第340話 水壺の確保


 ヘルヘイムから遥か北西の海岸沿いで繰り広げられる戦いは七日目に突入していた。水壺すいこ一番艦メイス、四番艦グラディウスは着水して装甲を回復させながら防戦に集中している。海水から得られる熱エネルギーによってこのままずっと戦い続けることは可能だ。しかし水壺を操作しているのはあくまでも血の通った人間であり、一秒すら休息のない戦いを続けられるわけではない。

 気が狂い、まともな精神状態でない者が続出していた。



「ソノス艦長、もう病室が足りません。一部は自室に閉じ込めているほどです。カウンセラーも足りず、このままでは運用不可となります」

「……分かっている」



 一番艦メイスの艦長、マルカス・ソノスは気丈に振舞いつつも内心では諦めに支配されかけていた。彼は元聖騎士でディブロ大陸戦争にも参加したことがある。歳もあって現場は引退しているものの、教導官を経て今は水壺の艦長に着任していた。

 そして轡を並べて戦う四番艦グラディウスをモニター越しに眺める。

 あちらではほぼ同じ経歴を有する艦長、ジェノ・プリエンコが諦めずに戦っているのだ。だからこそまだドロップアウトするわけにはいかないと自らを奮い立たせた。



(これが孤軍奮闘であれば既に降伏していた)



 味方がいるからこそまだ戦える。

 先に自分たちが降伏してしまえば、確かに楽になるだろう。戦争捕虜としての扱いを受けることになるが、この苦痛からは解放される。しかしそれは同じ船上で戦うもう一隻の水壺を見捨てることに等しい。

 責任感ゆえに、マルカスは戦いを続けていた。



「対空砲の操作はほぼ全て人工知能に任せています。しかしほとんど被弾させることができません。至近弾は幾つかあったのですが、撃墜には至っていません。逆にこちらは被害甚大です。甲板部は大部分が破壊され、現在は最優先で氷壁装甲を修復中。勇敢な者が水天で飛び立とうとしましたが甲板で破壊されました。遺体回収も不可能です」

「動ける者はどのくらいだ?」

「わかりません。精神に異常をきたした者が暴れており、それを押さえるために何人も動いています。誰が動けるのかも把握できていません」

「そうか。正直な報告をありがとう。だがどうにかせねばならんな」

「艦長……」



 そうは言いつつも対策など有りはしない。

 こうして黒竜を引きつければ黄金要塞の援護になると考えて戦い続けた。黄金要塞がスバロキア大帝国を降伏に追い込めば、自分たちも助かると考えた。だが、こうして七日経っても何の報告もない。

 マルカスは首を横に振る。



(いや、希望を持つのは止めよう。分かっていた。これだけの敵航空機が一度も途切れずに襲ってくるということは、スバロキア大帝国は何の危機にも陥っていないということだ。考えたくはないが、黄金要塞が落とされたか、あるいは善戦されているのか)



 彼自身も本当は諦めていた。

 表面だけ繕ってはいても、真実に気づいていた。



「食料はどの程度持つ?」

「切り詰めても三日です。精神病患者に食料を支給しなければ二十日はなんとか」

「そういうわけにはいかん。だが三日しか――」



 その瞬間、耳を貫くような警報音が鳴り響く。ほぼ同時に中央モニターへと大きな顔が映された。その人物は整備士の作業服を着ており、顔には焦りが滲んでいる。



『し、侵入者! 倉庫区画が制圧されました。このま――』



 最後までセリフを言い終わることもなく途切れる。

 マルカスは慌てて立ち上がり、叫んだ。



「状況把握を急げ! 侵入者だと? どうなっている!」



 まだ正気を保っている艦橋の乗組員たちは全力で手元の画面を操作し、状況把握に努める。だがそれによって驚愕の事実が発覚した。



「システム汚染!? アクセス権限の六割が剥奪されています!」

「火器管制システムに緊急停止命令が発行されています。対空砲次々と停止!」

「監視カメラのログから敵判明! この装備は……スバロキア大帝国正規兵のものです。いったいいつ侵入したんだ……」

「それに何だこの速度は。もう倉庫から基幹システム区画まで制圧されている」

「基幹システムを緊急ロックします!」

「区画三十から六十八までの隔壁を閉鎖! 作業員は速やかに退避してください!」

「後部水素タンクに定常圧力を検知……ああっ! 爆発する!」



 ずんっ、と重い振動が伝わってきた。

 すぐに異常を伝えるモニターが無数に立ち上がり、その対処に追われた。それらをいちいちチェックしていてはいつまでも対応できない。そこでマルカスは苦渋の決断を下す。



「システム汚染されている区画から物理的に遮断しろ。ネットワーク強制切断だ。サブシステムを動かして再起動し、汚染除去を開始せよ。詳細不明エリアについては見捨てるしかあるまい。侵入者を大帝国兵と断定し、これより迎撃戦を開始する。警戒レベルを最大にせよ。レーザートラップを全稼働し、システム認可者以外を撃ち殺せ」

「了解。システム遮断に成功。続いてサブシステム起動します」

「隔壁閉鎖完了しました」

「ワクチンプログラム開始します。ウィルス除去まで六百秒!」

「緊急通達! 緊急通達! これより警戒レベル最大化します。それに伴い区画移動に制限が生じます。非認可区画への侵入は乗組員であっても排除対象です。繰り返します――」

「敵航空機の爆撃により装甲の被害甚大! 自動消火装置稼働!」

「だめです! 敵勢力により区画四十六の隔壁が突破されました。とんでもない速度でこちらに向かっています」

「トラップは稼働しているのか!?」

「いえ、これは……そんな馬鹿な。マスター権限!?」

「なんだと!?」



 マスター権限とは水壺すいこのあらゆるシステムにアクセス可能であり、あらゆる区画へ自由に移動可能というものだ。主に艦長だけがこの権限を持っている。

 だがシステムログを見るとマスター権限により隔壁が突破され、トラップレーザーも無効化しているのだ。誰も何が起こっているのか理解できなかった。



(どうなっている! どうすれば……)



 必死に思考を巡らせるも、マルカスですら何も命じることができない。何をどうすれば防げるのか何もわからない。

 そこに最悪の知らせがもたらされる。



「あ……基幹システムを……掌握されました」



 万事休すである。

 基幹システムを奪われた今、一番艦メイスは動力を失ったに等しい。海水から氷の装甲を生み出す仕組みまでも掌握されているのだ。また攻撃用システムも動かすことができないため、水壺はこの瞬間を以てただの氷山と化したのである。

 しばらく艦橋に沈黙が流れた。

 誰もが言葉を失い、手を止めてしまっていた。

 やがて艦橋の扉がスライドして開かれ、そこから武装した集団が入ってくる。



「抵抗するな。我々はスバロキア大帝国軍だ。大人しくしていれば悪いようにはしない」



 入ってきたのはスバロキア大帝国正式兵装備で身を包んだ集団だった。

 彼らは一瞬で艦橋内に散らばり、隙なく銃を向けて制圧する。誰一人動けなかった。

 そして隊長と思われる男は銃口を下げてマルカスに近づき、高圧的な態度で告げる。



「理解していただけたかな? 既に君たちは詰みだ。ああ、それともう一つの艦に期待するのはやめておいた方がいい。あちらも既に制圧済みだよ」



 そうだろうな、とマルカスは納得した。

 だがそれと同時に目の前の男を観察し、特にその指に注目する。ソーサラーリングはない。念のためにもう片方の手にも目を向けたが指輪すら嵌められていなかった。つまり武器は下を向けている銃だけ。



「拘束する。両手を差し出せ」

「……ああ」



 マルカスは大人しく両手を差し出し……次の瞬間、不用意に近づいてきた男の腕をねじり上げて銃を叩き落とし、もう片方の手を首に沿えた。



「動くな。この男の首を吹き飛ばされたくなければ!」



 彼の取った手段は人質。

 囲まれている状況であまり良い手段とは言えないが、決して分の悪い賭けではない。大帝国軍は無傷で水壺二隻を制圧しているのだ。ならばこそ犠牲者を出すことを嫌うはず。必ず動きが鈍くなると考えた上での行動だった。



「……そんな愚かな行動に出るとはな」

「黙れ。私には責任があるのだ。この兵器をお前たちに鹵獲させるわけにはいかない」



 マルカスの考えとは、艦長として有するマスター権限を用いた水壺の自爆だ。この機密兵器を渡すくらいならば自爆するくらいの忠誠心と信仰心は持ち合わせていた。他の乗組員たちを巻き込むことは気が引けたが、彼はもう躊躇うつもりがなかった。

 後は隙を見て仮想ディスプレイを呼び出し、自爆コマンドを発令するだけ。



「余計なことはするな。この男が死ぬぞ?」



 そんな風に脅しながらマルカスは下がる。

 事実、これは効果的だった。大帝国兵たちは全く動かず、様子を見ている。これならば目的も達成できるだろうとマルカスは考えた。



「仕方あるまい」



 だがその考えは打ち砕かれる。

 激しい衝撃を腹に受けたマルカスは吹き飛ばされ、壁に激突した。よほど強く吹き飛ばされたのか、壁に亀裂が走っている。あまりの衝撃でマルカスは一瞬だけ呼吸が止まった。



「がっ!?」



 そして同時に混乱した。

 ソーサラーリングもなしに魔術としか思えない理解不能な攻撃を受けたからだ。気を失う直前、マルカスは歪んだ視界の中に人質としていた男を捉える。その男の耳が少し長かった・・・・・・気がしたが、気のせいだと考え意識を途絶えさせた。









 ◆◆◆










 

「もう、隊長ったら魔導それ使っちゃって」

「問題ないさ。予定外に力を使って一瞬だけ幻覚が解けてしまったが、見られてはいないだろう。それに目的の鹵獲も成功した。グレムリンにはいい報告ができそうだな」

「相手も間抜けですよね。妖精郷うちで鹵獲したものと全く同じシステムなんて。セキュリティ強化しておけば良かったのに」

冥王様あのかたが言うには、技術的なものが追いついていないそうだ。機械は優秀でも、それを扱う人間が未熟。だから表面上のシステムを簡易化するしかない」



 後ろ手に縛られ、ソーサラーリングを含めたあらゆる武装を剥ぎ取られ、目隠しまでされた水壺乗組員たちは聞き耳を立てる。



「ともかく私たちの仕事は終わりだ。水壺これの輸送は人魚かのじょたちがやってくれる。後はゆっくりしよう。勿論、警戒は怠らずに」

「何を仰いますか。私たちが人間かれら如きに後れを取るとでも?」

「それもそうだ」



 どこか不穏な意味が含まれているような気がしつつも、その真意までは測れずに。








 ◆◆◆







 暗号機『悪魔の口』を使って神聖グリニアの情報基盤を破壊した後、『鷹目』はまず初めに数年後に訪れるとされる氷河期について情報操作を開始した。

 氷河期の原因は既に判明しており、コントリアス滅亡に伴って巻き上げられた塵だとされている。だがその直接的滅亡原因については詳細が隠されていた。黄金要塞の主砲たる浄化砲がその全てを引き起こしたのだが、一部では強大な魔物によるものと報道されている。スバロキア大帝国に大義名分を与えないための隠蔽だったので、『鷹目』はこれを利用した。

 その一環で聖人教会という魔神教一派に情報を与えた。



「やぁ『鷹目』。久しぶりだね」

「ええ。リーダーも相変わらずなようで。それでラムザ王国の様子は?」

「君の予想通り、例の情報で勝手に動き出したよ。ファロンの方はどうかな?」

「こちらも同じです。『聖女』と『剣聖』の出身地だけあって簡単でした。ラムザ王国の聖人教会も動き出したのなら、後は容易いでしょうね」



 黒猫の酒場に立ち寄った『鷹目』は『黒猫』と情報交換を行っていた。広域に情報収集する場合、『黒猫』の使う傀儡の魔装が役に立つ。世界各地に配置している酒場やレストラン、その他施設を通して現地の情報を収集するのだ。アナログながら正確で素早い情報網となっており『鷹目』ですら感心してしまう。

 転移で各地を巡る『鷹目』も色々な伝手を使ってアンテナを張っているが、大量の情報を広域で瞬時に収集することにかけては『黒猫』に劣ってしまう。情報屋としての役目を持つ『鷹目』からすればプライドを傷つけられるほどだった。



「できるだけ自然な形を装った苦労が報われましたよ。神聖グリニアの情報基盤混乱に乗じて機密を漏洩させ、それに紛れさせて嘘の情報を紛れ込ませる。使い捨ての手札も切ることになりましたが、その甲斐がありました」

「流石だよ『鷹目』。この手の手法にかけて君は世界一だ。僕も長く黒猫を運営しているが、君ほどの逸材はいなかった。『死神』と君は良いペアだよ。同じく『暴竜』も頼りにしていたんだけど、残念だ。あの彼が命を落とすとはね」

「ええ。黄金要塞の主砲……未だに魔力嵐がコントリアスを覆っています。『死神』さんがアイリスさんを連れて何度か調査しているそうですが、『暴竜』さんの生存は絶望的かと」

「分かっているさ」



 無表情ながら、どこか寂しそうな『黒猫』は告げる。

 人形を通してだが、何百年という付き合いなのだ。多少の感傷は生まれる。しかしすぐに切り替えて話を戻した。



「さて、これで聖人教会の一派はディブロ大陸を目指してくれるはずだね。例の兵器の場所は?」

「流しています。建造中の黄金要塞……見つけるのに苦労しましたよ。まさかこの私が虱潰しをさせられるとは思いもしませんでした。ですが見つけてしまえばこちらのものです。コントリアスを襲う魔力嵐がディブロ大陸の魔王の仕業だと信じ切っている彼らが次に起こす行動は――」

「魔王の討伐。黄金要塞を使ってね」

「ええ、その通りです。条件さえそろえば実に簡単な誘導ですよ。それに都合よく黄金要塞は三機も建造されていました。リーダーの言っていた三体の抑止力へぶつけるのに丁度いい数です」

「君の度胸には恐れ入るよ。わざわざ竜の尾を踏もうというのだからね。確かに一度は大地の支配竜ベルフェゴールを起こしてしまったけど……」

「あの『死神』さん……いえ冥王アークライトですら引き分けに持ち込むしかなかったのでしょう? 世界を滅ぼすのに充分です」

「君は狂っているね。本当に人類は滅亡してしまうかもしれないよ?」

「それもまた一興でしょう。ただ、『死神』さんはそれを許容しないようですが」

「うん。そうだね。この世界の神も許さないさ」



 その言葉に『鷹目』は仮面越しにでも分かるほど嫌な顔をする。

 かつてはその神ゆえに狂わされ、理不尽を呪い、復讐を誓った身だ。この期に及んで神の意志に縛られることを嫌ったのだろう。事情を知る『黒猫』は誤魔化すようにまた話を戻した。



「今頃は『赤兎』も活躍してくれているかな? 『灰鼠』が盗み出してくれた機密文書を各方面に届けてくれただろうね」

「電子文書であれば『死神』さんが率いるハデスを経由して。そして紙の文書であれば『灰鼠』さんの能力で物理的に。黒猫に盗めないものはありませんね」

「うん。魔神教がひた隠しにしてきた秘密や、歴史の闇に埋もれた罪も浮き彫りになっている頃さ。内側から崩れるのも時間の問題だろうね。マギア大聖堂もとても対処できていない」

「ああ、例の傀儡の術で操っている……」

「アロマ・フィデア。随分と長く術をかけているからね。かなり馴染んできたから、短時間なら直接操ることもできるよ」

「それは良いですね。折角ですから利用しましょう。最後のピースとしてね」



 その頭脳によって容赦なく、卑劣で最悪な計画が練られていた。

 魔装の覚醒によって若々しい見た目を保つ『鷹目』も、その精神性は歪になり果てていた。人を人と思わぬ異形の心となるまですり減らしていた。







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