第350話 遊星
ラムザ王国は非常に歴史の長い国である。その豊かな土壌を活かし、農業国家として繁栄してきた。スラダ大陸南東部に広がる平原を国土としており、安定した気候のお蔭で様々な植物が育ち、古くは最も栄えた国の一つであった。
とはいえそれも農業が国力に直結した古典での話。
現代は工業力がモノを言うため、国家としての経済力は国土と比較して大きくない。ただ、豊富な農作物を輸出しているため重要国家として認識されていた。
しかしそのラムザ王国は、未曽有の危機に晒されていた。
「も、申し訳ございません陛下。我が軍は奮戦すれど、兵站失くしてはどうにもならず……」
「よい。イラード卿が無事でよかった。まずは休むがよい。報告に感謝しよう」
「は。痛み入ります」
「下がれ」
西部地域の統治を任せていた大貴族が出ていった後、国王は溜息を吐いた。ラムザ王国を統治してきた歴史ある王家ということもあり、その権力は非常に大きい。血筋による統治は歴史を重ねているほどに力を増す。その点でラムザ王国の王家は多方面に対して権力を持っていた。
しかし王家といえど、実は三百年前に途絶えかけたことがある。
冥王アークライトの誕生により、旧王都が滅ぼされた事件だ。その時に生じたクレーターは今も残っており、『王』の魔物の恐怖を伝える資料として保存されている。
今回の世界大戦は、その三百年前にも匹敵する危機であった。
「陛下。イラード卿の
「うむ。大帝国からの降伏勧告、だな」
「今のところは交渉の余地がございます。しかし敗戦すれば無条件降伏を突き付けられる可能性も高いでしょう。貴族の一部は降伏すべきと声を上げておりますな。普通であれば制裁も躊躇いませんが、事情が事情だけに責められません」
「空からの街道封鎖、か。私には想像もできなかった戦術だ」
ラムザ王国は主要街道の多くを封じられていた。
スバロキア大帝国が鹵獲した
空に対する攻撃手段を持たないラムザ王国にできることはない。
そして王家としてもできないことを貴族たちに命じるわけにはいかない。
結果として降伏という甘い言葉に惑わされてしまった。
「食料は各都市に保存があるでしょう。しかし兵器については下手すれば一日で使い尽くしてしまいかねません。銃とて弾がなければ鈍器です」
「決断する必要が、あるのかもしれぬな」
国王は虚空を眺め、どこか疲れた表情で呟いた。
◆◆◆
ファロンはかつて緋王シェリーが封印されていた国であり、それを管理するために特別な王家が治めていた。ロカ族という空間魔術に適性を有する一族の協力を得て封印を維持していたのだが、緋王の封印が解けたことをきっかけにファロン帝国は役目を終えた。その後は議員制国家となり、ハデス財閥の経済支援を受けて建てた工業地帯のお蔭で繫栄している。
ただ、ハデスが撤退した後は魔神教がテコ入れを行い、工業地帯を多種多様な企業が買い取って稼働させていた。
「流石に工業力の強い国は堅いな」
街を歩くシュウは、周りの様子を見てそう呟いた。戦争中にもかかわらず、国民は憂う様子もない。普段通りの生活を続けていた。試しに新聞を買ってみると、国境線の防備は万全と自信たっぷりな記事ばかりが目に映る。
新兵器の術符は防衛に厚みを与えてくれたのだろう。
ソーサラーリングによる魔術と異なり使い捨てだが、使用者の魔力を使用しないのでいつまでも魔術を発動し続けられる。圧倒的密度の魔術を突破するのは簡単ではない。ほんの少し距離を詰めるだけで何万人も死ぬだろう。故にスバロキア大帝国陸軍も苦戦していた。
「さて、そろそろか?」
適当なカフェテリアのテラス席に座るシュウは、手元に仮想ディスプレイを広げる。そこには現在発動中の魔術についてデータが示されていた。
マザーデバイスによって制御されたその魔術は、宇宙空間に存在する小惑星を加速させるというものだ。空気抵抗の存在しない宇宙空間であれば、どれだけ加速しても空気抵抗で燃え尽きることがない。この星を周回させながら魔術加速を続け、充分な速度を得た段階で魔術の準備が完了する。
「加速も充分。そろそろ落とすか」
ディスプレイの表示されていた小惑星の現在速度は光速のおよそ十五パーセント。一秒もあれば惑星を一周してしまうほどの速度となっている。
この速度で十トンの質量体は核兵器にも匹敵する運動エネルギーを獲得するのだ。
「発動、《
直後、シュウは自身を霊体化する。
遥か彼方の宇宙を飛んでいた隕石は、転移魔術によってファロン首都上空に現れた。何の前触れもなく現れた隕石に誰も反応することはできず、生じた衝撃波が窓を破壊する。また次の瞬間、激しい光と共にファロン首都は凄まじい熱と衝撃に襲われ、一瞬にして消滅した。
これによってファロンは頭部を失ったも同然となる。
国家としての体裁が崩れた軍に勝ち目はない。
工業地帯だけが重要視されるファロンだからこその攻略法であった。
◆◆◆
大ファロン工業地帯でスバロキア大帝国軍を抑えるファロン軍だが、防衛については問題なく進められていた。堅い防御によって敵軍を消耗させるという戦略はピッタリ嵌り、ファロン軍の士気は非常に高い。このまま耐え切れば勝利も難しくないという確信があった。
「報告! 北部の魔物を殲滅しました。敵軍は撤退を開始!」
「よし。ひと段落だな」
ファロンにとって最重要地点である工業地帯の守護を任されたその男は安堵する。ファロン軍工業地帯方面軍司令官として、ここの死守は絶対だ。彼は慎重な男で、決して功を焦らない。このまま工業地帯周辺拠点から術符による攻撃を続ければ負けないことを理解していた。
スバロキア大帝国軍も召喚石という新兵器を投入し、魔物という使い捨ての武器を放ってきた。
互いに消耗戦になることが分かっているのか、直接的なぶつかり合いはなく、戦線に塹壕や防衛拠点を設置して魔術の打ち合いを展開しているのだ。この戦いは兵力の源である大ファロン工業地帯がすぐ側にあるファロン軍側が有利だ。司令官は打って出てまでこの有利を潰す気はない。上層部の命令に従い、神聖グリニアの援軍が来るまで防衛に徹することを決めていた。
「神聖グリニアが復活し、殲滅兵を送ってくれれば我々の勝ちだ」
この戦いが終わった後に残る自分の功績を想像し、彼は静かに笑みを浮かべる。
しかしそんな彼の妄想を打ち砕くように、軍上層部からの秘匿通信が入った。首都の陸軍幕僚会議室は国家方針を基に戦略を練る臨時機関だ。司令官である彼に命令できる数少ない機関であり、軍の命令系統上、その方針には従わなければならない。
どれほど理不尽で理解不可能な命令だとしてもだ。
パスワードを打ち込み、顔認証した彼は仮想ディスプレイ上に命令書を開く。
そこには衝撃的な命令が記されていた。
「馬鹿な!? 意味が分からない!」
思わず声を荒らげてしまう。
「工業地帯を捨てて撤退だと!?」
その命令はこれまでの戦いを無にした上、ファロンを滅ぼす結果になり得るものだった。これを受け入れるということは、そのまま敗北することに他ならない。普通の思考能力を持っているならば、とても了承できる命令ではない。
だが、軍人である以上は命令に従わなければならない。
「くそ。私だけでは判断しかねるぞ……」
彼は大ファロン工業地帯を守る軍幹部に連絡を取り、緊急会議を始めることにした。
直後、思わずよろめくほどの地震が起こった。
◆◆◆
大ファロン工業地帯を攻めるスバロキア大帝国軍も地震を感じ、一時攻勢を停止していた。不意の揺れで砲塔の角度に誤りが生じ、味方陣地を撃ち抜いては大失態である。
「何が起こった!」
「地震です。一時攻撃を停止します。各種兵器を検査後、再び攻勢を開始します」
「気象観測班より報告! 東の空に巨大な雲が出現したと! 巨大な爆発に伴う雲だと推察されます」
「爆発……? よし、詳細に調べよ。また本国に問い合わせ、あの爆発に関連する作戦があったのか聞け」
「はっ!」
スバロキア大帝国軍本陣からも遥か東に立ち昇る巨大な雲を観測できていた。全く身に覚えのない爆発ということもあり、慌てて調べ始めた。
味方軍別動隊の作戦であれば良し。だが敵軍の新兵器であれば警戒する必要がある。
「奴らの陣地も観察し、様子を探れ。諜報員との連絡も忘れるな。場合によっては空軍に出動要請せねばならぬかもしれん。最悪の場合はギルバート様に出ていただくこともあり得る」
「っ! かのギルバート・レイヴァン様が!?」
「あの方は切り札として後方に待機しておられる。本国の意向によっては考えられない話ではない。まずは情報だ。情報を集めよ!」
奇しくも、昼夜絶えることのなかった砲撃戦が一時停止する。
これが戦いの転換点になるとは、この時は思いもしなかった。
◆◆◆
スバロキア大帝国が改修した二隻の
これにより困ったのは西方領地の貴族たちである。彼らは国境に差し迫ったスバロキア大帝国陸軍を止めるために奮戦することを強いられながら、街道封鎖のせいでまともな兵站を受け取ることができない。小さな田舎道を使って細々と送り込まれる物資でやり繰りする必要がある。また敗走した貴族の軍勢が撤退することで余計に一所に集まり、物資不足は加速していた。
「困りましたな」
顔を突き合わせた貴族たちの一人が口を開く。
すると別の貴族がカッと目を見開き、過剰なほど激しく反応した。
「困りましたですと!? それどころではありません! このままでは我々は――」
「そう声を荒らげるな。
「西からは大帝国の軍勢が迫り、東側の街道は空の敵に封鎖されている。南や北へ迂回しても変わらん。私たちは閉じ込められたのだよ」
「かといって援軍も期待できぬ。終わり、ですな」
「そんな! 諦めて奴らの手に落ちるなど……」
彼らの内のほとんどが既に諦めていた。
武器や食料は限られており、兵の士気も限りなく低い。また輸送路も閉ざされているので援軍や支援物資も期待が薄い。攻め滅ぼされるのも時間の問題だ。
数名ほど忠実な貴族たちは抗戦を唱えているが、それよりも降伏の意見が強すぎる。
状況が状況だけに、仕方がないという考えが蔓延っていた。
また民衆の生活状況も悪くなる一方で、このまま戦争が続けば反乱すら起こりかねない。その予兆は既に散見されていた。
「大帝国による侵攻と虐殺が迫っているという噂が流れています。我が家の者が街で買い出しをする際、そのような噂を耳にしたそうだ」
この領地を守護する貴族が苦々し気に告げた。
噂は徐々に広がっており、その発生源を特定することは難しい。噂を消すには同じく噂で対抗するしかないのだ。しかし彼らは説得力のある噂を用意することができなかった。街の有力者たちと協力して反乱の気を抑えるようにしているが、そろそろ限界であった。
「致し方あるまい。王都へ救援を要請しようと、あのように封鎖されては何もできぬ。私たちに残された選択肢は一つだけだ」
その決断に異を唱える者はいなかった。
降伏の条件を話し合い、翌日から国境沿いに展開するスバロキア大帝国陸軍と交渉を開始する。これによってラムザ王国は西方地帯をほぼ無傷で明け渡すことになった。
◆◆◆
大ファロン工業地帯方面軍は陸軍幕僚会議の命令により動きが鈍った。即座に工業地帯を捨てて撤退せよという意味不明な命令だったからである。
どういうことか問い合わせる通信を送った結果、驚くべき答えが返ってきた。
「本当ですか司令官! 首都が攻撃を受けていると……」
「ああ。先の爆発も大規模攻撃によるものらしい首都陥落も時間の問題ということだ。我々主力部隊を引き戻す必要があると」
「しかしそんなことをすれば……」
「分かっている。しかし方面軍は一部を残し撤退するしかない。わざわざ秘匿性の高い暗号通信で送ってきたのだ。大帝国にこちらの事情を知られたくないのだろう」
「……ということは首都攻撃は大帝国の仕業ではないと?」
「驚くべきことに相手は魔物の群れらしい」
「馬鹿な!」
今やスラダ大陸にはほとんど魔物が生息していない。ここ百年ほどで未開拓地は次々と解き明かされ、魔物の住処だった場所も滅ぼされたからだ。首都ほどの防衛能力を持った都市が魔物の襲撃によって滅びかけるというのは考えにくいことだった。
しかし事実として救援要請が届いている。
無視するわけにはいかない。
「ここから首都までの輸送路をそのまま防衛線として細長い陣を形成する。その分だけ戦線の厚みも減るが、そこは術符で補うしかない。それと西側から来る大帝国軍については積極的な方法で対処する。あえて防御の薄い地点を作り、誘い込んで包囲殲滅する。何度か繰り返せば防御の薄さを見せてもそう簡単に攻め込めなくなるだろう」
「どちらにせよ数日はかかりますね。まずは先遣隊となる救援部隊を送りましょう」
「是非とも我が軍にお任せください」
「うむ。では輸送部隊の護衛に見せかけて向かえ」
「はっ!」
詳しい説明もなくひたすら救援を望む暗号文を不審に思うも、大ファロン工業地帯の主力部隊を後退させることにする。
当然ながらこの要請はシュウがマザーデバイスを使って送信した偽の情報。
既にファロン首都は滅び、命令を出す者は誰一人としていない。
その事実を理解するのは主力部隊を帯状に展開させ、大ファロン工業地帯の守りを薄くしてしまった後だった。
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