第354話 大地の支配竜
南ディブロ大陸には人類にとって苦い思い出が存在する。
かつては鬼系魔物を駆逐し、砂漠を侵略し、完全攻略寸前まで到達した。だが最後の最後で怠惰王ベルフェゴールが全てを覆した。山脈とも見間違う巨体に阻まれ、また謎の魔法によって連合軍は壊滅した。多くの覚醒した聖騎士すら失った悲惨な終わり方だった。
その戦いで逃げ延びたアロマは、再び怠惰王へ挑もうとしていた。
「いよいよ、ね」
アロマは感慨深そうに呟く。
それは誰かに対してのセリフではなかったが、副長が拾い上げて答えた。
「今度こそ勝てます」
「ええ。勝つわ」
「初手は予定通り浄化砲を使います。禁呪弾すらあまり意味がないでしょうし」
「そうね」
黄金要塞下部に搭載されている主砲は、重力機関のエネルギーを長時間蓄積させることでようやく発動できる切り札だ。多くのエネルギーを一気に消耗するため、一度戦闘が始まれば二度目を発射することはできない。それでも切り札に相応しい威力を秘めており、ブラックホール化した魔力の爆発により広域を薙ぎ払うことができる。
流石にスラダ大陸で使えばコントリアスの二の舞だが、ここは魔物が蔓延るディブロ大陸だ。またアロマたちは箔付けのためにどんな方法でも魔王を倒せばよい。理想は浄化砲の一撃で怠惰王を滅ぼせることだった。
「でも、そう甘くはないでしょうね」
「私は直接見たわけではありませんが、資料は読み込んだつもりです。黄金要塞の力を使ったとしても油断はできません。禁呪弾と神呪弾の生産は最大限稼働させていますし、殲滅兵も空中型をメインに生産して昨日の時点で一万を超えました」
「私も本気でやるわ。手加減なんかしないわよ」
「はい……そろそろ」
副長には緊張の色が見える。いや、樹海聖騎士団の誰もが緊張していた。中には作業する手が震えている者すらいる。だがそれを臆病だと謗ることはできない。怠惰王とはそれほど強大な存在だと世界に刻み付けたのだから。
だが逆に言えばかつて付けられた傷を乗り越える機会でもある。
いくら準備しても足りないような感覚すら覚えるが、そうして留まり続けるわけにはいかない。
アロマは司令室で一通り見渡し、言い渡す。
「聞いて。これから怠惰王に攻撃を仕掛けるわ。予定通り、浄化砲で大ダメージを与える。その後は《
経験者だからこその語りは聖騎士たちを力づけた。
百パーセント勝てる保証はないものの、無理ではないかという疑念を払しょくする程度には効果がある。よく食べ、よく眠り、できる限りを整えた樹海聖騎士団はいよいよ高揚した。
「開戦よ。怠惰王を討伐しましょう」
アロマの号令により、戦いの幕が上がる。
砂漠で眠りについていた地の竜を目覚めさせる一撃が、解き放たれた。
◆◆◆
黄金要塞に搭載されている浄化砲は正真正銘の切り札だ。
溜め込んだ魔力エネルギーを極限まで圧縮し、ブラックホール
これによって生じる高密度の魔力嵐は人体にとって有害であり、魔術や魔装は勿論使えず、近づくことすら困難な領域ができあがるのだ。
地上から四十キロメートル地点まで浮上した黄金要塞は、その下部に膨大なエネルギーを集中させる。厚い雲の更に上にまで到達したことにより、地上からは決して目視できない。
狙いは真下に存在する砂漠の山脈。
その麓には鬼系魔物の都市が存在しており、中には飛竜に騎乗する個体すらいる。かつては鬼の帝国として人類と戦争したのだが、今はかつてほどの繁栄は失われていた。
怠惰王ベルフェゴールの支配によって守られたこの砂漠は、鬼系魔物にとって格好の繁殖場所だ。一度は滅びたが、再び元の繁栄を取り戻そうと日々奮起しているのだ。
だが、それは再び終わりを迎えた。
◆◆◆
空間全域が黒に染まった。
ブラックホール
砂漠を寒冷地帯に変えてしまった厚い雲が吹き飛び、地上からでも黄金要塞を見ることができるようになる。しかし地上はそれどころではない。
「来るわ! 衝撃に備えて!」
モニターをじっと眺めていたアロマはそう命じた。
観測される魔力密度が計測器の限界を突破し、致死汚染レベルにまで達した。高密度魔力は圧縮術式すら破綻させ、それは遂に爆発へと転じる。
アロマが警告して二秒後、大爆発が巻き起こった。
普通の生命体にとっては毒になるほど高密度の魔力が散布され、衝撃波によって大地が抉れる。魔力衝撃波は空気を押しのけ、雲を吹き飛ばし、黄金要塞を揺らした。
「怠惰王は! どうなったの!」
「け、計測器が反応しません。ノイズが酷すぎるせいです」
「何て魔力だよ。一瞬でコンピュータがイカれそうになった。《
「流石に山だって吹き飛ばせる威力だ。終わりだろ」
「馬鹿! 油断しないでよ!」
「わ、悪い」
浄化砲の威力は凄まじく、周囲の環境すら塗り変えるほどだった。高密度魔力の閃きが雷のように轟き、暴発した魔力は無数の渦を為して荒れ狂う。この魔力嵐によってあらゆる魔術が使用不可能となり、《
「さて、どうなったかしら?」
「アロマ様、まだ少しかかりそうです。もう少し待ってみま――これはっ!?」
せかすアロマを副長が諫めようとしていたところで、計測器に異変が起こった。計測不能になるほど高密度な魔力を示していたにもかかわらず、それが急激に低下し始めたのである。渦巻く魔力嵐、閃く黒い光は徐々に消え失せてゆき、やがて地上の姿が露わとなる。
大きく抉れた砂の大地には青白く結晶化した魔力が散見され、それ以外は消失している。鬼系魔物が生息していた痕跡ごと滅びていた。
しかし一方で山脈の如き巨体は健在だ。
『ヴォォオオオオオオオオオオオッ!』
大地が唸る。
空気が震える。
怠惰王の咆哮は舞い上がる粉塵を吹き飛ばし、全容を露わにした。折角散らした砂を巻き上げつつ体を起こし、四本の脚でしっかりと踏みしめる。眠り続ける怠惰な王は、およそ七年ぶりに重い腰を上げた。
七年前と異なるのは、その背に黒い魔力が渦巻いていることだろう。
また頭部にある二本角の間にも閃く黒い魔力が凝縮していた。
浄化砲により発生した魔力嵐を吸収し、自身の体表へと集めたのである。
「そんな……ダメージほとんど見られません!」
「いや、背に幾つも亀裂がある。攻撃は通っているはずだ! 禁呪弾でとどめを刺すぞ!」
切り札である浄化砲で明確なダメージを与えられなかったのは痛い。しかし無傷ではない。即座に装填された禁呪弾を放つ。
《
《
「神呪弾、放ちます!」
広域を破壊し、環境すら作り替えるとされる神呪までもが遠慮なく使われた。
《
「やった!」
「いや……待て!」
しかし喜ぶには少し早い。
怠惰王は未だしっかりと大地を踏みしめていた。
そして角に溜め込んでいた膨大な魔力を、真上に放つ。
慌てて結界を六重に張り備えるも、膨大な魔力の塊はそれすら突破して黄金要塞に直撃した。オリハルコンの装甲すら容易く突破し、下部にある砲台や浄化砲を根こそぎ破壊してしまう。《
だが揺れは相当なものであり、椅子に座っていた者すら転げ落ちる。アロマも床に手をつかされていた。ようやく揺れが収まったところで慌ててモニターを見ると、怠惰王の周囲に渦のようなものが生じ始める。それらは砂を巻き込み、あっという間に巨大化し、複数の砂嵐となった。
いや、砂嵐と表現するには稚拙だ。
まるで意思を持っているかのように膨大な砂が巻き上がり、渦巻き、竜巻のように昇って遥か上空の黄金要塞に迫ったのである。
「っ! 転移術式! 座標は――」
アロマは咄嗟に座標を指示し、術式転換炉により転移術式を発動させる。黄金要塞はその場から消えて怠惰王の背後西側へと移動した。
これによって怠惰王が放った砂の竜巻は空を切り、空高くへと消えていく。
久しぶりに晴れた空が再び砂塵によって曇ってしまった。
「《
「今のうちにレール砲で狙うぞ。《
司令室は慌しく、再び攻撃を再開するため次々とディスプレイを立ち上げる。黄金要塞下部の砲台はほぼ全て使用不能となってしまったので、側面の砲台をメインに切り替える。大型術式が格納されている術式変換炉も稼働させ、連続して転移できるように準備を整えた。
またアロマもここからは指示を出すだけではない。
「種子砲弾を撃ち込んで」
そう命令を出し、自身の周囲に複数のモニターを展開した。黄金要塞の各所に配置されている光学カメラの映像であり、あらゆる電磁波を表示できる。標準では可視光となっているが、赤外線や紫外線も表示可能だ。
またアロマの命令で射出された砲弾が魔術加速砲によって真っすぐ怠惰王へと飛翔する。だがその砲弾は怠惰王に直撃する前に破裂し、中身が飛散した。クラスター爆弾のように内容物を撒き散らす。その正体はアロマの魔装で作り出された植物の種である。魔力を養分として吸収するこの種子は、魔物に対して絶大な効果を及ぼす。
世界の始まりとほぼ同時期より存在する地竜の『王』ならば、蓄えられた魔力は膨大だ。アロマが放った大量の種子は怠惰王に付着し、その魔力を急激に吸い取って成長する。山脈の如きその背に次々と大樹が誕生した。枝葉は青々と茂り、砂漠らしからぬ緑を出現させる。
「なんて魔力よ……
「アロマ様、次の種子砲弾を用意します」
「ええ。侮っていたわけじゃないけど、改めて恐ろしいわね。
「油断なさらないでくださいよ」
「ふふ……誰にものを言っているのよ」
「念のため、ですよ」
補佐としてカメラ映像を操作する副長には焦りのようなものが見える。アロマ・フィデアは現存する魔装士の中では最強の存在であり、最も長く魔物と戦ってきた聖騎士だ。万物を分解し、万物を切り裂く『聖女』や『剣聖』も強いが、やはりアロマの万能さには劣る。
映像では攻撃用の禁呪弾と並行して種子砲弾が絶え間なく放たれており、拡散される種子は砂漠を森へと変貌させる。また怠惰王に直撃した種子はその魔力を吸い取って寄生虫のように成長していた。このまま魔力を吸い取り続ければ、勝てる可能性も高い。
だがそれでも副長が焦っているのは、怠惰王が揺るぎない魔力反応を示しているからだ。
事実、怠惰王は反撃に転じた。
「魔力反応! ブレス攻撃です!」
「いや、気にするな。奴の口は向こうを向いている。こっちには来ない」
怠惰王の背後付近から攻撃を続けている以上、その視界にも映っていないはずだ。攻撃されているという意識はあるのかもしれないが、黄金要塞を見えるとは思えない。
このまま攻撃を続けて問題ないだろう、という判断を下してしまった。
それが誤りだとも知らず。
古代には
その名は支配魔法。
通常、一個体の支配が及ぶのは自身の肉体だけだ。望むように四肢を動かし、思考を巡らせ、生命活動を行う。しかし支配魔法はその概念を外部にまで拡張する。物理法則に支配され、直進するだけのブレス攻撃すら支配する。
「えっ……」
樹海聖騎士団の誰かが間抜けな声を漏らした。
次の瞬間、モニターの一部が激しい閃光によってホワイトアウトし、激しい揺れに襲われる。次々と立ち上がるディスプレイにはエラーが表示されているのだが、それを気にする余裕もない。
ブレスがほぼ百八十度ねじ曲がり、直撃した。
その事実を正しく認識できたものは誰一人いなかった。アロマですら理解不能な事態に動揺し、数えるのも億劫なエラー表示に混乱する。
「情報の分析!」
直ちに命令するも少し遅い。
ガクン、と再び揺れた。
怠惰王が支配魔法によって砂漠の砂を手足のように動かし、宙に浮く黄金要塞を絡めとろうとしたのだ。流動して黄金要塞を包み込むばかりか、殲滅兵を放出するハッチから侵入して内部にまで侵食する。
「被害の分析完了しました! 六十四から百八十六番の砲台が壊滅。またハッチの破壊、更に周辺オリハルコン装甲も甚大な被害です。電気設備のショートにより発火していましたが、現在は消火機能が動いています。またハッチ各所から砂が侵入し、精密機器に誤作動が起こっているようです!」
「転移よ!」
すぐに黄金要塞は転移し、更に西側へと逃れる。
だが怠惰王に逃すつもりはないらしく、砂を操って再び捕らえようとした。
「禁呪弾は効いているわ! 今は下がりながら攻撃を続けて!」
禁呪弾《
このまま距離を取って攻撃を続ければいずれは。
そう考えての命令であった。
黄金要塞も先程のブレス攻撃などで甚大な被害を受けており、余裕というわけではない。魔術結界すら容易く破る怠惰王のブレス攻撃は厄介で、何度も喰らうわけにはいかないだろう。
アロマは種子を樹木龍に変えてさらに魔力を吸収させようと試みる。
だが次の瞬間、アロマは副長に首を絞められた。
「かっ、あ……」
突然、予想外、理解不能。
アロマだけでなく司令室にいた聖騎士たちは驚き、思わず手を止める。またアロマの近くにいた聖騎士が慌てて副長を押さえ込もうとしたが、彼らはどこからともなく出現した砂によって体を縛られ、動けなくなってしまった。
そしてアロマの首を絞める副長は、片腕で彼女を持ち上げる。
『貴様、が、我、の眠り、妨げる、者か?』
副長の口からはノイズのかかったような声が発せられる。
「あ、なた……はっ!」
『ふむ。中々に抵抗する。随分と忠誠心の高い奴だ』
ノイズ交じりだった声が安定し、尊大で流暢な口調になった。
『我は貴様らが怠惰王と呼ぶ存在である。我が何をした? 我は眠っていた。我はそれで満足していたのだ。故に我は眠りを妨げる者を許さぬ。故に我は決めた。お前たち人間を消し去り、再び静寂を取り戻すとしよう。貴様らは見ているがよい。我を目覚めさせた代償を目に焼き付けよ。必死の抵抗を見せるがよい』
そう告げた途端、副長は糸の切れた人形のように崩れる。同時にアロマも解放され、聖騎士を捕らえていた砂の拘束も消え去った。
何が起こったのか理解はしていたが、理解したくなかった。
だが現実は無常。
ディスプレイに表示された光学映像に、怠惰王ベルフェゴールの動きに変化が映される。支配魔法により自身の肉体を操り、動くことすら困難な巨体を動かした。一歩で大地が揺れ、砂が舞い、暴風が吹き荒れる。向かう方向は真っすぐ北西。ディブロ大陸の都市がある方向だった。
「っ! ここで絶対に倒すわよ!」
気を失い倒れる副長を抱え、アロマは叫んだ。
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