第344話 教皇の覚悟


 コルディアン帝国解放軍は着々と輸送経路を整え、進軍していた。あっという間にノルンクリフという都市を包囲し、集中砲火により取り戻したのである。電撃的な作戦であった。術符という使い捨て魔術のお蔭で一般兵の火力も充分であり、コルディアン帝国軍にはほとんど損耗がなかったほどだ。



「……あまりにも容易い」



 コルディアン帝国陸軍を率いていた将校が一人呟く。

 取り戻したノルンクリフの軍事基地はすっかり荒れ果てており、今はそれを片付けているところだ。エリス・モール連合軍は慌てて撤退したらしく、弾薬や武器もいくつか残っていた。だが重要書類はほとんど見当たらず、敵の動きを推察することは難しい。



「どう考えても撤退を考慮していたとしか……いや、まさかそんなはずは」



 デスクを指で叩く彼は思考を繰り返す。

 都市の状況を察するに、エリス・モール連合軍は初めからノルンクリフを明け渡すつもりだったとしか思えないのだ。包囲する前に敵軍が全軍撤退してしまったことから、情報が漏れていたということも考えられる。

 ノルンクリフをわざと明け渡したのではないか、と彼は思ったのだ。



「ここは陸の要所だ。わざと渡すのなら大きな理由がある。ここを抑えればあっという間に浸透し、各地を制圧することができる。勿論、帝都を取り戻すことも視野に入った。奴らは何をするつもりなのだ」



 彼は良い所まで推察できていた。

 敵がわざとノルンクリフから撤退し、何かを企んでいるという予測に間違いはない。だが、彼は陸軍将校であり、空には詳しくなかった。陸上の警戒網を無視して要所に大打撃を与える戦略爆撃を知らなかった。








 ◆◆◆








 『樹海』の聖騎士アロマ・フィデアの異端審問が行われるその日、マギアではある情報が広がりつつあった。それはマギア大聖堂が秘匿しているアロマの異端審問である。それにより、マギア大聖堂の前では真実の公表を求める一団が集まっていた。



「アロマ様が異端審問とは本当ですか!」

「答えてください!」

「嘘だというなら証明しろ!」



 デモ隊の声は非常に大きく、通信網が壊滅したマギアで人伝に広がっていく。またマギア大聖堂の中でも混乱が広がっていた。アロマの件は一部の神官しか知らないことだったからだ。

 マギア大聖堂としては秘匿しておきたいことであり、沈黙を貫いていた。



「なるほど、下手な隠し方は難しくなりましたね」

「申し訳ありません猊下」

「いえ、この状況では情報が漏れるのも仕方ないでしょう。今は対策を急ぎましょう」



 クゼン・ローウェル教皇は聖堂前広場を窓から見下ろしつつ溜息を吐いた。広場に集まって抗議している民衆はおよそ百人。しかしこれからどんどん増えていくことだろう。噂として広がった以上、隠し続けるのは困難だ。

 どう収束させるべきか、クゼンは頭を悩ませる。



「『樹海』はブランネット・ファミリー幹部だけでなく、黒猫幹部とも会っていた証拠写真があります。それに血液検査により薬物も検出されました。どうしても誤魔化すことはできません。しかし尋問の限り、アロマ様が嘘をついている様子もありません。嘘を検出する魔装士の力を借りても、あの方が誤魔化しているとは判定されませんでした。理由として精神操作や記憶改竄が考えられますね……それこそ証拠など一つもありませんが」

「猊下……」

「真実の究明を後回しにしてでも民衆を納得させるストーリーが必要ですね。あまり好みではありませんが、この際それを言うのは間違いでしょう」



 少し言葉を切り、振り返った。

 民衆の声が響いてくる窓を背に、彼はその場にいる神官たちへと告げる。



「もうしばらく民を誤魔化してください。肯定も否定もせず、疑念を募らせるように動くのです。苦労を掛けますが、これを大帝国の諜報を誤魔化す策とします。『樹海』の聖騎士には一つ、仕事を与えるつもりです。心してください。この困難の時を乗り切った先に必ず勝利があります」



 本心を述べるなら、もう全てを投げ出して隠居したい。数年後には氷河期が始まり、戦争は終わらず、国内の魔晶技術は使い物にならなくなり、果てには最も信頼できる聖騎士の不祥事、そして暴動に次ぐ暴動だ。責任感というくさびがなければとっくに教皇という立場など放り出している。

 不満ばかりが集まる中、クゼンはよくやっていた。



「それと神聖グリニア内の全ての港に通達し、船の用意をしてください。あらゆる機能をディブロ大陸に移設できる準備を整えます。私たちがこうしている間にも大帝国は着々と動いているでしょう。最悪は想定しなければなりません。私は技術部の情報をまとめます。私が考え得る最悪の想定では、このマギアが戦場となります。黄金要塞とも連絡が取れない今、無いものとして扱うしかありません」



 緊張のためか、決意の証か、クゼンは拳に力を入れる。

 マギア大聖堂は沈黙を保ったまま、裏で動いていた。








 ◆◆◆









 魔神教異端審問は公正な立場にいる異端審問官三名以上の立会のもと行われる。大抵の場合、その聖堂の司教と数名の司祭、そして聖騎士が同伴する。だが今回の異端審問は例に見ないほど大規模なものになっていた。

 異端審問官六名。

 教皇。

 司教三名。

 司祭八名。

 聖騎士二十六名。

 その他神官四十三名。

 傍聴席から大勢に見守られる中、異端者が立つべき中央の舞台へとアロマ・フィデアが登る。その両手には錠が施されており、また彼女が舞台に昇ると同時に聖騎士が結界を張る。アロマには無意味だろうが、形式的な拘束が行われた。



「これより異端審問を始める」



 そう告げたのは今回の異端審問における裁定神官であった。異端審問官の中にも役職があり、実際に異端者を捕らえる執行官は一般の者も稀に目にする。だが裁定神官は常に聖堂の中で活動しており、あまり目にすることはない。

 彼は厳しい表情を浮かべながら、まずは手元の資料を読み上げた。



「異端者アロマ・フィデアよ。闇組織との取引、また迎合。そして違法薬物取引現場の立会。更に違法薬物の使用。それを認めるか?」

「いいえ」

「で、あるならば審問する。一等異端審問神官ラーゼ・スウェルナは前に」



 異端審問官たちが証拠を羅列していく中、その光景を眺めていた教皇クゼン・ローウェルは全く別のことを考えていた。



(そろそろ、時間ですね)



 クゼンはアロマへと目を向けた。

 彼女は真っすぐ前を向いており、感情が見えない。彼女にとって不利な証拠が挙げられても眉一つ動かさなかった。このまま判決が下れば間違いなく異端判定される。

 しかしそれが下る前に、事態が動いた。

 突如としてこの裁きの間の大扉が開かれ、白い衣服の集団が雪崩れ込んできた。この場にいたほとんどがそれに驚き、何者が来たのかと目を見開く。彼らが聖騎士であると気付くのに時間がかかり、そうしている間にこの場を制圧されてしまう。

 この異端審問の場にいた聖騎士たちも魔装攻撃により気絶させられ、騒然となる。混乱するのも束の間、結界も解除されて自由となったアロマが連れ去られる。



「っ! 追いなさい!」



 我に返った最高裁定神官が叫び、しかし誰も動かない。こういった時に動く聖騎士が全員、もれなく気絶させられたからだ。また通信にてマギア大聖堂全体に通達しようにも、今はそれが使えない。みすみす見逃す羽目になった。



「猊下、どのように……」

「異端審問部に任せましょう。この失態は彼らの責任です。彼らも私たちが介入することを良く思わないでしょうから」

「はっ!」



 また教皇のクゼンは敢えて動かない。

 異端審問に関係する司教は唾を飛ばしながら指示を出しているが、臨時教皇とはいえ管轄違いであるクゼンはその様子をじっと見つめるだけであった。

 しかしそれだけが理由ではない。



(上手く脱出させたようですね。樹海聖騎士団の皆さん)



 声に出さないよう注意しつつ、大扉に目を向けた。







 ◆◆◆








 時は半日ほど遡る。

 まだ早朝の、誰も目を覚ましていない時間にクゼン・ローウェルはある場所を訪れていた。そこはマギア大聖堂の地下にある留置場であった。



「……起きていますかアロマ殿」

「ええ。あなたの手紙を読んだから」



 分厚いオリハルコンの扉越しに、クゼンとアロマは会話する。

 この場には誰も近づかない。クゼンがそのように取り計らっていたからだ。これはアロマが異端審問にかけられる前に設けられた最後の密談だったのだ。



「あなたに一つの使命を与えます」

「へぇ。こんな扱いをした私に?」

「都合の良いことを言っていることは分かっています。私には分かりません。あなたが本当に犯罪に手を染めたとは信じられません。ですからあなたを信じる樹海聖騎士団を信じることにしました。あなたを解放するため、全力を尽くす彼らを」

「……」

「樹海聖騎士団には話を通しています。船の手配も終えました。樹海聖騎士団の方々と共に、ディブロ大陸へ向かってください」

「何をさせるつもり?」

「今、ディブロ大陸では黄金要塞を新たに建造しています。それを使い、南ディブロ大陸の怠惰王ベルフェゴールを撃破してほしいのです」



 それを聞いてアロマは思わず息を呑んだ。

 かつて大敗を喫した相手であり、アロマは同僚を見捨てて彼の王から逃げた。そういった意味で因縁深い相手である。それをわざわざ、このタイミングで討伐しろという。アロマは全く理解できないでいた。



「意味が分からないわ」

「でしょうね。しかし意味はあります」

「どういうこと?」

「一つはあなたのためです。あなたが異端審問にかけられようとしていることが民衆に漏れています。しかし大聖堂からは公式声明を出していません。あなたへの疑惑は大帝国に対する諜報対策という風にするつもりです。アロマ殿はディブロ大陸での極秘任務に向かっていた、ということになります」

「ものは言いようね」

「もう一つは開拓の必要性です。最悪の場合、マギアは放棄しなければなりません。このまま魔晶技術の暗号化が解除できなければ、一から都市を築く必要があります。数年後に作物も育たない氷の時代がやってくる以上、ディブロ大陸の安全は必須なのです。魔術さえ使えれば、数年以内に都市くらいは建設できますから」

「それで怠惰王の討伐というわけね」

「ディブロ大陸で安心して暮らすためには必須ですから。七大魔王が残っているからこそ、あの大陸は未だに開拓地なのです。ですが怠惰王を倒し、安全性を証明すれば移住も難しくありません」



 マギアという都市は想定以上に魔晶技術に依存している。あらゆるものを魔術に頼った結果、もはや復旧不可能なところまで来ている。マギアの市民は原始的な生活を強いられている上、明日の食べる物にすら困っている。

 ゼロから新しい都市を作り、そこを新たなるマギアとした方が早いくらいだ。

 またそれだけではない。



「新たな都市の建設が不可能となれば、黄金要塞そのものを新たな都市とします。建造がほぼ完了した三機の黄金要塞もあれば神聖グリニアの市民を全て受け入れることも不可能ではないでしょう」

「私を救世主役にでもするつもり?」

「怠惰王討伐はその箔付けにもなります。マギアは一度滅び、再生しなければなりません。私は『最終復活計画』を実行するつもりです」

「正気かしら?」

「ええ。覚悟の上ですよ」



 クゼン・ローウェルという男は淀みなく、決意に満ちた声で答える。最終復活計画は神聖グリニアを立て直せる可能性がありながら、リスクの高さにより最終手段とされていた。アロマが正気かと問いかけただけの理由がある。



「私は最悪の教皇として後の歴史に評価されるでしょう。しかし覚悟の上です。悪の教皇である私を討伐するため、あなたはディブロ大陸へ逃れてください。救世主となってください。そしていずれはマギアへと戻り、私を打ち倒すのです」



 彼は自己を排し、神聖グリニアのために泥を被る覚悟を決めていた。







 ◆◆◆







 異端審問から脱出したアロマは、高圧魔力で錠を破壊し逃亡していた。彼女の前を先導する聖騎士はよく知る者たちで、彼らに従って聖堂を駆け抜けた。



「アロマ様、事情は猊下から伺っていると聞きました。この後について説明は必要ですか?」

「ディブロ大陸に向かって黄金要塞に乗ると聞いたわ。それで怠惰王を討伐するという話もね」

「はい。大まかにはその流れになります。今から大型車両に乗り、協力者の転移魔装によって一気にバラン軍港へ向かいます」

「転移? 珍しいわね」

「クゼン教皇が手配してくださいました」



 留置場で話を聞いた時、アロマは半信半疑であった。だがクゼン・ローウェル自ら話に来たこと、そして手際の良さから本気度が窺えた。また樹海聖騎士団のほぼ全てが揃っており、逆にこれだけの騒ぎで一度も戦闘が起こることなく移動できている。教皇が事前に聖騎士の配置を変更させていたからこそ、ここまで何の問題もなく実行できた。



(あの人、本気なのね)



 改めて感じるクゼンの覚悟に、アロマも力を貸すことを決意する。

 マギア大聖堂の中庭を駆け抜けて外縁部へ向かう通用路へと向かい、そこに停車している大型車へと次々に乗り込む。中では聖騎士服の男が一人、待っていた。先導していた聖騎士は奥へと詰めて座席に座り、一方で樹海聖騎士団の副長は運転席の男へと話しかける。



「お待たせしましたホークアイ殿。アロマ様を脱出させるための協力に感謝します」

「猊下の頼みですからね。さぁ、早く奥へ」

「はい」



 副長はアロマを連れて大型車の奥へと向かい、座席の一つに座らせる。続いて樹海聖騎士団のメンバーが次々と乗り込み、一分と経たないうちに全員が座った。マギア大聖堂内部でほとんど情報が伝わっていないのか、アロマたちを追いかけてくる集団はいない。

 そして副長はアロマを自身の隣へと座らせ、ポーチからあるものを取り出して渡した。



「これは……」

「預かっておいた花飾りです」

「ありがとう」



 拘束される前、預かっておいてほしいと言って渡した花飾りだ。彼女を象徴するアクセサリーで、アロマ自身も花飾りを付けることでしっくりしたものを感じる。このような予定ではなかったが、『樹海』の聖騎士としての姿を取り戻した。

 六十人が乗れる大型車がいっぱいになったところで扉が閉まり、運転席に座る聖騎士ホークアイが叫ぶ。



「これから転移します! ローウェル教皇猊下が用意した潜伏先でしばらく身を潜め、準備を整えることになるでしょう。まずは私を信じてください」



 個人レベルを超え、他者や物質を伴った大質量の転移だ。転移ゲートが失われた今、ホークアイの魔装は希少である。追いかけてくる術はない。

 アロマを含め、樹海聖騎士団は皆が縦に頷く。

 大型車は丸ごとマギア大聖堂から消え、アロマたち樹海聖騎士団も一斉に姿を消した。誰にもその行先を知られることなく。








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