第378話 西グリニア
魔装とは魂に記述された術式であり、術式として常に待機された状態にある。無意識下の深層心理で固定されているため、普通は意識することができない。しかしそう願えば術式は反応し、魔力を消費することで魔装は発動する。
また隠された効果として、魔装は魔術適性でもあるのだ。
アイリスが時空系魔術に適性を持つのがその例である。これはあくまでも適性の一つなのでそれだけが得意属性というわけではないが、大きな参考になることは確かである。アイリスの場合も時空属性の他、風や光も得意だ。
そして異空間収納という魔装を有するフェイの場合も時空魔術が得意であった。
「驚いたわね」
そんな彼にロカの秘術を教えるアリエットは舌を巻くばかりであった。
時空魔術の基本は時間操作による固有空間の構築だ。フェイに秘術を教え始めてまだ十日ほどしかないのだが、既に彼はコツを掴んでいた。ごく小さな空間ながら固有空間を生み出していたのだ。それに伴って彼自身の魔装も力を増し、異空間が少し拡張されたという。
僅か十日の成果だと考えるならば充分以上だ。
またこれはアリエットにとってもある利点をもたらした。
「私たちが使っている印は必須ではない、ということね。知らなかったわ」
ロカの秘術は両手を使って象形し、術を組み立てる。これを
しかしフェイに秘術を教える中、彼は未熟で中途半端な印でありながらある程度術を発動してみせた。これによりアリエットも印について新しい予測を立てることができたのだ。
その予測によると、ロカの印は自己暗示の一種となる。
通常、人間はイメージだけで特定の事象を瞬時に想起させるのは難しい。記憶だけを元にすると必ず曖昧となり、綻びが生じてしまう。参考となるものを見ることなく絵を描くと実物からかけ離れてしまうのと同じだ。記憶は何かと結び付けることで正しく機能する。それを担うのが印なのだ。
印は両手の感覚から特定のイメージを即座に引き出し、術の精度を高める役割を担う。実際、ロカの秘術をマスターした長老たちは印を省略してもアリエットと同等の力を行使できた。これは術の練度が高いことで印による自己暗示を経由する必要がないということである。
(癪だけど冥王に聞くことも考慮する必要があるわ)
終焉戦争以前を知る冥王アークライト、また時の魔女アイリスならば詳しく知っている可能性がある。何せ古代は今とは比べ物にならないほど魔術が発達していたと伝わっているのだ。その時代においても高みに君臨していた二人ならば知っている可能性は高い。
アリエットの予測は正しかった。
それはまた今度ということにして、ひとまず集中するフェイへと意識を戻す。
「そこまで。目標だった維持もできているわ」
「ふぅ。良かった」
「キュッ!」
「ひとつ聞きたいのだけど」
改まってそう言ったアリエットに対し、フェイは緊張した様子でピンと立つ。面白いのはそれに合わせてルーまでもがきちんとしたことだろう。随分と人間臭い行動だと、思わずクスリとしてしまった。
「そんなに緊張しなくていいわ。実戦的な剣術ってどうやれば習えるか知らない?」
「剣術ですか? 戦う能力だったらジェスター・ファミリーに入るのが手っ取り早いです。僕のいる
「あまりギルドのしがらみには囚われたくないのよね」
「それだと道場とかになります。でも道場は、その、人を選びますので」
「どういうこと?」
「僕もギルドの人から噂だけ聞いたんですけど、修練が厳しいらしくて。武術の練習以外に精神修行があって、それが辛いって聞きました」
「面倒ね。あたしは技術が欲しいだけだし」
「はい。それで結局ジェスター・ファミリーに入るのが手早くなるんです」
花の街に限らず、この国ではギルドの力が大きい。人々の生活に密着しているということは勿論だが、あらゆる技術を保有しているという点でもそうなる。魔物による脅威が大きくなった現代において、それらを討伐できる技術は希少だ。
(あたしは本当に運が良かったということね)
改めてアリエットは自分の幸運を実感する。
冥王と魔女に拾われ、戦う手段を伝授されている現状がどれだけ恵まれているのかはっきりと分かった。ギルドや道場といった手段を頼ったとして、今以上のものは得られないだろう。
「遺物ってどこで手に入るの?」
「迷宮の奥に行けば結構見つかりますよ。よくあるのがオリハルコンです。あ、オリハルコンは知っていますよね?」
「終焉戦争以前にあったとされる金属よね」
「はい。ある特別な人たちしか加工できないので、発見したとしても大抵は教会に収めることになります。職人はほとんど教会が囲っていますし……でもオリハルコンの欠片でも見つければ大きな収入になるんです。比較的多く見つかりますけど、それでも迷宮から持ち帰るのは大変ですから」
「やっぱり奥に行く必要があるのね。そうなると地図が欲しくなるわね」
「地図は
「フェイは持ってないの?」
「そんなまさか! 僕みたいな荷物持ちに預けてはくれませんよ!」
シュウから遺物の一つでも回収してみろと言われたが、特に助けてくれたりはしない。本当に試験ということだろう。
「もっと情報がいるわね」
「あの、色々教えましょうか? アリエットさんは花の街に詳しくないみたいですし」
「いいの?」
「僕もアリエットさんから教わっていますから、お礼です」
「まぁくれるなら貰うわ」
ほとんど気まぐれで始まった関係性だったが、少しは有用性が出てきた。そんなつもりではなかったが、使えるものは使う。そうしなければ復讐は達成できないのだから。
◆◆◆
西グリニアの歴史は古い。
氷河期が始まった頃から存在しており、山水域という恵まれた土地を利用して栄えてきた。魔神教によって人々に理知を説き、噂を聞きつけた人々を受け入れ、本来の教えを守りつつも独自のルールを取り入れて発展してきた。
小さな村から始まったとされ、そこから数えれば千三百年以上となる。西グリニア村が国家として西グリニアとなってから数えるとしても千二百年以上もの歴史があるのだ。
「アバ・ローウェルか……ここが」
「久しぶりですねー」
「昔一度……もう何年前になるか。前に訪れた時と比べたら随分変わったな。何というか、貧富の差が激しくなったように見える」
迷宮領域にある国家ということもあり、シュウもアイリスも以前に訪れたことがあった。辺境の街はともかくとして、現在成立している国ならば必ず首都には訪れている。このアバ・ローウェルも例外ではなかった。
しかし以前との変わりようには驚かされる。
二人が歩くのは街道からそのまま繋がっている大通りで、アバ・ローウェルという都市における大動脈に等しい。この辺りは市場にもなっているので住民は勿論だが商人たちの往来も多く特に栄えている。しかしこの大通りから繋がる裏路地には全く逆の景色が見えていた。
「乞食ですね。まだ幼いのに」
「誰も見向きしない」
「シュウさん……」
「止めとけ。収拾がつかなくなる」
アイリスは痩せ細った子供を見てられないらしい。しかしシュウは否定する。彼女の行為は正しいが、それが貧しい子供の救いになるわけではない。一時的には良くても、本質的に救われるわけではない。だからシュウは冷徹だと思いつつも無視を促した。
しかし我慢できなかったのだろう。
「私、行ってきます」
「おい」
シュウが止めるのも聞かず、座り込んでいる子供のもとへと行ってしまった。そこでアイリスが焼き固めたパンと水を恵んでいるのを横目に、シュウは適当な露店へと向かっていく。茶色に染められた風呂敷を広げる店主が陽気に迎え入れる。
「やぁお客さん。泉の街から持ってきた水芋だよ。水中で育つ珍しいものさ。少し硬いが香りは良い。一つどうだい?」
「そちらの袋を丸ごともらう」
「おお! そんなに買ってくれるのかい!」
「村の分の買い出しでな」
「へっへ。そいつは気前がいい」
適当なことを言いながら金を取り出し、店主に渡す。
こうして無駄な買い物をしたのには理由があった。
「それより店主、久しぶりに来てみたら随分貧民が増えているようだが?」
「あー……久しぶりに来たってんなら驚くだろうさ。救済法が廃止されてね。生活が苦しい奴らへの援助が打ち切られたのさ。家も土地も売って、それでも生活できなくなった奴らがアレだよ」
「よく認められたな」
「ここだけの話、俺たちは反対だったよ。だがアスラ家が……強行しちまったのさ。この国は御三家が支配している。法王聖下も、司教様も……ともかく高等神官様は全て御三家なんだ。俺たちにはどうしようもないのさ。今まで通り生活したきゃ、金にがめつく生きなきゃいけない。おっと大事なことだが、御三家にゃ逆らっちゃいけないのさ」
「そこまでになっていたのか」
以前にも来たことがある国なので、ある程度の内情は認知している。
御三家と呼ばれる者たちがあらゆる権利を握っており、思いのままに西グリニアを動かすことができる。表面上は評議会によって法を定め、執行することになっている。しかし実情は彼らやその息がかかった者たちが評議会を独占しているため、民の声が届くことはない。また他の有力家系も御三家の下についているので力がないのも同然だ。彼らは甘い蜜を啜るために御三家に従っているのである。
この御三家こそがアスラ家、ジオーン家、トラヴァル家であった。
西グリニアを建国し、初代法王となった人物の血筋でもあるため、歴史的な背景からも正当性がある。シュウの知っている時代から独裁色が見えていたが、それが強くなっていた。
「それだけじゃないさ」
店主はシュウに身を寄せ、小声になる。
「後で聖堂に行ってみるといい。とんでもない張り紙がある。来月の聖下生誕祭から新しい法律が施行される。通称、奴隷法だ」
「なんだその物騒な法律は」
「だから通称さ。正式には……確か……
「なるほど」
随分と高度な魔術だと思ったが、迷宮からの遺物ならば納得だ。おそらくは魔術について記載された文書でも発見したのだろう。奴隷として戒めを刻み込む魔術ならば心当たりがあった。
「ギルドが黙っていないだろう?」
「それは甘いぜ。アバ・ローウェルで最高のギルドも御三家の言いなりさ。今のギルドマスターは卑怯者のクズ野郎だって話だよ。証拠はないが兄を殺してギルドマスターの座に座ったとか。御三家と手を結んで権力を得る代わりにギルドそのものを売ったのさ。証拠だって御三家が握り潰したに決まってる」
「他のギルドは?」
店主は首を横に振ることで答えた。
同じく御三家の支配下に入ったか、あるいはそれを拒否して潰されたのだ。アバ・ローウェルが様変わりしたわけである。
「御三家はダンジョンから更なる遺物を見つけるつもりなのさ。だからギルドを手に入れたんだ。最高で最低のギルド、『戦士の
この腐敗ぶりには呆れる他ない。
特に本来の魔神教を知るシュウからすれば滑稽にすら映る。
西グリニアは領土も大きいとはいえず、一族単位で支配できてしまう。また長い氷河期のせいで他国の文化や考え方が入って来ず、鎖国に近い状況が続いていた。それが今の状況を生んだのだ。
勿論、長い歴史の中で御三家に抗おうとした勢力はいた。
しかしそれらは山水域から追放されてしまっている。
(確かシュリット神聖王国だったか。追放された者たちが作った国。西グリニアからすれば目の上のたん瘤だ。戦争でも仕掛けるつもりか?)
権力の集中化に戦力増強となる遺物の収集、果てには奴隷化などという受け入れがたい法律など、不穏な動きは幾つも見える。
考え事をしているシュウのもとにアイリスも戻ってきた。
目を向ければ乞食の子供はもう見えない。路地の奥に行ってしまったらしい。
「どうしたのです?」
「後で話す。世話になったな店主」
「へっへ。つい話し込んじまいましたが、このことは内密に……」
「ああ」
こんな露店の店主ですら事情を知っているのだ。内密にと言われたが、公然の秘密なのだろう。とはいえ御三家の批判とも取られかねない会話を長く続けると危険である。
シュウはアイリスを引き連れ、アバ・ローウェルの外に向かった。
◆◆◆
シュウから事情を聞いたアイリスもすっかり呆れかえった。
アバ・ローウェルから南に向かう街道は人通りも多いので、大きな声では話せない。しかし彼女は魔神教に対して批判的な言葉を漏らす。
「もう駄目ですね、この宗教」
「名前だけ同じ別物だと思った方がいい」
「複雑なのですよ」
もう遥か昔のこととはいえ、アイリスも魔神教に仕える聖騎士だった。その当時を思えば、今の魔神教に思うところがあるのだろう。一つの秩序として機能していることに違いないが、その在り方は眉を顰めるばかりだった。
堕落した、というのがアイリスの感想である。
一方でシュウは別の考えを持っていた。
「山水域は迷宮が地表にまで及んでいる。そのせいで煉獄が押しのけられるからな。あまり情報が入ってこなかった」
「やっぱり押し勝てないですか?」
「空間に干渉する性能はあちらが上だ。どう足掻いても押し勝てん。俺が直接出向けば取り返せるが……離れるとまた奪われるからな。いたちごっこにしかならない」
「やっぱり本体を狙うしかないのですよ」
「ああ。アリエットは隠れていたダンジョンコアに繋がる手掛かりだ。それにシュリット神聖王国にも少し動きがある。あっちは蟲魔域だから煉獄が機能している。精霊に調べさせた」
まだ人目があるので、シュウは紙切れを取り出す。
それは写真だった。
「未踏の地下迷宮、蟲魔域の出入り口……大森林から出てくる蟲系魔物を追い払った英雄が誕生したらしい。名前はスレイ・マリアスだそうだ」
「それって」
「アイリスが予想している通り、あのスレイ・マリアスだ。そしてアリエットの仇だな」
時代が動く。
氷河期と共に凍結された流れが再びやってくる。
そんな予感がした。
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