第356話 マギア包囲網の惨劇
神聖グリニアはマギア以外を放棄し、完全に迎え撃つ態勢であった。その理由として帰還するはずのアロマ・フィデアを待っていたことや、教皇クゼン・ローウェルの失踪も含まれる。クゼンの失踪については計画通りなので残された司教たちがすぐに対応したものの、最大戦力たるアロマが未帰還であるために動き出せなかった。
「やはり間に合わなかったか」
少し寂しくなった奥の間で、司教の一人が呟く。
マギア周辺には続々と大帝国同盟圏連合軍が集結しつつあり、上空には黒竜が飛び交い、水壺が二機待機している。マギアを守る結界がなければ既に攻撃が始まっていたことだろう。
一度はセキュリティアップデートに扮した強制暗号化ウイルスによって情報基盤が壊滅し、都市機能どころか国家機能が壊滅していた。それを最終復活計画により再生し、
「だが迎撃準備は間に合いましたよ」
「うむ。耐えるしかあるまい。我々には他に援軍がないのだ」
「できればディブロ大陸からの援軍も欲しかったのですがね。連絡が取れないのは不自然です。何かあったのかもしれません」
「いや、おそらくは妨害電波だろう」
「ですがディブロ大陸を震源とする地震が何度も発生しています。注意するべきでは?」
「神子セシリアに与えた一号機の黄金要塞も行方不明だ。いよいよ頼りはディブロ大陸になる」
神聖グリニアには後がなかった。
残されているのは首都だけであり、頼れる国もない。つまり耐え続ける他ないのだ。魔神教の威信回復を兼ねた怠惰王討伐が成れば、アロマが帰還する。今はそれを待つしかない。
「耐えようではないか。どれほど困難であっても、私たちは神の教えを途絶えさせてはならない。全ての民が救われなければならないのだ。神をも恐れぬスバロキア大帝国に永久機関を渡してはならない」
彼らは徹底抗戦を決意し、確かめ合い、備えた。
歴史に残る最悪の戦いになるだろうと予想しつつ、それを許容した。
だが彼らの『最悪』など生ぬるい予測でしかなかったと後で気付くことになる。世界は人の範疇を越えて動いていたのだから。
◆◆◆
神聖暦三百二十二年、一月二日。
連合軍にとっては最終決戦が、神聖グリニアにとっては始まりとなる抗戦の火蓋が切られた。
『マギアは結界で守られている! まずは火力集中により結界を破壊し、外縁部を制圧せよ!』
大帝国軍陸軍大将直々の命令により、全軍が突撃を開始する。
スバロキア大帝国、ロレア公国、エルドラード王国、カイルアーザ、ロアザ皇国、エリス共和国、プラハ王国が前線を務め、バロム共和国、ファロン、ラムザ王国の軍勢は後方を維持する。召喚石によって多種多様な魔物が出現し、一斉に結界を破壊するべく突撃していた。更には召喚の第十一階梯《
『結界は破れた! 残り六枚だ! 殲滅兵を恐れるな。術符も惜しみなく使うのだ!』
殲滅兵は炎の第十階梯《
結界破壊を召喚した魔物と黒竜に任せ、地上ではとにかく殲滅兵を押し返そうとする。
魔術で塹壕を掘り進める一方で魔術攻撃により押し込むという戦術はとにかく強い。無限かと思うほど湧いてくる殲滅兵を着実に破壊し、少しずつではあるが前進できていた。
ただ無傷というわけではない。
また永久機関を中心として最適化された
炎の第十二階梯《
水の第十二階梯《
水の第十五階梯《
土の第十二階梯《
基本四属性と呼ばれ、アポプリス式魔術として知られてきた禁呪や神呪が発動される。炎の竜巻が南部を薙ぎ払い、北は絶対零度により無数の氷像が生じ、巨大な
これに対抗するべく、大帝国空軍グレムリンは水壺に対して超長距離射撃を命じる。
発射するのはハデスが新開発した禁呪弾、時空の第十四階梯《
《
ここでいう虚数空間は実数空間に干渉しないベクトルを持っているため、置換すると何もなくなるかのように感じてしまうということである。
放たれた禁呪弾《
そこから七体の騎士が侵入し、更に内側の結界を破壊しようとする。
そうなると
『ロアザ第三大隊が壊滅! 応援求めます!』
『おい! エリス軍がいた左舷から殲滅兵が雪崩れ込んでいる! 救援を送ってくれ!』
『禁呪弾により死傷者多数! 撤退を!』
『前線は酷い有様だ! 塹壕ごと潰される!』
この世の地獄だった。
お互いに大量破壊兵器を遠慮なく使うということは、互いに大量の死者が生じるということである。大帝国同盟圏連合軍だけでなく、マギア市民からも大量の死者が出ていた。
本来は避けるべき非戦闘員の死が、今はありふれている。
無差別に虐殺する禁呪弾を使わなければもう少しまともな戦争になるのかもしれないが、生憎お互いに止まれないところまで来ている。
結果としてマギア包囲戦が始まって僅か二時間で、双方の死者が六十万人にも達したのだった。
◆◆◆
神聖グリニアはマギア以外があっという間に制圧された。
特にディブロ大陸からの救援を警戒し、東海岸全域は勢いに任せて一気に攻め込んだ。結果としてマギア包囲よりも一足早く大きな港の制圧に成功する。小さな漁港は放置されたが、援軍を可能とする一定以上の港は全て占拠できた。
これによって首都マギアは孤立無援となった。
更に言えば脱出も不可能となった。
スバロキア大帝国の意図としては後者の方が本命だろう。マギアからちょうど東にある湾岸都市は軍港を備えているということもあり、最も厳重に大帝国陸軍が配置されていた。
「反抗の意志は低い、か。各方面の制圧はほぼ完了したな」
「ですね中隊長。一昨日までは散発的な抵抗も見られましたが、もう動きはないでしょう。聖堂はこちらが完全に抑えていますし、魔術師を擁する企業も手を入れました。まだ一部の聖騎士が潜伏しているようですが、時間の問題かと」
「ああ。少なくともマギアを落とすまでここを死守すれば良い。神聖グリニアという国家が消滅すれば聖騎士も役目を失う。魔神教の長い歴史にも幕が下りるだろう」
最も激しい戦いになると予想されるマギア包囲戦と比べれば、こんな都市の制圧など楽なものだ。作戦指揮権を与えられた中隊長も気楽な様子である。
彼も港に接岸した軍艦の甲板で潮風にあたりながら報告に目を通すという余裕を見せていた。
「ディブロ大陸から救援の部隊が駆け付ければ忙しくなりますよ」
「だからこそ、今のうちに余裕を楽しもうじゃないか」
「適当すぎです」
「体を休めるのも我々の仕事だ」
「ものは良いようですね」
一見すると雑な彼も、やる時はやる男だ。だからこそ部下は信頼して付いてきていた。
しかしそうした談笑は予想外に破られる。
中隊長のデバイスに緊急通信が飛び込んできた。
『中隊長! こちら気象観測班です!』
「どうした?」
『急いで対魔物用湾岸防護結界を発動させてください!』
「魔物か? ならば討伐を――」
『違います! 津波です!』
「なんだと!?」
これには中隊長も焦りを滲ませる。魔物が相手ならば暇潰しにでも討伐しようと思っていたが、相手が自然災害ではどうしようもない。元から湾岸都市には海の魔物に対する備えとして大規模結界が用意されている。ただし、それを起動するための魔力は永久機関から供給されていたのだが、現在はカットされているので備蓄魔力を消費することになるだろう。
『ディブロ大陸で巨大地震も観測されています。おそらく原因はそれかと』
「それはこっちでも感じていたが……ともかく仕方あるまい。役所から非常事態警報を発令させろ。流石に何も知らせぬというわけにはいかん」
『かしこまりました。手配いたします』
通信を切った彼はデバイスを使い、東の海に望遠魔術を発動する。手元に仮想ディスプレイが立ち上がり、遥か向こうの光景が鮮明に映し出された。疑っているわけではなかったが、確かに手前の水面よりも不自然に盛り上がった領域が迫っている。
何もしなければ港どころか都市ごと壊滅させる威力であることは明白だった。
しかし分かってしまえば対処も難しくない。
魔物の攻撃すら防ぐ湾岸防護結界がある限り、津波が港に辿り着くことはないのだ。故に中隊長も驚きこそすれ、本当の意味で焦ったりはしない。少し余裕を取り戻した彼だったが、不意に異変を見つけてしまった。視点が広くなったからこそ、発見してしまった。
「何だ、これは?」
発動しっぱなしだった望遠魔術のお蔭で、水平線までくっきり見える。今は津波により少し高くなっている水平線から、影が浮き出てきたのだ。それが赤色で、翼があり、高速で迫ってくる飛竜であるとすぐに気付くことができた。
すぐに魔物が近づいていると理解し、湾岸警備を担当する観測部隊へと通達を行う。
「観測班! 海から赤い飛竜が迫っている! 早急に調べて対処しろ!」
通信機から返答が来る間にも赤い飛竜に変化が起こる。巨体を捻りつつ直角に上昇したかと思えば、そのまま弧を描いて港へと迫ってきたのである。ディスプレイから目を離して直接海の方を見ると、既に目視で判別できるところまで迫っていた。
あまりにも速い飛行から飛竜の格が推察できる。
すると観測班より一斉通信が発せられた。それはデータによる赤い飛竜の情報パネルだ。
「情報なし……新種か。だがこの魔力は……っ!」
「中隊長! これは!」
「ああ。不味い」
示された飛竜の魔力量は想像を絶するほどのものだった。観測装置が狂っていると言われた方が納得できてしまう。しかし再審査を申請している暇はない。飛竜はその巨体がハッキリわかるところまで迫っており、まもなく湾岸防護結界に触れる。
しかし飛竜は結界の直前で停止し、上空で大きく翼を広げて停滞した。
また飛竜の周囲に黒い魔力が浮かび上がり、無数に凝集していく。その魔力を雨のように叩き付ける攻撃であることは明白だった。ここまで近づけば肌で感じ取れる絶望的な魔力から推察するに、結界がどれほど役に立つのか分からない。
「砲撃隊準備! 各自判断で発射せ――」
その命令を言い終わらない内に防護結界が砕け散る。あの黒い魔力は一つとして結界に触れていなかったはずだが、なぜか結界が
「――よ! は?」
破壊された結界を素通りし、黒い雨が降り注ぐ。
爆発はない。
黒い魔力が落ちた地点は一瞬でプラズマ化し、アーク放電が発生する。物質の破壊によって物質が原子にまで破壊され、原子は原子核と電子に破壊され、原子核は陽子と中性子に破壊され、陽子や中性子はクォークへと破壊される。そうして散布されたクォークは瞬時に結合し、電子を吸収し、原子へと戻る。この工程でプラズマが生じていたのだ。
破壊の工程を詳しく記せばこの通りなのだが、見た目には放電と共に蒸発しているようにしか見えない。
黒い雨は一瞬で港を消し、都市部を消し、住宅を消し、商業施設を消し、工場を消し、聖堂を消し、そして停泊している軍艦をも消す。
「あ……っ」
中隊長は最期のセリフすらなく蒸発した。
マギア包囲戦が始まってすぐのこと。黄金要塞によりちょっかいを出され、怒りを露わにした憤怒王サタンはディブロ大陸第四都市、そして第一都市までも直線状に消し飛ばす。その際に生じた津波はスラダ大陸まで届き東海岸を襲ったのだが、それは些細な被害であった。
何より恐ろしいのは、破壊魔法を司る赤き竜が海を越え、この大陸にやってきたことであった。
「グオオオオオオオオオオオオッ!」
憤怒王は吼える。
破壊魔力の弾丸によって蒸発した湾岸都市だけで満足することはない。このまま煩わしい人類を怒りのままに破壊するのだ。
空で停滞していた憤怒王は再び飛翔し、西を目指す。
見つけた都市を手あたり次第、破壊するために。
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