を発動する。内側から炸裂した鎖により天狐エルクスの頭部が吹き飛んだ。流石に大ダメージだったのか、天狐エルクスは倒れ伏して魔力を霧散し始めた。

 鎖を引き抜いたアリエットは、倒れた天狐エルクスから距離を取る。

 魔物はこの程度で死なない個体もあるため、油断ならないのだ。

 事実、天狐エルクスは吹き飛ばされた頭部を再生し始めていた。魔力が徐々に集まり、元の頭部を再構成していく。アリエットは再生させることなく攻撃を畳みかけようとしたが、ここで自分が囲まれていることに気付く。



(感知を怠ったわ……)



 慌てて印を結び、空間感知を実行した。

 魔物が群れを作っていることは分かっていたので、感知を途切れさせてはならなかった。戦いに集中するあまり、視野が狭まっていたのだ。既に逃げ道を見いだせないほど完璧に囲まれていることが分かり、アリエットの思考は包囲の脱出へと偏る。

 彼女を囲んでいたのは天狐エルクスに従う狐系の魔物たちだった。低位レッサー中位ミドルがほとんどであり、数匹ほど高位グレーター級の個体も見受けられる。そしてこれらの魔物が一斉に炎を吐きだした。

 アリエットは即座に四つの印を結び、半球状に停滞結界を張った。

 空間魔術の本質である時間操作に偏った結界で、結界表面に対して漸近的に時間を遅くする層を重ねるというものだ。結界面に近づくことで徐々に停滞してしまう。ただし、停滞結界に引っかかった対象を攻撃しようとしても同じく停滞してしまうため、結局は時間稼ぎにしかならない。

 だからアリエットは追加の印を結び、更には復活しようとしている天狐エルクスに向けて魔装の鎖も伸ばした。鎖で縛ったうえで封印術をかけようとしたのだ。ロカ族としてはまだ未熟なアリエットに使える封印術は限られている。そのため、鎖を基点とすることで強化しようとしたのである。

 ほとんど再生していた天狐エルクスは、この時点で鎖によって雁字搦めにされ、封印術の影響で石のように固まってしまう。本来ならば封印を強化する基点に石碑などを使うのだが、今回はアリエットの魔装で代用した。魔力で構築された強力な鎖なので、効力としては充分以上である。



動かないでよ・・・・・・? 面倒だから」



 ただの独り言のつもりだった。

 一番強い天狐エルクスに動かれると面倒だったのは事実なので、そうなって欲しいとただ願っただけだった。しかしこの一言に彼女の魔装が反応する。封印として天狐エルクスを縛る鎖が淡く輝き、ひとりでに増殖して天狐エルクスを拘束し始める。口、四肢、尾、胴体へと巻き付き、鎖の端が大地へと突き刺さることで完全に拘束した。



「は? え? どういうことよ……」



 意味が分からないアリエットは混乱する。

 そのせいで集中が途切れ、停滞結界を解除してしまった。途端に周囲から大量の炎が殺到し、また狐系魔物たちが飛び掛かってくる。これで彼女が戦い慣れていたら不測の事態にも対応できたことだろう。残念ながらアリエットはそこまでに至っていなかった。

 これらの炎は狐系魔物の魔導である。

 その身に宿す迷宮魔力により大抵の物理現象を遮断できるため、魔導すらも無効化できるはずだった。しかし彼女は反射的に構えて目を閉じてしまう。人間らしさ・・・・・が抜けていない証拠だった。



「仕方ないですねー」

「え?」



 気付けば全ての攻撃が停止していた。

 そして見上げればそこには魔女アイリスがいる。



「停まっ……時間停止!」

「やっぱり対多数は少し早かったですねー。視野が狭いのですよ!」

「秘術の発動に手間がかかるのもよくないわ。強力な術式になると必要な印が多くなるし……だから魔装で時間稼ぎしないと」



 完全に停止した世界で、アリエットは自分が封印した天狐エルクスを見遣る。災禍ディザスター級を完全に動けなくさせた時点で個人が持つには強すぎる力だ。人類の力が減退した現代ならば特にそうだろう。

 しかしアリエットの復讐相手は古代の覚醒魔装士である。

 まだまだ足りないという他ない。



「アリエットさんはまだまだ考え方が堅いのですよ! 魔装はもっと色々できるはずなのです。だから自分の内側に意識を向けるべきですよ」

「そう言われても……どうしろって言うのよ」

「んー。こればっかりは実戦経験ですからねー」

「つまりたくさん魔物と戦えばいいわけ?」

「たぶん、変則的な覚醒をしたせいで魔装が充分に育ち切っていないと思うのですよ。だからもっとアリエットさんの実力を引き出す。これが最高効率の修行なのです」




 アリエットは歯噛みする。

 悠長に修行している現状に我慢できないだろう。実際、アリエットも魔装を行使する中で引っかかりのようなものを感じている。何かが力の放出を阻んでいるような気がするのだ。その感覚が余計に歯痒さを増していた。



(待ってろスレイ・マリアス……あんたはあたしが絶対に殺す!)



 改めて復讐の心を燃やしつつ、修行を再開した。









 ◆◆◆








 西グリニアの首都アバ・ローウェルは国の始まりだ。

 終焉戦争により滅びつつあった世界において、ローウェルという男が光明をもたらした。それが国の起こりである。彼の子孫は三つの血族に分かれ、今もこの国を統治していた。

 現法王カストール・アスラ・ローウェルは御三家の一つ、アスラ家の出自である。御三家は協定を結び、国家権力を分配することで均衡を保っていた。ただし法王という地位だけは競って奪い合う。今代はアスラ家がその地位を手に入れていた。



「予定通り、咎人制度が始動した。戦士のねぐらも我々の手足だ。厄介なロジャーも始末してギルドも思い通りだ。残るは追放者シュリッタットだな」



 聖堂本部は西グリニアにおける象徴的な建造物である。伝説的な国家、神聖グリニアにあったとされる大聖堂を意識している。伝説の大聖堂を復活させる計画に基づき、少ない資料と伝承から再建された白基調の聖堂なのだ。

 その神聖さ故に聖堂本部は一部の特権者しか入ることを許されない。

 特定の偉業を成し遂げた者や、一定額の献金を達成した者だけの権利なのだ。有権者たちは献金によって権利を獲得し、聖堂本部で洗礼を受けることを栄誉と考えていた。

 決して誰も口にしないが、優越感を煽る上手な集金システムである。



「はい。これも聖下の御采配あればこそ。エル・マギア神の御恵みが聖下に降り注いでいるからでありましょう」

「その通りです。かの追放者の末裔共を一掃し、真なる教えを体現しなければ」



 そして法王の側に控える者たちは皆がイエスマンだ。彼らは有力家系に属する者たちであり、御三家ともかかわりが深い。現法王はアスラ家が担っているため、法王の側に控える者たちもアスラ家と関係する家系であった。

 魔神教の教えを利用して権力集中させているのが今の西グリニアなのである。

 法王の言葉は神の言葉として扱われるまでになっていた。

 彼らのおべっかも当然のものと受け入れるカストールは、鷹揚に頷きながら返す。



追放者シュリッタットを征伐する準備は整えている。私が法王に就いている間に彼らを滅ぼし、秩序を取り戻さなければならない。遺物の採掘はどうなっている?」

「ザスマン率いる新生『戦士のねぐら』が精力的に活動しておりますれば、オリハルコンの採掘も効率化を増しています。ただ、オリハルコンを加工する者たちが不足している状況でして」

「なぜかね? この時に合わせて育成するよう計画されていたはずだが?」

「……」



 途端に空気が重くなる。

 法王を前にして彼らは視線を通わせ、何か言い訳がないものかと探り合った。しかし時間切れである。



「私は怠け者を排除する。神の御計画を為せぬ者が聖堂本部にいる意味があるかね?」



 思わず肩を震わせた。

 このままでは地方の聖堂に飛ばされ、二度と昇進できなくされてしまうだろう。御三家の力を以てすればこの程度は容易いのだ。有力家系だからこそ、実家は彼らを切り捨てて無関係を貫くだろう。誰からの助けもなく、田舎町で一生を終える人生など御免だ。

 だから彼らは必死に言い張った。



「も、申し訳ございません! 早急にかき集めます!」

「どうかあと二十日お許しください。その間に必ず解決してみせます!」



 そんなセリフが次々と耳に入ってくるのは面倒だったのか、カストールは適当な所で手を上げ、彼らの嘆願を止めた。

 分かりやすく溜息を吐き、それから口を開く。



「できるなら初めからやりなさい。次はありませんよ」



 彼らは慌ててこの場から去っていく。

 部屋に残された法王は、側に控える秘書官を手招きした。秘書官は音もなくカストールへと耳を寄せる。



「蓄えている魔石を解放するように。いざという時はそれを使ってオリハルコン加工をさせる手はずを整えておきなさい。彼らは役に立たないかもしれない」

「承知しました。法王聖下の御心のままに」



 権力で水膨れしたこの国にとって邪魔者は消えてもらうという選択肢しかない。都合の悪い存在は必要ないとばかりに排除する。その性質が現れていた。






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