第352話 神子の見た未来


 神聖暦三百二十二年、一月。

 あらゆる敵を打ち破り、栄華をその手に収めたスバロキア大帝国は一つの宣言を出した。クロニカ宮殿よりアデルハイト・ノアズ・スバロキア皇帝が全国放送による宣言を出したのだ。



『我が国民よ。そして同盟国の同胞はらからよ。皆の弛まぬ努力と貢献により、私たちは仇敵を追い詰めることに成功した。永久機関を振りかざし、理不尽を強いる愚かしい国に鉄槌を下したのだ。もはや彼の国に従う国家は存在しない。最後の抵抗を続けていたファロンもラムザ王国も、正式に大帝国同盟圏へ加入したからだ』



 敗戦した二国が同盟加入に調印したのは昨年の十月だ。十か月で一年とする暦が大陸全土で採用されているため、国民にとっても記憶に新しい話である。

 戦勝が続いたことで西側諸国は活気づき、好景気に見舞われ、非常に豊かとなった。

 この演説は国民たちが勝利に満足しないためのものだった。



『しかし私たちは戦いを止めるわけにはいかない。未だに神聖グリニアは永久機関を握っており、今や彼の国は他国に対してエネルギー供給を止めている。黄金要塞という兵器によりコントリアスを滅ぼし、更には氷の時代を招いた神聖グリニアは義にあらず。私たちは正義によって神聖グリニアの歴史に幕を下ろし、あれらが独占する永久機関を奪取しなければならない』



 魔神教は頑なにコントリアス滅亡の原因を魔王に押し付けているが、スバロキア大帝国はひたすらそれを否定し続けてきた。言われた情報を信じるしかない国民は、アデルハイト皇帝の言葉を真実とみなす。そして神聖グリニアを不俱戴天の敵であるかのように考える。

 魔晶の使用不能により情報戦に参戦できなかった神聖グリニアは、ここでも後れを取った。

 もはや神聖グリニアは許されざる敵として考えられている。

 後押しすれば、戦争継続は難しくない。



『国民たちよ、同胞よ。これで最後だ。私たちは世界と人々を守る正義を為す。そして精強なる我が国、そして我が同盟の軍人たちよ。悪逆に染まりし神聖グリニアを滅ぼし、その歴史に幕を下ろすのだ!』



 自分たちが正義である、ということを印象付けると同時に氷河期に対して危機感を煽る。皇帝自らが演説することによる影響力も加味すれば、意識の統一には充分であった。

 リアルタイムで中継された各地で歓声が上がる。

 この世界にとっての明確な悪を制定された今、民衆は正義に酔いしれていた。

 そして同時刻、神聖グリニア国境線を包囲していた大帝国同盟圏の軍勢は一斉に侵攻を開始する。万全のバックアップ体制を整えた大戦力が雪崩れ込んだ。







 ◆◆◆








 神聖グリニア領へと雪崩れ込んだ大帝国同盟圏の軍勢は、順調に進軍していた。大ファロン工業地帯を制圧したことで術符をも手に入れ、召喚石も投入することで制圧力は充分だ。大軍勢であるため攻撃部隊と制圧部隊に分けられ、次々と攻撃部隊が防衛を突破しつつ制圧部隊が都市を抑えるということを繰り返す。鹵獲して改造した水壺すいこや黒竜による航空支援も迅速な制圧の一助になっていた。

 こうして僅か三日で領土の八割を制圧し、首都マギアも目前といったところまで進んだのだ。

 攻撃部隊には覚醒魔装士のギルバートとジュディスも参加していた。



「あら、ここにいたのね」

「ん? まぁな」



 夜、大帝国同盟圏連合軍天幕の前に座っていたギルバートは空を眺めていた。そこに飲み物を片手にジュディスが現れる。

 彼女はギルバートのすぐ隣に座り、湯気の立つカップに唇を当てた。



「寒くなったな。身体、冷やすなよ」

「分かっているわ」

「氷河期ってのが来るらしいからな。これからもっと寒くなるらしい」

「最近はずっと空も暗いものね。星も月も見えないわ」



 軍事行動をする上で問題となったのが寒さだ。

 夜になると息が白くなる日も増えており、それなりの装備でなければ凍え死ぬ。こうした環境の悪さは士気にもかかわるので、様々な対策が行われている。ジュディスが持っている温かい飲み物もその一つだった。飲み物やお湯はほとんどの天幕に設置されており、自由に飲むことができる。



「そう言えば聞いたかしら?」

「何を?」

「ディブロ大陸でおかしなことが起こっているらしいわよ」

「そうなのか? 俺は聞いていないな」

「ちょっと人気のないところに行かない? こんなところで話せることじゃないの」

「……まぁ、分かった」



 ギルバートは重々しく腰を上げる。



「こっちよギルバート」

「ああ」



 同じく立ち上がったジュディスの後ろについて、ギルバートは人気のない場所に向かった。








 ◆◆◆








 大帝国同盟圏の攻撃部隊は都市部近郊に天幕を張り、陣地を作っている。神聖グリニアはその性質上、国軍というものを持たない。当然ながら奪取すべき軍事設備もなく、その代わりとなっている聖堂は奪えば民衆から反発を買う。仕方なく、聖堂に軍の警備を置くという形で部隊の大部分は都市から離れていた。

 人工的な明かりで照らしてはいるものの、暗い部分が多い。

 人気のない場所は比較的簡単に見つかった。



「で、何だ?」



 すっかり人の気配がない場所にやってきたところでギルバートがそう尋ねる。ここまで来ると明かりもないため、お互いの顔を確認するのも難しい。また周囲には背の低い木々も生えており、蔦や草も鬱蒼としていた。

 ジュディスは振り返り、立ち止まる。



「そうね。この辺りならいいかしら」

「ディブロ大陸のおかしなことってなんだ? わざわざこんなところに移動して」

「ああ、それね」



 彼女は左手で前髪をすくい上げ、後ろに流した。

 ギルバートがその仕草に注目していると、次の瞬間、ジュディスの右手から閃光が伸びた。



「死んでくれる?」

「っ!?」



 青白い光が針のように細長く形成されて真っすぐギルバートの心臓を狙う。完全な不意打ちで、如何にギルバートでも躱せないはずだった。

 だが、彼は弾かれたように上半身を捻って回避してしまう。

 更には回避の途中で魔装を発動し、砂に磁力を与えてジュディスを縛ってしまった。



「っと……やっぱりあいつじゃなかったか。見た目と声がそっくりだから騙されそうだったぜ」

「……」

「なんで見破られたか疑問みたいだな。悪いが言わねぇよ」



 ギルバートは天幕の側で声をかけられた時点では本物のジュディスだと思っていた。だが、会話の途中で明らかな違和感に気付いたのである。



(ジュディは俺を『ギルバート』なんて呼ばねぇよ)



 結婚して二十年以上になる二人は、常に互いを愛称で呼び合っている。そんな彼女が今更ギルバートと呼ぶはずがない。

 また彼女は大胆な性格で、わざわざこんなところに移動して話すくらいなら音声遮断の魔術を使ってその場で話してしまう。一度疑いの目を向ければ、仕草の一つですら怪しく思えた。だからこそ、いつでも魔装を使えるように警戒していたのだ。攻撃された瞬間に空気を磁化させ、自身の身体と反発させることで回避した。



「さて、問題はお前が誰かってことだな。あいつに化けて俺を暗殺するつもりだったんだろうが……残念だったな。正体を明かしてもらうぞ」

「……」

「ま。そう簡単には話さないよな」



 ジュディスの姿をした何者かは無表情になって黙り込んでいる。

 普通に考えるならば神聖グリニアの手先だ。それ以外にこのタイミングでギルバートを殺害しようとする理由がない。異端審問官の一人だろうというのがギルバートの予想だった。

 するとジュディスの姿をした何者かは、突如として表面がドロリと溶けて消える。出てきたのは顔のない人形だった。当然ながら人間には見えず、ギルバートも思わず変な声を上げてしまう。

 その間に人形は青白い光を発し、捕縛している砂をバラバラにしてしまった。



「おいおい……嘘だろ」



 覚醒魔装士として強力な魔力を保有する彼の魔装が強制的に解けてしまったのだ。驚くのも無理はない。また人形の放った光には覚えがある。



「『聖女』の聖なる光か。お前、本当に何者だ?」



 しかし人形は答えない。

 この未知の存在からは表情を読み取ることもできないため、ギルバートは動けない。このまま動けなければ情報を抜き取れないことを承知で破壊しようかとも考えていた。

 膠着が続いておよそ二十秒。

 不意に人形の足元に魔術陣が広がり、その姿が消える。

 転移魔術で逃げたと察するのに数秒を必要とした。



「逃げられたか」



 僅かに悔しさを滲ませ、ギルバートは空を見上げる。

 やはり星は見えなかった。







 ◆◆◆








 ジュディスに化けた謎の人形が出現した話は、すぐに大帝国陸軍本部へと伝えられた。そして陸軍大将を通じて皇帝とその側近に伝えられ、この話は自動的に『黒猫クロ』にも伝わる。

 当然、シュウにも伝達された。



「なるほどな。どう思うアイリス」

「絶対アゲラ・ノーマンですよね。聖なる光みたいな力ってことは、トレスクレアの力しかないですよ」

「ああ。俺もそう思う」

『ボクもそう思うよ。ただ、明らかな人形の形だって話だ。おそらく自分が動くための端末を新しく作ったんだろうね。奴本体は永久機関と融合しているって聞いたから』



 一般に聖なる光を使うとされる『聖女』セルアはコントリアス滅亡に巻き込まれて行方不明だ。またそれをコピーしたスレイ・マリアスも同様である。

 また聖なる光と思しき力を使ったのが人形のような何かだったと言われれば、シュウたちが思い浮かべるのはトレスクレアである。かつて古代文明滅亡のきっかけを作った虚飾王パンドラの眷属であり、この大陸戦争における最大のターゲットでもある。



「いよいよ奴の不死身化が進んでいるな。どうにか俺が本体に辿り着く必要がある」

『そうだね。でも、自由に移動できる人形を手に入れてしまったからね。逃げられやすくもなったよ』

「せっかく包囲網を組んだんだがな……」

「計画をやり直しますか?」

「いや、このまま進めるつもりだ。どちらにせよ、『鷹目』の依頼もあるからな」

『ボクも続けるべきだと思うよ。計画が狂ったわけじゃない。不安要素は増えたけど、予想の範疇だからね。ここで諦めるなんてありえないよ。とはいえ警戒は必要だね』

「ああ。分かっている」



 居場所が確実に分かっている今こそ、アゲラ・ノーマンを始末するチャンスだ。この戦争を逃せば二度とアゲラ・ノーマンを捕捉できない可能性すらある。膨大な情報網と転移能力を持った『鷹目』がいたからこそ、これまでの暗殺対象は楽に捕捉できた。しかし戦争後は情報網も壊滅し、更にアゲラ・ノーマンも古代の存在ということで転移術式を自在に扱える。いたちごっこになりかねない。

 転移を封じる結界を張っても反魔力で打ち消されてしまうのが痛いところだ。



「ひとまずはマギア包囲が始まるまで放置する。決定的になるまでアゲラ・ノーマンが永久機関から離れることはないだろ。仮に包囲されたとして、永久機関に憑りつくのが一番安全だからな」

『だろうね。同意だよ』

「そのタイミングでアイリスに《縮退結界》を張らせる。あれは空間に作用する結界じゃなく、境界面に作用する結界だ。閉じた空間内ならば転移できない。仮に境界面に聖なる光を使えば、その時点でアイリスに伝わる。逃がすことはないはずだ」

「大丈夫ですよ。でも私は結界を張る以外に何もできなくなりますけどねー」

「それでいい。それに今回はマギア大聖堂とその地下を覆うだけで充分だ」

『うん。それならどうにかなりそうかな』



 ぼんやりとしていた計画が、ようやく色づき始めた。

 目的を達成した光景を具体的にイメージできるまでになったのだ。自然と『黒猫』の声も達成感の混じった重々しいものになる。



『仕上げの三大魔王たちもスラダ大陸に向かってくれるよう細工が終わっている。うん、いけるよ』



 まるで自分に言い聞かせるかのように、彼女は呟いた。









 ◆◆◆









 マギア大聖堂が教皇の名のもと実行した最終復活計画により、マギアだけは元の文明的な生活を取り戻そうとしていた。この計画は全ての民から富を没収し、全ての民に等しく与えるというものだ。貧しい者は歓喜し、富める者は反発する。財産を含むあらゆるデータが失われたので、いちいち判別して与え直すこともできないからこその方法だ。これによって全ての市民は家すら失い、魔術建築によって建てられた集合住宅を与えられることになった。

 永久機関を利用した都市丸ごとの再建である。

 この大胆な変革はマギアを復活させる最適な方法だったが、市民から批判を集める結果になった。



「予想以上に過激な反応が多いですね」



 教皇としてこれを為したクゼン・ローウェルは疲れた表情で自室の椅子に腰かけた。確かにこの大変革の不満を自分へと集めるべく暴君のような振る舞いをした。市民のあらゆる抗議を無視し、聖騎士や神官を通した陳情すらも権力で却下した。

 今の状況はなるべくしてなったものだ。

 また、『樹海』の聖騎士アロマ・フィデアの不祥事も教皇が仕組んだことであり、彼女は無実であるという噂を広めさせている。怠惰王を討ち取ったアロマが帰還した時、スムーズに現体制の打破が叶うことだろう。

 こうして情報機能が消滅した神聖グリニアは強制的に復活し、その不満を一箇所に集めて解消させることができる。クゼン自身が泥を被る形で綺麗に収まる。

 だが、クゼンに対する負の感情は彼の予想をはるかに上回っていた。



「この光景もあの方には見えていたのでしょうね」



 彼が思い浮かべるのは歴代最高の神子と謳われたセシリア・ラ・ピテルだ。常識を超えた未来知覚により先の世を知りすぎていた彼女は、いつも諦めた表情をしていた。

 セシリアが最後にクゼンへと残した予言が思い出される。



「魔石の資料を持って逃げろ、ですか。禁忌の資料を持ちだせとは、どのような未来が見えていたのやら。一応は言われた通りにまとめていますが、悩みますよ。私は正しいのかと……ふふ、誰に話しかけているのでしょうね」



 彼に自覚はなかったが、精神的にかなり参っていた。考え事をすれば悪いことばかり思い浮かび、自然と口に出してしまう。

 必死に悪役を買ってでもマギアの機能を復活させたと思ったら、大帝国による包囲網が完成していたのだ。知らぬ間にバロム共和国、コルディアン帝国、ファロン、ラムザ王国といった比較的大きい周辺国が陥落していた。更に大帝国はすっかり進軍の準備を整え、貴重な航空戦力だった水壺すいこまでも奪われている。また頼みの黄金要塞も消息不明で、調べてみればディブロ大陸で建造中だったものまでも何者かによって奪われてしまったとか。

 お蔭で最終復活計画をマギア以外に適用することもできず、順調な侵略を許してしまった。

 何がどうしてこうなったのか理解できない。

 全てを投げ出して逃げてしまいたい。

 そう思っても仕方ない状況である。



「いえ。もう逃げてもいいでしょうね。私の役目は終わりました」



 マギアだけでも復活させた。

 市民からすれば不満の残る形であっても、その結果こそが重要だ。本来ならばこれを神聖グリニア全土に及ばせ、黄金要塞や水壺を使って一気に大帝国を打ち破るはずだった。ただ、その勝利の過程にクゼンの存在は要らない。クゼンはあくまでも暴君として処理される必要のある悪であり、救国の英雄であってはならないのだ。それは帰還するはずのアロマ・フィデアの役目である。

 あえて逃げ出し、役目を放棄して保身に走った最悪の教皇として更なる汚名を背負った方が効果的ではある。言うは易しの自己犠牲だが、実際に我が身となると締め付けられるような感情になる。所詮は自己承認欲求に支配された愚かしい人間だと自認させられた。

 自嘲する彼は立ち上がり、新しいソーサラーリングを使って電話をかけた。

 しばらくコール音が鳴り続け、やがて相手と繋がる。



『何用でしょうか猊下』

「予定を変更します。今夜にでも亡命します」

『かしこまりました。お迎えに上がりますのでお待ちください』



 クゼンは亡命を決意し、自身の考えと計画を知るごく少数の側近へと連絡した。また続いて自分に近しい司教や一部の司祭にも亡命を伝える。後のことは任せているので、突然教皇がいなくなっても任せることができる。

 事が終われば自分は捕らえられ、異端審問にかけられて処刑されることになっていた。

 念のためにセシリアが言った通り魔石技術の資料をまとめているが、必要になるとは思っていない。正直に言えば何の役に立つのかと今すぐにでも問いただしたい気分だった。



「こんな絶望的な未来が待っているなら、避けられないなら、予言したくないのも頷けますよ」



 彼は溜息を吐き、立ち上がる。

 そして自室に備えてある魔石資料を封じたケースを手に取り、扉から出ていった。

 大帝国同盟圏連合軍がマギアの目前まで迫るこの日、クゼン・ローウェルは計画を早めて失踪した。









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