第365話 迷宮魔法
地に伏した怠惰王に封印大樹が根を張った瞬間、誰もが勝利を確信した。かつて緋王を封印した実績があるため、確実に勝ったと思ったのだ。『樹海』のアロマ・フィデアが自分ごと封印することで、魔力を吸収し続ける。
怠惰王を一時的にでも弱らせるという無理難題を達成する必要はあったものの、それはハイレインという規格外の剣士のお蔭で成った。
「凄まじい剣でした。流石は皇帝陛下の懐刀と呼ばれるだけはありますね」
「これも仕事です。陛下に仇為す存在は切り伏せなければなりません」
「敬服します」
魔神教には『剣聖』と呼ばれる聖騎士がいた。
だが、この場にいる者はハイレインこそが剣聖に相応しいと考えていた。無理もない。一太刀で空を割り、大地を裂き、強大な『王』に消えない傷を刻んだのだ。不可能と思われた偉業をいとも簡単に成し遂げてしまったのだから、尊敬の目も当然である。
「ギリギリでした。後少しでモール王国の国境でした」
また安堵もある。
怠惰王はラムザ王国を抜けた後、ほぼ抵抗勢力のない旧コルディアン帝国領土を進行した。そして大帝国同盟圏国家であるモール王国に侵入する直前まで行ったのだ。連合軍の中でもモール王国軍は気が気でなかったことだろう。
通信回線でも喜びや安堵が窺えた。
またハイレインも魔装を消して封印大樹の根に包まれようとしている怠惰王を眺める。
「陛下への連絡は終えましたか?」
「カリヤドネ中将が既に行ったとは思いますが」
「であれば、私たちも帰還しましょう。早く陛下の護衛に戻らなければ。私の本分はアデルハイト陛下の護衛ですので」
すっかり戦勝ムードだ。
事実、神聖グリニアは事実上滅びたし、怠惰王という危機も排除した。これでスラダ大陸はスバロキア大帝国を中心とする世界になった。まだ永久機関は手に入れていないものの、ここからは氷河期に備えた準備に移ることだろう。
ようやく戦争が終わったのだ。
「ヴォオオオオオオオオオオオ! ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――ッ!」
これで帰れる。
家族とともに安寧に過ごせる。
彼らのそんな思いを、怠惰王の咆哮が打ち砕いた。衝撃波と共に放たれる音波は大地を揺らし、雲すら散らす。このまま完全に封印されると思っていた怠惰王が息を吹き返した。
「なっ……ハイレイン様あれを!」
「どうやら一筋縄ではいかなかったようですね。残念ながら」
「ですがまだ失敗したと決まったわけでは――」
僅かな希望を抱いてのセリフだったが、それもすぐに打ち砕かれる。
怠惰王の背より広がっていた封印大樹の根が止まったのだ。封印大樹の枝葉は広がってこれまでに見たこともない大樹となっていたのだが、それが突如として大量の花を咲かせた。穏やかなピンクや赤の花からは粉のようなものが舞っている。
一見すると怠惰王から
だが真実は違った。
アロマ・フィデアは自らの魂を封印の核として大樹を発動させた。緋王の時と同じ要領で、術の強度でいえばあの時よりも上である。だが、怠惰王の支配魔法とは致命的に相性が悪かったのだ。
封印するために自らを核とし、大樹を伸ばしたのが間違いだった。その根を伝って支配魔法による逆支配が起こり、アロマの魂は怠惰王ベルフェゴールの支配下に置かれてしまった。つまり封印が失敗したばかりか、アロマの魔装を奪い取ってしまったのだ。
その背に咲かせた花はアロマの魔装を利用したもの。
また撒き散らされる花粉は支配魔法を帯びている。いわば、花粉に乗って支配魔法の種のようなものが周囲にまき散らされたのだ。
「ぐあああああああああああああああ!」
「あ、がっ……何かが……入って……」
「や、やめろおおおおおおおおおおお! 私は、お、れは……」
「ひっ!? なんだ? 何が起こっ――ぐあああああ!」
変化はすぐに表れた。
連合軍怠惰王討伐隊と樹海聖騎士団は怠惰王を封印できなかった。そればかりか、アロマ・フィデアという魔装士の力をそのまま与えてしまった。
「ぐっ。これは」
当然、ハイレインも例外ではない。
いくら魔力を持っていたとしても、魔法に抗うことはできない。膨大な魔力の故に多少の抵抗は許されたが、最終的には同じく支配の効果が及んだ。
(何かに記憶が、感情が書き換えられる。私が仕えるべきお方は――馬鹿な)
一瞬でも真の主は怠惰王ベルフェゴールであると思ってしまった。このままでは自分が失われ、そればかりか本当の主たるアデルハイト・ノアズ・スバロキアに反旗を翻すことになるだろう。
かつて守れなかった皇家を想い、剣を極めた先にすら到達した。
だがこのままでは二の舞どころか、自らの手で皇帝とその一族を手にかけてしまう。
「それだけは――」
彼は『黒鉄』としてスバロキア大帝国に手を貸したが、いつでもその心は
そしてその刃を自らの首に沿えた。
「――あり得ない。陛下、どうかお許しを」
躊躇いなく、力いっぱい刃を引く。
真っ赤な液体が勢いよく噴き出た。
◆◆◆
複数の《
「そもそもアレの防御力が高いという考え方が間違いだ。確かにオリハルコン装甲は堅いが、俺たちに壊せないわけじゃない。俺たちは何度も巨人の装甲を破壊していた」
「まぁちょっと砕けてたみたいですけど」
「ああ。そうだ。ちょっとずつしか砕けないんだ。《
「……えーと、つまり脱皮していたってことですか?」
「そうなる」
黄金の巨人は全てを防いでいたわけではない。
ただダメージを受けた表面を脱ぎ去っていくことでダメージを肩代わりさせていたのだ。勿論、普通ならば多重装甲であろうと問答無用で貫通してしまう。シュウの言った通り、脱皮することで攻撃を無効化できたのは迷宮魔法のお蔭だった。
「予測が正しいとすれば、自然と迷宮魔法の正体も割れる」
「空間に干渉する能力は一部、というわけですね?」
「ああ。おそらくは空間ベクトルを掌握し、それを独立化させる能力だと思う。同じ空間に存在しながら、独立した部分空間として成立させる。それが迷宮魔法の正体だ。だから地下にあれほどの空洞を作っても崩れなかった。あの空洞は世界から
「えぇ……ということは、黄金巨人は装甲を一つ一つ独立させて、それを積み重ねているってことですか? だから破壊しても表面が壊れるだけで、下から新しい独立した装甲が出てくるって……」
「いったい何層あるのかは知らんが、百や二百じゃないだろうさ。体表からゴーレムを生成しているのもこの仕組みが理由なんだろうな」
「うぇ……」
これが空間魔術で再現されているだけなら、普通に死魔力で貫けた。しかし流石に同じ魔法で構成されているものまでは難しかったらしい。
『ようやく気付いたようですね』
「ちっ……念話での割り込みか」
『迷宮魔法の応用ですよ。あなたの予想は正しい。これも魔術による通信回路を迷宮魔法で構築したまでのこと。普通の通信と比べてセキュリティ強度は勿論、ハッキング能力までも上回っています』
「俺たちの会話も聞いていたってことか」
「盗み聞きなのですよ!」
『情報は武器ですからね。しかしこれほど早く私の能力が見破られるとは思いませんでしたよ』
「その割には、やけにあっさり魔法の正体を認めたな」
『あなた方は確信していましたからね。誤魔化しても無駄でしょう。それと……私の魔法を知って絶望していただくためですよ』
「何?」
《
巨人の内側に潜んでいるであろう恒王ダンジョンコアはクツクツと嫌な笑いを挟んで答える。
『私を守るこの外装、
「三万です!?」
「……面倒だな」
『あなたの死魔法では一度に一つしか貫けないのは分かっています。確かに私では冥王アークライトを倒せません。しかしあなたも私を決して倒せない』
ダンジョンコアの言っていることは間違いではない。
迷宮とは道を解き明かし、順番に攻略していくものだ。その通り、シュウとアイリスは
誰もが匙を投げてしまう仕様だった。
(わざわざ種明かしか……余裕なのか、あるいは)
慎重で臆病だったアゲラ・ノーマンらしくない振る舞いに、シュウは多少の疑問を覚える。だが、絶望的に面倒な防御機構を教えられたとして、見逃す理由にはならない。
(まぁ、乗ってやるか。ここで始末すれば問題ない)
シュウは死魔法の世界を具現化する。
自分自身の身体、そして魂までも死魔力によって置き換え、本当の意味で冥界の存在として昇華させた。冥界の主として君臨するシュウは、文字通り新たなる魔神と化した。
《魔神化》の影響によって全身に死魔力の術式が浮かび上がり、刺青のように定着する。
「挑発に乗ってやる」
冥府第一層、
『なぜ……これは……ッ!』
《魔神化》に伴う術式はこの世に冥界を顕現させるというものである。仮に独立世界を幾ら展開しようとも、関係なく冥界へと飲み込んでしまう。
更にシュウは
本来は世界の影に隠れている冥府の第一層、ニブルヘイムがこの世に出現する。
『隔離できない。これはまさか……囚われましたか』
流石にダンジョンコアも状況を理解する。
迷宮魔法は空間ベクトルを掌握して部分独立空間を形成することができる。その能力により邪魔なものを隔離したり、迷路のような独立世界を生み出すことも可能だ。また死魔力ですら、侵された部分世界を破棄することで疑似的に耐えることができる。
しかし冥界はそうもいかない。
もとよりシュウによって完全支配されたこの空間を隔離することはできず、独立空間として蓄積しているオリハルコン装甲も丸ごと取り込まれたせいで
そしてもう一つ、冥府の第一層に貯蔵されている地獄の炎も厄介だった。
「その炎は獄王の魔法だ。真空中であろうと燃え続ける。もう逃げられないぞ?」
「へぇ。あれってそんな特性があったんですね」
「俺も冥府に取り込んでから気付いたがな」
かつて戦った『王』、獄王ベルオルグの獄炎魔法は何百年と旧帝都を燃やし続けてきた。かつてのスバロキア大帝国は獄炎から逃れることはできず、炎は帝都が消えてからも燃え続けた。
そこにシュウは注目した。
死魔法で冥界を生み出した際、魂の浄化場所である冥府へと獄炎を取り込んだ。この世の影に隠れた死魔法の次元へと取り込み、そこで獄炎を保存したのだ。今も冥府第一層ニブルヘイムで獄炎は燃え続けている。
またこうして獄炎を取り込んだことで、その性質について一つ気付いたこともある。
獄炎魔法は不滅属性を持っているということだ。元から決して消えることのない炎と恐れられていたのだが、それが嘘でも誇張でもないことを理解した。本来、炎は燃えるモノがなければ維持されない。だが獄炎は何の物質もない真空中であろうと燃え続ける。炎という存在が独立して維持される。不動にして不滅の炎は、一度燃やし始めたものを捕えて離さない。
実際、獄炎に包まれた
『馬鹿な。転移すら……』
「殺せないなら、直接冥府に引きずり込むまでだ。俺が誰だか忘れたのか?」
冥王アークライト。
それは人の世において魔物の『王』であるとされている。だが、今やその存在は人間の想像を遥かに超える領域に至っていた。
魂を浄化し、次の命へと繋げる死の世界の主。
それこそが本当の姿だ。
「もう、魂を守るものもない。終わりだ恒王……いや、アゲラ・ノーマン」
シュウはその身に宿す死魔法の術式をさらに射出する。狙うはその目に見えるダンジョンコアの魂だ。
ただ残念ながらニブルヘイムは物質に依存した存在が冥府へと紛れ込まないよう迎撃するための表層機構に過ぎない。冥府本来の、魂を捕らえ、浄化する機能は更に深い場所にある。
「第二層、
死魔力で構築された術式が、表出したダンジョンコアの魂を捕らえた。獄炎に囲まれて決して逃げられないその魂を、直接捕まえて冥府の底へと沈める。
それだけではない。
ニブルヘイムが冥府において物質的エネルギーを吸収する領域とすれば、ヘルヘイムは魂を浄化してまっさらに戻す領域だ。個体として自我を確立するにあたり、魂は精神構造を蓄積させていく。それは感情や記憶を構成し、人格というものを形成する。魔装の能力も同様だ。
流石に危険と感じたのだろう。
ダンジョンコアは獄炎に囚われた
「逃げられますよ?」
「分かっている。問題ない。無駄だからな」
そうして新しく生成した
「もう魂を
ニブルヘイムが物質エネルギーを吸収するように、ヘルヘイムは魂のエネルギーを吸収する。つまり魔力構造物を食い尽くすのだ。
既にダンジョンコアの魂には
だから逃げられない。
故にもう
『私は、アゲラ……いや、そんな。科学者として、違う。私は……誰だ?』
魂の表層にある精神構造が殺され、その魂は基礎部分を残して削がれていく。これは新しい身体へ乗り移ろうと変わらない。
記憶も感情も消えていき、やがてその魂は無垢なものへと戻っていく。
もはやダンジョンコアはアゲラ・ノーマンであった頃の記憶すらほぼ残っていない。魂に刻まれた使命すら忘れ、何のために戦っているのかも分からなくなる。
『私……は……?』
「悪いが、お前の魂はひと欠片も残すつもりはない。ここで終われ」
最後の記憶すら消し去り、残った無垢の魂を死魔法で握り潰す。
アゲラ・ノーマンだった恒王ダンジョンコアの魂は間違いなく砕け散り、間違いなく死ぬ。予定通り、シュウはターゲットの殺害を成功させた。
魂の抜けた
ゆっくり、暴風を巻き起こしながら倒れ、大量の土煙が上がった。
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