魔族篇 1章・魔神

第367話 暗黒暦


 神聖暦三百二十一年、七月四日。

 終焉戦争と呼ばれた世界の終わりを招いた戦争の中で、最も刺激的で最悪の事件が起こった。いや、我々はその引き金を引いてしまったのだ。

 我々はただ、人類の導き手として正しくありたかっただけなのだ。

 ただ、神を伝えたかっただけだというのに。

 我々の。

 いや、あえて私の罪だと言おう。

 私はの兵器を認めてしまった。確かに当時の教皇は私ではなかったが、私も技術部の司教として責任を担っていた。危険と判断し、止めるべきは私だったのだ。

 空飛ぶ黄金の城は一つの国を滅ぼし、その威力は大地の砂塵を巻き上げた。それが太陽を覆い隠し、氷河期となったのだ。空を暗雲が覆い、子孫たちに母なる太陽を見せることができなかった。この暗黒の時代は私が生み出したものだ。

 どうか子孫たちよ。

 私を尊敬しないでくれ。

 戒めとしてこの罪を暦に残そう。


 『暗黒暦』と。


 仮にこの国、西グリニアが氷河期が終わった時にも残っていたのなら、私の罪の証として暗黒暦を残してほしい。

 世界の終わりを招いた罪を後世にも知らしめるためである。



 ~クゼンの黙示録 一章十節から二十四節~







 ◆◆◆








 暗黒暦が始まってから、世界は暗雲に閉ざされた。

 陽の光は届かず、夜が世界を支配する。寒冷化によって作物は育たず、動物たちは死に絶え、人間たちからも多くの餓死者が出た。終焉戦争前は二十億人ほどいた人間も、暗黒期には三百万人程度にまで減少してしまったのだ。

 むしろ人類絶滅の危機に瀕しても、三百万人も残ったと褒めるべきだろう。

 その要因は突如としてスラダ大陸に出現した迷宮にあった。



「シュウさん、このあたりがまた広がっていますね」

「みたいだな。まだ膨張するか……」

「山水域は比較的最近になって定着した区域ですし、変動が激しいのですよ」

「とはいえ、もう千年以上経つのに迷宮がここまで広がり続けるのはおかしい。異質な魔力がずっと流れ続けているし、迷宮魔法も発動し続けている。やはりこれは……」

「はい。生きていますね、ダンジョンコア」

「そろそろ確信的になってきたな」



 地下通路を歩くシュウは小さく溜息を吐く。

 かつて恒王ダンジョンコアとなったアゲラ・ノーマンを仕留め、その魂を冥府に沈めたのは確かだ。死魔法の究極術式である《魔神化》まで使ったのだから間違いない。ダンジョンコアの魂は確かに浄化し、完全に分解までした。

 しばらくは残存する迷宮魔法によって地下迷宮が広がることも予想できていた。

 だが、終焉戦争から千三百四十年も経過した現在でも迷宮が変異し、広がり続けていることは明らかな異常である。

 二人の現在いる山水域は迷宮の出入り口がある領域であり、スラダ大陸の西部に位置する。おおよそ、かつてスバロキア大帝国があった位置だ。山水域という名の通り、氷河期にもかかわらず地下迷宮と地上には比較的豊かな自然が広がっていた。



「どうやって生き延びた? 死魔法は確実に魂を浄化した……」

「フェイクの魂だったという線はありませんか?」

「それはないと思う。魂の質量も『王』に相応しいものだったし、実際に迷宮魔法を使っていた。神機巨兵マギアノリスに憑依していたのはお前も見ただろ?」

「ですよねぇ」

「とにかく、調べる必要がありそうだ。山水域は迷宮が広がっている影響か迷宮魔法の力が流れ込んできている。これを幾つか辿って、その元凶を見つけるしかない。それで全て分かるはずだ」



 一通りの魔力を調べた二人は、元来た道を戻り始める。

 山水域は地下通路も比較的広く、また太陽光のような温かみに包まれている。木の実が生る木々、美しい花々、そして小さな川のようなものまである始末だ。

 この常識はずれな空間は、間違いなく迷宮魔法によって法則が歪められた証。

 二人はダンジョンコアの生存を確信し、調査を続けた。









 ◆◆◆









 暗黒暦千三百年を過ぎた頃から、地上の気温は少しずつ上昇していた。とはいえ、摂氏マイナス五十度を下回っていた気温が、マイナス二十度になった程度である。寒いのは変わらなかった。

 実は恒王ダンジョンコアの生存を疑い始めた段階で、シュウとアイリスが環境操作の魔術を使い、少しずつ氷河期を解消していたというのが理由である。

 だが、氷河期の中にあっても地上で生き延びている文明は存在した。

 その一つがプラハ王国と呼ばれた国家である。スラダ大陸南西端に位置する国家で、妖精郷とも近い。妖精郷の環境システムの余波を受けて危機的な状況にまで陥らなかったのである。また、終焉戦争の際に直接的な被害をほとんど受けなかったことも理由に挙げられる。怠惰王による蹂躙の被害すら最小限であり、王国として形を保ったままだったのだ。魔晶技術の崩壊によって激しく混乱した時期もあり、多くの記録が失われはしたが、それでも地上の国家として残り続けた。

 そして他の要因により、地上での生活を可能とした地域も存在する。

 旧コントリアス南部に存在する小さな村であった。



「おーい! アリエット!」



 そう呼ばれた少女が振り返る。

 三つ編みにして左肩から垂らした銀髪が揺れた。木造の小屋に背を預けていた彼女は笑顔で自分を呼んだ友人に手を振った。



「待っていたよシェリア」

「ごめんね。弟が体調を崩しちゃって」

「いいよ。レフは体が弱いからね。また栄養のあるもの持っていくよ」

「そんな悪いよ」

「気にしないでって。ウチはとにかく権力だけはあるからね」

「流石はロカの人たちね」



 アリエットは自慢げだ。

 この村は中心に巨大樹が存在し、周囲を聖域としてロカ族が守っている。氷河期にあっても大樹の影響で周囲は温かみに包まれ、大地は太陽の光もなく豊穣を実らせていた。小さな範囲ではあったが、この大樹によって村は守られていたのである。



「じゃあ約束通り、今日はロール茸を探そう」

「本当にいいの?」

「大丈夫だよ。あたしにもそれくらいの権限はあるから」



 アリエットはシェリアの手を引き、茂みを通って大樹に向かって歩いていく。この村を存続させている大樹は非常に重要なもので、周囲はロカ族以外の侵入ができない聖域となっている。しかし例外もあり、ロカ族が一人でも付き添っていれば入っても良いのだ。

 今回、シェリアは病弱な弟のために滋養のあるキノコを探していた。大樹の付近にだけ生えるとされるロール茸が目的のものである。



「大樹かぁ……すごいよね。アリエットの御先祖様が大樹の結界を作ったんだよね?」

「うん。大樹は外界からあたしたちを守ってくれる。そしてあたしたちロカの民が大樹を守る。そうやってこの村は栄えてきたんだよ。大樹が大地を祝福してくれるお蔭で食べていける」

「本当にすごいよ。どういう仕組みなんだろう」

「うーん。あたしも分からないなぁ。全ての修行を終えたら教えてやるって言われたけど。あ、でもお祭りでやる演舞が関係するって聞いたよ」

「お祭り? それってタマハミ大社でやってるあの演舞?」

「それそれ」



 タマハミ大社は聖域の外縁部に存在する。

 村の住民が大樹を称えるために建てたもので、その由来は大樹の名称である。村の者たちは一般に大樹と呼んでいるが、正式な名前はタマハミ大樹というのだ。なぜその名前なのかは当然ながら伝わっておらず、一部のロカ族しか真相を知らない。

 修行を終えていないアリエットも知らなかった。

 ともかくタマハミ大社は村人にとって最も大樹に近い場所だ。豊穣を分け与え、村を繁栄させてくれるタマハミ大樹のため、ここで祭りを奉納するのだ。そこで行われる演舞は二人ともよく知っていた。

 だからこそシェリアは疑問を呈する。



「でもあれって英雄マリアスがロカ族の人たちと化け物を討伐するお話よね?」

「そうそう。みんな知っているマリアスの物語を元にした踊りだよ。毎年マリアス役の取り合いになって大変だよねぇ」

「ふふ。そうだね。レフもいつかマリアス役になりたいって言っていたわ」

「叶うといいね。で、どういう関係があるのかはよく知らないんだよね」



 二人は道なき道を進み、そびえる大樹の方へと向かっていく。この辺りは本来ロカ族だけが立ち入る聖域であり、他に人はいない。

 シェリアはふと立ち止まり、見上げる。



「近くで見るとやっぱり大きいね。首が痛いよ」

「でも綺麗でしょ? ほら、枝が綺麗に光ってる」



 アリエットが指さすように、大樹は枝葉を広げて光を宿している。それはまるで果実であり、星空のようだ。尤も、彼女たちは星空など人生で数度しか見たことがないのだが。

 青白く光る魔力が鱗粉のように少しずつ降り注ぎ、それが大地へと染み込んでいく。これによってタマハミ大樹を中心とした領域は氷河期であるにもかかわらず豊かなのだ。大樹が力を分け与え、周囲を温かく保ってくれる。

 大樹は守り神にも等しい。

 だからこそ、村人が大樹に近づけないよう、付近は聖域と定められていた。



「ねぇ」



 不意にアリエットが声をかけた。

 見とれていたシェリアはその不安の混じった声音に驚き、聞き返す。



「どうしたの?」

「あのね、シェリア。怖がらせるつもりはないんだけど」

「うん」

「最近ね。大樹の光が弱くなっているような気がするんだ。何というか、力が弱まっているんじゃないかって思うの」

「……本当?」

「分からない。もしかしたら気のせいかもしれないけど、何となく」



 それは驚くべきことで、仮に本当であれば大変なことだ。

 村にはおよそ三万人の人が住んでいる。この規模で村と言って良いのかは分からないが、古くから村と呼ばれているので皆がそれに倣っている形だ。この氷河期において彼らの生活を支えているのは間違いなくタマハミ大樹で、その力がなければ外界の寒さが及んでくる。すぐに食料はなくなり、奪い合いが始まることだろう。

 病弱な弟を抱えるシェリアとしては見過ごせる話ではなかった。



「どうかこの村が守られますように」

「うん。そうだね。あたしも修行を頑張る。そしてタマハミ様を守るんだ」

「応援しているよアリエット」

「えへへ」



 いつまでも安寧が続くように。

 そう願って二人は祈り、偉大なる大樹を見上げる。暗い空を覆い隠すように枝葉を広げる大樹は、まさに彼女たちの守り神だ。シェリアもアリエットも、その偉大さを噛みしめていた。

 だが、それも再び驚愕に変わる。



「え?」



 そう呟いたのはシェリアであった。

 突如として視線の先で空間が歪んだのである。その位置は大樹の枝のあたりであり、かなり高い位置にある。そして驚く間もなく、その歪みから何かが落ちてきた。

 直後に、それが人だと分かった。

 この高さから人が落ちれば間違いなく死に至る。慌ててアリエットが魔術陣を構築し、落下してくる人を風で包み込んだ。咄嗟のことで雑な術式になってしまったが、どうにか速度を落とすことができたらしい。歪みから現れた人間は地上に生えている木の一つをクッションにしながら地面まで落ちてきて、そこを赤く染めた。



「大変! すぐに治療しないと!」

「嘘……ちゃんとゆっくり下ろしたのに……」

「それよりもアリエット! 早く!」

「うん!」



 二人は慌てて駆け寄り、すぐに落ちてきた人間を観察する。

 するとここで地面に流れた大量の血液の理由が判明した。



「男の人……? これは! なんてこと!」

「腕が肘から千切れているわ。早く止血しないと……えっと、どうしたら」



 倒れていたのは右肘から下を失い、血を流して気絶する男であった。

 アリエットは激しく狼狽える。彼女はロカ族として魔術の修行に励んでいるが、まだ治癒系の魔術は習得していない。適性もあるので習得できるとは限らず、ロカ族の中でも治癒が使えるのは僅かだ。腕が千切れているという大怪我を治すのは不可能に近い。

 混乱する彼女に対し、シェリアはすぐに行動へと移した。躊躇いなく自分の上着から袖の部分を引き裂き、それを傷口に巻き付けて強く縛ったのである。指先が真っ白になるほど強く握り、全力で血を止めようとする。

 幸いにも男が痛みで暴れることもないため、止血は順調に進む。シェリアは反対側の袖も千切って包帯の代わりとし、再び男の腕を縛った。



「今できるのはここまでね……あとは家で治療しないと。アリエット、運べる?」

「ごめん。この人は聖域に入ることを許されたわけじゃない。いきなり空から降ってきた人を治療してくれないと思う」

「そんな……」

「掟だからあたしも逆らえないの。ごめん」



 未熟者のアリエットでは大人たちを説得することもできないだろう。男の治療も完璧ではないので、時間を浪費する暇はない。

 そこでシェリアは決断する。



「私の家に運んで治療するわ。流石に見過ごせないもの」

「いいの? 多分、よそ者よ? そんなことをしたら……」

「よそ者だからって見殺しになんかできない。できることはしたいの」

「……分かった。とにかくこっそりここから運び出そう。他の一族に見つかると面倒だよ」



 アリエットは再び魔術を発動し、男を風で包み込む。《風防壁ウィンド・ヴェール》という最近覚えた魔術の応用技だ。それによって少女二人では到底運べないような大人の男を容易に持ち上げる。風に包まれて浮く怪我人の男を運びつつ、二人は聖域の外へと急いだ。




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