第342話 冤罪の予感
魔神教内の犯罪は異端審問部管轄となっている。多くの異端者は監獄都市シェイルアートへと収監されることになるのだが、場合によってはその場で処刑や、情状酌量の余地ありということならば厳重注意もある。通常ならばその国家の司法に任せるべき部分を、魔神教は治外法権的な立ち位置によって独自の裁定を下すことができるのだ。
これだけでもどれだけ魔神教の権力が強いか窺える。
ただ場合によっては死刑になるはずだった人物がシェイルアートで無期懲役となる場合や、罰金で解放される程度の人物がシェイルアートに収監される場合もあり、西側諸国は幾度も面子を潰されてきた。
そんな特別な権力を有する異端審問部は厳正な人選を経て構成されており、あらゆる不正を許さない。あらゆる私情を挟まない。たとえ相手が世界の英雄たるSランク聖騎士だったとしてもだった。
「『樹海』の聖騎士アロマ・フィデア様。我々に同行をお願いします」
「あなたたちは……異端審問部の」
「心当たりがないとは言わせません」
聖騎士専用の休憩所へと訪れたのは三人の神官であった。彼らは神官服の他に、異端審問官である証のバッジと腕章を付けている。一目で何者か分かるようにしているのだ。
アロマは何のことか分からないといった表情を浮かべ、また彼女の部下である樹海聖騎士団の者たちも戸惑いを隠せない。だが異端審問官の一人が封筒から書類の束を取り出し、よく通る声で読み上げた。
「一つ、ブランネット・ファミリーとの裏取引。一つ、黒猫の幹部『灰鼠』との接触。一つ、違法薬物の取引。一つ、違法薬物の摂取。一つ、聖騎士条項への裏切――」
「そんな馬鹿な! アロマ様に限ってそのようなことはあり得ない! お前たちの調査ミスだ!」
「……あなたは樹海聖騎士団副長でしたな。あなたも重要参考人として同行を願います。また我々に調査ミスはあり得ませんな。事実、ブランネット・ファミリー幹部や黒猫の幹部と取引している現場を写真で収めています。何より、アロマ様に先日提供いただいた血液を検査した結果、新種の麻薬を検出しました。幻覚作用と記憶混濁作用のある依存性の低い麻薬です」
異端審問官は証拠となる書類を見せつける。
そこには確かに罪状を本物と示すデータや写真が示されていた。異端審問部による正式な調査の結果であり、これを覆すのは難しいと言わざるを得ない。つまり、ほぼ有罪確定の状態なのだ。あとはアロマを逮捕して証言を引き出すだけという徹底ぶりであった。
「……どういうこと」
しかしアロマに心当たりはない。
異端審問官たちは自覚前提で話していたが、アロマも彼女が率いる樹海聖騎士団も理解不能だった。実際に証拠を突き付けられても実感が湧かないほどである。だがそれで異端審問官が納得するわけもなく、魔力の使用を阻害する魔術手錠を取り出した。これらネットワークに接続されていない魔術道具はまだ使えるので、こうして使うことができる。ただしこの魔力阻害は一般人を前提に作られたものであり、覚醒魔装士のアロマには全く効果を及ぼさないが。
「もう一度述べます。同行してください」
異端審問官は両手を差し出せと言わんばかりに告げる。
それに対して樹海聖騎士団副長は立ち塞がり、また他の団員も殺気立って抵抗しようとした。
「アロマ様、やっていませんよね?」
「ええ。記憶にないわ」
「アロマ様はこう言っておられます。お引き取りください」
樹海聖騎士団は強く抵抗する意志を見せ、異端審問官たちは職務を全うするべく戦闘態勢を取る。抵抗すれば強硬手段も止む無しとするのが異端審問官だが、今回ばかりは相手が覚醒魔装士なので警戒しているようだった。
この状況を動かせるのは当事者であるアロマだけである。
「分かったわ。連行して頂戴」
「アロマ様!」
「大丈夫。心当たりがないのは本当よ」
何もしていない。
だから証拠として提示されたものは何かの間違いだ。
きっとすぐに無実が証明される。
そんな意味を込めて大丈夫と述べた。彼女は副長を優しく押しのけ、前に進む。そして両手を差し出す前にふと止まり、頭の花飾りを取った。
「これ、預かっておいて。取りに戻るから」
アロマは自分の象徴とも言えるそれを、副長に渡した。
◆◆◆
「やはりおかしいです!」
アロマ・フィデア逮捕により樹海聖騎士団は軟禁状態となった。副長を始めとした聖騎士たちは苛立ちと不信感を共有していた。
「ああ、どう考えても不自然だ」
「あんな証拠捏造に決まっているわよ。アロマ様に限って……」
「僕も同意だ」
もっとも古い聖騎士であり、身を削って緋王を封印し、そして今ではマギアを守る唯一のSランク聖騎士でもある。その魔装は非常に強力であり、使い方によっては『王』の魔物すら討ち滅ぼせるだろう。
この扱いはあんまりだと、誰もが思っていた。
そうして憤慨する彼らの下に、副長がやってくる。
「副長」
「戻りました。コピーですが、資料は貰えましたよ。彼らも同情的でした」
副長を始め、樹海聖騎士団のメンバーは誰一人納得していなかった。それで同僚に頼み、アロマが逮捕されることになった証拠の資料を手に入れてきたのである。副長は大部屋の中央にあるテーブルへとそれらを並べ、その周りに皆が集まっていく。
「まずアロマ様が闇組織と取引されていた現場を写真に映されていたという証拠ですね。随分とはっきり映っています。それにこの花飾り……アロマ様ですね」
「加工じゃないのか?」
「元データがないとどうしようもない」
「そもそも今は機械が使えないんじゃないのか? 加工できないと思うぞ」
「使えないのは魔晶機器だけよ。写真の加工くらいなら電子機械があれば……」
彼らの目的はただ一つ。
アロマが無罪であることを証明することだ。聖騎士の中には樹海聖騎士団以外でもアロマを心酔する者が多く、証拠の精査には困らない。協力者を募って情報を集めていた。通信機が機能不全に陥っている現状では手段も限られているので難しいが、どれだけ時間をかけても成し遂げるつもりだった。
「どうにかして生データを入手できない?」
「俺、そういうの得意ですよ。解析できます。どうにか手に入らないですかね副長」
「難しいですね。一応は知り合いの聖騎士に頼んでいますけど、手に入るかどうかは分かりません。その代わり、興味深い話を聞いてきました」
副長は声を潜め、血液検査の資料を指さす。
「この資料、データを捏造された疑いがあるそうです」
「本当ですか副長!」
「静かに。まだ噂の段階です。詳しく調べてもらっています。現状、分析器が動かせないので薬品を使った
彼らに僅かな希望が灯った。
まだ写真についても同じく容疑を晴らさなければ闇組織との取引について無罪を証明することができない。しかし証拠の一つが捏造だと分かれば、それだけで有利になる。他の証拠も捏造である可能性が否定できなくなるからだ。
樹海聖騎士団の方針は決まった。
「まずは私たちの味方となる勢力を選別し、協力を要請しましょう。どうやら魔神教内部にアロマ様を陥れたい一派がいるような気がします」
副長が声を潜めた理由を理解し、一同が頷く。
目立たないようにするしかない彼らは、まず情報を待つことにした。
◆◆◆
コルディアン帝国領アルペンディエス港は貿易港と漁港を兼ねている。
ここを占拠されているコルディアン帝国は国内生産できない物資を手に入れられなくなり、内陸部ではまともな反攻ができない状況だったのだ。逆に言えばこの港さえ取り戻せば、内陸部にまで支援を届かせることができる。
コルディアン帝国皇帝ロンド・コールベルトに協力する
「艦長! 港からの攻撃が激しすぎます!」
「まさかここまで砲台を準備していたとはな……水天は出せるか?」
「現状ではすぐに撃ち落とされる可能性が高いです」
「ならば仕方あるまい。港に対し水爆砲弾を撃ち込め」
「し、しかし! それでは港の機能が……」
「壊れたなら直せばいい。それだけだ」
「……了解」
南の海から奇襲を仕掛けた三番艦グラールに対し、アルペンディエス港を占拠するエリス・モール連合軍は激しく抵抗した。想定の五倍を超える密度で砲撃され、それにより水天を近づけることができなくなってしまったのだ。
制空権を確保するためには港の砲台を破壊せねばならず、水壺一隻で砲撃戦を制するしかない。
東から迫っているであろうコルディアン帝国解放軍の援護をするためにも、できる限り砲台を破壊して制空権を確保しなければならない。それゆえ、グウェン・ライノール艦長は水壺の主砲に装填できる最高威力の砲弾、水爆弾の使用を決めた。
艦橋からの通信であっという間に手配され、水壺の切り札が装填される。
「艦長、水爆弾の装填が完了しました。これより照準を開始……完了しました。発射装置を託します」
「ああ。ご苦労」
グウェンは手元に表示された仮想ディスプレイを三度ほどタップし、パスワードを打ち込んで安全装置を解除する。そして中央モニターに目を向けた。
「目標は港の砲台。水爆弾により破壊する」
彼はそう告げ、何の躊躇いもなく発射ボタンを押した。
すると水壺の主砲が照準通り、計算によって導かれた射角へと設定される。そして次の瞬間、加速魔術により水爆弾は適正速度にまで加速され、港に向かって跳んだ。超長距離砲撃により液体化した水素と酸素が封入された砲弾が飛んでいく。水を装甲にする
水素と酸素を二対一で混合することで凄まじい爆発反応を引き起こすことができる。反応によって生じる熱と衝撃は爆薬に匹敵する。
モニターに映る遥か遠くのアルペンディエス港に向けて砲弾が消えていき、やがて光が起こった。それに続いて大爆炎が立ち昇り、続いて衝撃波により映像が揺れ、ようやく爆発の音が轟く。
「目標に直撃! 激しく炎上!」
艦橋内部に緊張が走り、皆がメインモニターを見守る。
しばらくして爆炎が晴れた時、巨大な港は影も形もなかった。停泊していた船は全て消し飛び、護岸コンクリートも砕け散って無残な姿になっている。隣接するドックや貨物置場も骨組みすら倒壊させていた。当然ながらエリス・モール連合軍の砲台など残っていない。
激しかった砲撃もなくなった。
「進め。水天全機出撃だ」
グウェンの命令により皆が我に返る。
たった一発で戦況を覆す
◆◆◆
魔神教内部の犯罪者を異端審問部が調査する場合、まずは逮捕した管轄の大聖堂で尋問が行われる。逮捕の段階で証拠は揃っているため、後は証言を引き出すだけとなるのだ。証言を引き出せない場合は異端審問という特別な裁判が行われることになる。
闇組織との取引や違法薬物の摂取を疑われるアロマにも同様の手順が取られていた。
「どうしてもお認めにならないのですね?」
「ええ。記憶にないのは本当よ」
「……異端審問になれば罪が重くなる場合もあります。現状、アロマ様が無罪判決となる可能性は非常に少ないでしょう。お願いですからお認めになってください」
「無理なものは無理ね」
最も古い聖騎士ということで、異端審問官からも尊敬を集めている。証拠を集めて逮捕したのは彼らだが、それでも敬意をもって接していた。
中には異端審問官であるにもかかわらず逮捕を認めないとばかりに無罪の証拠集めを行う者すらいる。
それだけアロマの偉業と信頼は凄まじいのだ。
尋問部屋は窓のない小さな部屋であり、その真ん中に椅子が置かれている。アロマはそこに座らされ、彼女を取り囲む異端審問官によって尋問が行われるのだ。異端審問官の男は腰を落とし、座るアロマと視線を合わせて再び問いかける。
「数々の罪状。その一つすらお認めにはならないのですね?」
「ええ。どれも身に覚えのないことよ」
「そう、ですか」
彼は溜息を吐き、立ち上がった。
そしてアロマの前で左右に往復しながら歩く。何かを考え、思い詰めている様子だった彼はやがて口を開いた。
「二日後、異端審問が行われます。あなたの部下が無罪の証拠を集めようとしていますが、証明は難しいでしょう」
「そう」
「有罪確定すればどうなるかわかりません。異端審問の上層部ではディブロ大陸での奉仕が考えられています。不老のアロマ様を収監する意味は小さいですから」
シェイルアートへの収監は飼い殺しにして情報を抜き取るという意味合いが強い。特に異端に指定されるような人物から得られる情報は異端審問部にとって千金の価値がある。単純に危険人物というだけならば即座に処刑されるのが常だ。
一方でアロマに対する判決は非常に困るというのが正直な感想であった。
魔神教に対して貢献してきた歴史と、その功績を考えれば一度の過ちで処刑にはできない。だからといって無罪放免することはできず、不老なのでシェイルアートに収監するだけではあまり罰にならない。それ故、奉仕活動が刑罰として考えられているのだ。
前例のないことなので異端審問部なりに頭を捻っている。
「それにあなたが情報を吐いてくだされば闇組織の活動も抑制できます。喋ってください」
異端審問官は何度も優しく問いかける。
だが、アロマが話すことはなかった。彼女は本当に何も知らないのだから。
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