第372話 復讐の決意


「結界の中にあったのは痩せ細った人型の何かだったわ。結界が強くてシルエットしか見えなかったけど、形だけは見えた。するとあの声がまたあたしに届いたのよ。『受け入れよ』って。だから手を伸ばしたわ。切断された右手をね」



 アリエットは禍々しく染まった右腕を撫でた。

 すると彼女の腕から光る鎖が幾つも飛び出て、草のようにゆらゆら揺れる。



「あたしの身体からこの鎖が出たの。この鎖が結界を破ってタマハミ様を引きずり出したわ。そうやって引き寄せられたタマハミ様とぶつかったところまでは覚えている。気付いたら右腕がこんな形で復活していて、力が溢れた。これならあいつを……スレイを殺せると思ったわ」

「だが負けたんだろ?」

「……そうよ。手も足も出なかったわ」



 悔しそうに呟いた。

 今は少し落ち着いているように見えるが、内に秘めた怒りは隠せていない。その怒りはスレイに向けられたものもあったが、自分自身に不甲斐なさにも向けられていた。



「どんな戦いだったかは覚えていないわ。でも、どれだけ足掻いても届かなかった記憶はある。強く、なりたい。強くなって復讐したい」



 ピシリ、と陶器の器に亀裂が走った。

 それほど力を込めたわけではない。ただ魔力が物質の中を通過したことで許容限界に達したのだ。中身のスープが滴りアリエットの手に触れるが、彼女はまったく気にしていなかった。実際、熱さなど僅かたりとも感じていなかった。

 その決意を感じ取ったのだろう。

 またアリエットの魂に感じられる特異性から結論は一つとなった。



「俺たちで少し面倒を見てやる。強くなりたければ鍛えてやってもいい」

「冥王のあなたが?」

「俺たちもこの辺りの異常を調べているからな。そのついでだ。お前にとって悪い話でもあるまい。これでも俺は世界最強クラスだと自負している。俺もお前の面倒を見ることでこの辺りにあったことを調べられる。どちらにとっても利のある話だ」

「……そのよう……よう、ね」

「話しにくいなら適当でいい。お前が俺に敬意を持っていようと敵意を持っていようと気にしない。無論、無関心でも問題ない。互いに利用する仲ならば猶更な」

「そう」



 そういえば冥王だったと思い出していたアリエットは安堵の息を吐いていた。長生きをするロカ族は終焉戦争以前のことを比較的正確に伝えている。冥王、魔王、魔王妃、天王、海王、地王の六大魔王は特に恐れられる存在となっていた。

 中でも冥王アークライトは活動が過激で、滅ぼされた街や国が多数存在するということになっていた。

 その正体を知ってまともに会話できる方がおかしい。



「そんなに緊張しなくていいと思いますけどねー」

「俺とお前は付き合いが長いだろ」

「千五百年ぐらいですかねー」

「もっと経ってるが?」

「んー……なんだか時間感覚が狂っていますね」



 シュウとアイリスの会話を聞いてアリエットは唖然としていた。まるで神話の中に飛び込んだかのようにすら感じる。

 力尽き、心が弱り、問われるがままに応えてしまった。

 その結果、恐ろしいものを引き寄せた。

 アリエットの憎悪がこれを呼んだのかもしれない。あるいは運命というものによって定められていたのかもしれない。それとも何者か・・・がそうなるように定めたのかもしれない。

 ともかく点と点が結ばれ、過去と未来が一つに繋がった。

 その結果、アリエット・ロカは冥王アークライトと魔女アイリスに拾われた。



(必ず……殺す。スレイ!)



 確かな憎悪を燃やし、それでいて決して燃え尽きないように。

 右の手を胸に当てつつ改めて意思を固めた。







 ◆◆◆







 翌朝は村人の埋葬から始まった。

 既にアイリスが村中の遺体を転送でかき集めていたので、それほど難しくはない。シュウが魔術で巨大な穴を掘り、そこに一つ一つ遺体を寝かせていった。



「ごめん。ごめん」



 アリエットはシュウの力もアイリスの力も借りない。たった一人で全員を穴まで運び、丁寧に寝かす。その際に絞り出すような声で謝り続けていた。

 時間はかかる。

 魔術も使っていないので非常に面倒だ。

 しかしアリエットは軽々と、疲れた様子もなく作業を続ける。



「凄い体力ですね」

「ああ。暴食タマハミと融合した影響だろうな。忘れていたが、確かこの辺りに封印されていた。封印にはロカ族もかかわっていたっけ」

「融合ですか」

「ああ。改めて魂を見たが、納得した。本来の魂に張り付いていたのは暴食タマハミだったわけか。確かタマハミは元々人間だったはず。ウイルスを変異させて作った怪物だ。つまりあの女は少なくとも二人分の魂を宿していることになる」

「それって大丈夫なのです?」

「普通は無理だ。どこかおかしくなって死ぬ。だがタマハミの魂をストックする能力を引き継いでいるからだろうな。今のところは問題なさそうだ」

「迷宮魔力も宿しているんですよね?」

「鎖は魔装で、黒い穴は暴食タマハミの魔装のように思えるな。迷宮魔力は……」



 シュウは黙り込み、再び作業するアリエットを見つめる。

 死魔法を操るシュウには彼女の中にある異質な魂がはっきりと見えていた。今まで見たこともないような歪な形質でありながら、調和がとれている。適当に積み上げたレンガが奇跡的に塔の形を成しているかのような奇跡的なバランスである。



「どうしました?」

「いや……ともかく本当の意味で魂が融合している。あいつがその気になれば自分の覚醒魔装も、取り込んだタマハミの力も、一部だが迷宮魔法の力も使えるだろう。迷宮魔法のお蔭で大抵の攻撃は表面で弾いてしまうし、タマハミの力で魂をさらに取り込めるし、あと鎖の魔装はどんな能力か知らないがな」

「凄く強いですねー……ってあれ?」



 今のシュウのセリフを聞き、アイリスは疑問を感じた。



「私の攻撃を弾いたのが迷宮魔力だったのは分かりましたけど、それならどうしてスレイさんはアリエットさんを倒せたんでしょう。大抵の攻撃を受け付けないってことですよね」

「迷宮魔法は空間に作用する力だから、時空魔術を使えば多少は抵抗できる可能性がある。時空系の魔装でもな。微量とはいえ魔法にどれだけ抵抗できるかは分からないが」

「スレイさんがあのスレイさんなら可能性がありますね」

「ああ。俺も奴があの戦争で生き残っているとは思わなかった。どうにかして今まで生きていたんだろう。覚醒しているなら寿命はないハズだ。あの魔装のバリエーションなら氷河期でも生き残れる。あるいは迷宮に潜んでいたのかもしれない。だがもう一つ可能性は残っている」

「可能性?」



 アイリスはそこで黙り、アリエットをじっと見つめた。実際に彼女と戦ったことで、アリエットの身体にほとんど魔術が通用しなかった事実を目にしている。アイリスは覚醒した時間操作能力を保有しているが、そう簡単に貫けるようには思えなかった。

 魔法とは僅かでも一つの法則だ。

 既存の概念では打ち破ることのできないものと思わなければならない。如何に似た系統の力があったとして、アリエットを圧倒できるとは思えなかった。

 実際、アリエットは手も足も出なかったと語っているのだから。

 それらの情報を統合することでもう一つの可能性を提示することができる。



「そっか。スレイさんにも迷宮魔力が宿ったかもしれないですね」

「ああ。アリエットは声を聴いたと言っていた。それがダンジョンコアのものである可能性は高い。そして俺たちは実際にこの辺りでダンジョンコアが潜伏しているだろうと当たりも付けていた。アリエットだけに声をかけ、力を与えたと考えるのは俺たちの都合だ」

「それなら是非ともスレイさんを探したいですね」

「この意味でもアリエットに手を貸す理由にはなる」



 シュウは何の興味もない少女のために時間を使うことはない。今回はただ恒王ダンジョンコアを追っていて、その魔力がただの人間に宿っているからこその判断だ。



「もうこの辺りに迷宮魔法の反応はない。おそらく奴本体は逃げた」

「迷宮ですか」

「あの大樹の根元。あそこから迷宮に繋がっている」



 アリエットが引きずり込まれ、暴食タマハミが囚われている結界空間へと続いていた穴である。その先へと実際に踏み込んだわけではないが、迷宮魔法がかけられて地下迷宮に繋がっていることは分かる。

 こうしてスラダ大陸全土に迷宮が広がっているせいでダンジョンコアの場所が捕捉できない。直接戦えば冥王に敗北すると知った恒王は、自分の勝利が確信できるまで潜伏し続けることだろう。シュウはそれまでに探し当て、ダンジョンコアを始末しなければならない。



「あの女が手掛かりになるといいんだがな」



 視線の先では今もアリエットが遺体を運び続けている。

 その作業が終わるのは、間もなく陽が落ちる頃であった。






 ◆◆◆






 全ての遺体を運び終わったとき、アリエットは戻ってきた。そしてシュウとアイリスに目を合わせることすらなく、言葉を漏らす。



「……弔ってあげて」

「ああ」



 シュウは魔術陣を展開し、熱量を増大させる。

 巨大な穴に収められた村人全ての遺体が徐々に乾燥し、やがて発火する。可燃物もなしに魔術のみで炎を維持し、火葬を始めた。

 村を守る結界がなくなった今、空は剥き出しになっている。

 近年では雲も徐々に薄くなっており、多少は陽の光を感じられる。陽が沈めば、そのタイミングくらいは知ることができた。

 随分と暗い空に対して地上が燃える赤に染まる。



「シェリアはね。凄く優しい子だった」



 炎に包まれていく遺体を見下ろしつつ、アリエットは言葉を吐く。

 誰かに聞かせているわけではないだろう。心の内の呟きが漏れ出しているだけかもしれない。



「誰にだって分け隔てしない。すぐに自分を犠牲にして人助けする。早くに両親を亡くして、病弱な弟を世話して、早く幸せに……楽になってほしかった」



 空は真っ暗だ。

 炎と灰が立ち昇っていき、まるで死者が天へと駆けていくかのようだ。実際は死者の魂など煉獄にて精霊に回収されている。しかしそれは知らぬ方が良い知識であり、今のアリエットに必要なのは現実ではなく願いであった。



「折角……幸せになれたと思ったのに」



 熱量の増大が更に激しくなった。

 やがて炎は青白く染まり、激しい熱風が穴の底より噴き上がる。



「さよなら、みんな。きっと敵を討つ」



 また告げる。



「お父様、お母様、お爺様も、待っていて」



 何度も告げる。



「レフ、辛かったね。シェリア、私を見ていて」



 最後に自分へと誓う。



「必ず、殺す。待っていろスレイ……」



 青い灯が消えるまで、アリエットはずっとそこに立ち尽くしていた。

 人生最後の涙を流しながら。






 ◆◆◆







 ぽつぽつと水が滴る音がする。

 光の届かない洞窟の中、一人の男が歩いていた。靴音が反響し、水音と共演する。しかし呼吸だけは静かであった。落ち着いている証拠である。

 洞窟はかなり広いが一本道ではない。

 分かれ道や十字路が複数あるのだ。大陸地下に広がる迷宮は非常に複雑で、地図なども存在しない。一度迷えば二度と地上に出られないほどだ。また魔物も徘徊しているので、一人で挑むというのは自殺行為である。

 不意に十字路の右側から巨体が飛び出してきた。

 牛の頭部を持つ人型の魔物、高位牛鬼ハイ・タウルスであった。振り下ろされる拳は人体など木端微塵にしてしまうだろう。しかし男はその攻撃を躱すことすらなく、受け止めた。



「……その程度か」



 男は、スレイは攻撃に対して防御すらしなかった。高位牛鬼ハイ・タウルスによる直撃を無防備に受けたのである。しかし攻撃はスレイの表皮で止まり、吹き飛ばすことすらできなかった。

 スレイは唸る高位牛鬼ハイ・タウルスに対し、右手(・・)で触れる。すると右手から木の枝が槍のように生み出され、一瞬にして高位牛鬼ハイ・タウルスの全身を刺し貫いた。一撃で魔力体を破壊され、再生の余地すらなく高位牛鬼ハイ・タウルスは崩れていく。

 右手は元の形に戻った。



「ウゴオオオオオオッ!」

「ゴアアアアアアア!」



 続けて二体の牛鬼タウルスが同時に現れた。

 下位互換の魔物だが、その巨体が二つ同時に迫る恐怖は中々のものである。しかしスレイは眉一つ動かさず、腰から剣を抜いた・・・・・

 斬撃が二つ閃く。

 二体の牛鬼タウルスは切り裂かれ、そのまま倒れる。牛鬼タウルスたちは起き上がるどころかピクリともせず、そのまま消滅してしまった。



「もう絶望はしない。幸福も必要ない。この力で、今度こそ……」



 青みのある白刃を鞘に納め、またスレイは歩き続ける。

 地下迷宮を奥へ奥へと進んでいた。









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