第351話 神聖グリニア包囲網


 神聖グリニアは様々な隠し事をしている。

 国家であれば機密の一つや二つがあるのは当然であり、これについては何も不思議ではない。だが、この国は抱えている危機すら国民に黙秘していた。



「私です。入れてください」

『ええ。どうぞ』



 マギア大聖堂の地下深くに存在する秘匿研究所は、ある聖騎士専用の空間となっている。世界最高の頭脳であることから『神の頭脳』と呼ばれるアゲラ・ノーマンである。その正体はトレスクレアという古代兵器なのだが、一見すると人間でしかない。

 しかし彼は今、人間の見た目を失っていた。

 黒衣の男によって襲撃された事件で、アゲラ・ノーマンは一度殺害された。しかし彼の本質は内蔵された疑似魂であり、肉体は外装でしかない。永久機関を管理するコンピュータへと乗り移り、永久機関そのものを彼の身体にしてしまったのである。

 今やアゲラ・ノーマンは独自に構築したネットワーク空間を揺蕩う意思。

 ほぼ不死身の存在なのである。

 元技術部司教としてクゼン・ローウェルもこの事実を認知しており、彼は地下研究所へと降りてアゲラ・ノーマンと今後について話し合っていた。



『ようこそ』



 厳重なセキュリティを通過して、研究室へと入る。黒衣の男が暴れたことで多くの機能は失われており、現在はただの空き部屋でしかない。クゼンが通されたのは、その中でも比較的被害の少なかった部屋。

 そこでは顔のないマネキンのような人型人形が待っていた。



「驚かせないでください」

『いえ。簡易的ですが体が完成しましたので、試運転しているのですよ。以前の人形からだのようにはいきませんね』

「それは……人体からだとは違いますから」



 致命的なすれ違いがあるとも知らず、クゼンは近くの椅子に腰を下ろす。ギシギシと嫌な音が鳴った。



「新しい戸籍登録は順調です。近いうちに完了するでしょう。市民は新しい戸籍を手に入れ、平等に割り振られた財によって再起を図ります。貧しい者たちにとっては喜ばしい話でしょうが、金持ちからすれば大きな反発を生む策ですね」

『そのような意見は無視すれば良いのです。無いものは無い。それが分からぬ子供ではないでしょう』

「誰もが割り切れるわけではありません。それに、今回だけは憎悪を私一つに集めた方が効率もいい。それよりも久遠の聖都エターナル・マギア計画の進み具合は?」

『新都市計画は既に術式化していますよ。時が来れば各所に端末を配置し、魔術でこの都市を書き換えます。その後は……』

「ええ。順番に他の都市でも」



 神聖グリニアを完全に作り直す。

 それ以外に復興の方法はない。既存のネットワークが使用不能となったことで、外国の状況も分からないままなのだ。黄金要塞や水壺すいことも連絡が取れず、大帝国同盟圏がどうなったのかも不明なままとなっている。

 クゼンは教皇として然とした態度を見せつけているが、本心では焦りを募らせていた。

 それを見透かすが如く、アゲラ・ノーマンは進言する。



『ご心配であれば、私が手を回しておきましょうか? 人形を使い、外国の様子を探りますよ』

「……そのようなことも可能なのですか?」

『お任せを。試作型の人形よりも精度の高いものを作っています。それを使えば人間に紛れて動くこともできますよ。ネットワークで繋がりますし、リアルタイムで情報収集できます』



 実に魅力的な提案だった。

 僅かでも外の情報が欲しい現状、頼れるのはそれしかない。



「頼みます」

『ええ。余裕があれば敵軍も撃退しておきましょう。これでも聖騎士ですから』



 顔のないマネキンが邪悪な笑みを浮かべた気がした。

 クゼンはそれを気のせいだと断じた。








 ◆◆◆







 ファロンとラムザ王国への侵攻は堰が崩れた川のように進んだ。

 まず、シュウがファロン首都を滅ぼしたことに加えて偽の命令が出回ったことでファロンは立て直し不可能な状況に追い込まれたのだ。元から少ない兵力を薄く広く展開してしまい、次々と戦線を食い破られて孤立する部隊が続出。結果として首都消滅から五日で降伏することになった。

 またラムザ王国は兵糧攻めという古典的な策略により、西方諸侯が次々と降伏した。西方国家は元から野心の強かったコルディアン帝国に備えていたので、他の地方よりも軍備が厚かった。それらが一瞬で崩れたことにより、首都を含めた中央部は態勢を整える間もなく大帝国の軍勢に飲み込まれてしまったのだ。こちらはファロンから遅れて三日後に首都を解放し、降伏を宣言した。

 神聖暦三百二十一年、九月二十四日。

 この日を境に神聖グリニアは完全に孤立してしまった。



「ようやくここまで来たか」



 ひと段落したことでシュウとアイリスは妖精郷に帰宅し、久しぶりに怠惰な時間を過ごしていた。今は制圧したファロンとラムザ王国を安定化させるため、文官が忙しくしている。武官や兵士たちはひとまずの休息を得ていた。

 色々と裏で動いていたシュウたちも今は特にすることがない。



「一年ですっかり逆転しましたね」

「ああ。去年までは考えられなかった状況だな。神聖グリニアは孤立した。その上、まだ復興が進んでいない。きっかけ一つで変わるものだ」



 驚くべきことに、スバロキア大帝国が復活してから一年も経っていない。その間に世界の情勢は大きく変わった。栄華を誇っていた魔神教は分裂し、幾つもの国が滅亡し、そして神聖グリニアは孤立した。



「次はどうなるのです?」

「そのまま神聖グリニアの領内に攻め込む。後は難しいことを考える必要はない。単純な話だ」

「あー……だから計画が雑なんですねー」

「もうやるべきことはやった。待っていれば結果が出る。多分な」



 実を言えばスバロキア大帝国も焦っている。

 その理由は間もなく訪れる氷河期だ。最近は昼でも陽の光が届かない日が多く、平均気温は坂道を下るように低くなり続けている。今年は大丈夫でも、来年は充分な作物を収穫できず、戦争復興もままならないという事態に陥ることだろう。

 故に大帝国は一刻も早く神聖グリニアを支配し、永久機関を手に入れる必要があるのだ。

 ここからは策を弄せず、全戦力を叩き込んでの総力戦に入る。

 だからシュウがするべきことはもうなかった。



「『黒猫』の奴が大帝国に大軍の準備をさせている。新年が始まる頃には最後の侵攻が始まる、か?」

「ですねー」

「輸送路の再構築、前線の押し上げ方、プロパガンダ作戦、航空兵器運用、それと覚醒魔装士の運用。考えることは多い」

「ギルバートさんとジュディスさんですね」

「ああ。ハイレインは出てこないだろうが、あの二人は前線に出るだろ」

「今は神聖グリニアに覚醒魔装士がいませんよね? 一方的な戦いになりそうなのですよ」

「ああ。それでいい」



 シュウがこの世界大戦に大帝国側として加担する最大の理由は、アゲラ・ノーマンの始末だ。神聖グリニアを滅ぼすのはあくまで『鷹目』の願いである。

 逃げ場がなくなるほど完全に包囲し、永久機関を奪取する。

 そして永久機関に憑りついているというアゲラ・ノーマンを死魔法で殺害する。名実ともに冥王となったシュウ・アークライトがここまで徹底的に神聖グリニアを滅ぼそうとするのはそれが理由だ。



「そろそろディブロ大陸の方も動きがありそうだな」

「最初はどこですかねー」

「さてな。判明している怠惰王はともかく、他は発見に時間がかかるだろうし」



 スラダ大陸は激動の中、一時の安らぎにあった。

 しかしそれは嵐の前の静けさに過ぎず、とても楽観できるものではない。事実、ディブロ大陸から嵐が迫っていたのだから。










 ◆◆◆








 黄金要塞を奪取した聖人教会は東ディブロ海を目指していた。魔王によってコントリアスが魔力嵐に包まれていると信じているため、どれだけ危険だとしても止まらない。それは黄金要塞という常識を超えた兵器があるからこそだが。



「どうだ。魔王は見つかりそうか?」

「まだですね。このまま東に進み続けたら暗黒地帯に突入します」

「観測魔術が全く効果を及ぼさないという、あの」

「はい」



 直径三キロメートルにもなる巨大な黄金の兵器は、海面より一キロほど上空を飛行していた。搭載されている観測魔術によって広範囲を索敵しつつ、海底まで調べるためだ。海中から魔物の反応が多く見られる一方で、魔王と断定できるほど強い魔力反応はない。

 魔王を倒すと意気込んでいても、見つからなければ意味がない。



「暗黒地帯。なんだか怖いわ」

「だが魔王が見つからなければそちらに足を向けるしかない」

「とはいえ東ディブロ海も広いからな。まだ探せていない場所もあることだし、焦ることはない」

「けどもう一か月以上経つぞ? 本当にいるのか?」



 司令室で中央の立体地図を眺める彼らは、虱潰しに観測魔術を使い魔王を探っていた。水龍系魔物と推定されるため、目視で発見するのは不可能だろう。そう予測して彼らは観測魔術による海底探知を続けていたのだ。

 また一方で、黄金要塞の機能を探ることも忘れていない。

 少し離れた場所でモニターと向かい合う数人は、黄金要塞の機能を使って色々と試していた。



「この余剰エネルギーを殲滅兵の生産に使いたいんですよね」

「まだアクセスできないのか?」

「はい。兵器関連の生産機構には特別なアクセスキーが必要みたいで。プロパティから検索してみたんですけど、艦長が持っていることになってて」

「あー……」

「けど緊急時に困るだろ? 他に方法はないのか?」

「物理的に回路を弄って設定する方法もあります。ただ結構難しそうですよ」

「なら、やるしかない」

「私、大学で魔術回路系を専攻していたから分かると思うわ」



 黄金要塞の凶悪さは《絶魔禁域ロスト・スペル》の結界にある。魂魔術の禁呪でもあるこれは、あらゆる魔力活動を無作為化することで魔術も魔装も使えなくする。更に魔力で肉体が構築されている魔物は存在するだけで弱体化してしまうのだ。場合によっては自己の存在が維持できず、崩壊してしまう。

 敵に対して魔力の使用を禁じ、一方で黄金要塞に搭載されている兵器は有効。圧倒的な火力よりも、この理不尽な仕様によって黄金要塞は史上最悪の兵器足り得る。

 ただし機動力に欠けるため、そこを補う殲滅兵が必要だ。直接乗り込まれた場合は普通の殲滅兵が迎撃し、近づく敵は空中適応型殲滅兵が対処する。それによって近づくことすら困難な無敵要塞が完成する。

 しかしながら聖人教会が奪った黄金要塞は、まだ内部生産設備で殲滅兵を生産していなかった。火力は魔術兵器により補えるものの、小回りの利く自動兵器は幾らあっても良い。特に彼らは人員が少ないのだ。数を補うため、殲滅兵が必要であった。



「じゃあ行ってくるわ」

「あ、地図頂戴よ。あれないと迷子になるし」

「はいよ。駅からのでいいか?」

「意味わかんないよな。要塞内部に地下鉄が走っているとか……」



 生産設備を直接弄りに向かう一団から目を離し、残りは司令室に残ってシステムの解析を進める。一つの街にも匹敵する巨大兵器であるため、そのシステムは非常に難解だ。多くの細かな調整を人工知能がしてくれているお蔭で素人の彼らでも操れるものの、充分とは言えない。まだ使いこなせていない仕組みが多く残っているのだ。

 魔王と戦う以上、使える物はすべて使う必要がある。



「あと残っているのは……」

「まず主砲ですね。システム上は浄化砲となっています。どうにかして魔力を主砲に溜め込ませておきたいところですが」

「システムロックが厳重だ。お手上げだよ」

「ですね」

「こっちは物理的にどうにかならないのか?」

「無理だ。艦長権限をどうにかして手に入れないと、こればかりは……な」

「となるともう一つの優先目標からですね」



 そう呟いた男がキーボードを操作し、新しい仮想ディスプレイを出現させる。そこに表示されていたのは主砲にならぶもう一つのメインウェポン、竜滅レール砲だ。禁呪弾を飛ばすための投射兵器であり、その射程は最大で千キロメートルにも及ぶ。

 こちらは権限によりロックされているわけではなく、単純に扱いの難しさが問題点であった。



「照準システムの分析がまだかかりそうですね。それと精密射撃オプションがほとんど分かっていません。現段階では射程にして二キロメートルが限界かと。風、重力、自転、気圧、温度、空気粘性抵抗、その他を精密分析する方法を見つけないと」

「そもそも二キロってのも俺たちが目視で狙える範囲ってだけですし、重力とか風とかは自分で考えないと駄目ですよ」

「これが十全に使えるだけでも戦略に幅ができる。分析を進めよう」

「了解です」



 準備はつつがなく進む。

 魔王の一画を討ち滅ぼすという明確な目標を皆が抱き、皆が力を合わせているからだ。



「これは!」



 複数の画面と睨み合っていた男が驚きの声を上げる。椅子を倒す勢いで立ち上がり、司令室にいる皆から注目を浴びた。

 どうした、と声を掛けられるも彼はキーボードに何かを打ち込み、画面を何度かタップして真剣な面持ちで何か作業をする。そうしてしばらくの後、彼が勢いよくキーを押すと中央の立体地図に変化が現れた。

 立体地図が縮小され、より広範囲が表示される。

 そして海上を浮かぶ黄金要塞から北西へ二百キロほどの場所に、巨大な魔力反応が出現した。それは海の底深くでジッとしており、他の魔物とは比較にならないほど強烈だ。



「間違いない。魔王だ」



 黄金要塞を手に入れた三つの勢力の内、聖人教会は真っ先に魔王を発見した。

 海に潜む最古の魔王、深焉海淵龍ルイン・アビス・リヴァイアサン

 またの名を嫉妬王レヴィアタンを。







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