第369話 タマハミ村①


 村は古くから閉鎖されているということもあり、外部に対して厳しい。これまでも村の外から人間がやってきた例は幾つか存在していたが、そのどれもが悲惨な最期を遂げていた。

 だが、今回ばかりは例外である。

 スレイが強すぎたのだ。

 防人さきもりとして村の警護に同行するようになり、その力は明らかとなった。多くの理を修めるロカ族ですら届かないのではないかと思うほどの多彩かつ強力な能力は村人の注目を集めるのに充分である。初めこそ恐れられた時期もあったが、数年もすればそれは信頼に変わっていた。

 そして時が経てば人の関係も変化する。

 スレイはシェリアと結婚していた。



「まさかあんたたちがそんな関係になるなんてねぇ」

「ふふ。私も驚いているの」



 修行の合間にシェリアの自宅へと訪れたアリエットがそう零す。もう彼女も二十歳であり、そろそろ結婚しても良い歳だ。だがロカ族は修行を終えて一人前となるまで結婚は許されない。それ以外で結婚をするならば、修行自体を取りやめて官職を諦めるしかない。

 ただ、ロカ族は一般人と比べて長命なので焦るほどでもなかった。



「もう四か月だっけ?」

「そうよ。ほら、お腹も大きくなっているでしょう?」

「レフの看病もしながらだと大変じゃない?」

「そうでもないわ。スレイが面倒を見てくれるし、レフも最近は調子がいい時が多いの。逆に私がお世話されるくらいなのよ」

「いいわねぇ」



 とても幸せ、ということが言葉の端々から伝わってくる。アリエットは実に羨ましそうだ。尤も、親友として彼女の幸せを最も喜んでいるのもアリエットであるが。



「そういえばレフもいないのね。出かけているの?」

「薪を集めてくれているのよ。ほら、最近は寒いでしょう? 私のことを気遣って」

「確かにね。不思議なほど冷えているわ。今までこんな寒くなることなかったのに」

「長老様からは聞いていないの?」

「分からない。でも、大樹に異変が起こっているのは確かだと思うわ。それ以外に寒くなる要因なんて考えられない。おじいちゃんたちは知ってるのかもしれないけど、修行が終わってないあたしには何も教えてくれないし……」



 村はタマハミ大樹のお蔭で豊かさを保っている。村とその周辺を覆う結界が氷河期の寒さを遮断し、太陽がなくとも土地を豊かにし、昼を明るく照らしていたのだ。故に不自然に寒くなるということはあり得ない。逆説的に大樹がおかしくなっているということが分かる。



「そう。不安ね」

「シェリアが気にすることはないわよ。あたしたちに任せなさい。あんたは大事な時期なんだし。ほら、もっと明るい話をしましょうよ。レフのこととか教えてよ」

「ふふ。いいわよ」



 アリエットはできるだけ不安がらせないよう力づける。

 親友として、助けられる範囲で助けたいのだ。

 そうして二人が談笑していると家の扉が開き、木の束を抱えた少年が入ってくる。優し気な顔立ちはシェリアにそっくりであった。



「あれ、アリエットさん」

「レフじゃないの。お邪魔しているわよ。背、伸びたんじゃない?」

「ありがとうございます。最近は色々食べられるようになって。あとスレイ義兄さんも狩りで栄養のつくものを獲ってきてくれるから。あ、僕は薪を置いてくるんで、続けてください」



 そう言ってレフは調理場の方へと向かう。



「家族が増えるの、楽しみだね」

「うん。すごく楽しみ」



 シェリアもアリエットも幸せそうに笑う。

 願わくば、この幸福がいつまでも続くように。そう望んでいた。










 ◆◆◆









 村の異変は気温もそうだが、特に外縁部に現れていた。

 稀に侵入してくる魔物を狩る防人たちは、それを特に実感していた。



「おいおい……なんだよあの化け物は……」

「静かに。気付かれる」



 防人たちが見つめる先にいたのは豚顔の巨体、豚鬼王オーク・キングであった。かつては災禍ディザスター級と定義され、高ランクの魔装士でなければ討伐できないほどの存在である。出現すれば都市すら大きな被害を受けるほど強い。

 魔晶技術の最盛期ならば軍を出動させて倒せる程度だったが、魔術も魔装も廃れた現代では間違いなく脅威であった。



「私が行きますよ」

「頼むぞスレイ」

「ありゃお前にしか倒せねぇからよ」

「任せてください」



 スレイは手元に拳銃を具現化する。そして魔力を込め、連続して二度引き金を引いた。発砲された二発の魔弾は豚鬼王オーク・キングに直撃する。すると豚鬼王オーク・キングは悶え苦しみ始めた。

 その隙を逃さずスレイが斬り込み、聖なる刃で首を刎ねる。

 豚鬼王オーク・キングは魔力となって散っていった。



「流石だな」

「この程度なら幾らでも」

「へ! 頼もしいぜ。あんたが来てから防人さきもりから死人がでていない。これからも頼りにしているぜ」



 すっかり頼りにされるスレイはどこか気恥ずかしそうだ。

 だがすぐに切り替えて元の話題へと戻す。



「それにしても侵入する魔物が増えていますね。それに強力な魔物も」

「ん? ああ。そればっかりは気がかりだな。噂じゃ、どうやら大樹の力が弱まっているらしい。どうにか力を取り戻させる方法があるといいんだがな」



 まだ外界は凍えるほどの寒さであり、結界なしでは生きていけない。また隠しの結界がなくなれば多くの魔物がやってくるようになるだろう。流石にスレイ一人では守り切れないかもしれない。

 まだ村の多くが実感していないことだが、防人たちは不安を直視していた。

 スレイは村の中心でそびえる大樹を眺める。



(大樹が弱まる……何か……何か思い出せそうな)



 何となく、記憶が刺激された気がした。

 だが結局何も思い出せず、気のせいだと考えた。今は妻となったシェリアが妊娠しており、過敏になっているのだろうと結論付けたのだった。

 今のスレイは記憶喪失だった自分を捨て、新たな人生を歩んでいた。








 ◆◆◆








 大樹の力が弱まっているという事実は、ロカ族にとって非常に都合の悪い話であった。それは権力がどうとかいう話ではなく、単純に村を維持できなくなるからだ。

 タマハミと大樹の真実を知る長老たちは、聖域の御堂で密かに話し合う。



「分かってはおったが、まさか儂らの代で訪れるとはなぁ」

「儂は千年も持ったという方が驚きじゃよ」

「私も同意ですね。本来、大樹は化け物として封じられた暴食タマハミを弱体化させるためのもの。我らの先祖が倒すことすら叶わなかった存在の強大さが窺えるというものです」



 終焉戦争により世界が一変するよりも前、この辺りで暴れていた暴食タマハミという化け物を封じたのが大樹だ。その大樹を生み出したのが英雄マリアスであり、封印を強化したのがロカ族である。氷河期が始まった時、この封印により大地へと還元される暴食タマハミの力を利用して快適な領域を生み出したのだ。

 千年以上もかけてようやく、暴食タマハミが消滅しようとしている。

 それだけの話である。

 ただその真実が長い年月の間に隠されてしまっただけの話だ。都合よくなるよう、ロカ族が秘密を隠してきた。



「後少し。後少しで氷河期も終わるというのに」

「ああ。近年では空の雲が晴れる日もある。十年もしない内に元の世界へと近づくじゃろうて。尤も、儂らすら元の世界など知らぬがな」

「皮肉を言っている場合か。とにかく三年。三年は何とかして維持する必要がある。そうすれば結界がなくとも凍え死ぬことはないだろうのぉ」

「愚か者め。三年でどうにかなるはずなかろう。作物が育たぬぞ?」

「困ったものじゃな」

「化け物の力が弱まるのは良いことよのぉ。じゃがタイミングが悪い」



 大樹に守られた生活しか知らない彼らは、大樹にすがるしかない。

 たとえその正体が化け物を封印し、弱体化させるための装置だとしてもだ。

 溜息を吐く長老たちの中で、最も歳を取った者が不意に口を開いた。



「炎が小さくなれば、薪を放り込むのが道理。なれば大樹が弱まった時も同じようにすればよい」

「馬鹿な……それは!」



 暴食タマハミがどのような化け物であったか、その伝承を知るロカ族は彼の告げた意味を即座に理解してしまった。



「全のために一を捨てる。ずっとやってきたことだ。それに丁度良く、切り捨てても良い部外者がおるではないか。ほら、何といったか」

「スレイという男じゃな?」

「あれは魔装にも目覚めておる。贄としては充分じゃろうて」

「しかし簡単ではないぞ。噂じゃが、防人が全員でかかっても勝てないほどという。どうやって捕えるというのじゃ」

「簡単なことよ。力で叶わぬなら策謀を巡らすまで。何者であろうと弱点はある」

「人質か」



 名案というわけではないが、他に手段がないことも確かだ。



「異論はないな? では近い内に」



 この時、彼らは思いもしなかっただろう。

 今日行った決断が終わりの引き金になるとは。









 ◆◆◆








 シュウとアイリスは恒王ダンジョンコアの生存を確信してから、その魔力の流れを辿ることで居場所を特定しようと試みていた。山水域と呼ばれるスラダ大陸西部の領域から北東側へと進み続け、巨大湖の近くまでやってきていた。

 この巨大湖はかつてコントリアスと呼ばれた国であり、黄金要塞によって生じた巨大クレーターに海水が流れ込んでできている。ただ、今も終わらない魔力嵐に覆われているので、一般人が近づくことは難しい。魔物も強力な個体が多いので、弱くなった現代の人間では数日の内に滅ぼされてしまうだろう。



「この辺りのはずだが……」

「どうです?」

「迷宮魔法らしき力が広がっているな。煉獄が押しのけられている。この辺りが中心だと思う」



 死者の魂を受け入れる場所として用意した煉獄は、この世界と重なるようにして存在している。人が死ねばその魂は煉獄に留まり、精霊が冥府へ連れていくまで保管される。本来は肉体の死と同時に霧散してしまう魂を保護するために仕組みだ。

 シュウはここ千年で煉獄を広げ続けてきた。

 だが、ある時どうしても煉獄が定着しない場所が存在することに気付いたのだ。



「死魔法を押しのける感覚はこの辺りが特に強いな」

「じゃあ」

「おそらくな。ダンジョンコアの本体がいる……と思う。正直、迷宮は奴のテリトリーだからな。間接的にしか感知できない以上、自信はない」

「逆に煉獄で押し返せないのです?」

「本来は迷宮魔法の方が空間作用が強いからな。特に空間を切り取って固有化する性質のせいで煉獄も奪われる。鬱陶しいことにな」



 シュウは立ち止まり、周囲を見渡す。

 魂を見通す眼によって煉獄への作用を確認しようとするが、やはり力の根源までは辿れない。



「やはりこの辺りが限界か」

「もう辿れませんか?」

「方法がないこともないけどな」

「といいますと?」

「虱潰し」

「あー……それって辿る方法じゃないのでは?」



 マザーデバイスからワールドマップを開き、シュウは指で円を描く。するとその範囲が薄い赤色で塗り潰された。また数度タップすることでアイリスのデバイスにデータが送信される。



「この範囲を手分けして探すぞ」

「分かりましたよ……」

「俺は東から回る。何かあれば連絡しろ」

「何日がかりになるんでしょうねぇ……」

「お前が時空系に強くなかったら倍はかかっていたな。本当なら煉獄の精霊に調べさせたいが、迷宮に取り込まれたら元も子もない」



 煉獄を感知できるシュウほどではないが、アイリスも時空系に適性があるので迷宮魔法の痕跡を察知できる。とはいえ強度が大きいか小さいかといった大雑把なものでしかなく、詳細はシュウが直接調べるしかない。ただ、可能性の高い場所をチェックするだけでも時短にはなる。

 そういうわけで二手に分かれ、調べることになった。

 円の範囲はかなり広いので、シュウは転移でその場から消える。

 一人残されたアイリスは気の向くままに歩き始めた。《量子幽壁クオンタム・フラクト》で熱が逃げていかないようにしているため、寒空の下を歩いても基本は快適だ。魔術で雪や氷の塊を溶かしつつ、に従って進む。

 すると枯れてしまった樹林を発見した。すっかり痩せ細り、ほぼ等間隔で並ぶ枯れ木はどこか不気味に思える。だがアイリスは恐れることなく進入し、パキパキと音の鳴る凍った地面を踏みながら奥へと向かっていった。

 それから三時間ほど歩いた頃だろうか。

 不意にアイリスは立ち止まる。



「これ……」



 見た目には何の変化もない場所だ。

 先程と同じように枯れ木が並んでおり、地面は凍り、雪が積もっている。氷河期における死の気配が変わらず漂う樹林だ。

 だが時間を操り、更には空間にも高い識別能力を有するアイリスの目には違和感が映っていた。

 そっと手を伸ばして何かを掴むような仕草をする。



「かなり高度な空間系の結界ですね。認識阻害に……空間断絶ですか? いえ、断絶ほどの強度ではないですね。単純に熱を閉じ込める程度のものですね。侵入は難しくない」



 特に結界を解除する必要もない。

 そう判断したアイリスはそのまま足を進める。

 すると一気に景色が切り替わった。今まで見えていた氷河期の世界は消え去り、青々とした森が焼けている・・・・・光景になったのだ。



「これは! 急ぐ必要がありそうですね」



 氷河期においてこれほどの世界が保存されているということは、人間がひっそりと暮らしている可能性が高い。その場所が大火に覆われているのだ。

 アイリスはひとまず、森の奥に見える巨大な樹木を目指して飛行した。




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