第357話 マギア大聖堂の地下


 憤怒王が神聖グリニア領の港を一つ消滅させた頃、嫉妬王から逃げる黄金要塞はラムザ王国へと転移した。聖人教会が乗り込むこの黄金要塞は結晶魔法により一部が変質し、侵食する結晶魔力のせいで徐々に塩へと変わっている。落ちるのも時間の問題だった。

 現在位置はラムザ王国と旧コルディアン帝国の国境付近であり、真下には都市がある。元々ラムザ王国で勢力を伸ばしていた聖人教会にとって、この都市はホームの一つでもあった。



「咄嗟の転移だったが……ここは?」

「どうやらドラディオンみたいです。ラムザ王国の」

「そうか。ならば移動した方がいいかもしれないな。下の住民に要らない不安を抱かせてしまう」

「どちらに?」

「落ち着いて修復機能を使える場所に行きたい。南の海にしよう」



 黄金要塞はその内部に設計図が取り込まれており、建築魔術によって自動修復もできる。今回はかなりの部分が破壊され、一部は塩化によって簡易的な修復で済まされないレベルとなっているのだ。落ち着いて修復に専念できる場所を探さなければならない。

 すぐに動力を起動させ、南へと移動を始めた。



「それにしても恐ろしい相手でしたよ」

「うん。死ぬかと思った」

「七大魔王か。正直侮っていたよ。暴食王と強欲王が倒されたのは俺たちが子供のころだ。それでまだ他の魔王が倒されていない事実を深く考えるべきだったね」

「あれだけ犠牲を払って倒した暴食王と強欲王が弱い方だったとか……考えたくもなかったよ」

「そこまでにしておけ。俺たちのするべきことは変わらない。魔王を倒し、コントリアスのあの状況を解決する。それに悪いことばかりじゃない。コントリアスをあれほど変貌させられるとすれば魔王以外に考えられないからな。俺たちの考えが間違いじゃないことが証明されたようなものだ」



 彼らは自分たちの最大の目的を思い返し、決意し直す。

 圧倒的な力に絶望するかと思いきや、彼らはまだ諦めていなかった。必ず魔力嵐を鎮め、聖人を助け出すという初めの思いは変わっていない。



「ともかく対策だな」



 リーダー役の男がひとまずの方針を打ち出した。

 他の者もそれに同意し、対策会議が行われようとした時、異変が起こる。



「え……?」



 まずモニターを観察していたメンバーの一人が呆気にとられた声を上げた。それに反応して近くの数名が同じモニターへ目を向け、絶句し、騒ぎ出す。

 司令室全員に知れわたるのは一瞬のことだった。



「おいおい。嘘だろ」



 そのモニターは黄金要塞の真下を映すためのものだった。ドラディオンという比較的大きな都市がそこに映されていたのだが、明らかにおかしい。

 沈んでいるのだ。

 中心部に並び立つ巨大ビル群が傾き、幹線道路が波打ち、郊外に建つ伝統的な家々がずぶずぶと地面に沈んでいく。まるで大地が液体化したかのようだった。電線はショートして火花を散らし、地下を通る水道管が破裂して一部が水浸しになっていく。



「何だよ、これ」

「街が沈んでいく」

「え? え? 俺たちのせいじゃないよな? なぁ?」

「だと思うけど」



 なぜこのようなことが起こっているのか、彼らには理解できなかった。

 こうしている間にも状況は酷くなっていく。特にドラディオン中心部は激しく波打ち、ビルは次々と倒壊し、やがて液状化した地面の隙間から真っ赤な光が覗く。

 地中深くを蠢くマグマが噴き出ようとしているのだ。

 その熱はあっという間に伝わり、見る見るうちに地面全体が赤く染まっていく。それと同時に都市中央部がドーム状に膨れ上がり、内部に圧力を溜め込み始めた。



「不味い! 爆発するぞ!」



 一人がそう叫ぶが少し遅い。

 蒸発させた地下水の圧力に耐えかね、ドラディオン中心で噴火のような大爆発が起こる。だが驚くにはまだ早く、その噴火と共にうねる巨体が出現したのだ。それは見覚えのある宝石のような青を携えており、黄金要塞の端部と衝突して激しく揺らす。



「きゃあああああああああっ!」



 そんな悲鳴に構っている暇はないとばかりに司令室では対処を始めるが、もう遅かった。地中を泳いできた嫉妬王レヴィアタンの蹂躙が始まったのである。

 結晶魔法により固体の分子結合力を弱め、液状化する。それだけで大地は液体となり、水龍である嫉妬王のフィールドに変わるのだ。

 黄金要塞の転移機能を使って再び逃れようとするが、嫉妬王は今度こそ逃がさない。結晶魔法が発動し、数キロにも及ぶ巨大要塞が端から塩に変わり始めた。



「あ、あぁ……終わりだ」

「し、死にたくない! 嫌だ! 嫌だあああああああ!」



 変化は司令室にも表れる。

 突如として外壁が塩となって崩れ、またその場にいる人間も塩の塊になる。理解できないままに仲間が塩になって死んでいく姿をみて発狂する者が現れ始めた。逃げようと司令室の扉に走るも、その扉も塩になって崩れる。その扉に触れた者たちも同じく塩になった。



「塩に触れるな! 死ぬぞ!」



 ようやく仕組みに気付いたようだが、この時点ですでに逃げ場は失われていた。司令室全体に塩が降り注いでおり、それを浴びた者たちは結晶魔法の餌食になっていく。

 魔法による侵食は激しく、転移などもはや不可能であった。

 緩やかに消えていく。

 じっくりと自分たちの身体が変質し、塩になっていく。阿鼻叫喚は徐々に消え、静かなる死の塩が雪のように降り注ぐ。やがて黄金要塞はその全てが塩化ナトリウムの塊となって墜落し始めた。

 マギア包囲戦による凄惨な決戦が始まってすぐ、嫉妬王がラムザ王国に出現した。









 ◆◆◆








 激しい戦闘が行われているマギアでは住民の多くが中心部に避難を行っていた。既に何十万という人間が禁呪弾の被害に遭い、死亡している。そのため起こった混乱も大きく、聖騎士の多くは戦闘ではなく暴動の鎮圧に出動していた。

 故に大聖堂への侵入者に気付くことができなかったのだ。



「じゃあ張りますよー」



 久遠の聖都エターナル・マギア中心部で威容を放つ白い大聖堂は非常に広い。一般市民が入れる礼拝堂は敷地のごく一部でしかなく、聖騎士宿舎、訓練場、学舎、議会堂、研究所、神官居住区、神子居住区、神秘秘匿部、異端審問部など、細々とした設備まで含めれば無数にある。

 それ故、シュウとアイリスが潜入しても誰一人気付けなかった。

 予定通り、アイリスは時間操作の魔装と魔術を組み合わせた《縮退結界》を発動させる。時空湾曲を操作することで、隔離空間内部だけで時空を完結させる。ゆえに結界の端から外に出ようとすれば、反対側の内側に出てしまう。空間そのものの連続性を改変しているので、転移魔術でも逃げられない。一般的な転移は結局のところ移動魔術の一種だ。座標移動が伴うので、その座標連続性が改変されている限りまともな移動ができない。つまり《縮退結界》の内部から外部に向けて転移しようとすると失敗するのだ。



「これで逃げられないと思いますよ」

「後は地下に潜っていくだけだな。行くぞ」

「はーいなのですよー」



 結界さえ張ればこちらのものだ。

 マギア大聖堂中心部にある深奥神秘塔の地下に永久機関を含めた秘匿研究所へ向かうエレベータが存在する。勿論地下に向かうためのエレベータは他にも存在するのだが、今回は完全な包囲に加えて封鎖ということもあり正面から向かうことにした。

 流石に最も厳重な区画ということもあり、神官や聖騎士が多く行きかっている。シュウとアイリスは怪しいながらもその中に混じっていたが、意外にも声をかけられることはなかった。その理由は外の状況に対処するため忙しく、またシュウとアイリスがあまりにも堂々としていたからだ。様々な人材がいる巨大な聖堂であるため、誰からも疑いをかけられなかったのである。

 問題となる深奥神秘塔入口のセキュリティチェックについては死魔法で黙らせた。



「あ、バレましたね」

「別にいい」



 流石にセキュリティの破壊は誤魔化せなかったらしい。

 場は騒然となり、近くにいた聖騎士が慌てた様子で近づいてきた。シュウはもはや遠慮する気がないようで、右手を伸ばし、握り潰す。

 死魔法が発動した。

 魂を掌握されたその聖騎士は、そのまま糸の切れた人形のように倒れて転がる。死魔法で回収した魂はそのまま冥府へと送り込んだ。普段は煉獄を介して精霊に行わせているが、シュウが直接死魔法を使っても同じことができる。死魔法こそがこの仕組みのオリジナルなので当然と言えば当然だが。

 また聖騎士を一人始末したことでより騒ぎは大きくなった。

 なのでシュウは次々と死魔法を放ち、邪魔になりそうな聖騎士を始末していく。この正体不明の即死攻撃は神官や聖騎士たちを恐怖させ、同時に一つの結論に至らせた。



「め、冥王アークライト!」

「馬鹿な!? ならば隣にいるのは魔女だというのか!?」

「なぜここに……どうすれば……」



 彼らの混乱も無理はない。

 冥王アークライトはスラダ大陸南西の海に浮かぶ妖精郷という島を縄張りとしている。一般的にそこから出てくることはないとされているため、この一大事に『王』が現れたというのは理解の追いつかない話であった。

 とにかく聖騎士をと叫び、やってきた聖騎士は次々と死魔法で殺される。

 死体で床が埋め尽くされた頃になって、ようやく彼らは逃げを選択した。蜘蛛の子を散らすようにシュウとアイリスから離れていき、深奥神秘塔エントランスはがらりと静かになる。



「ここから下に行く。アイリス、手」

「あ、はいです」



 アイリスは差し伸ばされた手を取り、そしてシュウはもう片方の手を地面に向ける。すると黒い魔力が雫のように落下し、地面を殺した。この世に存在する限り、森羅万象はベクトルを有する。それを殺し、完全なスカラー量にしてしまうのが死魔力の正体だ。

 あらゆる物質は根源量子へ還元され、この世から消滅する。

 概念的に殺された深奥神秘塔の床は大穴となり、それがどこまでも深くなっていく。アイリスの手を取りつつ大穴の上で浮くシュウは、ゆっくりと下降し始めた。






 ◆◆◆






 冥王襲撃の知らせはすぐに聖堂内部で共有された。当然ながら地上は混乱し、住民の避難誘導どころではなくなる。またマギア大聖堂から外に出ることができないという事件が発生したことも混乱に拍車をかけていた。

 その一方で地下に潜むアゲラ・ノーマンは意外にも静かであった。



(迷いなく来ますか)



 冥王アークライトについてアゲラ・ノーマンが知る情報は少ない。古代には存在しなかった『王』であり、知識データが役に立たないからだ。危険な存在として限りある情報は精査しているものの、対策は足りない。

 だが、自らの消滅はイメージしていなかった。



アレ・・の分析と取り込みはもう少し時間がかかりそうですからね。時間稼ぎをさせていただきましょうか)



 アゲラ・ノーマンの本質はトレスクレア指揮型九号機アゲラルド・ノーマンだ。その名の通り、本来は他のトレスクレアを統率し、全体指揮を行う方が得意である。直接戦闘は専用のモデルに任せるのが本来の形だ。

 故に義体を永久機関に移し替え、戦闘用モデルとしての人形を生み出した。虚飾王パンドラの生み出すトレスクレアとは比較にならないほど貧弱な人形だが、組み合わせて戦術を練れば指揮型一体で戦うよりはよほど強い。

 地下深く、永久機関に接続された研究所には大型シリンダーに有機無機混合物溶媒が詰め込まれている。またその内部では魔術が発動しており、人型の義体が生み出されていた。その内の幾つかで溶媒が抜かれていく。そしてシリンダー内の義体が目を開き、手を握ったり閉じたり、足を伸ばしたりと体を確かめ始めた。一通りの確認が終わった後、人形たちは強化ガラス壁へと体重を寄せる。するとぬるりとした流動が起こり、体がガラスを突き抜けた。



『あ、あー……三十二号機トルムドン正常』

三十六号機トルムゼクト正常』

『ィ……三十三号機トルムトレア、伝達系に異常。修正プログラム起動』



 動き出した人形は起動と同時に調査プログラムを走らせ、異常を確かめる。異常があれば即座に修正を開始し、すぐに動けるよう調整を施した。

 こうして起動したのは四十の人形。

 その全てをアゲラ・ノーマンが操る。



(さて、少しくらいは時間を稼げるといいですね)



 冥王と魔女が降りてくるのは分かっている。そして空間を隔離しているのか、転移によって逃げることもできない。アゲラ・ノーマンは迎え撃つべく、着々と準備を進めていた。







 ◆◆◆








 シュウとアイリスが降り立った地下研究所は綺麗に整備されていた。白い光に照らされた明るい廊下が続いており、様々な部屋が並んでいる。よく分からない実験室の他、保管庫や資料室もある。

 永久機関のあるさらに地下へ向かう場合、ここから専用エレベータに乗り換える必要があるのだ。環状の廊下のちょうど反対側にそのエレベータが存在するのだが、それを阻むべく警報が鳴った。



『侵入者。侵入者。研究員は各自部屋で待機してください。これより迎撃に入ります』



 合成された女性声のアナウンスが流れ、赤い光が点滅する。

 するとすぐに壁だった場所がパズルのように開き、隠し部屋が出現する。そこから現れたのは殲滅兵にも似た小型兵器だった。普通の殲滅兵は大型車両ほどもあるが、ここにあるのは大人の豚ほどしかない。しかし性能は充分だった。

 モノアイが真っすぐ二人を捉え、レーザーや雷撃を放つ。

 シュウは即座に死魔法で動力源を奪い取り、アイリスが時間減速で攻撃を緩める。そして余裕を持って停滞した攻撃を死魔法で回収した。



「隠し扉か。面倒だな」



 するとシュウは足元に魔術陣を展開した。

 久々に発動するこの術式は《斬空領域ディバイダー・ライン》。ごく薄い領域に分解魔術を発動することで万物を切り裂く。効果範囲は魔術陣が届く分だけ。また通常は魔力干渉により生体へと直接魔術作用できないという法則も死魔法により対処している。

 これによって環状廊下の内側面が次々と切り裂かれた。大量の斬撃痕が走り、隠し扉もあらわとなる。その奥には機材用エレベータが存在し、丁度何かを乗せて昇ってきたところだった。



「人形か?」

「顔がないですね。不気味なのですよ」

「報告にあった例の人形かもな」

「あ、ギルバートさんの件ですね」



 シュウは死魔法の力を応用し、人形に宿る魂を視覚化する。しかし人形に魂をひと欠片と感じることはできなかった。



「なるほど。あれは人間で言うところの手足みたいなものらしいな」

「豪華な手足ですね」

「逆に言えば普通に破壊するしかない」



 まだ《斬空領域ディバイダー・ライン》の魔術陣は展開し続けている。シュウはそれをさらに広げ、人形を即座に分解する。だがバラバラになった人形は青白い光を放ち、シュウの展開する魔術陣を消し去ってしまう。

 魔力と反対の位相を有する反魔力の特徴だった。



「なるほど」



 人形はバラバラになっても修復しようとしていた。そこでシュウは死魔力を放ち、丸ごと始末する。アイリスはこの過剰な攻撃に疑問を呈した。



「死魔力まで使うのですか?」

「あの人形を操るための核みたいのを見つけた。どうやら内部を流動的に動き回っているらしい。ただし、ダミーも大量にあった」

「ああ、面倒だったんですねー」

「悪い手じゃない。操作方法は魔力で直接繋げる方式じゃなく、量子テレポーテーションを応用した情報同期型だ。魔力を辿ることもできない」



 量子テレポーテーションは絡み合う量子を利用した情報のやり取りだ。通常、量子は状態が重ねられている。そのため状態Aと状態Bが同時に実現し得るのだ。しかしこの未確定な状態は観測することによって確定する。

 二つの量子を絡ませ、片方を状態Aと確定すると、もう片方は自動的に状態Bに収束する。本来は二つの量子が五十パーセントずつ両方の状態を保持していたが、片方が状態A百パーセントになることで、バランスを取るようにしてもう片方は状態B百パーセントになる。

 この情報のやり取りは光の速さすら超えているように見えるため、量子テレポーテーションと呼ばれる。

 二つの量子はどれだけ距離が離れていてもいい。物理的な距離が幾らあっても、絡み合う量子は成立する。量子の現象は一般に理解しがたく、手早い魔術に走りやすい。しかしアゲラ・ノーマンはしっかりと自然科学を応用した魔術理論を展開していた。



「この人形が人間に紛れるようになったら面倒だな」

「今は明らかに人形ってわかる形ですからいいですけどね」



 シュウは死魔力を飛ばし、隠し部屋ごと消し去る。

 地上では戦いが激化する中、大聖堂地下でも『王』の侵略が進んでいた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る