第376話 強さへの渇望


 花の街にある迷宮へ挑むことになったアリエットだが、たった一人で地下を歩いていた。同行すると思っていたシュウはいきなり付いて行かないと言い出したからである。



「何よ、遺物の一つでも見つけてこいって……」



 迷宮入口にて突如としてシュウは試練を課した。

 それは一人で迷宮に入り、そこで古代遺物を何でもよいから持ち帰れというものだ。迷宮についてよく知らないアリエットからすれば無茶もいいところである。

 しかしこの無理難題を吹っ掛けられても挑む価値があると考えたのはアリエットの方だ。



「あたし専用の装備が手に入るなら……絶対にクリアしてやるわ」



 シュウが約束した約束は二つ。

 一つはアリエットのための剣を与えること。そしてもう一つは防具を与えることだ。スレイへの復讐を願い、自らを鍛えているアリエットにとって装備も重要なファクターだ。強い武器や防具があればそれだけ復讐に一歩近づく。

 先程から稀に襲ってくる兎系魔物も鎖の魔装や剣を駆使して順調に討伐しており、今のところは全く問題ない。この調子ならすぐに古代遺物も持ち帰れるはずだと考えていた。

 しかしそうして歩くこと数時間。

 スラダ大陸全土に広がる迷宮を不用意に歩くのは無謀であった。アリエットはいつの間にか迷ってしまい、戻り方すら見失っていた。それもそのはずで、彼女が進んでいたのは探索者たちが古代遺物を取り尽くしてしまったエリアだったのだ。探索者が一切訪れないので人の気配を感じず、焦りを覚えていた。



「これ、帰れるかしら?」



 そろそろ不安になってきた頃、広い空間に出る。山水域の特徴として地下迷宮でも木々や草花が茂っており、驚くほど自然に溢れている。これも迷う原因であり、一度大部屋で迷えば元来た通路がどちらにあったのかも分からなくなる。

 大した魔物がおらずとも、無策に進むには危険なエリアであった。

 草木を分け、沢を渡り、何となくで進んでいく。

 アリエットの運も捨てたものではなかった。

 彼女は木々の隙間から人の姿を発見したのである。背中から小さな羽を生やした兎に果物を上げているところであり、アリエットは声をかけることにする。



「誰かいるの?」

「っ!」



 少しばかり白々しい問だったが、お蔭でその人物の性格も少し把握できた。



(子供? それに随分汚れているわね。大人しい子……それに怯えている?)



 少年はゆっくりとアリエットの方を向き、怯えた様子で固まる。まさか人に出会うとは思わなかったと言わんばかりの表情である。

 単純な興味でアリエットは尋ねた。



「何をしていたの?」

「ご、ごめんなさい。僕、僕は……」

「何をしていたか聞いているのだけど?」

「ひっ!?」



 特に威圧的な態度を取ったわけでもなく、単純な疑問として尋ねただけだった。しかし必要以上に少年は怯えてしまい、震えるからだで兎の魔物を隠している。

 しかしやがて観念したように、その魔物を抱えてアリエットの方へと向き直った。



「僕は……この子に果物をあげていました」

「そう。あんたここから地上に向かう出口を知らない? ちょっと迷ったの」

「……え?」

「だから迷ったのよ。迷宮の出口に向かう方法を知らないの?」

「それだけ、ですか? 僕が魔物とかかわっていたのに?」



 伺いつつそう尋ねる少年に対し、アリエットはあっけらかんと答えた。



「別に。そいつ無害そうだし。それに街にもいっぱい魔物がいるじゃない」

「それは、そうですが」

「で、出口に行く方法は知ってるの?」

「……一応知っています」

「なら教えてくれない?」



 通報されるか、この場で殺されるかだと思っていた。だから少年フェイは呆気にとられてしまった。魔神教は魔物の存在を許さない。下手に生態系を崩すと被害が広がるかもしれない場合を除き、魔物は駆除されることが推奨される。花の街で放置されている劣種兎レッサー・ラビットも下手に討伐すると人間に敵意を覚え、被害を広げてしまうと考えられている。表向きこそ景観だが、その実情は別であった。

 しかし積極的にかかわるのは明らかに過ちである。

 これは西グリニアにおいて当たり前のことであり、アリエットの反応が疑問であった。



「どうしたの?」

「いえ、出口までの道は分かります。こっちに」



 彼は羽兎ラビリスを離し、立ち上がる。すると羽兎ラビリスは岩と遺物が折り重なった遺跡の隙間へと消えていった。

 そしてフェイは草が踏みつけられた方へと歩きだす。アリエットも彼に続いた。



「そういえば名前は?」

「フェイ、です」

「あたしはアリエットよ。最近ここに来たの」

「そうですか」



 まだフェイは警戒を続けている。

 西グリニアが全世界であり、花の街しか知らないフェイからすればアリエットが外から来たと言われても警戒せざるを得ない。



(綺麗な人だな)



 しかしフェイはアリエットの見た目や、ドライな雰囲気を目の当たりにして警戒し続けることもできなかった。虐げられてきた彼にとって初めての感覚だった。

 それで少しだけ気が抜けていたのだろう。

 フェイは真上の枝から自分を狙う存在に気付けなかった。普段の移動は細心の注意を払っているにもかかわらず、それを怠っていた。

 ガサリと音がした時にはもう遅く、見上げると何かが目の前に迫っている。叫ぶ暇もなく、このまま殺されると思った。

 しかし迫る何かは突如として弾かれ、近くの大木に叩きつけられる。

 それを為したのは鎖を生み出して操るアリエットだった。



「危なかったわね」



 アリエットは短くそう言って、弾き飛ばした魔物にとどめを刺そうとする。大木に叩きつけられた襲撃者は茶色や緑の斑で、周囲に溶け込む色合いをしている。陰擬兎ヴィラビという奇襲に特化した魔物であった。

 しかしこうして姿を現してしまえば終わりだ。再び伸ばされた鎖が次々と陰擬兎ヴィラビに突き刺さり、動かなくなる。霧散し始めたことで討伐を確認できた。



「……アリエット、さんも魔装士なんですか?」

「そうよ。もしかしてあんたも?」

「はい。物を収納できる弱い魔装ですけど」



 フェイは足元に落ちていた木の枝を拾い、手元から消してみせる。そしてもう一度異空間から取り出し、手元へと呼びだした。



「凄いじゃない」

「いえ。容量が小さいので仲間からは役立たずだって言われて……」

「そうなの? あたしに戦いを教えてくれている人は鍛え方次第だって言っていたわ」

「っ! そうなんですか!?」

「魔装は使い方さえ学んで鍛えれば強くなるのよ。限度はあるけどね」



 この話はフェイにとって天啓であった。

 いつまでも虐げられ続けると思っていた人生に目標のようなものが灯った。もしかしてという希望がほんの僅かだが見えた。



「そっか。魔石にする以外にもそんなことが」



 魔神教では洗礼と称し、魔装を魔石に変える儀式を行っている。魔装を手に入れた者は、これによって魔石を手に入れることができるのだ。よほど代えがたい能力でない限り、魔石に変換する者の方が多い。フェイの場合は異空間にものを収納できるという再現不可能な能力だったので、ゼクトの命令で洗礼は受けていない。

 仮に魔石を作ったとしても奪われるのがオチだ。

 探索者にとって魔石は最高のアイテムだ。滅多に手に入るものではなく、持ち主が死ねば魔神教が回収することになっている。そのため魔装に恵まれなかった人物は魔石を手に入れた他者から譲り受ける他ない。弱者として既に虐げられているフェイは、特別な魔装があるからこそゼクト班で仕事を貰えている。それを汎用的な魔石に変えてしまったら理由を付けて奪われるに違いない。

 もしも魔装を鍛えて今より有用になれば、現状から脱却できるかもしれない。

 そんな思いを込めた呟きであった。



「どうしたら強く……奪われないようになれますか?」

「あんたは……そう、あんたもなのね。強くなるのは難しいわ。相手はあたしより常に先を行っている。だから普通な方法じゃ追いつけない。だからあたしはどんなことでもするの。強くなる方法がそこにあるなら、迷わずそれを掴む。あんたにはその貪欲さが足りないんじゃないの?」

「貪欲さ」

「強くなりたい。今を覆したいと思えるなら充分よ。たぶんね」



 そこから二人は無言であった。

 フェイは迷宮出口まで案内を続け、それにアリエットもついて行く。そんな無言の時間が過ぎていった。そうしてしばらくすると、ようやくアリエットにも見覚えのある場所へ辿り着くことができた。



「ここまで来たらもう分かるわ。ありがとうフェイ。あんたはどうする? 一緒に戻る?」

「いえ僕は……ううん。一緒に行きます。もう大丈夫です」

「そう。なら何かお礼でもしたいんだけど」

「そんな、その、思いつかなくて」



 一瞬遠慮しようとしたが、フェイはそれこそ失礼だと考えた。今までの境遇から卑屈に考える癖が染みついている。

 そう、と言って背を向け去っていくアリエットをしばらく見つめ続けた。

 だが意を決して、彼自身でも驚くほど声を張り上げる。



「あの!」



 するとアリエットは立ち止まり、振り返った。



「何?」

「またあの場所に来てください!」



 何を言っているんだ、とフェイ自身でも思った。

 しかし何となくこれが最適解だと直感したのだ。魔物と触れあっていた場所にもう一度誘い出すなど、愚かとしか言いようがない。今度こそ通報されても仕方ない行為だ。

 だから勢いで言ってしまってから後悔した。



「あ、す、すみません。やっぱり――」

「別にいいわよ。道案内してくれたお礼もあるから」



 また明日行く。

 アリエットはそう言い残して去っていった。







 ◆◆◆







 地上から迷宮へと続く坂道を登るアリエットは、その途中でシュウの姿を見つけた。壁に背を預けていたので、駆け足でそちらへと寄る。



「戻ったわ。成果はない」

「そうか。一日でどうにかなるとは思っていない」

「明日も潜って良い?」

「好きな時に行け」

「分かった」



 シュウは坂を登り、アリエットもそれに続く。

 もう日が暮れているのでわざわざ迷宮に入ろうとする者はおらず、二人だけの道を歩き続けた。そのまま道なりに進み、もうすぐ花の街の中心部に辿り着くところでアリエットが口を開く。



「ねぇ、シュウは弱くて後悔したことある?」

「どうした?」

「ちょっと聞いてみただけ。答えたくないならもう聞かない」

「ある」



 あっさりと答えたシュウにアリエットは驚く。

 冥王といえば人類にとって最悪の存在と伝えられており、幾つもの滅びを与えてきた歴史がある。生まれながらの最強をイメージしていたので、二つの意味で期待せずに聞いたのだ。



「強くなるのに必要なのは弱さを覆す覚悟と執念。そして才能と運だ」

「私はどう? 強くなれそう?」

「覚悟も執念もある。才能もあるし幸運だ。何せ俺に拾われたんだからな」

「そうね。あたしの全ての不幸とも釣り合わない幸運かもしれないわ」

「大切なのは強くなること自体を目的にしないことだ。強さにも種類がある。目的の為に求める力であれば何であれ役に立つだろう」

「なら冥王は何のために強くなったの?」

「その名で呼ぶな」



 分かりやすく溜息を吐くシュウは、しばらく黙って歩く。

 そして重々しく口を開いた。



「世界平和のため……とか?」

「何の冗談?」



 思わずツッコむアリエットであった。








 ◆◆◆








 花の街も夜は寝静まる。

 魔物の襲撃を警戒して寝ずの番をする者たちもいるのだが、基本的に火は落とされて真っ暗となる。街から少しでも離れればそこは暗闇であり、よほど近づかなければ視認することは難しい。シュウはこの時間帯にアイリスを呼び出し、報告を受けていた。



「そうか。魔剣はどうにかなりそうか」

「はい。シュウさんが許可をくれましたし、すぐに実験しました。最終的には魔晶を芯に使った剣になりそうですね」

「魔力は足りているか? 必要なら冥界から融通するが」

「大丈夫だと思います」



 冥界では現在進行形で魂を浄化している。

 魂の表層に張り付く記憶や精神構造に関する魔力情報体を剥離することで永久に魔力を確保できるのだ。ある種の永久機関とも言える。シュウは勿論だが妖精郷が魔力に困ることはない。しっかり浄化することで突然変異的に強力な魔装に目覚める人間も減ってきた。

 順調にシュウの目的が達成されようとしている。



「アリエットの防具はアイデア出たか?」

「迷宮魔力のお蔭で物理防御は高いですし不要ですって」

「まぁ、そうだよなぁ」

「そもそも私たちって防御する概念があまりないですからね。研究所も防御より攻撃に寄った研究を優先していますし」

「ならそちらの計画は後回しにしろ。俺の方にアイデアがあるから、試してみる」

「分かったのですよ。魔剣を優先するのです。ところでアリエットさんはどうですか? お眼鏡に適いそうですか?」

「どうだろうな。仇を目の前にしたらどうなるか分からないが、今のところは甘さが目立つ。本人に自覚はないと思うけど貪欲さが足りない。それがどうにかならない限り魔剣もお預けだな」

「せっかく作ったのが無駄にならないといいですねー」



 実をいえばシュウは迷宮に潜るアリエットを追跡していた。気配と魔力を消して透明化まで使い、後ろから追っていたのだ。そこでシュウは彼女に残る甘さを確認した。

 他者に優しくするのは別にいい。

 しかし他人に情けをかけるほど余裕があるわけではないはずだ。



「アリエットの性格も少しわかってきた。アレは直面しないと理解しないタイプだな。俺とは真逆だ。根が優しいんだろう。全体のために一を捨てることを嫌う、とは少し違うか。だが冷酷になり切れないタイプだ」

「あー……そんな感じしますねー」

「けど焦ることもない。ダンジョンコアもまだ潜伏を続けるつもりだろうから、俺たちも慌てず着実に進めよう」

「分かったのですよ!」



 おそらくアリエットが次なる手の鍵になる。

 シュウはそう確信していた。

 だから手を貸すことを惜しまなかった。






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