第341話 踊らされる者たち


 旧コルディアン帝国領はエリス・モール連合軍によって占領されており、そのほとんどが奪われている状況だ。補給場所となる都市は特に厳重で、幾つもの道路封鎖も行われている。国を追い出されたコルディアン帝国の皇帝は、この雪辱を決して忘れていなかった。

 北東に接する小国群は現在、国家としての体を為していない。数か月前に起こったタマハミ事件によって破壊されつくしたからだ。しかしそのお蔭で敗軍でありながら準備を整える場所を確保できた。いずれ国土を取り戻すためにコルディアン帝国全土から軍を撤収させ、一つに集めていた。それを運用する時が遂に訪れたのだ。



「時は来た」



 ロンド・コールベルト皇帝は告げる。

 簾越しに伝わる臣下たちの緊張は最高潮に達していた。不安や期待を全て背負い、皇帝としての力強さを言葉によって示した。



「祖国を取り戻せ。勅命はそれ一つである」



 兵士は揃った。

 新しい武器として術符を仕入れた。

 弾薬も爆薬も充分だ。

 軍用ソーサラーリングの配布も済ませた。

 そして援軍となる水壺三番艦グラールの手配も完了した。

 進軍ルート、戦略、兵站、通信網など、考え得るあらゆる準備を整えた。全てはこの日、この時のためであった。屈辱に塗れながら祖国より逃げ出したあの日からずっと待っていた。誰もが夢見て泥を啜り、生き延びてきた。



「進軍せよ!」



 皇帝の言葉は全兵士へと届けられる。

 中には友人を失った者もいるだろう。家族が取り残されたままの者もいるだろう。彼らは今、同じく失ったものを共有する同士である。心を一つに、まずは一歩が踏み出された。









 ◆◆◆










 コルディアン帝国南沖の海上にて停泊していた水壺すいこ三番艦グラールでも、時を同じくして戦時命令が下されていた。

 グウェン・ライノール艦長は生き生きとした様子でテキパキと指示を出していく。



「航路と到着時間を再計算せよ。今は通信がまともに使えんからな。作戦計画書は厳密に守らなければならない」



 グラールが外部情報を手に入れる手段は、転移で訪れるホークアイという聖騎士だけだ。魔晶を使った長距離通信が不可能となっているため、物理的な連絡手段に頼る他なく、また広域戦略を練るにしてもタイミングが重要となる。常に通信によって互いの情報を連絡し合えるわけではないからだ。

 味方を信じて行動し、また自分たちも味方の期待に応える必要がある。



「ライノール艦長、再計算完了です。コルディアン帝国アルペンディエス港までおよそ三時間です」

「うむ。水天の整備状況はどうなっている?」

「到着の二時間前には完了すると報告があります」



 グウェン艦長は満足そうに頷く。

 彼は反大帝国の考えを持つ人物であり、西側を発展途上の野蛮な国だと考えている。優越感に塗り固められた自尊心が今の状況を我慢できるはずもなく、コルディアン帝国を占拠しているエリス・モール連合軍を完膚なきまでに叩き潰すことを誓っていた。

 これほどの右翼思想な人物だからこそ、コルディアン帝国を取り戻すための支援部隊として選ばれているのだ。



「まずはアルペンディエス港を取り戻し、ラムザ王国を経由した上陸部隊を送り込む。それによって内側から食い破りつつ、東より攻め入るコルディアン帝国軍と挟み撃ちにするのだ。ラムザ王国からの援軍はもう出発した頃か?」

「はい。時刻通りであれば既に向かっているものかと」

「では我々は仕事を完遂し、港を奪取せねばならんな」

「グラールがあれば問題なく完遂できると思います」

「その通りだ」



 水壺すいこは非常に凶悪な兵器だ。

 少なくとも海上にある限り無敵であり、更には純機械航空兵器を艦載しているお蔭で制圧力も高い。これ一つあれば小国を滅亡させられるくらいの威力がある。自由に海を渡り、空を駆け、不意打ちで戦力を投入させる。これがどれほど効果的か分からないわけがない。

 グウェンはこの圧倒的な機動力と火力によりコルディアン帝国を不当占拠する外国人を排除するのだと息巻いていた。






 ◆◆◆






 同時刻、ラムザ王国東海岸の港町ではある一団が集結していた。彼らの服装に統一性はなく、また若者から老人まで様々である。中には子連れの者すらいた。

 彼らが待っていたのは港にやってくる定期船である。

 ディブロ大陸第一都市とこの港を結ぶ船であり、人間や貨物を運んでいる。海の魔物を近づけさせない電撃網も搭載しており、安全な航海が約束された船だった。ディブロ大陸は大量の資源が眠ってる大陸であるため、こうした船による輸出入が絶えない。第一都市は輸送の窓口でもあった。



「そろそろ時間か」

「ああ。《濃霧ディープミスト》を使え」



 だが彼らは不穏な会話をした後、ソーサラーリングを使って水の第二階梯《濃霧ディープミスト》を発動する。ただ視界不良を引き起こすだけの妨害魔術なのだが、使用魔力が少ないことと簡単に広域化できることもあって魔術による霧だとバレにくい利点があった。

 港町で最近は冷えていたということもあり、霧が出ても不審に思う者は少ない。



「停泊したら勝負だ。俺たち突入班で船を奪う。情報が正しければ警報装置はここだ。絶対に押させるな。それと女や子供は制圧完了してから客室に誘導する。素早くだ。分かっているな?」

「何を今更。分かっているさ」

「いや、油断は禁物だよ。慎重に行こう」

「大丈夫だ。計画は順調だ。船を奪い、俺たちはあの黄金要塞を奪う。『聖女』様と『剣聖』様を助け出すんだ。魔王を倒し、コントリアスを元に戻せば……」

「そうだな」



 そうしている内に深い霧が立ち込め、互いの姿を隠していく。

 彼らはラムザ王国の一部やファロンで活発な動きを見せる魔神教聖人教会の者たちだ。かつてスラダ大陸の『王』を討った『剣聖』と『聖女』を崇めており、あれこそ神が遣わした聖人だと考えているのだ。そんな聖人教会にとって、聖人である二人がいたはずのコントリアスが消滅したというニュースは受け入れがたいものだった。絶望的な知らせであった。

 そんな時に聞いた今回の話はまさに天啓だったのである。

 曰く、コントリアスを覆う魔力嵐は魔王によって引き起こされたものであり、あの内側で『剣聖』と『聖女』が戦っているというのである。そしてディブロ大陸の魔王さえ討てば魔力嵐も消え去り、二人は戻ってくると聞いた。また都合よく魔神教の新兵器、黄金要塞が新しく建造完了しようとしているというのだ。ならばその兵器を奪取し、ディブロ大陸の魔王を討ち果たせば……というのが彼らの考えである。

 本当に都合の良い話だが、彼らは神の導きだと確信していた。



「っ! 来たぞ。あれが停泊したその瞬間からが勝負だ」

「ああ」



 聖人教会が動き出す。

 その日、霧に覆われた港でディブロ大陸からやってきた定期船の一つが奪われた。だがどういうわけかその情報は全く伝わらず、ラムザ王国や聖堂が事態を把握したのはかなり後のこととなる。









 ◆◆◆










 魔神教はスラダ大陸全土にまで浸透し、更にはディブロ大陸開拓まで成し遂げた一大組織だ。しかし大きい組織だからこそ、意識の統一が完璧ではない。心から神を信じ、信仰心によって魔神教のため働く者もいれば、利益のために動く者もいる。

 後者の場合、魔神教が沈みゆく船だと見ればすぐに乗り換える程度の者すらいた。

 そういった者たちは情報社会基盤が破壊され混乱の最中にある神聖グリニアを見捨て、すぐに港からディブロ大陸へと向かったのだ。

 なぜディブロ大陸なのかといえば、そちらは無事だと聞いたからである。ただ、彼らも風の噂で聞いたのであって、何か根拠があるわけではなかった。だが、彼らはディブロ大陸へとやってきて正解だったと喜んだ。



「聞いたか? 割の良い仕事が貰えるらしいぜ?」

「はぁ? 本当か?」

「本当だ。別の奴が話しているのをコッソリ聞いたのさ」

「おいおい……」

「言いたいことは分かるさ。だが結構な奴らに声がかかっているらしい。俺たちはこの酒場に泊めてもらって、厚意で日雇いの仕事をもらっているだろ?」



 慌ててディブロ大陸に逃げてきた彼らに住む場所も仕事もあるはずがない。

 だが流石に魔神教が管理する都市だけあって、弱者への救済措置も揃えられていた。彼らは魔神教と提携関係にある酒場で世話になっていたのである。この酒場は一種の職業訓練所のような役目があり、土木工事や清掃作業、接客に調理など様々な仕事を斡旋する。また一部貧困者には格安で宿泊場所も提供しているのだ。

 こういったことを担ってくれているからこそ、第一都市は治安の良い状態に保たれている。

 一攫千金を狙って開拓地に訪れる者は一定数いるので、意外と需要のある事業なのだ。彼らはこのお陰で日々の暮らしに困ることなく過ごせていた。



「話を聞く限り聖騎士様のお手伝いだそうだ。何でもあの黄金要塞に乗って戦うとか」

「おいおい本当か? 俺たちがそんな機密兵器に乗れるわけないだろ」

「いや、勿論兵器として使わせてくれるわけじゃないさ。だがあれだけデカいんだ。戦闘要員以外にも人は要るだろ?」

「でも、なぁ……?」



 懐疑的な表情で顔を見合わせる者たちに対し、男は熱く語る。



「いいか? これは一発逆転のチャンスさ。黄金要塞に乗って魔王討伐でもやってみろ。俺たちは一躍ヒーローさ。あのコントリアスを滅ぼしたって言われているんだぜ?」

「コントリアスは魔物の襲撃じゃないのか?」

「冥王がやったって聞いたぞ?」

「そうなのか? 俺も黄金要塞の攻撃でああなったって聞いたけど……」

「へっ。魔物がやったなんて魔神教の嘘に決まっている。丁度コントリアスに黄金要塞を差し向けていた時に起こったんだぜ? 魔物が現れたなんて出来すぎさ」



 コントリアス滅亡については情報が錯綜しており、一般人にまでは確定情報として伝わっていない。魔神教は全力で魔物の仕業であると主張しているが、一部では黄金要塞の攻撃だとも言われている。その状態で情報システムが機能しなくなったので、有耶無耶となっていたのだ。



「ともかくだ。俺はこれに乗ろうと思う」

「いやいや騙されてるって」

「流石になぁ……精々、第二都市の復興開拓じゃないか?」



 男は必死に仲間を誘おうとするが、胡散臭すぎるらしい。誰も乗り気ではなかった。また男にも道連れが欲しかったという理由があり、必死である。その態度が余計に怪しさを出していることにも気づいていない。

 おそらく説得は難しいだろう。

 そう思われたとき、意外な所から援護が来た。



「その話、本当だよ」

「っ! マスター」



 酒場のオーナーである初老の男が盆にのせた酒を運んできて彼らの前に置いた。そして顔を近づけ、声を細めながら続きを述べる。



「ある聖堂の関係者から依頼を受けてね。黄金要塞に乗せる雑用係を募集しているのさ。何せ都市一つ分にもなるんだ。人員は幾らいても足りない。どうやら魔王討伐を狙っているようだね」

「な? な? 本当だろ?」

「けど困ったものだよ。秘密裏に声をかけていたのに噂が広がっているとはね」

「いいじゃねぇかマスター。俺たちにも依頼してくれよ」

「知ってしまった以上、仕方ないね。けど他の人たちには秘密だよ。何せこれだけ旨い話だ。私に殺到されても困るからね」

「勿論さ」



 酒場のマスターの話を聞いて、ようやく他の男たちも実感が湧いたのだろう。懐疑的な視線はいつの間にか期待へと変化していた。



「いいかい? ――に――へと行くんだ。こっそりだよ? そこにいる聖騎士様に『――』って合言葉を言えば分かるはずさ。それと私が後で渡す手形も見せれば完璧だよ。彼らはディブロ大陸の開拓と魔王討伐に積極的な人たちだからね。くれぐれも、後ろ向きなことを言ってはいけないよ」



 優し気な笑みを浮かべるマスターはそう教えた。










 ◆◆◆










 神聖グリニアの首都マギアでは、あらゆる混乱を抑えるために聖騎士の見回りが積極的に行われていた。というのも、あらゆる都市機能や経済機能が失われたことで無法地帯に近い状態になってしまったからである。

 元から影に潜んでいた犯罪組織が表に出始め、方々で活動している。

 それを抑制するために聖騎士による見回りをする必要があったのだ。それはどの聖騎士にも与えられている任務であり、『樹海』の聖騎士アロマ・フィデアも例外ではなかった。



「ふぅ……」



 見回りから帰還したアロマは息を吐きながら寛ぐ。マギア大聖堂奥の間にある聖騎士専用の設備で、任務後の休息などに利用される場所だった。



「アロマ様、お疲れ様です」

「ええ、お疲れ。今日も困ったわね。中々尻尾が掴めないわ」

「はい。犯罪組織は私たちの動きを掴んでいる節があります。どこからか情報が洩れているのかもしれません」

「そう、ね」

「アロマ様?」



 どこか遠い目をしているアロマに対し、配下の聖騎士が声をかける。心ここにあらずといった様子で、心配だったのだ。

 すぐにアロマは首を横に振った。



「大丈夫よ。少し疲れているのかしらね」

「……何か悩み事でもあるのでしょうか?」

「問題ないわ」

「悩みがあるのですね」



 誤魔化せばよかったものを、アロマはつい気にするなという意味で言葉を発してしまった。迂闊になっているところを見るに相当気になることがあると分かる。

 しまった、という表情すら表に出してしまう。



「仰ってください。相談に乗ります」

「……そう」

「長きにわたり神聖グリニアの守護者として勤められてきたアロマ様に対して恐縮ですが、私にできることがあればお任せください。私を含め、樹海聖騎士団はアロマ様のためにどのようにも動きます」

「ありがとう。ちょっと疲れたのか、最近よく記憶が飛ぶのよ。多分、疲れているだけだと思うのだけど」

「だ、だめですよ。病院に行った方がいいです!」

「でもこの状況だから」

「せめて聖堂の診療所に行きましょう。それと休暇申請も……」

「落ち着いて。記憶が飛ぶといっても本当に記憶がないわけじゃないわ。何というか、夢を見ているみたいに曖昧になる時があるのよ。さっきまで何していたっけってね。だから疲れているんじゃないかと思ったのよ」



 それはあまり楽観視できる話ではない。

 一つ考えられるのが年齢による劣化だ。ただしそれは肉体ではなく精神面の劣化である。覚醒魔装士はあふれ出る魔力を生命力に変換することで衰えぬ肉体を手に入れている。故に寿命が存在しないというのが定説だ。

 しかしそれはあくまでも仮説であり、実際に確かめた者がいるわけではない。封印されていた期間が長いとはいえ、アロマ・フィデアという覚醒魔装士は六百年以上を生きている。何かしらの異常があっても不思議ではない。



「今は精密検査機も使えないわ。大丈夫よ。今の事件が解決すればちゃんと診察を受けるわ」

「ネア秘書とも相談してアロマ様の休暇を増やしましょう。見回りは私たちで補いますから」

「でも裏社会の動きも活発だし、ただでさえ人数が足りないのよ? 私が抜けたらどうするのよ」

「アロマ様一人抜けたくらいで疎かになる警備はしていないつもりですよ。任せてください」

「頼もしいわね」

「ええ。あなたの教えを受けていますから」

「少し寝るわ」

「ええ、お休みください」



 アロマはソファに身体を預け、目を閉じた。







 ◆◆◆







「……残念です」



 紙の報告書を手にクゼン・ローウェル臨時教皇は呟く。

 またそれを持ってきた司教も同意するように頷いた。



「ああ。私もそう思う」

「間違いではないのですね?」

「私の部下に目で見たものを記録する魔装が使える従騎士がいる。彼の手を借りて現場を押さえた。間違いない写真なのだ」

「何と言うことでしょうか……」



 二人の間にある資料はマギアの簡易的な地図と写真だ。地図には幾つも赤い丸印がつけられており、写真については無造作に散らばっている。

 そしてこれらの写真に写っているのは、そのどれもが『樹海』の聖騎士アロマ・フィデアであった。彼女を監視し、撮られたものなのである。また彼女の他にもう幾人か写真の中に映っていた。



「間違いない。これは黒猫の『灰鼠』だ。そしてこっちはブランネット・ファミリーのミクセル。組織のナンバーツーと言われる人物。そして同じくブランネット・ファミリーのゲセル。違法薬物を蔓延させているとして指名手配中の男だな。幹部と目されている重要人物だ」

「写真を見る限り、『灰鼠』が運んできた種をアロマ殿が成長させているように見えますね。そして果実をゲセルが回収しています」

「明らかにブランネット・ファミリーの薬物事業を加担している。そして問題は次の写真だ」

「ええ。アロマ殿の腕に注射を……薬物摂取ですね」

「罪状は違法薬物売買の幇助ほうじょ罪。また違法組織との取引を行った第三種禁止取引罪。それと薬物摂取に関する罪も加わる。他にも聖騎士として逸脱した行いである裏切り罪も適用されるだろう」



 共に頭を抱えたい気持ちだったが、現実から目を逸らしても仕方ない。事実として証拠が挙がってしまったのだ。とても隠蔽することはできない。



「ひとまず拘束しましょう。お願いできますか?」

「分かっている。事情聴取して事態の把握に努める。大人しく連行されてくれるのが一番だが……」

「私はこの事実の秘匿を強化しておきます」



 最古の聖騎士を逮捕する。

 その影響は計り知れず、魔神教の基盤すら揺るがされかねない。何かの間違いであってくれと、クゼンはただ願った。




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