第364話 限界を超えた人


 《巨神招来ゴーレム・ファクトリー》によって顕現したオリハルコンの巨人は、全身から泡立つようにドローンを生み出した。その様は生物的な現象を彷彿とさせ、無機質な巨人とは不釣り合いだ。アイリスは嫌悪感を浮かべる。



「気持ち悪いですねー」



 ドローンは海を泳ぐ魚の群れのように密集し、群体として宙を舞う。とても数えきれないそれらは十字型のダガーを思わせる形状であり、ぴたりと停止して切先にあたる部分をシュウたちへ向けた。

 なのでアイリスは《無間虚式》を放ち、巨人の頭部ごと多数のドローンを消滅させる。空間連続性を断ち切ることで一瞬だけ次元の穴を生み出し、発散空間へと放出させるのだ。それによってドローンは消え去ったが、巨人の頭部は健在だった。



「私のでも駄目ですか」

「空間ごと潰しても効かないってことは、空間作用に間違いはなさそうだな」



 元から迷宮魔法が空間に作用することは予想されていた。しかもただ空間を操るのではなく、ベクトル空間を操り固有化させる能力と考えられる。

 なぜなら魔神ルシフェルが創造したこの世界に属する限り、《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》や《無間虚式》の影響を受けてしまう。無傷で耐えられるということはまずない。つまり何かしらの方法でこの世界と断絶させているということになる。



「確かめてやる」



 シュウはマザーデバイスを使って飛行魔術を制御し、演算力を割くことなく望む通りに飛び回る。黄金巨人の周りで円を描くように距離を詰めていくと、ドローンは切先を向けて次々と射出された。そればかりか一定以上シュウに近づくと自爆して攻撃する。

 ドローンが自爆特攻兵器だと気付いたシュウは、死魔法でそれらを停止させる。そして右手に貯めていた死魔力を放射し、巨人の胸元を貫こうとした。重要なパーツは胸元にあるだろうという安易な予測をしたからだが、意外なことに巨人は防御すらしない。

 まともに死魔力を受けてしまい、即死効果によりオリハルコン装甲は根源量子に還元される。黒い魔力は直撃した巨人の胸元から炎のように広がり、左肩付近まで侵食して消える。



「何?」



 だが黄金の巨人は健在だった。

 万物を即死させる死魔力ですら効かず、胸元には風穴一つない。死魔力が少なかったことで殺しきれなかったということはあり得ない。少なくとも貫通させるに充分な量を放ったつもりだったからだ。



(おかしな挙動をしたな。表面で受け止められて広がった……?)



 疑問を分析する間にも自爆特攻ドローンは次々と射出される。そこでシュウは死魔力を一点に凝縮した《冥導》を発動し、迫るドローンを異空間へと吸い込ませる。これは死魔法で空間を殺し、次元の穴を空け、その修復力を利用して周囲のエネルギーを吸い込むという術式だ。

 アイリスの《無間虚式》もこれに似ているが、こちらは空間に穴が空く衝撃によって周囲を巻き込みながら異次元に放逐しているので微妙に仕組みが異なる。

 ともかく《冥導》は迫る大量のドローンを次々と処理し、その間にシュウは次なる術式を発動する。それは《冥導》を応用した《冥導残月》というものだ。死魔力を宿した手刀で軽く空間をなぞると、そこに異空間へと繋がる穴が空く。それは死魔力によって支えられた空間であり、一種の冥界だ。本来の冥界とは比べようもない雑なつくりではあるものの、即席の空間としては充分である。シュウは一度その傷を空間魔術で閉じた。

 巨大な空間の傷を作成した後は、飛行魔術で大きく下がりながら黄金の巨人に対してベクトル操作魔術を仕掛けた。



「来いッ!」



 手を翳し、引力の魔術を発動する。

 巨人はその見た目にそぐわず意外と軽い。なぜならオリハルコンは鉄のような普遍金属よりも頑丈でありながら半分以下の軽さなのだ。

 黄金巨人はたたらを踏みながら傷が設置された空間まで引き寄せられる。

 その瞬間、シュウは再び疑似冥界と化した空間の傷を開く。つまり黄金巨人は内部から空間の傷によって破壊されることになるのだ。

 だが動きすら鈍らず、巨大な右腕を振りかぶってシュウを殴ろうとした。



「シュウさん危ないのですよ!」



 そこでアイリスが時間を遅くし、黄金巨人の殴打を緩やかに変える。彼女自身は周囲に《時空乱流マーブル・テンプス》を発動させており、自爆特攻ドローンの攻撃を防いでいた。



「よくやったぞアイリス! そのまま固有指定で巨人を止めろ!」

「もうやっているのです」

「流石だ」



 シュウは緩やかに迫る巨大な拳へと近づき、手を触れた。時間遅延は巨人の右拳に対してかけられているため、シュウが触れてもアイリスの魔装にかかることはない。三百年の間に彼女もこれほどの細やかなコントロールに身に着けるに至っていた。

 そして珍しく集中のために目を閉じ、巨人の右拳を覆いつくす巨大な魔術陣を形成する。その魔術陣は凄まじい勢いで広がり、あっという間に右腕、右肩、首、胸、頭、腹、左肩、腰、左腕、両足と順番に黄金巨人を包み込んでしまった。



「消えろ。《暗黒相転移ブラックホールフェイズシフト》」



 発動したのは妖精郷で開発した物質の状態変化魔術だ。

 物質が固体、液体、気体と変化するように、究極的にはブラックホール状態というものになり得る。《暗黒相転移ブラックホールフェイズシフト》はこれを魔術によって意図的に引き起こし、物質を質量状態から情報状態へと変移させるのだ。この状態にすればどんな大質量でも圧縮可能で、それこそ惑星規模の質量ですら指先程度に凝縮できてしまう。

 これによって黄金巨人を圧縮消去しようとしたのだ。

 だが次の瞬間、シュウは巨大な黄金の右腕によって殴られた。その衝撃は凄まじく、シュウの強靭な魔力体すら破壊して大地へと叩きつけた。



「がっ!?」



 大地が割れて粉塵が舞う。

 だがその場で埋まっている場合ではない。黄金巨人は健在で、今度は足を振り上げ踏みつけようとしていたのだ。



(どうなっている。アイリスの時間停滞が解除されたのか? そもそも《暗黒相転移ブラックホールフェイズシフト》も効いていないのはどういうことだ? ともかく――)



 空が遮られ、金色が迫る。

 シュウは思考を中断してマザーデバイスに命じ、転移魔術を発動した。黄金巨人の真上に現れると同時に先程までいた場所は粉砕され、大量の塵や岩石が舞う。



(――俺やアイリスの最大攻撃でも傷一つ付けられないというのは流石におかしい。幾ら魔法で守っているとしても限界はある。何か仕組みがあるはずだ)



 機動力に長けた自爆特攻ドローンが切先をシュウへと向け、連続して射出される。今も黄金巨人の体表からは泡立つようにドローンが生み出され続けており、攻撃が止まる様子はない。



(体表から生まれるドローンも妙だな。普通は内部で生成して放出する方が術式的にも楽だ。わざわざあんな気持ち悪い方式にする意味が分からん。まさかわざわざ非効率な方法を取るとは思えないし、何か理由があると考えるべき……)



 シュウは《光の雨》を発動する。

 上空で生成した小さな魔力結界を加重・加速魔術で撃ち下ろし、無数の流星として落とす魔術だ。空気摩擦によりプラズマの尾が生じ、それが流星のように見える。

 如何にオリハルコン装甲であろうとも、これほどの運動エネルギーならば多少の傷は免れない。大量の流星が黄金巨人に叩きつけられ、体表から生成されようとしているドローンすら粉砕する。そのためかオリハルコンの破片が大量に飛び散った。



(……ん?)



 それを見ていたシュウは違和感のようなものを覚える。

 喉につっかえているような、嫌な感じだ。しかしそれが何なのかはまだ分からない。そうして考えていると、アイリスが《時空乱流マーブル・テンプス》を発動し、黄金巨人の一部を覆う。時間流の乱れた空間はあらゆる現象に不和を起こし、黄金巨人すら動作不良を起こす……はずだった。



「表面が割れてる……?」



 《時空乱流マーブル・テンプス》の影響下で動こうとした黄金の巨人は、内部で大量の歪みを生じさせて砕け散るはずだった。しかし予想に反して砕けたのは表面の装甲だけ。それらが剥がれていくと、その下には無傷のオリハルコン装甲が再び現れる。

 それを見た瞬間、シュウは仕組みを理解した。



「そういうことか」



 シュウは《時空乱流マーブル・テンプス》で自爆特攻ドローンを防ぐアイリスの側に転移する。突然現れたシュウを見てアイリスは驚き、また心配の声をかけた。



「あの、大丈夫でしたか? さっきの攻撃」

「問題ない。人間だったら死んでたかもしれないが、俺は魔物だからな」

「ですよね……それでどうしたのです?」

「アレの無敵性を少し理解した。俺たちの攻撃に対する反応を統合し、さっきの《時空乱流マーブル・テンプス》の影響を見て一つ思いついたことがある」

「魔法で防がれている、ということじゃないんですよね?」

「違う。ある意味、俺たちの攻撃は全部効いていた。これから説明する」



 シュウは一度戦場をリセットするべく、六つの《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》を同時発動する。それを均等に空間へと飛ばし、炸裂させた。

 内部を焼き滅ぼし、食い尽くす神呪級魔術が一帯を破壊した。







 ◆◆◆






 ハイレインという男は剣の道に生きた。

 彼は刀剣が戦場を支配していた時代に生まれ、その戦いに見せられた。重火器こそが正義となった現代では廃れてしまったが、それでも彼は剣を捨てなかった。寧ろ以前にも増して剣を極めることに注力し、果てなき頂きを目指したのだ。

 彼の生きざまは剣である。

 だからこそ、ただの人であった彼は覚醒した。魔装士ですらなかったにもかかわらず、脳と魂を変異させて覚醒に至ったのは後にも先にも彼くらいなものだろう。だがこれは、覚醒という現象が魔装士限定のものではなく、全ての人に与えられた『進化』であることを意味していた。

 人間は強烈な意識の表出により精神構造をアップデートさせる。才能、努力、意思といった要因が組み合わさった結果、魂が一つ上の次元に至るのだ。魔装士という存在は、『進化』の素養が普通の人間よりも大きいというだけの話である。そもそも魔装というのは魔神ルシフェルが後付けで人間に与えた能力であり、変異のきっかけでもあったのだから。

 つまり覚醒とは魂の容量拡張、機能拡張にあたるもの。

 既存の魂で行き当ってしまった限界値を突破し、上限を解放する仕組みである。根源量子の次元から魔力を受信するのは副作用のようなもので、本質ではない。古代では覚醒魔装士は無限に成長すると勘違いされてきた。だが所詮は魂のアップデートである以上、また上限に行き当たる。

 ハイレインという男は初めて覚醒してからそろそろ四百年になる。一度目のアップデートで伸縮自在の刀という魔装を手に入れ、それでも弛まぬ研鑽を続けてきた。そんな彼は、およそ百年前に二度目の限界値へと達した。覚醒者としての上限に辿り着いていたのだ。

 ここでハイレインにとって大きな出来事が起こる。

 ファロン帝国という国に身を寄せていた彼は、そこで子孫を守りながら弟子を育てていた。その際に彼は冥王アークライトと交戦し、激闘の末に敗北する。しかしただ負けただけではなく、その戦いによってまた一つ壁を越えていた。



「凄い……怠惰王の傷が消えない……ッ!」



 奥義・星喰そらぐいが放たれ、怠惰王ベルフェゴールはその身に深い傷を受けた。本来ならばすぐに再生されてしまう傷だが、なぜだか今は治らない。他の砲撃や魔術攻撃による傷は問題なく再生しているにもかかわらず、ハイレインの付けた刀傷だけは別だった。

 尊敬と畏怖を同時に集めるハイレインは、再び刀を上段に構え、集中する。

 彼が発動するのは刀の魔装。そしてもう一つ、時間操作だ。アイリスほどの万能性を有するわけではなく、彼自身の肉体について時間を操作する程度のもの。しかし彼自身の力によって覚醒した二つ目の覚醒魔装であった。

 ディブロ大陸の超古代文明ですら邪悪な実験により幾つかの外付け魔装を成功させた程度で、天然にそれを手に入れた者は歴史上存在しなかった。理論上可能というだけで、そこに至る者は存在しなかった。異常者ともいえるほどの執念により、彼は自己固有時間操作という力を手に入れ、奥義・星喰そらぐいを真の意味で完成させた。



「シッ!」



 短く鋭い息が吐かれるよりも前に、既にハイレインの刀は振り下ろされていた。それから遅れて再び空が裂け、雲が分かれていく。刀傷の残る怠惰王に斬撃が直撃したのはその後だった。

 遅れて斬撃がやってくる。

 それが星喰そらぐいの恐ろしさである。物理的に時間を突破していた彼は、遂に固有時間操作へと目ざめ、本当に未来を切り裂くようになったのだ。

 また驚くべきことに、二度目の斬撃は一度目の斬撃にぴったり沿っていた。ハイレインは類稀なる剣術により、一度目の斬撃痕をなぞる斬撃を放ってみせたのだ。これによって怠惰王に付けられた傷は深くなり、更に彼の『王』を苦しめる。

 そしてやはりというべきか、その傷は治らない。



「い、いったい……どうして」



 驚愕の言葉は自然と漏れ出したものであり、ハイレインに尋ねたわけではなかった。だがハイレインは律義にも彼の疑問を解消するべく説明する。



「アレは未来の傷。故に現在では癒すことができません。時が訪れ、結果が真に確定するまでアレは怠惰王を蝕み続けるでしょう」

「は?」

「難しく考える必要はありませんよ。一定時間、傷を治癒させない呪いのようなものです」



 現代の魔術優位に慣れた彼らからすれば意味の分からない話だった。魔術は比較的理論に沿って構築されているため、分かりやすい自然科学によって説明できる。だが魔装というものは常識を超えており、今でも術式として再現できないものが多い。

 その中でもハイレインの魔装は理解不能の領域であった。

 大空すら両断し、『王』の魔物を容易く傷つけ、そればかりか癒えぬ呪いすら刻むという。



「ヴォ! ヴォオオオオオオオオオオオッ!」



 苦しみのためか、怠惰王は吼える。

 咆哮は大地を揺らし、空気を震わせ、雲すら吹き飛ばす。近くを飛んでいた黒竜はその衝撃波によって制御を失い、運が悪い機体は墜落した。それなりに距離を空けていたはずの陸軍ですら壊滅状態となっている。戦車や魔術砲台が衝撃波で吹き飛ばされ、兵士たちも鼓膜を破壊されてしまったのだ。耐えきったのは《絶魔禁域ロスト・スペル》を張る黄金要塞くらいなものだろう。

 星喰そらぐいのために遠く離れていたハイレインたちのいる丘陵地ですら、多くの機材が一時的に使用不能に陥った。

 魔力を帯びた咆哮はそれだけで現代兵器に壊滅的な被害を与える。

 だがハイレインは不動だ。



「アデル様のため、ここで止めます」



 他の者からすれば、ハイレインの斬撃はワンアクションに見えた。いや、正確には攻撃が始まったと思えば終わっていた。

 彼らは怠惰王ベルフェゴールに四つの深い傷跡が付いたという結果を見て、ハイレインの攻撃を理解したのだ。文字通り神速を誇る剣は怠惰王を確かに弱らせる。

 まだ斬撃は終わらない。

 固有時間操作により限界を超えて自己加速したハイレインは、誰も理解できない速度で時を越えた剣を振るい続ける。

 それは連合軍と樹海聖騎士団の計画した作戦のため。



『樹海――士団、アロ――フィデ――よ。封――準備が整――わ』



 ノイズ交じりの通信が流れる。

 聞き取り辛かったが、誰からの通達なのかはすぐに分かった。ハイレインは攻撃を止め、警戒しつつも行く末を見守る。

 大量の治らない斬撃を受け、地響きを立てながら倒れ伏す怠惰王は充分に弱らせた。

 そう判断され、アロマによる命を懸けた封印が始まる。

 山脈を思わせる怠惰王の背に大樹が生じ、そこから大量の根が網のように張り巡らされ、怠惰王を包み込み始めた。かつて緋王シェリーを封印した、魔力を吸い取る封印大樹が再び発動したのだ。









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