第375話 荷物持ちのフェイ
衣服店でアリエットの衣装を購入した。探索者用に防具も売る店だったので、服も戦闘を意識した動きやすく丈夫なものが多い。所詮は間に合わせの服なのでデザイン性は微妙だ。サイズも少し大きめだったのでずり落ちそうなところを麻紐で縛っているほどだった。
「どうだ?」
「右腕も隠せるし、これでいい」
大き目の服を選んだのには理由があり、それはアリエットの右腕を隠すためだ。暴食タマハミと融合したことで彼女の右腕は禍々しい色合いに染まっている。人に見せれば悶着を起こしかねないものだ。元は包帯を巻いて隠していたのだが、新しい服ならば袖が長いので隠しやすい。滑り止めも兼ねたグローブを嵌めることで右手そのものも隠せた。
「この後はどうするの?」
「アイリスが宿を取っている頃だ。このまま迷宮に潜る」
「そう」
アリエットは軽く腰のベルトに触れて、剣が固定されているか確かめる。また三つ編みにした銀髪に触れて左から流した。
「早速行きましょう」
緊張を隠すためか、強気な口調でそう言った。
◆◆◆
花の街は西グリニアの南部に位置しており、その名の通り花畑に囲まれている。兎系と呼ばれる魔物が多いのだが、この魔物は無害と見なされる。特に
しかしそれは山水域地上のことであり、地下迷宮はそうもいかない。
同じく兎系魔物が生息しているのだが、その脅威は一線を画する。
「どうだゼクト。いいの見つかったか?」
「だめだな。この辺りでめぼしいものは無くなっちまったな」
地下迷宮には幾つもの部屋が通路によって接続されており、部屋には古代都市の残骸が残されている。そこから再利用できそうな遺物を持ち帰るのが彼らの仕事だ。しかし何年もそういったことを続けると近場は枯渇してしまい、遠出する必要がある。そうなると持ち込む物資も増えるので、持ち帰れる遺物に限りができてしまうのだ。
ギルド『
「どうする? もう少し奥に行ってみるか?」
「ああ。せめてオリハルコンの欠片でもあればいいんだが」
「そんなもん取り尽くしちまったよ。くそ……このデカい塊を持ち帰れたら一生遊んで暮らせるのによ」
「そりゃ夢見過ぎだぜ」
ゼクトと呼ばれた探索者は目の前にある巨大なオリハルコンの塊に蹴りを入れる。部屋の壁と融合している上に蔦が覆っており、近くで見なければオリハルコンだと分からない。しかし表面の汚れを取り除けば確かな黄金の輝きが見えるのだ。
だがこれは巨大すぎて持ち帰れない。
こういったオリハルコンの遺物は大抵の場合、近くに欠片が散らばっている。それを探して回収するのが精々だ。
「フェイの野郎がもっと役に立てば……おいフェイ!」
「は、はい!」
怒鳴り声で呼ばれたのは背の低い少年だった。薄汚れており、腕や足には生傷も多く見える。腰には護身用の古びたナイフが一つあるだけで、探索者らしい装備はない。体格も恵まれているとは言えないので、彼のような少年がここにいることすら疑問なほどだ。
だが、彼には他にはない特徴があった。
「フェイ、水」
「はい。すぐに……どうぞ」
「ちっ……」
どこからともなく取り出された革袋を奪い、口を縛る紐を緩めて水を飲む。ゼクトは唇の端から水を零しつつも喉を鳴らし、やがて革袋から口を離した。そうして再び革袋の口を締め、フェイに投げつける。突然のことで反応できず、フェイは顔面で受け止めることになった。背負っている巨大なバッグのお蔭で背中から倒れることはなかったものの、尻もちをついてバランスを崩してしまう。
倒れる彼をゼクトと他の男たちは嘲笑っていた。
「くははは。トロ過ぎだろ」
「あーあ……可哀そうに」
「大事にしてやれよゼクトぉ。そいつは俺たちの大切な荷物持ちなんだからなぁ」
「わーってるよ」
全く悪びれない男たちに対し、フェイは怒ることもしない。ただ鼻を抑えながら革袋を手元から消しただけだった。
反応が薄いフェイを見て、ゼクトは嫌味たらしく罵る。
「ったく。フェイの異空間収納がもっと便利なら俺たちは今頃大金持ちなんだぜ? それがちょっと大きめのカバン程度しか仕舞えないんだ。役立たずにもほどがあるぜ。戦闘はできない。歩くペースも遅い。そのくせ水も食べ物もたくさん食うって足手まといじゃねぇか」
「おいおい。荷物持ちにそこまで求めるなよ。可愛いフェイ君が泣いちゃうぜ?」
「はっ! わざわざ死んだこいつの両親に代わって面倒見てんだ。これくらい働いてくれなきゃな」
「そうそう! 俺たちは恩人! フェイは全くそれを返せてないけどよぉ!」
そうして騒いでいたからだろう。
物音と共に古代遺物の陰から人間の子供ほどもある巨大な兎が現れる。後脚部の筋肉が発達しており、一方で前脚は貧弱だ。
するとゼクトたちも一気に雰囲気が変わり、戦闘へと意識を移行させる。
「注意しろ! こいつの蹴りは痛いぜぇ!」
剣と盾を構えたゼクトは前に進み出る。他の男たちもそれぞれ鈍器や剣を手にして警戒する。彼らも長く探索者をやっているだけのことはあり、
ただ魔物は倒したところで魔力として霧散するばかりであり、間引き以外に討伐する意味はない。正直外れを引いたというのが彼らの思いであった。しかし遭遇したからには倒すしかない。
紫水花ゼクト班は
しかしこの戦いによって仲間が一人骨折することになり、仕方なく今回の探索は引き上げることになるのだった。
◆◆◆
帰還したゼクト班はギルド紫水花の拠点に戻り、そこで成果を精算した。迷宮に眠っている古代遺物を回収するのが彼らの役目だが、他にも迷宮に住み着いている野生動物を狩ることでも生計を立てている。遺物、皮、肉の他、珍しい植物など持ち帰ったものを鑑定し、換金して生活するのが彼らだ。
「珍しいですねゼクト班が遠征してこの程度なんて」
「嫌味かよリンディ」
「いえいえ。私はこれまでの成果から妥当な意見を言ったまでですよ」
ギルド鑑定士の言葉にゼクトは苦虫を嚙み潰したような表情だ。彼女の言った通り、今回の探索は散々な結果という他ない。持ち帰れた成果はほとんどなく、骨折した仲間が一人いる。リスクとリターンが合っていない。いわば赤字なのだ。
「精算ありがとよ」
「おう。次こそは一攫千金してやんよ」
「期待してますよ。優秀な荷物持ちもいることですから」
「足手まといだけどな」
そう吐き捨てたゼクトはデスクに置かれた今回の報酬を革袋へと仕舞う。そしてギルドエントランスにある酒場に向かい、そこでテーブルを囲んでいる仲間の下へと向かった。ギルドではパーティリーダーが換金し、この酒場で分配するのが通例だ。ギルドメンバーなら酒場を割安で利用できるので、ここで食事を済ませてしまう者も多い。
ゼクト班も例に漏れず夕食を頼み、酒のカップを片手に談笑していた。
「おいお前ら。換金終わったぞ」
「戻ってきたか。ならゼクトも飲め! 酒はたくさん注文したからよ!」
「おいおい。今回は赤字だぜ?」
「貯蓄があるから大丈夫だって。ほら座れ。クランクが怪我したんだから慰めてやろうぜ」
「仕方ねぇなぁ」
ゼクトはまんざらでもない表情で指差された席に座る。そして隣に座るクランクに目を向けた。その視線の先は包帯を巻かれ、首から釣られた右腕である。
「どうだ調子は?」
「がっつり折れてるってよ。教会に行って治療受けるかどうか考えてたとこだ。そろそろ剣を新調したかったんだがなぁ」
「仕方ねぇよ。迷宮に潜れない方が問題だろ」
「ああ。しばらくはテツ爺の世話になりそうだ。あの頑固爺め……剣の手入れを頼んだら傷やら歪みやらの修正を勝手にしやがって。俺は研ぎだけでいいっつってんのに」
「分かる分かる。そのくせ料金は上乗せしてくるんだよな。誰もそんな修復頼んでねぇっての!」
「あれで腕が悪けりゃとっくに切ってるわ」
クランクは首のあたりを親指で斬るような仕草をする。切るというのは研ぎの依頼を止めるということではなく文字通り斬るということのようだ。もちろん冗談なので、男たちは下品に高笑いする。酒も回ってきたのか、笑う度にアルコールの匂いが漂った。
それでまだ飲んでいなかったゼクトは思い出したかのように袋を取り出す。
「さて、酔っぱらっちまわない内に分け前の話をしよう。いつも通り、等分だ」
そう言いながらテーブルに広げた硬貨を仲間たちに分けていく。しかしずっと縮こまって食べ物にすら手を付けていない少年フェイに対しては極端に少ない分しか分け与えない。他の仲間たちもこれを当然のものとして受け入れていた。
「フェイにはいつも通りの分をやるよ。残念だなぁ。お前がもっと使える
粘着質かつわざとらしい態度で、さも良いことをしてやったとでも言わんばかりに三枚の硬貨をフェイの方へと寄せる。それは花の街で小さな芋を買えるかどうかという程度のものだ。今回の稼ぎはまだ小さな山を作っており、テーブルの中央に盛られている。しかしそれはゼクトが別の袋に収納してしまった。
ある程度は個人に分け与え、残りはパーティ資金として残しているのだ。
これは遠征用に食料を買ったり、共用のアイテムを購入したりといった用途に使われる。今回の食事もここから出されるのだ。
しかしフェイだけは同じパーティであるにもかかわらず、この恩恵を受けられない。
「ほらどっかいけよ。役立たずのフェイが俺たちと同じものを食えると思うんじゃねぇ」
「そーだそーだ」
「そいつは俺たちの稼ぎさ。お前なんていてもいなくても変わらねぇんだ。お小遣いやってるだけでもありがたく思えよー」
「いつも通り明日は休みだ。フェイ、分かってんだろうが遅れるなよ。明後日の朝の鐘が鳴る前に迷宮入口に来い」
散々なことを言われ、それでもフェイは何も言い返さない。ただ視線を落とし、できるだけ今の表情を見られないように席を立った。
酷い扱いだが、逆らえないだけの理由がある。
だからこの仕打ちに対して何もすることができない。
フェイは逃げるようにギルドから走り去っていった。
◆◆◆
間もなく日も暮れる時間に花の街をフェイは駆け抜ける。彼は悔しさを隠し、それでも体全体でそれを表現していた。走る彼は息を切らせながら迷宮入口へと駆けこんだ。
入口は花の街から少し離れた場所にあり、夜中であろうと誰かが駐屯している。これは教会がギルドに依頼して行っている警備だった。万が一にも強力な魔物が街にやってきては困るからこその対処だ。迷宮入口は地下へ向かう坂道なので、そこに坂下へと杭を向けたバリケードを幾つも張り、魔物が上がってくるのに備えている。フェイはそのバリケードを避けながら疾走し、迷宮内部に入った。
(悔しい)
フェイの視界は歪んでいた。
耐えていたものが一気に溢れ出て、心臓が激しく鳴っていた。呼吸も苦しく肺に痛みを感じる。それでも足を緩めることなく走り続けた。
迷宮通路に出てからは慣れた様子で進んでいき、一切足を止めることなく部屋の一つに入る。そこはかつて古代遺物があった空間だが、すっかり回収されて何も残っていない。山水域の影響で木々や花々が豊富であり、地下とは思えないほど自然に溢れていた。旨味がないことから探索者は誰もここを訪れない。フェイは一人になりたいとき、いつもここに来ていた。
(悔しい、悔しい、力が欲しい)
草木を分け、沢を渡り、涙を拭ってまだ進む。その途中で幾つか木の実を採取し、草が踏みつけられてできた道の奥に向かった。その奥にあったのは岩と巨大遺物が重なってできた『巣』であった。フェイはそれらによってできた僅かな空洞の側で膝を降ろし、呼びかける。
「ルー。僕だ」
「キュッ!」
「ほら木の実だよ」
そこから出てきたのは背に小さな羽を生やした兎であった。大きさは一抱えもないほどだが、立派な魔物である。
当然ながら力も弱く、その気になればフェイでも討伐できる程度であった。
だがそんなことをしようと思わない。
木の実を頬張る
「僕は弱い。君と一緒だ」
「モキュ?」
「君だけだよ。僕の話を聞いてくれるのは……って魔物が分かるわけもないか」
「キュキュ!」
「ルーと出会ったのはもうどれだけ前だろう。君が励ましてくれなければ僕は死を選んでいたかもしれない。そういう意味では君には感謝しているんだ。ありがとう」
フェイが
それがこの空間であり、今この場所で
この時、お互いに悟った。
どちらも死を覚悟してここにいると。
だから似た者同士だと思った。
何となく、
「僕の魔装……魔石に変えようかな。ゼクトさんは絶対に変えるなって言っているけど、このままだと僕は使い潰される。それくらいなら殴られるのを覚悟で……だめだ。魔石にしたらそれを奪われるだけだ」
木の実を食べ終わり、すっかり寛いでいるルーを撫でながら呟く。
西グリニアでは魔神教が魔物との接触を禁じているので、こんなところを見られたら異端審問にかけられる。地上で放し飼いされている
しかしフェイはどうせこんな場所に探索者など来ないと油断していた。
だから気配を消して背後から近づいてくる人物に気付かなかった。
「誰かいるの?」
「っ!」
フェイは体を縮こませる。
そしておそるおそる首だけ回して背後に目を向けた。そこには銀髪を三つ編みにした少女が立っていた。
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