第362話 魔神化


 神聖グリニアはマギアが消滅したことで実質滅亡となった。だが、他の街も同時に滅んだわけではない。運よく憤怒王に見つからなかった都市では、人々が戦争の終わりを待っていた。住民も占領されている状況は好ましくないし、連合軍兵士からしても早く戦争を終結させて帰りたいと願っている。

 マギアの南、神聖グリニア領のほぼ中央部に位置するレオダールという都市では、占領している連合軍の間に動揺が走っていた。



「なぁ、聞いたか?」

「マギア包囲戦だろ。何かデカい竜がでてきて壊滅状態とか」

「連絡が取れねぇらしいな」

「大丈夫かな。俺の友達があっちに参加してんだ」



 銃を手に聖堂入口を守る兵士たちがについて話し出す。軍事行動中は階級によって情報が制限され、彼らのような下っ端兵ともなれば自分の所属する部隊が関係しない限り情報を仕入れることもできない。だが、ある噂が連合軍の間で流れており、不安が広がっていた。



「くそ。気になるな」

「所詮俺たちは下っ端だからな。知りたいことも知れない」

「俺は不穏分子を炙り出すための作戦だと思うね」

「このタイミングですることか?」

「だよな」

「うぐっ……」



 一部では冗談を言い合っているが、本音としては不安もある。何が起こっているのか知りたいという欲求もあった。

 占領下とはいえ敵地に留まり、いつ終わるか分からない戦争を待っているのだ。未知は常に恐怖として襲いかかり、不満すら蓄積させる。



「早く帰りてぇなぁ」

「家族が待ってるのか?」

「いや、先月発売のゲームを積んだままでさ。早くやりたい」

「おい」

「あ、分かる。俺も見たい映画があるんだよね」



 本来なら叱責ものだが、ストレスからか趣味の話にまで興じ始めた。この戦争が終われば自分の家に帰り、平和な生活ができると信じて。スバロキア大帝国が宣戦布告してから一年も経ってはいないが、世界は随分と様変わりしてしまった。幾つもの国が滅亡し、多くの難民が生じ、さらにこれから氷河期という最悪の時代が訪れるという。

 さっさとマギアを占領し、永久機関を手に入れ、平和に暮らしたいというのが本音だった。魔神教が掲げていたディブロ大陸制覇すらどうでもよく、強力な魔物にちょっかいをかけるべきではないという意見も多い。激動を経験した彼らは、ともかく平穏を望んでいた。



「あ? 揺れてねぇか?」



 戦争に勝って、賞与金を貰って、しばらくは優雅に過ごしたい。

 そんな彼らの願いが叶うことはない。



「っ! やっぱり揺れてる!」

「攻撃か?」

「いや……地震だ!」



 火山も散見されるスラダ大陸中央部では地震も珍しくない。それを知る兵士の一人が、これは魔術的なものではなく自然現象だと看破した。

 揺れはあっという間に激しくなり、舗装された道路に亀裂が走る。電波塔が揺れに耐えかねて倒れ始め、伝統的な石造りの建造物も割れていく。立っているのも難しく、彼らは地面に伏せて揺れが収まるのを待つ。だが揺れは酷くなる一方で、伏せていると地面が波打っている様子が見えた。

 やがて地面が弾性限界に達し、亀裂が広がっていく。

 地層がねじ曲がり、蓄積されたエネルギーが爆発して崩落し始める。

 そして遂にレオダールは中心部の大聖堂から沈み始めた。まるで地下に空洞でもあるかのように、堰を切った川のように、地盤沈下してしまう。地質調査によりレオダール地下には街が沈むような空洞は存在しないと分かっていた。都市は頑丈な岩盤に支えられていることを前提としており、高層建築物などは水に沈んでいくかのように、地の底へと消えていった。

 レオダールは突如として地の底へと消える。

 だが驚くべきことに、周辺の街では全く揺れていなかったという。後にレオダールだった場所へと訪れた人々は、ここで何があったのか、全く解明できなかった。

 またこの現象はレオダールだけでなく、神聖グリニアを中心とした世界各地で確認されるようになる。消えた都市の謎としてまことしやかに囁かれるようになった。







 ◆◆◆







 元マギアだった大穴の底で恒王を探すシュウとアイリスだが、大穴を落下して地の底を目指そうとしていたところで異変に遭遇した。暗い地の底を目指していたハズが、不意に景色が切り替わったのである。二人はちょっとした広さの洞窟内に着地した。

 そこは光源がないにもかかわらず明るさが確保されており、五か所に出口のようなものがあった。それぞれの出口の先は細長い通路のようになっているため、外に出られるというわけではないが。



「強制転移か? いや、これは……」

「条件付きの時空連続性湾曲なのですよ。ゲートに似てますね」

「なるほどな。ショートカットは許さないと」

「穴の側面に洞窟がたくさんありましたから、ここもそのどれかだとは思いますよ」

「観測魔術が上手く機能しないここで自分の位置が分からなくなるのは面倒だな」



 ダンジョンコアを自称するだけあり、完全に迷路になっていた。恒王は大穴の底にいるであろうことが予想できているので穴を降りていったのだが、そういったズルは許されないようだ。真面目に迷路を攻略しろという意思を感じられる。

 とはいえ、それに従う理由はない。

 シュウは大空洞の壁を死魔力で破壊し、正規ルート以外を進むことも試みる。だが壁を破壊した先から修復され、元に戻ってしまった。問答無用でこの世から殺す凶悪な魔法であっても、このように即座に修復されては意味がない。



「……もう一度対策を練った方がいいかもしれないな」

「ですね。たぶん全然先に進めないのですよ」

「というより脱出も難しくなっている。正しく迷宮だな」



 迷宮魔法は世界を切り取り、箱庭を作り出す。

 その本質は切ったり繋げたりといった工作だ。シュウが死魔法で消したならば、消した分を補充するようにして新しく世界が作り直されてしまう。また恒王は今も世界に向けて迷宮魔法を広げており、シュウが殺すよりも補充スピードの方が速い。

 このキリのなさには二人とも辟易していた。

 ともあれここに留まっているわけにもいかないので、適当な行先を選んで細長い洞窟の方へと歩いていく。そこも大空洞と同じく謎の光によって光源がなくとも視界を確保することができていた。



「正直、アゲラ・ノーマンが『王』になるのは予想外だった」

「意味わからないですよね」

「ああ。永久機関に魔法魔力が落ちてきたから、それを取り込んで馴染ませて魔法を会得した? 意味が分からん。そんなんで魔法が獲得できたら何も苦労はしない」



 たとえるなら人参を食わせた馬が人参に変化するようなもの。かなりの知識を蓄えていると自負するシュウですら、何がどうなって迷宮魔法を会得できたのか理解できない。

 また魔法という概念の仕組みは少しずつ解明できているが、なぜそれを獲得できるのかということまで正確に理解しているわけではない。



「思えば聖杯から召喚された男の人も謎でしたよね」

「まぁな。僅かとはいえ魔法の力を持っていた。それに魔装と思われる能力を複数持っていたしな。性能から考えても覚醒魔装クラスだった。聖なる光を使ってきたときは驚いたが」

「どこから召喚されたんでしょうねー」

「元は聖杯教会が神を降臨させるために用意したものだ。仕組みとしては時空系の魔術を利用したものだと思う。分解して調べないとどこから召喚されたのかは分からないな……そういえば黒衣の男は召喚された割に自分のやるべきことが明確だったな」

「あ、確かに動きが迷いなかったですよね」

「もしかすると召喚される側も望んでいたのかもな」



 そんな会話を続けながら洞窟に沿って進んでいると、また開けた場所に出てきた。そこは洞窟内にもかかわらず白い光が注いでおり、また中型のビルが乱雑に配置されている。隙間を埋めるように住宅も並んでおり、設計に失敗した街のようであった。街路樹や公園のようなものもあるので、地上の街をそのまま地下に取り込んだかのようになっている。

 シュウとアイリスは顔を見合わせた。



「これってそういうことだよな?」

「ですよね」



 二人の意見は一致する。

 間違いなく恒王は地上の街を地下に引きずり込み、迷宮の一部としている。場合によっては都市の住民すら取り込んでしまうだろう。すなわち大陸全土を恒王ダンジョンコアに支配されてしまうことを意味する。

 追い詰めたつもりが、予想外の方法で窮地に立たされてしまった。

 まだ慌てる必要こそないものの、時間が経てば経つほど恒王に有利な世界になっていく。



「アイリス」

「なんです?」

「少し離れろ」



 シュウは手元に死魔力を灯す。

 だがその魔力を放出することはなく、体に取り込んだ。魔物としての肉体を構築する魔力を置き換えるようにして死魔力を使用したのだ。自分自身を死魔力として再構築し、その魂を冥界へとアクセスする。この世界と重なるようにして生み出した冥界は、シュウの固有世界だ。シュウは自分自身をアクセスポートとして作り替え、この世と冥界を繋いだ。

 その証として全身に黒い術式が刻み込まれる。

 術式は非常に緻密であり、既存の魔術とは全く法則が異なっていた。仮に普通の魔力で同じ術式を構築したとして、それが機能することはない。死魔法のための固有術式なのだ。



「少し広げる。動くなよアイリス、魔神術式は制御が難しい」



 ただそう忠告し、集中するため目を閉じた。

 するとシュウの全身から鎖のように黒い術式、魔神術式を解き放つ。それらは死魔力で記述されたシュウだけの術式であり、触れようとすれば例外なく死ぬ。また術式はまるで意思があるかのように洞窟の地面、壁、天井を這いまわり、時には空中をうねって広がっていく。アイリスのいる場所だけは術式が通過しないように調整されていたが、彼女が下手に動けば犠牲になりかねない。

 自分自身を魔法として置き換え、固有世界を解き放つ。

 神の如きこの力こそシュウが見出した死魔法の終着点だ。《魔神化》と呼んでいるこの能力は、実験以外で発動したことがない。



「アイリス、《量子幽壁クオンタム・フラクト》は使っているな?」

「大丈夫ですよ」

「そろそろ冥界を実体化させる。冗談でも解くなよ」

「絶対に解かないですよ!?」



 確認を終えたシュウは、もう一度集中する。

 迷宮に広げた魔神術式により世界を侵食し、強制的にシュウの固有世界に塗り潰す。つまり死魔法の世界たる冥界をこの世に開く。



凍獄術式ニブルヘイム



 物質に依存した肉体を朽ち果てさせる冥府の第一層が具現化した。








 ◆◆◆








 マギアの大穴を中心に創造した地下大迷宮は、恒王ダンジョンコアにとって最も有利な世界だ。好きなように世界を取り込み、自分の領域として塗り潰していくことで安心感を覚える。まだ迷宮魔法が未熟だからか、エネルギー不足だからか、どこまでも広げるというわけにはいかない。しかし現段階でも大陸中央付近までは侵食可能だと考えていた。

 だが、ここでダンジョンコアは異変を察知する。



(私の世界が消された……?)



 迷宮魔法の及ぶ範囲は全てダンジョンコアの管理下にある。その気になればあらゆる場所で何が起こっているのか観測することができるし、干渉することもできる。当然、取り込んだ空間が消えるという大きな出来事ならばすぐに分かるのだ。

 何が起こったのか調べるため、すぐに迷宮魔法を及ばせ、再び世界を取り込もうとする。

 だが全く干渉できない。



(そういえば冥王と魔女を取り込んでいるあたりでしたか。ということは冥王の死魔法に邪魔されているということでしょうね)



 すぐに正解を導き出す頭脳は流石であった。

 恒王として覚醒したのは事実だが、それでアゲラ・ノーマンだった時の人格が消えたわけではない。指揮型アゲラルドとしてインストールされた知性はそのままだ。寧ろ『王』として自立したこともあり、以前よりも有機的な思考ができるようになっている。



(永劫迷わせるつもりでしたが、そう甘くはありませんか。ならば)



 迷宮魔法の使い方は探っている途中であるため、できることに限りがある。しかしこの短時間でも大まかに本質へと迫ることはできた。それを応用すれば手段はある。

 地の底で、恒王は迎え撃つ準備を進めていた。









 ◆◆◆








 凍獄術式ニブルヘイムは冥府における表層のシステムだ。死魔法におけるエネルギーを奪う側面を具現化している。この空間においてあらゆる物質はエネルギーを奪われ、最後には剥き出しの魂だけが残るのだ。

 仮に凍獄術式ニブルヘイムへ人間が入った場合、まずはあっという間に体温を奪われて死に至る。そして皮膚、筋肉、骨、内臓、血管と体表から順番に分子結合エネルギーが奪われ、風化するようにして遺体すら消えてしまう。そして残る魂は凍獄術式ニブルヘイムを彷徨うことになるのだ。



「わぁ……すっかり消えましたね」

凍獄術式ニブルヘイムで侵食したからな。この辺りが冥界……というより冥府になってる。奴の迷宮魔法でも干渉できない俺の領域だ」

「私も《量子幽壁クオンタム・フラクト》がなかったら死んでますからねー」



 凍獄術式ニブルヘイムはあらゆる物質からエネルギーを奪い去り、真空にする。生物も、魔物も、植物も、岩石も、地面も、空気も何一つ例外はない。

 アイリスは《量子幽壁クオンタム・フラクト》でフィルターを張り、自身の周囲に冥界を侵入させないようにしているから生き残っている。勿論、その程度の抵抗など侵食を強めれば突破できるが、アイリスに対してする理由はないのでこのままだ。



「そろそろいいか」



 そう呟いてシュウは《魔神化》を解いた。

 死魔法と同化していた体は元に戻り、全身にあった黒い術式も消えている。またこれによって具現化していた冥府も消えた。この世のエネルギーが吸い尽くされてしまったので、ここは広大な地下空洞になってしまっている。迷宮魔法による支配からも解き放たれた今、空洞は物理法則に従って崩れようとしていた。

 大きく揺れ、空洞上部の地層が落盤し始めた。

 だがシュウもアイリスも慌てる様子はない。



「アイリス、転移先はマギア上空だ」

「了解なのですよ!」



 冥王と魔女を捕えるはずの迷宮は凍獄術式ニブルヘイムによって処分された。ならば迷宮魔法による空間ベクトルの隔離も無効化されている。つまり転移も問題なく可能ということだ。

 轟音を立てて大空洞が崩れていく中、二人の姿は消えた。







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