第368話 空白の男


 空を覆うほどの黄金が過る。

 叫ぶ者。

 血を流す者。

 魔装を発動させる者。

 瓦礫に混じって血肉が弾け飛び、そこはまさしく地獄であった。

 なぜこうなったのだろうか。

 なぜ戦っているのだろうか。

 なぜ。なぜ。なぜ。



「俺は……」



 目が覚める。

 まず初めに感じたのは野菜を煮込んだ優しい香りであった。それから首を動かして自分の居場所を確かめる。ベッドに寝かされているのだろうということはすぐに分かった。

 しかし直後に襲った右腕へとの痛みで思考が中断される。



「ぐっ、があああああっ……」



 思い出したかのような痛みのせいで悲鳴が漏れた。

 ベッドで身悶え、まずは右腕を抑えようとする。しかし左手は何も掴めなかった。彼の右腕は肘から下が無くなっていたからだ。

 また男の呻きを聞いたからか、慌てた様子で部屋に少女が飛び込んでくる。



「大丈夫ですか!? 目が覚めたんですね!」

「ぐ、おおぅ……」

「落ち着いて下さい。ここは安全な場所です。落ち着いて」

「ぐっ、うぅ……」



 男は徐々に息を整え、やがてある程度の余裕を取り戻す。



「ふぅ、ふぅ……すみません」

「あなたは大怪我をして倒れていたんですよ」

「そのようですね」



 彼はようやく自分の状況を理解したらしい。

 左手でそっと右肘の傷に触れる。すると傷口が淡く光り、滲んでいた血が止まる。魔術陣もない治癒であり、少女シェリアは驚く。



「あの、それは……」

「弱い治癒の魔装です。腕を再生するのは難しいですが、止血くらいなら何とかなります」



 当たり前のように傷を癒した男は、自慢する様子もない。村において治癒能力は希少であり、ロカ族で幾人か使い手がいる程度だ。使い手であれば多大な尊敬を集めるはずなのだ。男が大したことでもないように語るのは些か不自然で、違和感のあることであった。

 シェリアが言葉を失っている間に彼は腕に巻き付けた布を外し、自ら傷を確認する。その痕は力ずくで引き千切ったように粗く、痛んで当然のものだった。治癒のお蔭で塞がっているものの、切断面は見ていて気持ちのいいものではない。確認後、すぐに自分の身体で隠して少女へと向き直った。



「助けてくれたようですね。お礼を言います」

「そんな。当然のことをしただけです。あ、私はシェリアと申します。あなたは……?」

「私はスレイ。スレイ・マリアスと言います。私は……私は……」



 スレイと名乗った男は自己紹介しようとしたのだろう。だが、名前を語った直後に言い淀む。そして頭痛を抑えるかのように左手で額を覆った。



「私は……何者、なのでしょうか?」

「……え?」



 シェリアは呆気にとられた。











 ◆◆◆










 腕を失った男が目を覚ました。

 それは良かったが、男は名前と自分の力について以外の記憶を失っていた。そこでシェリアはこの場所がどこで、どのような経緯で助けることになったのかを説明した。

 一通りの説明を終えた後、スレイと名乗った男は口を開く。



「すみません。どうも覚えがなく」

「そう、ですか。思い出せませんか」

「多分ですが、何かと戦っていたのだとは思います。何と戦っていたのかは――」



 スレイは思い出そうとして、頭痛に襲われる。

 まるで記憶を取り戻すことを拒否しているかのような反応で、思わず思考を止めた。



「――全く思い出せません」

「そんな……」

「気にしないでください。こうして応急処置をしてもらっただけでもありがたい話です。それに二日も眠っていたようですし」

「ふふ。それこそ気にしなくていいですよ」

「そういうわけはいきません。命の恩人に何も返せないとあっては恥です。何か手伝えることはありますか?」

「え、でも怪我人を――」

「あー……」



 治癒の魔装もあるので、肉体のダメージそのものは癒えている。ただ、右腕のない者に手伝いをさせるというのはシェリアも気が引けたのだろう。

 そこでスレイは周囲を見渡し、部屋の端にある桶を見つけた。



「アレを見てください」

「え? あ、はい」



 大切な記憶は失われているが、自分の魔装という力は覚えている。見た術式をコピーして魂に蓄積するという絶大な能力だ。それによって磁力操作の能力を手に入れていた。

 電子スピンを操作することで磁性を生み出し、その反発力によって桶を浮かせる。シェリアにはそれが驚くべき手品に見えた。



「凄い……」

「えっと、こんな感じで便利な力を持っていますから。役には立ちますよ」

「スレイさんは魔術師だったんですか?」

「いや、私は魔装士ですよ。魔術はソーサラーリングでしか使ったことがないですから」

「そーさらーりんぐ?」

「知りませんか? 魔術を自動発動してくれる魔術道具の一種ですよ」

「聞いたこともありません」



 これに驚いたのはスレイだ。

 ソーサラーリングが世間一般に広まっていたという知識は残っているので、シェリアが冗談を言っているのかと思った。しかしそんな様子もなく、本当に知らないといった態度である。

 そこでスレイは自分の知る知識について他にも披露した。

 オリハルコン、自動車、魔晶、ハデス財閥、魔装、殲滅兵、魔神教と、なぜ知っているのかもわからない知識を語る。しかしシェリアはどのどれも理解できず、首をかしげるばかりであった。スレイは自分の知識がただの妄想なのではないかとすら思い始める。



「俺の頭にあるこの知識は一体……」

「あの、ごめんなさい。私はずっと村から出たことがなくて。もしかするとスレイさんは外界から来たのかも」

「外界?」

「ええ。村は大樹に守られていて、その外では誰も住めない氷の世界が広がっているの。ここは大樹の結界で守られているけど、外に出れば魔物っていう怖い化け物もいるって。でも外の世界なら私の知らないものがたくさんあるのかも……」

「なるほど」

「あの、よかったら私の友人に聞いてみましょうか? 私と違って彼女は色んな知識を持っているし、もしかするとスレイさんの言っているものが分かるかも」

「本当ですか?」

「はい。今日は一族の修行があるから無理ですけど、今度の休みの日に紹介します」



 それは何の手がかりもないスレイにとって一つの希望であった。

 自分が何者なのか。

 なぜこのような知識を持っているのか。

 なぜこの場所に落ちてきたのか。

 それらの謎を解き明かすことができるかもしれないのだ。



「よろしくお願いします」



 二つ返事でスレイは頼み込んだ。








 ◆◆◆








 シェリアの友人、アリエットの時間が空くのは八日後ということで、スレイはその間もシェリアの家で暮らすことになった。彼女は両親が既に他界しており、弟と二人で暮らしているという。幸いにも大樹の恵みで食べる物に困ることはないが、弟が病弱で苦労の多い生活を強いられていた。

 つまり、男手であるスレイは大歓迎だった。



「シェリア、水を汲んできましたよ」

「ありがとうございますスレイさん。水瓶に入れてくださいますか?」

「わかりました」



 片腕しかないスレイに井戸水を汲ませるのは酷のように思えるが、彼はそれを魔装で補った。磁力を操る魔装によって水を吸い上げ、それを浮かせて持ってきたのである。その光景を見た他の村人たちは仰天したが、流石に数日も経つと慣れ始めていた。

 ただ、一部の村人は外の人間と思われるスレイを良く思っておらず、気味悪がったり陰口を叩いたりしていた。

 しかし重い水を毎日汲み上げ、家まで運んでいたシェリアは大助かりである。



「姉さんおはよう」

「あ、レフ。今日は起きても大丈夫なの?」

「うん。身体も軽いよ。昨日寝る前にスレイさんが治癒をかけてくれたから」

「そうだったの。ありがとうございます。スレイさん」

「いえ、気にしなくていいですよ。ここに泊めてもらっているお礼ですから」



 またスレイは力仕事などを手伝うだけでは不足と考え、持ちうる手段を使ってシェリアの弟を治療していた。流石に病気を治す力ではないので根本的な解決にはならないが、それでも体を楽にすることくらいはできる。

 お蔭でレフもすっかりスレイに懐いていた。

 あるいはスレイが寝物語に語る知識が気に入ったのかもしれないが。



「スレイさんは今日どうするの? 早く帰ってくる?」



 朝食に手を付けつつ、レフが問いかける。



「どうだろう? アロウズさんに呼ばれていてね」

「もしかして防人さきもりのアロウズさん? じゃあスレイさんも防人になるの?」

「私にできることをやりたくてね。それに村の外側から魔物が近づいてくることも増えたとかで、人手が欲しいそうだ」

「そうなんだ……気を付けてね」

「大丈夫。こう見えて強いから」

「凄いなぁ」



 村はタマハミ大樹の結界により守られているが、その結界は侵入を防ぐものではない。村を隠し、外から認識できなくするためのものだ。故に偶然、魔物が侵入してくることもある。それをいち早く発見し、討伐するのが防人という仕事である。

 魔物によっては命懸けで情報を集め、ロカ一族に対処を願うこともあるが。

 ともかく村の中では最も危険な仕事といえるだろう。

 そのせいか、自然と嫌われ者が追いやられる仕事ということになっていた。スレイはどこからともなく現れた部外者であり、不思議な力を使うことから気味悪がられていたのだ。



「あの、気にしないでね」

「シェリアさん……」

「記憶がなくなるなんて辛いことよ。いつか思い出せるまで、この家にいてもいいの」

「しかしそれに甘えるわけには」

「だって放っておけないから。困っている人を助けるのはそんなにおかしいこと?」



 自分が何者かも分からないスレイは、シェリアの優しさがとても暖かかった。







 ◆◆◆






 村の大樹はロカという一族が管理している。

 銀色の髪が特徴的なこの一族は、幼い時から厳しい修行を与えられる。そして大樹の管理のため、歴史を受け継ぐために多くを学ぶのだ。

 そんな彼らは聖域と定めた大樹周辺に居を構えており、滅多に村へは出てこない。唯一の繋がりは大樹を祀るためのタマハミ大社であった。またタマハミ大社も村人たちが立ち入れる部分が限定されており、奥はロカ族しか入ることが許されない。

 その日も、ロカ族の一部が奥の御堂で集会を開いていた。



「で、アリエットや。そのスレイなる男はどうじゃった?」

「うん。おばあちゃんたちの予想で間違いないと思う。魔装士だよ」

「なんと」

「やはりか」

「まさか現代まで残っておろうとはのぉ」



 ロカの長老たちは次々に感嘆の息を漏らし、話し合う。

 一般人と比較して寿命が長い彼らは、もう二百歳を超えている。最年長の者は三百歳近いというのだから驚きだ。これでも昔のロカ族に比べれば寿命が縮んだほどである。

 彼ら長老からすれば、まだ十代のアリエットは赤子のようなものだった。



「英雄マリアスと同じ名、か」



 ある長老がそんな言葉を吐きだした。

 タマハミ大社に伝わる英雄譚で、化け物をマリアスという英雄が封じたというもの。しかし彼らはこの話をおとぎ話だとは考えておらず、かつてあった事実だと認識している。村で崇められているタマハミ大樹こそ、化け物の封印なのだから。そして化け物から力を奪い、大地へと還元することで村の周囲は豊かであり続けている。そして封印の大樹を生み出したのがスレイ・マリアスという千年以上前に実在した魔装士であることも伝わっていた。

 ロカ族の長老たちはこの事実をひた隠しにして、また同じロカ族ですら全ての修行を終えた者にのみ口伝することにしている。

 だからこの場に呼ばれ、説明させられたアリエットには状況が飲み込めなかった。



「えっと……」



 戸惑うアリエットに気付いたのか、長老の一人が彼女に告げる。



「アリエットや。今後もスレイとやらを監視するのだ。何かあれば必ず儂らに報告せよ」

「それはいいけど……」

「理由を聞くことは許さん。全てを知りたければロカの秘錬を遂げよ」

「う……仕方ないなぁ」



 知りたいという欲求を抑え、アリエットも納得する。

 彼女の友人であるシェリアの家こそがスレイの厄介になっている場所だ。だからアリエットなら自然体を装って監視もしやすい。実際、今日もシェリアの家に行ってスレイと話をしてきたところだ。ロカの修行の合間になるが、時折顔を出してスレイについて調べるのは難しくない。



(そういえばシェリア……スレイと仲良くなっていたなぁ)



 とても乙女な表情をしていた親友のことを思い出し、少しやる気を出すアリエットであった。





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