第379話 咎人制度


 西グリニアにおける最大の記念日、法王の生誕祭は様々な意味で特別である。その日は国を挙げて祭りが行われ、大人から子供まで楽しむのだ。当然だが迷宮探索者たちも仕事を休むし、ギルドもほとんど空になる。それぞれの街では聖堂が食べ物を振る舞い、倉庫を空にする勢いで消費する。

 そしてこの祝いの日には街につき一人だけ、罪人に対して恩赦が与えられることになっている。流石に殺人者のような凶悪犯罪者には適用されないが、軽い窃盗などで投獄されているような者ならば無条件で釈放され、祭りに参加することを許されるのだ。

 だが、今年の生誕祭は例年と違っていた。



「皆さん!」



 花の街で聖堂を仕切る司祭が声高く呼びかける。

 カップを片手に騒ぎ合う民衆は、広場に作られたステージに注目した。そこでは司祭の他に数人の神官が立っており、傍らには両手を縄で縛られたみすぼらしい男が槍を突き付けられている。



「法王聖下が誕生なされたこの良き日、例年であれば罪人に恩赦が与えられることは御存じでしょう。しかし本日より施行される新法……『咎人の贖罪に関する制度改定および罪印の運用規定』により、恩赦はなくなります。罪人を正しく裁き、更生し、救いの機会を与えることこそ我々の役目なのです。ご覧ください、この男を」



 司祭が合図を出すと、縛られた男が軽く押された。男はよろめきながら数歩前に進む。雑な扱いに構わず、司祭は続けた。



「この男は己の欲を満たすために隣人の家へと押し入り、殺人を犯し、盗みを働きました。法に基づけば鞭打ちの後、十年の反省で許されるのです。敬愛すべき法王聖下はこれをよしとされず、咎人に相応しい印を与えることになりました。咎人はその罪が贖われるよう、民衆に奉仕するのです。それによって印は薄れていき、それが消えた時に罪は贖われます」



 今回のステージはデモンストレーションであった。

 新しく施行された、通称『奴隷法』を執行する様を見せつけるのが目的である。聖堂が主導することでこれが正当な行いであることを印象付け、更に罪人に対する取り締まりを厳しくする姿勢を見せる。咎人は奉仕活動すべきなどと語っているが、実情は奴隷だ。

 どこか緊張した様子の民衆を前にして、司祭は男をよく見える位置に移動させるよう指示する。そして杖のようなものを押し当てた。すると罪人の顔に黒い模様が浮かび始めた。荊を思わせるそれは額から頬にかけて大きく広がっており、遠目からでも一目で分かるだろう。

 不快感でもあるのか罪人は身じろぎする。

 やがて模様が定着し、司祭も杖を離した。



「今よりこの男は咎人です。咎人は聖堂が管理し、アバ・ローウェルへ送られることになります。そこで浄罪に励むのです」



 彼はこの場でこそ話さなかったが、咎人に認定され、呪縛をかけられた者は命令に逆らえなくなる。そして咎人は聖堂が管理するものの、一定価格で一般人にも貸し出されることになっているのだ。これこそが奴隷法と陰で言われる理由であった。

 咎人にはあらゆる権利がない。

 今まで通り、牢獄に入っていれば自動的に不味い食事が提供されるわけではなくなる。食事、排泄、睡眠、そして労働奉仕の全てを選択できなくなる。ただ命令されたとき、命令されたことを実行しなければならない。

 とてもではないが咎人になりたいと思う者はいないだろう。

 人々は僅かな罪も犯さないよう、気を遣って生活しなければならない。西グリニアは徹底した管理社会に変化しようとしていた。







 ◆◆◆







 アリエットを花の街で放置する間、シュウは彼女に剣術を教える以外の時間を使ってあるものを作成していた。それはオリハルコン製の棒である。しかしながらシュウが自ら術式を織り込むことで通常とは微妙に異なる特性を帯びている。



「……もう少し整理したいところだな」

「やっぱりスペースがないですか?」

「ああ。アリエットの防具……というか防御機構として試作してみたが、完成には遠いな。装備を用意してやると言った手前、もう少し待てとは言いたくない。どうにか完成させられないものか……」



 シュウが作っているのは鞘であった。

 武器として剣を与えることにしているので、それを収めることができるよう設計している。だが鞘の役目はそれだけではない。研究成果を詰め込み、新しいタイプの防御機構を生み出そうとしているのだ。



「オリハルコン化の術式を整理して容量を空けたいんだが……」

「術式を付与するとなるとオリハルコンは重い・・ですからね」

「だがオリハルコンでないと強度不足だ。オリハルコン化は外せない。原子の結合エネルギーに魔力を使って術式化している関係上、余計な術式の織り込みは脆化の原因になる。魔導具とオリハルコンの相性は最悪だな」

「まぁ比較的小さな術式しか仕込めませんからね。オリハルコンの魔力場に干渉しない程度の」



 試しにシュウはオリハルコンの鞘へと術式を流し込む。黒い紋様が鎖のように鞘へと巻き付いていき、しかしその途中で鞘に亀裂が走り、砕けてしまう。



「こうなるよなぁ」

「ですねー」



 物質は魔力を留めにくい。

 その理由は質量そのものが巨大なエネルギーであるため、魔力が入り込む余地がないのである。なので魔道具を作る場合、物質のエネルギー配置を考慮して魔力場を形成し、そこに術式を織り込む必要がある。終焉戦争以前では魔晶技術により衰退してしまった手法だ。ソーサラーリングは術式を込めればそれ一つで何でもできたので、魔道具技術が不要となり、骨董品扱いになっていったのだ。

 当然だが妖精郷ではこの技術も保存している。

 氷河期の間にも職人気質なドワーフたちが中心となって技術発展に努め、より洗練されたものになっている。それでも結局は魔晶の下位互換なので下火になってしまったが手法そのものは残っていた。



「ドワーフ連中がオリハルコン結晶のエネルギー配置マップを作ってたよな?」

「えぇ……どうでしたっけ?」

「データベース探してみるか。あと理論値計算して術式の織り込み方も考えないとな。流石に感覚だけでは限界がある」

「でも今って虚数時空研究室が原子間領域における虚数空間モデル作成をしてますよ。量子関数計算機があと六十日は動きっぱなしみたいです」

「あー、それもあったか」

「シュウさんの方を優先させますか?」

「そこまでしなくてもな。そっちの研究も大事だし」



 妖精郷は常に様々な研究を行っており、研究用の大型計算機も何かに使われていることが多い。今回は偶然にも大規模計算が行われている最中だったようだ。こればかりは運が悪いとしか言えない。シュウの権力を使えば計算を中断させることもできるが、そこまでする緊急性はなかった。



「よし、決めた」

「何をです?」

「少し冥府に籠ってくる」



 シュウはそう言いながら手元に黒い魔力を集中させる。するとその指先から黒く綴られた術式が飛び出し、空間に張りついていく。死魔法による術式の一種であり、冥府を開く鍵でもある。これによって空間が裂け、シュウの前に穴のようなものが現れた。穴の周囲は空間が歪んだ影響か、光がねじ曲がって景色も歪んで見える。また穴の奥は光も届かぬ暗闇であった。

 この冥府において生存できるのは冥王シュウ・アークライトの他は、シュウが生み出した精霊、《量子幽壁クオンタム・フラクト》を発動したアイリス、そして『王』の魔物くらいである。



「アイリスはあの娘を見ておけ。よっぽどのことがない限り手を貸さなくていい。それと会ったらしばらく剣の修練は休みだと伝えておけ」

「分かったのですよ」

「俺は冥府での作成を試みる。法則が違うこの世界なら、俺の魔神術式・・・・を魔道具化できるかもしれない」



 冥府の穴へと入っていくシュウをアイリスは見送る。

 そうしてシュウの身体が消えた直後、黒い術式は薄れていき、深い闇の穴も閉じた。








 ◆◆◆









 シュウ・アークライトは『王』に覚醒した時、自分の魔法が死魔法であると確信した。そして冥王と名乗るべきであると魂から理解した。

 冥界を生み出し、名実ともに冥王となった今でこそ相応しい称号となっている。

 しかし『王』になった直後からシュウは冥王だったのだ。



(この辺りでいいか)



 冥界は大きく二つの領域に分けられる。

 一つは世界に重なる形で存在し、死んだ魂が一時的に留まる煉獄。もう一つが魂を浄化して輪廻へと還す冥府である。この冥府も三つの層に分かれているのだが、今回シュウが訪れたのはそのどれにも当てはまらない領域であった。

 そこはシュウの固有世界ともいうべき領域で、主に魂から剥ぎ取った魔力を溜め込んでいる。シュウにとっては予備タンクのような役目の空間であった。当然だが死魔法によって維持されており、ルシフェルが維持する世界とは別次元にあたる。

 この領域は魔力を保管するという都合上、ある程度だがルシフェルの世界に類する法則も混ぜ込まれている。シュウは溜め込まれた魔力を使って錬金術を発動する。魔力から質量体を生み出し、その内部に魔力を配置することで術式化を施した。



「成功してくれるといいんだが」



 手元にオリハルコン製の鞘を生み出し、術式付与を開始した。







 ◆◆◆








 西グリニアで咎人が制度化されてからしばらく経った。罪人として投獄されていた者たちは流れ作業で罪印を刻まれ、一目で咎人だと分かるようにされる。そして街を歩けば幾人かの咎人を見ることができるようになった。

 ただそれは首都アバ・ローウェルでの話であり、花の街といった田舎では見られない。咎人は等しくアバ・ローウェルへと送られ、そこで浄罪活動に専念させられるということになっていた。



「何というか、ピリピリしてるわね」

「皆さん、少しでも法に反しないよう気を使ってますから」



 アイリスとアリエットの二人は大通りの市場を歩きながら軽く見まわす。活気に満ちていた市場だが、どこか淀みのようなものを感じた。

 それも咎人制度によるものである。

 今までと異なり、どれだけ軽い罪状であろうと罪印という形で罰せられるようになった。そして咎人になれば問答無用でアバ・ローウェルへと送られ、どうなるか分からない。噂ではアバ・ローウェルにある山水域迷宮の一つを攻略させられ、肉盾にされるという。



「どうするのよ。なんか花の街で見逃してた劣種兎レッサー・ラビットも処分するとかいう話よ」

「まぁ名目上は生態系維持ですけど、実際は魔神教の教えに逆らっているわけですからね。目を付けられないようにするためだと思いますよ」

「あたしには関係ない。けど迷宮あたりが慌しくなるのが面倒ね」

「ギルドを招集して魔物の掃討もするみたいですからね」



 ある意味で新体制となった今、花の街も変遷を求められた。これまでは特例に近い状況で見逃されていた魔物を掃討する必要が生まれたのである。咎人制度は他人を引きずり落とすのに丁度いい。適当な罪さえあれば奴隷に落とすことができるのだ。

 だから花の街が全て罰せられる可能性がある今、多くのギルドが大規模な戦いの用意をしている。



「今度、聖堂本部から審問官が街を回って健全かどうかを調べるそうです。花の街に放し飼いされている兎系魔物が眼に留まったら、粛清されるのですよ」

「はぁ……最悪」

「タイミング悪いですねー」

「あたしも手伝った方がいいかしら?」

「好きにしたらいいと思いますよ。アリエットさんはギルド員じゃありませんし」

「チャンスかしらね。迷宮から人が減るなら、遺物を見つけられるかもしれない。そうすれば……あたしの……」



 アリエットにとって迷宮は足がかりでしかない。早く自分を鍛えて、また遺物を見つけてシュウから装備を貰いたいと考えている。彼女にとって真なる目標は復讐なのだ。今はただ、それを為す力を手に入れるために動いているに過ぎない。

 その目に浮かぶ危うさをアイリスも感じていた。



(あー……しばらくは言わない方が良さそうですね。スレイさんの居場所)



 調査により、スレイ・マリアスの居場所は分かっている。なのでアリエットにその情報を教えることも可能だ。だが仮に教えた場合、一人で突貫しそうな勢いである。この癒し溢れる花の街も、アリエットの心を慰めることはできなかったらしい。

 ロカの修行もあってか、激情を隠すのが上手い。

 だが確かに燃えるような憎悪が蓋の奥に潜んでいた。



(シュウさんはきっかけが必要だって言っていましたけど、意外と簡単に開く蓋かもしれませんねー)



 アイリスは思考を振り払い、本来の目的を思い出す。

 今日、アリエットと二人である場所に向かっていた。その目的地は山水域の一画であり、花の街からは少し離れた場所にある。そこでアリエットの力試しをする予定なのだ。

 どれだけの強さがあるのか。

 冥王に魔女という規格外しか比較対象がないので、正確に測れなかった。それを今のうちに測っておこうというのだ。



「それで、あたしはどこまでいけばいいの?」

「場所は探ってありますよー。街から出たところで転移するからすぐに着きますよ」

「ならいいけど」



 とにかく花の街では魔物という魔物を駆逐するためにギルドも聖堂も忙しくしている。たとえ武装していたとしても女二人が街から出たくらいで目を付けられることはない。

 二人は気に留められることなく、花の街から姿を消していた。






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