第353話 塩の海龍


 東ディブロ海で海の魔王、深焉海淵龍ルイン・アビス・リヴァイアサンを発見した聖人教会は、すぐに対策会議を行った。如何に黄金要塞があれど、無策で火力を叩き込むほど愚かではない。仮にも太古には人類を滅亡に追い込み、ディブロ大陸より追い出した魔王の一柱なのだから。発見こそ十月時点で完了していたが、話し合いを積み重ねるうちに新年に突入していた。

 また、黄金要塞の全ての機能を整え切れていなかったという理由もある。

 策を練り、万全を期し、ようやく『王』へ挑むことになった。マギアの包囲とほぼ同時刻のことである。戦争にかかりきりになれば、黄金要塞で大魔力を行使しても気にされないだろうという予測もあったからだった。

 七大魔王の一つ、嫉妬王として君臨する水龍は幸いにも海の底で大人しくしている。時間は彼らの味方だった。



「結局、主砲は扱えずじまいか……」

「仕方ありません。竜滅レール砲だけでも使えますから、そちらを使いましょう。開幕は予定通り、禁呪弾を使います。津波の可能性を考慮し、発動するのは《聖滅光ホーリー》になります」

「ついに、だな」



 もう全ての準備が終わっている。

 この確認は何度も行ったし、ギリギリまで主砲が使えないかも試した。これ以上は間延びしてしまうと判断し、魔王討伐作戦を今日より開始する。



「魔王は?」

「動きありません」

「よし、予定通りにいこう。戦いの始まりだ」



 聖人教会指導者として司令官の代わりをする男が告げた。

 このセリフで全員の気が引き締まり、元より決められていた場所に移動する。学生時代に学んだこと、あるいは自分の職を活かせる部分をそれぞれが担当し、素人なりに黄金要塞を操る。複雑な仕組みの多くは人工知能が補佐してくれるので、感覚的に操作できる部分も多い。

 数々のディスプレイが浮かび上がり、浮遊して待機しているだけだった黄金要塞が遂に威容を見せる。



「重力機関活性! 浮遊高度を六千まで引き上げます!」

「術式変換炉に魔力供給開始しました。間もなく《絶魔禁域ロスト・スペル》が発動します」

「火力管制解除しました。全砲門使用可能です」

「殲滅兵起動シーケンス開始。ハッチ開放」

「えっと……禁呪弾装填完了ッス」



 予行演習も済んでいる。

 あっという間に戦闘準備は整い、まずは防御の要となる《絶魔禁域ロスト・スペル》が発動した。黄金要塞が内部に保管している術式ストレージより術式が呼び出され、展開する。重力により位置エネルギーを魔力に変換している黄金要塞ならば、禁呪ほどの術式でも維持に困らない。これでも尚、魔術砲による火力で都市を灰燼に帰すことができるほどエネルギーが余っている。



「準備、完了です」

「ああ」



 全員が中央の立体地図に注目する。

 計器が壊れたのかと思うほど強大な魔力反応は健在だ。そこに向けて黄金要塞の魔術砲が向けられる。禁呪弾を放つための砲身であり、水中を狙うために特殊な仕様となっている。対水中を想定し、砲身が弾丸に与える術式は流体摩擦低減となる。水の粘性抵抗は一般的な想像を遥かに超えており、少し潜るだけで銃弾は全て遮断できる。仮に水中で至近弾を浴びたとしても怪我すらしないだろう。

 弾丸表面の流体摩擦を限りなくゼロに近づける術式が効果を及ぼせば、海底にも届き得る。



「同志諸君。これより伝説と戦うぞ。勝って聖人様を救うのだ!」



 戦いの幕が上がる。

 引き金となる禁呪弾が、彼の号令により発射された。



(五、六、七……)



 皆が立体地図と光学映像モニターに注目し、自然と心の内で数える。嫉妬王が潜む海はその辺の山の標高より深い。直撃し《聖滅光ホーリー》が発動するまでの空白は呼吸すら忘れるほどの緊張であった。瞬間的に生じた逆位相魔力化により万物を破壊する。

 魔物討伐に特化した性能を誇るこの光禁呪ならば。

 誰もが大ダメージを期待し、時を待つ。



「あ……」



 海面を映す光学映像モニターに変化が起こる。突如として波打ち、誰が見ても明らかなほど揺れ始めたのだ。同時に中央の立体地図でも嫉妬王と目される魔力反応に大きな変化が生じた。嵐のように海面が荒れ、泡立ち、雲に覆われて暗い空とも相まって実に不気味だ。



「来ます! 魔王です!」

「火器備えて!」

「殲滅兵発進しますよ。来い、魔王……」



 次の瞬間、海が爆発した。

 間欠泉のように海水が噴き上がり、それを突き破って巨体が出現する。宝石のような青い鱗に覆われた長い胴体がうねり、宙を舞う。水棲であるはずの水龍系魔物が当然と言わんばかりに空を飛ぶ光景は驚いても驚き足りない。また嫉妬王の巨体も目を見張るほどであり、一つの都市に匹敵するはずの黄金要塞と比べても遜色なかった。とぐろを巻けばほぼ同じ大きさであることが一目瞭然となるだろう。

 纏わりついた海水を飛沫として撒き散らしつつ、嫉妬王レヴィアタンは悠然と空を舞う。

 あまりの威容に聖人教会の誰もが圧倒され、自分たちのすべきことを忘れかけていた。だが指導者の男は責任感ゆえ真っ先に意識を取り戻し、指示を出す。



「攻撃を集中させろ! 奴に何もさせるな!」



 すると誰もがすべきことを思い出し、黄金要塞は火を噴く。互いに巨大すぎるため距離感が狂いそうだ。魔術や砲弾は嫉妬王へと殺到し、次々と爆発が起こる。しかし宝石のような龍鱗が傷つくことはなく、嫉妬王も余裕なのか身じろぎ一つしない。

 宙を舞う嫉妬王は黄金要塞の周りをゆっくり飛び、それが脅威足り得るか測る。



「駄目です! 全く効きません!」

「そんな馬鹿な。魔力が一切使えないはずだぞ? なぜあんな風に浮けるんだ……」

「おいおい。《聖滅光ホーリー》が直撃したんだぞ。なんであんなに元気なんだ」

「気を引き締めろ。俺たちが思う以上に……魔王は強い」



 本来ならば《絶魔禁域ロスト・スペル》を発動した時点で勝利が確定したも同然だった。しかしそれは普通の魔物に対しての話。仮に絶望ディスピア級の魔物だとしても、『王』として魔法に目覚めていなければ《絶魔禁域ロスト・スペル》は絶大な効力を発揮した。

 魔法は普通の魔力とは異なり、『王』の魔物が有する固有の魔力である。よって通常の魔力を乱す《絶魔禁域ロスト・スペル》で封じることができない。全く法則性が異なるのだから当然だ。



「竜滅レール砲……撃て!」



 おそらく効かないだろう。

 そう思いつつも現状で最も高い貫通性能を誇る砲弾を放つ。竜滅と名付けられている通り、高い防御力を有する竜系統の魔物にも有効となる威力が保証されてるはずだった。しかし彼らの懸念通り、超音速で放たれる砲弾は嫉妬王の表面で弾かれた。

 多少の衝撃は伝わったのかもしれないが、嫉妬王の巨体からすれば豆鉄砲のようなもの。

 今も悠然と飛行している。



「禁呪弾! 禁呪弾を遠慮なく使え! 殲滅兵を惜しむな!」



 様子見しているつもりはなかったが、彼らはどこか油断していた。正直に言えば『王』という存在を侮っていた。正当評価しているつもりで、過小評価していたのだ。

 嫉妬王こと深焉海淵龍ルイン・アビス・リヴァイアサンは美しい鱗によりあらゆる攻撃を防御してしまう。ただ膨大な魔力により硬さを実現しているというだけでは説明がつかないほど堅牢である。もしも魔力による硬さであれば、光の禁呪弾で大ダメージを与えることができていた。

 そして《絶魔禁域ロスト・スペル》の影響を受けていない時点で、龍鱗そのものが魔法の影響を受けているということである。

 禁呪弾《聖滅光ホーリー》と《気相転移フェイズシフト》が放たれ、大閃光や大爆発が生じる。更には希少な神呪弾《陽光ソル・レイ》までもが放たれ、疑似太陽の灼熱により広範囲を干上がらせた。海面が沸騰するほどの熱には流石に堪えただろうと期待するも、嫉妬王は健在。

 聖人教会の誰もが唖然とした。



「これはっ! 魔王の魔力反応が急激に高まって……」



 嫉妬王もいい加減、鬱陶しく感じたのだろう。

 遂に魔力を高めて魔法の発動に至る。

 黄金要塞の中でもひと際目立つ高い塔が真っ白に染まり、崩れた。司令室では耳障りな警告音が鳴り響き、警告を示すモニターが立ち上がる。



「馬鹿な。倒壊だと? 何が……」

「エラーが止まりません! 要塞各所が次々と機能停止していきます!」

「何が起こっている!?」

「分かりません!」



 泣きそうな声の報告が遠く感じられる。

 急いで光学映像モニターによる分析が行われ、問題の箇所が映し出された。金色だった塔が真っ白になって崩れていく光景、金色だった砲台がガラスのような透明感のある彫像に変貌している光景、金色だったオリハルコン装甲が赤く錆びた鉄に変化する光景。



「馬鹿な。物質の組成に干渉して……いや原子すら書き換えているというのか!?」



 目の当たりにした魔法は強欲王の錬成魔法と似て非なるもの。

 万物を自在に錬成するかの魔法は万能の力をもっていた。だが嫉妬王の魔法は物質を作り替えるというより、石化に近い。形を変えず、質を変化させるのが嫉妬王の魔法だった。

 彼らは知らないが、古代では結晶魔法と呼ばれた石化の法則。ひと睨みで万象一切を望む結晶に変化させてしまう凶悪な魔法である。

 更に嫉妬王はトドメとばかりに巨大な顎を開き、蒼穹の如き魔力を圧縮した。

 竜系統の魔物が好んで使う、魔力を圧縮して放つ贅沢な攻撃だ。ブレス攻撃として知られるそれは凶悪無比の一言で、竜系統魔物が強大とされる理由の一つにもなっている。まして『王』ほどの存在が魔法を込めて放つブレスがどれほどのものか、想像すらできない。

 法則そのものである結晶魔力が渦巻き、圧縮され、解き放たれる。

 《絶魔禁域ロスト・スペル》など関係ないとばかりに空間を突き破り、宝石のような輝く蒼が黄金要塞を貫いた。殲滅兵を放出するためのハッチや、砲台が無数に並べられている要塞上部に綺麗な穴が空き、更にそこから結晶魔力が侵食していく。

 オリハルコンは白いボロボロの塊に置き換わり、風に煽られて崩れていく。



「大丈夫か!」

「何とか……ですが正体不明の侵食により機能停止区画が広がっています!」

「動力はどうだ!」

「幸い無事です。急いで自動修復機能を使っていますが……間に合いません!」

「白い物質の組成が判明しました。塩です! オリハルコンが塩に侵食されています! 塩の塊になって潰れているんです!」

「何て攻撃だ……」



 魔法は一つの法則だ。

 事象を強制する理であり、何者であろうと抗うことは許されない。

 塩の海龍レヴィアタンと呼ばれた嫉妬王は、その魔法によって海を作り替えた。万象を塩に変えてしまうその魔法によって、海は塩水に変わってしまったのだ。文字通り世界を塗り替えた伝説の存在を相手に、黄金要塞如きでどうにかなるはずもない。

 硬く、軽く、魔力耐性もあるオリハルコンでさえ結晶魔法を前にすれば意味がない。

 全て塩の塊にされて滅びてしまう。

 そして嫉妬王に容赦というものはない。

 二度目のブレスが、今度は先程の数十倍もの魔力でチャージされ始めた。



「嘘……」



 魔王を倒すどころか傷一つ付けられず、一方的に蹂躙された。

 思わずそんな声が漏れてしまっても仕方のないことだろう。魔王とはあまりに強く、あまりに理不尽だ。



「立て直すぞ。術式変換炉から転移魔術を呼び出せ! 座標はどこでも構わん! 今は逃げるしかない!」



 聖人教会の指導者として、男はその責務を果たす。

 自分たちの認識の甘さを理解して唇を噛む暇すらない。今は無様でも逃げ延び、立て直し、再び挑む準備を進めなければならない。この中で何人が心折れることなく魔王に立ち向かえるかはわからないが、それでも教義のためやるしかない。

 今にも嫉妬王のブレスが放たれそうなその瞬間、黄金要塞は空間転移によりその場から姿を消した。







 ――だがそれを見逃す嫉妬王ではない。

 

 己の眠りを妨げた存在を蛇のように執念深く追い詰め、塩の塊に変える。黄金要塞を侵食する自身の結晶魔力を追って、巨大な海の龍王が動き出した。

 方角は西。

 人類は厄災と遭遇する。






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