第366話 古代文明の終焉
神聖暦三百二十二年。
それが神聖グリニアより始まった人類史最後の年となった。その原因は一体何だったのか。滅びゆく世界の人々はそんなことを考える。
スバロキア大帝国が復活し、政治的な関係からスラダ大陸全体の情勢が悪化した。そして大帝国による宣戦布告を発端として世界大戦が勃発した。だが、それが始まりとは限らない。そもそも神聖グリニアが無茶を通してディブロ大陸を攻略しようと試み、南ディブロ大陸戦争で甚大な被害を出してしまったことも原因の一つだ。
何が原因だったのだろうか。
やはりそれは分からない。
どれか一つが原因というわけではないのだろう。
歴史の全てがこの瞬間へと収束していたに過ぎないのだから。
「終わりましたね」
ラムザ王国のとある森の中を男が歩く。
彼は目元を隠す特徴的な仮面を装着しており、怪しいことこの上ない。『鷹目』と呼ばれた情報屋は一人、薄暗い森を迷いなく進む。
「あれから六か月ですか。あれほどの栄華を誇った文明も、失墜はあっという間ですね」
誰に語るわけでもなく、彼は呟く。
今は暦でいうと七月にあたる。一月に世界大戦が終わって以降、世界は大きく様変わりした。戦争による荒廃というより、出現した『王』の魔物が原因である。黄金の巨人と戦った冥王アークライトにより旧マギアの大穴は見る影もない荒地になった。憤怒王サタンと傲慢王ルシフェルの戦いにより旧神聖グリニア領から旧ファロン、旧バロム共和国にかけて多くが滅びた。また嫉妬王レヴィアタンと色欲王アスモデウスのじゃれ合いにより旧バロム共和国から旧コルディアン帝国の国境付近にかけて甚大な被害を受けた。そして何より、アロマ・フィデアを支配した怠惰王ベルフェゴールはスラダ大陸西側のほぼ全てを滅ぼした。
絶大な力を持つ『王』たちは畏怖の象徴となった。
各地で『王』の戦いが目撃され、それはもれなく伝説となった。
冥王アークライト。
天王バハムート。
海王リヴァイアサン。
地王ベヒモス。
魔王ルシフェル。
魔王妃アスモデウス。
いったいどこから始まった呼び名か分からないが、七大魔王に代わって六つの『王』が定着した。『鷹目』としては『黒猫』あたりが怪しいと考えているが、真相は定かではない。
「っと。そういえばもう使えないのでしたね」
癖でワールドマップを開こうとし、それが使えないことを思い出す。
自分の現在位置を知るには便利すぎる機能だった。昔はこのような機能がなくとも生活できていたが、こうして使えなくなると不安のようなものを覚える。いつの間にか文明に染まりきっていたようだ。
記念のつもりで今も指に付けているが、ソーサラーリングはほぼ使えない。
ハデス財閥は全てのネットワークをシャットダウンさせてしまった。それに伴い、ネットワークを利用した機能は使用不能となった。登録してある魔術を使うことくらいはできるが、素で大抵の魔術を扱える『鷹目』にはあまり意味のない機能である。
ただこれによって世界中で混乱が生じた。
メールも通話も地図も使えない状況は、現代人にとって最悪だった。人々は手の届く範囲で協力し合うしかなかった。この時点で全ての国が国家としての能力を失っていた。
「確かこの辺りだったのですが……」
鬱蒼と茂る蔦を掻き分け、『鷹目』は森の奥へと進む。氷河期が近づいているせいか、枯れている植物も多い。そのため、軽く手で払えば散ってしまう。パキパキと茶色くなってしまった落ち葉を踏みながら進んでいると、ある開けた場所に出た。
そこだけは比較的綺麗に整備されており、中心部には小さな石が建てられている。しばらく訪れていなかったせいで少しばかり蔦が這っているものの、目立つ汚れはなかった。
その石に近づいた『鷹目』は絡みついた蔦を払って綺麗にする。
「久しぶりです。騎士さん。もう三百五十年近くになりますか。復讐は終わりました」
そこは『鷹目』の育ての親、
仮に自分の親がどうしようもない犯罪者であるなら、討伐も納得したかもしれない。
だが
それを許さない魔神教に、ひいては神聖グリニアに復讐心を覚えたのである。
この復讐が
「意外と、虚しいものですね。復讐とは」
「そんなもんだろ」
背後に気配を感じると同時に声をかけられる。
振り返ると、シュウが立っていた。物音一つしなかったので、転移してきたのだろう。
「早かったですね」
「時間通りに来たつもりだが?」
「ああ、いつの間にかそんなに経っていたんですね。森をゆっくり歩きすぎましたか」
「感慨に耽っていたんだろ。復讐も達成したしな」
「ええ。あなたとの約束もね。『死神』さん」
ここにシュウがいるのは、単純に『鷹目』が呼んだからであった。
かつて神聖グリニアを滅ぼすのに協力してほしいと頼まれて以来、シュウは『鷹目』と協力関係にあった。しかもシュウが冥王として滅ぼすのではなく、自分たちの愚かさのゆえに滅ぼすという注文だ。難題ゆえに三百年以上も経ってしまったが、概ね『鷹目』の要望通りに決着した。
「ハデスの方も始末が終わりましたか?」
「ああ。妖精郷に関係のあるものは全て始末した。仮に遺跡を探っても関連を見つけることはできないだろうな」
「怠惰王ベルフェゴール……いえ、今は地王ベヒモスですか。まさかスバロキア大帝国を滅ぼしてしまうとは思いませんでした。てっきり『死神』さんが止めると思ったのですがね」
「少しは止めようとしたぞ?」
「おや、そうなのですか?」
「帝都やヘルヘイムに近づかれたときは俺もそれなりに本気で戦った。だが厄介な能力を手に入れていてな。戦いの影響でスバロキアは……西側諸国は滅びた。最終的にはヘルヘイムも放棄するしかなかった。逃げ延びた人間は難を逃れるために地下へ潜ったらしいな」
「ああ。新しくできた地下迷宮という奴ですか?」
「アゲラ・ノーマンが残していった厄介事だな。というか、この迷宮に飲み込まれた都市もかなり存在する。そもそも俺たち『王』に直接滅ぼされた都市より、迷宮に飲み込まれた都市の方が多いんじゃないか? ただ、これから訪れる氷河期を乗り切るための揺り籠になるし、しばらくは残しておこうと思う。時が来れば解体するつもりだ。元凶は討伐したから、焦る必要もない」
「そうなのですか? 今も徐々に広がっていると聞いていますよ」
「ああ。迷宮魔法の効果がまだ及んでいるんだと思う。落ち着けば止まるだろう。最悪、このスラダ大陸で止まれば充分だ。流石に惑星全土に広がるのは困るな」
恒王ダンジョンコアを仕留めた後も、マギアの大穴より始まった地下迷宮は広がり続けていた。それに伴って地上の都市がいくつも地下に飲み込まれ、そこにいた人々も消えてしまった。だが死んだわけではない。生きたまま迷宮世界に取り込まれてしまったのだ。
迷宮の出入り口と思われる場所も世界各地で発見されており、マギアの大穴もその一つとなっている。
ただ驚くべきことに、迷宮内部は意外にも人間にとって過ごしやすい環境となっているのだ。都市を丸ごと地下へ取り込んだということもあり、多少は崩れているが元の都市としての体裁は整っている。また疑似太陽のような光源となるものも存在しており、厚い雲に覆われて陽が差さない地上よりも快適なくらいだ。
地上で『王』たちが暴れている中、迷宮は人類にとって避難場所となった。
それでも多くの人間が死んでしまったが、絶滅まで追い込まれなかったのは確実に地下迷宮のお蔭である。
「今はもう地上にほぼ誰も残っちゃいない。大陸南西部……妖精郷に近い部分は地表にも集落が残っている。あの辺りは妖精郷の環境整備システムから影響を受けるからな。少し暖かい。プラハ王国のあった辺りだな」
「ディブロ大陸はどうなったのでしょうね?」
「全滅してるさ。多分な。憤怒王……今は天王か。アレが第一都市から第四都市をぶち抜いた。そのせいであの辺りは確実に全滅している。第三都市も同じく天王が破壊したし、第二都市は地王が踏み潰した。まぁ、第二都市から逃げ延びた人間が南ディブロ大陸に行っていれば、あるいは……だな」
「はは。南ディブロ大陸ですか。そこで生き残った人間が新しい文明でも作れば面白いかもしれませんね」
「ディブロ大陸も結界に守られた都市だけに人間がいたわけじゃない。俺も全部は把握してないから、もしかしたらだな」
世界は変わった。
何百年とかけて築いてきた文明も消えていくのだろう。
「『死神』さんの目的も果たせたのではありませんか?」
「まぁな。これで魔術や魔装の文明は衰退する。現代人はソーサラーリングに頼り切っていたし、アレがなければまともに魔術も使えないだろう。そのためにあらゆる魔力関連技術をハデスに握らせていたからな」
「魔を排除する、ですか。確かに半分ほど現実のものとなりましたね」
二人は黙る。
冷たい風が流れ、落ち葉が舞った。折角綺麗にした墓石に、再び枯れ葉が張り付く。
「……『死神』さん」
『鷹目』は改まって呼びかけ、仮面を外した。彼自身を表す記号でもあったその仮面の下は、若い青年である。変装により本当の顔を隠している彼だが、今だけは素顔であった。
「私は目的を達しました。だから、殺してください」
「……正気か?」
「初めからそのつもりでした」
「俺の情報屋になってくれるんじゃなかったのか?」
「死ぬまで、が契約ですから。ここで終わりにしましょうか。充分長生きもしましたからね。未練もありません。それに分かっているのですよ。私はもはや常人ではない。復讐に身を焦がしすぎました。私のような異常者は消えるべきなのです」
随分と穏やかな目だと、シュウは思った。
普段は仮面か変装によって隠されていた『鷹目』の本音だ。そんな顔をされては説得しようという気もうせてしまう。一応程度に試みてはみたが、やはり無駄だった。
「分かった。冥府に連れていってやる」
「ありがとうございます」
「次の人生が良いものになるよう祈っている」
「はは。私のような大悪人は地獄に落ちると思っていましたよ」
「残念だが、善人も悪人も等しく魂を浄化される」
シュウは右手を伸ばした。
残念ながらというべきか、『鷹目』は覚醒魔装士なので死魔法のエネルギー吸収では殺せない。物理的に殺害することが求められる。
しかし仮にも世話になった人間だ。
一瞬とはいえ苦しませて殺すのはシュウも躊躇われた。
なので『鷹目』に近づき、その胸元に直接触れた。
「言い残すことはあるか?」
「では一つだけ」
彼は最期に笑みを浮かべ、口を開く。
「私の名を覚えておいてください。ロキ、といいます。たとえ一時でもあなたと共に戦った者として、記憶に刻んでくださいますか?」
「ロキだな。確かに覚えた」
「あと、遺体はここに埋めてもらえると嬉しいです」
「二つじゃねぇか」
「ははは。そうでしたね」
冷たい風が噴き上がる。
枯れ葉が旋風を描きながら散っていった。
そしてこの日、歴史の陰で暗躍し続けた男の生も幕を下ろした。
◆◆◆
エル・マギア神を唯一の絶対者として崇める魔神教は、神聖グリニアと共に滅んだわけではなかった。その理由は、マギア包囲戦の直前に他国へと亡命した元教皇クゼン・ローウェルである。
彼は禁忌とされていた魔石技術に関係する資料を持ちだし、遠くへ逃れていた。わざわざ禁忌の資料を持ちだして亡命したのには理由がある。それは神子セシリアが残した予言であった。
「クゼンさん、お陰様で薪が集まりました」
「そうですか。お疲れ様です」
「この魔石? というのは凄いですね。ソーサラーリングとは違うんでしょう? 思った通りに魔術が使えて安心します。魔装が使えなくなるのは……少し寂しいですが」
あらゆる魔晶技術が使用不能になり、人々の生活は一変した。今まで使えていた魔術が使えなくなったというだけではない。魔術を利用していた道具は全て使えなくなった。火を起こすためには原始的な方法を使わなければならないし、水も川や湖から汲んでこなければならない。便所も土を掘って処分する必要があるなど、現代人にはとても耐えられない生活だ。
それを覆したのが魔石である。
かつて魂から魔装の力を抽出し、魔術触媒とする技術として密かに開発されていたものだ。魔神教はすぐに禁忌指定して封印してきた。そのため、一般には知られてない。
西へ逃れたクゼンは人々の惨状に心を痛め、禁忌と知りながらも魔石を教えた。
魔装を持つ人々からそれを奪い、代わりに生成した魔石を与えたのだ。貧弱であまり役に立たない魔装でも魔石は完成するので、人によっては魔装よりも使い勝手がいいのだろう。比較的好評ではあった。
「クゼンさんのお蔭で村も少しずつ大きくなってきましたね」
「ええ。噂を聞いて人も集まっていますし、いずれは街になるかもしれません。人が集まればできることも増えます。長く続く氷の世界でも、協力して生き残ることもできるでしょう。全ては神の導きです」
「はは。確かにその通りです。俺はもうエル・マギア神は信じていませんでした。西側の人間で信じている人はほぼいないと思いますよ。でも、また信じようと思いました」
「素晴らしいことです」
神聖グリニアと共に滅びるはずだった魔神教は、奇遇によって伝え残された。悪人として罪を被るつもりだったクゼン・ローウェルだけが生き残り、神の教えを伝え続けるとは皮肉なものである。
「そういやクゼンさん。村の名前はどうするんですか?」
太陽がすっかり顔を出さなくなってもう長く、大陸では雪が降る日も増えている。地下迷宮で暮らすならばともかく、地上の人間は暖を取る手段がなければ生きていけない。
クゼンはそんな行く先に困った人々を受け入れ、旧エルドラード王国領にちょっとした集落を作っていた。
「そうですね。西グリニアでどうでしょう?」
「攻めますねクゼンさん。ま、ここはあなたに感謝している人ばかりだ。反対する人はいないと思いますけどね」
世界大戦を経験し、『王』の戦いを目撃し、人々は疲れ切っていた。
自分たちを救ってくれる、神を願っていた。
(セシリア様はここまで見通していたのですね。私が最後の伝道師となる未来を)
遠まわしで分かりにくい神子を想い、クゼンは作業に戻る。
今も西グリニア村のために聖堂となる小屋を建てているところだ。栄華を誇ったマギア大聖堂とは比べようもないものだが、それでもここからまた始まると思えば気力も湧く。
新しい魔神教のため、今日もクゼンは精力的に働いていた。
◆◆◆
コントリアスを滅ぼした黄金要塞の浄化砲により、空には大量の塵が舞い上がった。それは空を覆いつくし、太陽を隠し、地上に長い冬を訪れさせる。
だがその厚い雲の上には、氷河期の元凶となった黄金要塞が残っていた。
「もう地上は全てが終わった頃ね」
ひときわ高い黄金の塔より、セシリア・ラ・ピテルが外を眺める。視界はおおよそ半分に分かれており、上半分は青い空、下半分は真っ白な雲となっている。
そんな彼女の後ろから足音が迫った。
「コーネリアね?」
「……相変わらず化け物じみた未来視ね。私が来ると分かっていたの?」
「ええ。あなたの報告もね」
そう言いながらセシリアは振り返る。
左目には痛々しい眼帯があるものの、一方で右目は吸い込まれるような深淵じみた印象を覚える。だがコーネリア・アストレイも慣れたもので、分かりやすく溜息を吐いていた。
「まぁ、一応報告するわ。あの攻撃で破損した部分の修復は終えたわ。ラ・ピテルの城はほぼ本来の機能を取り戻したと言ってもいいでしょうね。どうかしら、
最後の部分を特に強調して告げるコーネリアに対し、セシリアは軽い笑みを浮かべる。
彼女が指揮する黄金要塞は、エルドラード王国とカイルアーザの国境付近で大帝国同盟圏連合軍と激しい戦闘を繰り広げた。連合軍が新たに投入した召喚石もあって攻めきれず、見事に罠へと誘い込まれたのだ。最終的には炎の第十三階梯《
しかし破壊されていたわけではない。
この爆発の勢いにのって、遥か空の雲の上にまで移動していたのだ。また同時に、外部とのあらゆる通信機能を物理的に排除した。《
全て、セシリアの計画通りだった。
「分かってはいたけど慣れないわ」
「あなたが言い出したことでしょう? ここに空の国を作り、私たちは氷河期を乗り切る。地上は生きていくのも難しいほどの惨状、なのでしょう?」
「そうよ。私がこのラ・ピテルの城で王となり、空で安寧を築くの。私が見た未来よ」
「どこまで見えているのよ……それで弱体化したんだから驚きね」
「ある意味使いやすくなっているわ。あの力が両目にあると、見えすぎてしまうのよ」
そう言いつつ、セシリアはそっと右目に触れる。
すっかり荷を下ろし、解放されたかのような自然な笑みである。
「……で、どのくらいこの空で過ごす必要があるの?」
「そうね。時代が動くのは……だいたい千年は先かしら。その頃には氷の時代も終わって、雲も晴れているでしょうし」
「今から憂鬱だわ」
コーネリアは諦めたような、疲れたような溜息を吐いた。
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