第370話 タマハミ村②
空を飛ぶアイリスには焼けている森の様子がはっきり見える。
炎は既にかなり広がっており、並び立つ木造家屋は既に崩れていた。そればかりか炭化して性別すら判別できない死体も多く転がっている。間違いなく人が住んでいた証拠であった。それも最近まで居住地として成立していた場所だと分かる。
「ただの火事ではなさそうですね」
そう感じた理由は燃え広がる範囲と、地面に走る無数の亀裂である。それらは中心にある大樹から放射状に広がっているように見えた。亀裂の奥からは赤い光と熱気が感じられる。マグマがせり上がり、それが原因で大火災が発生していたのであった。
自然現象のようで、自然現象とは思えない。
何者かによって引き起こされたと見るべきだろう。
ともかく悲惨な光景である。
「とにかく火を消さないとですね」
アイリスは魔術を発動し、空に魔術陣を発生させる。そこから雨が降り始め、森全体に降り注いだ。それほど激しい雨ではなかったが、これによって一気に火は沈静化していく。それに伴って亀裂から溢れるマグマから蒸気が生じ視界が悪くなった。しかし先程よりは生存者を探しやすい。
森の中心部には巨大な木がやはり火に包まれており、最も激しく燃えている。アイリスが飛行して大樹へと近づいていくと、やがてその根元に異質な穴があることに気付いた。根本の土が大きく抉られており、木の
「あれは……人!」
そして大穴のすぐ上で、大樹へ磔にされている少女を発見した。
他にも焼け焦げた死体は多く転がっているのだが、アイリスの発見した人だけはまだ生きているように見えた。急いでそこに向かい、まずは呼吸や脈を測る。
この際に顔を見たが、随分と美人に見えた。ただ白い肌も絹のようなきめ細かい銀髪も土や煤に汚されている。不可思議な点として、右腕だけは禍々しい黒色に染まっていた。まるで呪われているような見た目であり、ただのペイントとは思えない。衣服については破れたりと争ったような痕があった。そして痛々しいことに左腕と肩をそれぞれ剣で貫かれ、胸と右足に槍のようなものが突き刺さることで大樹へと磔にされていたのだ。
少女がまだ息をしていることを理解したアイリスは、転送魔術の応用で剣や槍を抜き、落下しようとする彼女を重力制御でゆっくり下ろす。
またその状態で回復魔術をかけようとしたのだが、驚くべきことに傷は自動的に治癒され始めた。貫通していた傷があっという間に塞がり、元の肌色へと戻っていく。ただ右腕の禍々しさだけは変わらない。
「回復魔術も必要なさそうですね。他の生き残りは……いえ、その前に」
アイリスはデバイスから通話アプリを起動し、シュウに向かって連絡する。三回ほどコールした後、仮想ディスプレイにシュウの顔が映った。どうやら空を飛んでいるらしく、背景は灰色一色となっている。
『何か見つかったか?』
「結界で保護された集落を発見しました。でも何者かに襲撃された跡があります。生き残りを見つけたのでシュウさんも来てください」
『分かった。座標は……よし、そこだな』
「たぶん独自の転移封じが張ってあります。直接来てください」
『転移封じ? 妖精郷技術とは無関係に開発されたってことか。急いでそっちに向かう。アイリスはそこで待ってろ。いいか、動くなよ。絶対動くなよ?』
念を押してシュウは通話を切る。
余計なことをして迷子になるなという意思がアイリスにも感じ取れた。
「……動きませんよ、流石に」
雨の中、ただ気絶した女性を放置しておくほど非常識ではない。ちょっとは信頼してほしいと嘆くアイリスであった。
忠告の理由はそこではないと思いもよらず。
◆◆◆
「あれ、あたし……」
「目を覚ましたんですね。大丈夫ですか?」
毛布の上に寝かされていた銀髪の女が目を覚ます。初めはアイリスを眺め、また周囲を見渡してボーっとしていた。しかしある瞬間、憎悪と憤怒に満たされる。
「あいつ! どこにいった!」
飛び起きた彼女はかけられていた毛布を打ち捨て、焼け焦げて朽ちかけている大樹へと近づく。アイリスが魔術で降らせた雨の影響もあり、既に鎮火されている。この付近は結界で雨除けしていたので濡れていないが、大樹付近は少しぬかるんでいた。
彼女は足が汚れることも厭わず大樹へと近づき、特に
アイリスは追いかけ、後ろから彼女に話しかけた。
「誰か探しているのですか?」
「……あなたは? この辺りじゃ見かけない顔ね」
「倒れていたから助けたのですよ。何があったのですか? 魔物の襲撃ですか?」
「違う! あいつが……スレイがやったのよ!」
「え? はぁ……?」
「まだ近くにいるはずよ。絶対に殺してやる!」
激しく感情を撒き散らし、アイリスに背を向けたままどこかへ歩いて行こうとする。なので慌ててアイリスも止めた。
「ちょっと待つのですよ。私の連れがこの辺りに生き残りがいないか探してくれています。もう少し待ってください。せめて何があったのかだけでも」
「これを見て分からないの?」
少女は周りにある焼け焦げた死体を見渡して問う。
空を飛んでいるときは気付かなかったが、よく見れば死体は明らかに殺害された痕跡があった。鋭利な切断面で頭部と胴が離されていたり、胸に大きな穴が開いていたり、首の骨を折られていたり、内臓が抉られていたりと可能ならば直視したくない有様である。
アイリスは彼女の言葉よりも前に、やはり何者かによって襲われたのだと確信していた。そして少女の叫びによって追加の確証を得た。
「魔物じゃなくて人間なんですね?」
「人間? あいつは魔物以下よ。そうじゃなかったらこんなことできないわ。あいつは……あいつはあああああああああああ!」
金切声を上げたかと思えば、急に静かになった。
そしてとぼとぼと歩を進めて比較的綺麗な女の遺体の前で止まる。その遺体は炎に巻かれなかったらしく、焦げどころか火傷すら見当たらなかった。ただアイリスはその遺体の腹部がやけに膨らんでいることに気付いていた。
(妊婦、ですか)
あまり気分の良い話ではない。
その遺体の前で膝を折り、手を握る彼女の側へと寄って尋ねた。
「この人は誰なのです?」
「親友……シェリアという親友」
また彼女は顔を上げ、少し離れたところに横たわる少年の遺体を見遣る。その遺体もまた、シェリアという女性の遺体と同様にほとんど傷がなかった。
「あっちはシェリアの弟よ。レフというの」
「他と比べて綺麗な遺体ですね。殺されたとするなら、たぶん後から治癒魔術で治していますよ」
「きっとあいつよ。中途半端な罪滅ぼしのつもりで……」
「その、襲撃者はお知り合いなのです?」
「ええそうよ。困った顔で私たちに近づいてきて……本性を隠していたの。シェリアは本気であいつを愛していたわ。レフも心から尊敬して慕っていた。村の人たちも信頼していた。なのに……なのにあいつは!」
「ちょ、ちょっと待つのですよ!」
再び暴走気味にどこかへ行こうとする。情緒が安定しておらず、ちょっとしたきっかけで感情が爆発しかねない状態だ。このままでは詳しい事情も聞けないだろう。
アイリスは慌てて彼女の肩を掴んだ。
それは特に敵意を込めたものではなく、ただ待って欲しかっただけだ。しかし今の彼女にとって、自分を邪魔する者は全て等しく敵であった。
「邪魔しないで!」
少女はアイリスの手を強く振り払い、同時に光る鎖を放出する。それは鞭のようにしなり、四方八方からアイリスへと襲いかかった。それでアイリスは球状に魔力防壁を張るが、それは鎖の攻撃によって容易く亀裂を入れられてしまう。
(直撃は危ない威力ですね)
時間操作の副作用で不死性を得ているアイリスも、わざわざ即死級の攻撃を受けたいとは思わない。なので防御はやめて魔装による反撃を試みる。
まずは時間減速により少女の動きを止めようとした。
だが魔装を発動しようとしたところで、アイリスの干渉が弾かれていることに気付く。大岩を素手で動かそうとするような、そんな無力感と共に魔装が無効化された。再び全方位から迫る鎖は転移によって逃れた。一度距離を取って観察しようとしたが、今度は少女がアイリスに向かって右手を翳す。
アイリスは空間の異変を感知した。
(危ないのです!?)
再び転移して今度は上空に逃れ、飛行魔術によってその場で滞空する。見下ろしてみると、先程までいた地上では黒い球体が発生し、そこに向かって周囲の物体が吸い込まれていた。万物を飲み干すブラックホールのような技である。
(あれも魔装? だとすれば鎖と含めて二つも?)
アイリスは少女の額へと注目する。
仮に人工的に魔装を付与された存在ならば、
また考察を重ねるアイリスもそればかりに集中する暇はない。少女はこうしている間にも大量の鎖を放ち、また悍ましい色に染まった右腕を向けてくる。あらゆる物質を飲み込む暗黒の穴が出現し、アイリスがいた場所は空気すら消滅した。
(とりあえずは転移で逃げているから余裕がありますけど……うーん……)
悩む理由は簡単だ。
暴走する少女を殺すべきではないと考えているからである。これはいつも通り、アイリスの勘による判断だ。予知ほどはっきりしたものではないが、未来に関する事象をぼんやりとした直感で見通すことができる。おぼろげだが何となく正解が分かるという表現が正しいだろう。
その直感に従い、アイリスは少女を殺すことなく相手にしていた。
ただ少女の攻撃密度も増し続け取り、転移による回避も困難になってくる。少しずつアイリスの動きを先読みし始めたのだ。どういうわけか時間操作を直接ぶつけることができないので、少女そのものや攻撃を停滞させることができない。攻撃や防御が制限され、回避のバリエーションが減らされている状況ではこうなるのも仕方なかった。
「止まってください! 私はあなたを害する気は――」
「黙れ黙れ黙れ! あたしの邪魔をするならあんたを殺してでも進む! あたしはあいつを……スレイを追いかけて殺さなきゃいけないの!」
「それは分かりましたから一度落ち着いてください!」
アイリスは合計三十個の魔術陣を展開する。これらは全て雷系の魔術であり、その威力はかなり抑え込まれたものだ。全てが直撃したところで死にはしない。
ただ痛くて気絶するだけである。
「仕方ないですね……死なないようにはしますから我慢してくださいよ!」
三十連射の雷撃が次々と少女に迫る。その内の幾つかは鎖に弾かれていたが、大部分は直撃することになった。威力を落としているとはいえ、普通に気絶に追い込むほどの効果はある。
これで決まったハズだった。
しかし残念ながら少女は健在であり、何事もなかったかのように鎖を操る。
「ああああああ! 目ざわりなのよ!」
「ちょ! えぇ……」
これにはアイリスも驚かされ、同時に呆れた。
(これ、空間的な力が体表を覆って電気を遮断していますね)
その理由は少女に電撃が効かなかった理由を察したからだ。アイリスが放った雷撃魔術は少女に触れた瞬間、弾けるように消えていった。つまり表面で完全に拡散させられたのである。このような現象が起こせるとすれば、それは耐性ではない。
空間を抉る闇の穴を操ることから、空間系能力を有していると考察してそのような結論に至った。
「そうなると――」
続いてアイリスは時間停止を発動する。
自分自身を固有時間を持つ独自慣性系へと移動させるというものであるため、正確に表現するなら疑似時間停止だろう。しかし相対速度の上では時間停止と変わりない。アイリスは自分自身を相対的に無限加速させたのだ。
この状態であれば本来の世界が止まって見える。
飛行魔術で容易く少女の背後へと回り込み、魔力を込めて手刀を放った。そして少女の後ろ首へと叩き込む。この瞬間、時間停止を解除した。それによって凄まじい衝撃が伝わり、少女は吹き飛ばされて地面を転がっていく。やがて焼け焦げた樹木に衝突し、それを押し倒しながら停止した。
だがこれでも少女は気絶すらしない。
普通に死ぬ威力だったにもかかわらず、ピンピンとしていた。全くの無傷にすら見える。
「く……殺してやる……っ!」
更に殺意を高め、少女は今までよりも魔力を高める。彼女が向ける視線の先で黒い穴が生じ、それは徐々に膨張し始めた。周囲の物質を際限なく吸い込むそれは、地面すら削り取りつつ膨張していく。まるで風船が膨らむかの如く、暗黒の穴は今も巨大化し続けていた。
彼女の苛立ちに呼応するようにして膨らむそれは、あらゆるものを吸い込んで暴風を産む。
この場に存在する全てを消滅させようとする意思すら感じられた。
とても話を聞いてくれるような状態ではない。
「もう! 話を聞いてほしいのですよ!」
まずは膨張し続ける闇の穴を消す必要がある。
これは空間におけるエネルギー均衡が崩れたことで生じているため、適当な魔術でも打ち込んでエネルギーを補填してやれば縮小される。相当量の魔力を消耗することになるので普通は無理だが、覚醒しているアイリスなら問題なく実行できる手法だった。
魔術陣を展開し、得意な雷や風系の魔術を放つ準備をする。時間操作によって圧縮発動し、数百どころか千に届かんばかりの術が放たれた。闇の孔は膨大なエネルギーを吸収し、あっという間に縮小してしまう。そして余剰となった魔術が少女へと殺到した。
一つ一つの魔術は大した威力ではない。
魔術兵器が溢れていた氷河期以前であれば、ありふれたものとして扱われただろう。しかし数が問題だ。溺れるほどの魔術により少女の姿すら掻き消されてしまう。
数分間にも及ぶ魔術の炸裂が止んだ時、銀髪の少女は気を失って倒れていた。
「ふぅ……魔術は弾いても音や光は効く。やりようはありますね」
アイリスはただ得意だから風や雷の魔術を使っていたわけではない。音や光で感覚麻痺を狙い、気絶へと導いたのだ。
「完璧なのですよ!」
「どこがだアホ」
「痛いのです!?」
ただ明らかにやり過ぎたのだろう。
遠くからでも判別できる魔術のお蔭ですぐにシュウがやってきた。直後に気絶した少女を見つけたのでアイリスを戒めた。
「で、説明は?」
「今からしますよー……私、悪くないんですよ?」
合流したシュウに対し、アイリスは自分に起こったことを説明し始めた。
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