第339話 術符
炎の第十三階梯《
ただ、魔力反応から黄金要塞が消失していることだけは分かっていた。
「破壊、できましたかね?」
「観測の限りでは破壊したと判断されたな。嫌な予感でもするのか?」
「いえ、何というか……釈然としないというか……」
「あの威力だ。バラバラに破壊されて破片は宇宙まで打ち上げられただろうよ。少なくとも内部の人間は即死だ」
「客観的にはそうだと分かっているんですけどねー」
アイリスは何度も違和感を口にしていた。
彼女の能力をよく知るシュウも無下にしているわけではないが、現状では観測不可能なのである。確かめる術がない以上、予測は予測でしかない。
「仮に宇宙まで飛ばされていたとして、しばらくは見つけられそうにないな。舞い上がった火山灰と塵、それから雲のせいで空が見通せない」
「……そういえば寒いですよね」
「『雪』が降るかもな」
「え?」
聞きなれない言葉にアイリスが素っ頓狂な声を上げる。
「何て言いました?」
「『雪』だ」
「何ですかそれ?」
「空の水分が急冷され、それが塵とかの小さな核を基点に凍った結晶だ。氷が降ってくるんだよ」
「禁呪の《
「あれは氷の結晶が巨大化したものだ。『雪』はもっと小さくて軽い。すぐ見れるかもな」
アイリスが雪を知らないのも無理はない。
季節という概念がほぼ存在しないからだ。年間を通して暖かく、極端に冷える日がない。多少の年間気温変動こそあれ、基本的には過ごしやすい気温が続く。故にアイリスだけでなく、誰も雪というものを知らなかった。
氷が降ってくるなど想像もできないだろう。
シュウも転生してから一度も見たことがない。今ほど気温が低下したことがなかったからだ。
「これから氷河期がやってくる。空は白い氷の雲に覆われて陽も閉ざされる。『雪』なんて珍しいものじゃなくなるさ」
木々に張り付く『霜』を眺めつつ、シュウはそう答えた。
◆◆◆
強制暗号化によりソーサラーデバイスを含めた魔晶技術の大半が失われた。被害に遭った神聖グリニアは古典的な人伝による情報網の構築を進めていたのだが、情報技術しか知らない彼らにまともなものが作れるはずもない。
これによって引き起こされた最も深刻な問題が、物資の品薄化であった。
「ほぼ全ての店舗から商品が消えました。この一部の民が起こした買い占めにより暴徒となる者たちも誕生しており、聖騎士の派遣を行っています。また魔物が現れたという誤情報が流れたことで街一つが混乱に陥り、怪我人が続出したという話も――」
「またですか」
報告を聞くクゼン・ローウェル臨時教皇はその途中で口を挟み、溜息を吐いた。彼がそうなるのも仕方のないことで、これらの報告は四六時中寄せられている。しかも対策らしい対策もできない。早く通信機能が復活することを願うしかないのが現状だ。
元は技術部の担当司教であったクゼンは、当然ながらアゲラ・ノーマンにその依頼を行っている。しかし良い報告は返ってきていない。
「異端派の動きが強まっているという話はどうなっていますか?」
「聖戦派や神言派残党がディブロ大陸にこそ楽園があると、信徒を率いて海に出たという話があります。詳細は不明ですが大型客船の一つが紛失していることから事実の可能性があります」
「他には?」
「原典派傘下の派閥にもディブロ大陸を目指す動きがあります。これはディブロ大陸を人類の手に収めよという神の意志だと語っていますね。またディブロ大陸を含め国外では通信が機能不全に陥っていないという噂もあり、越境する集団が多発しているそうです」
こうして律儀に報告を受けているが、この情報が正しいのか、またタイムリーな情報なのかもわからない。情報を得ているこの瞬間、それが意味のないものになっているかもしれない。広い国土を管理しきれず、心労は溜まるばかりだ。
「ディブロ大陸で建造中の黄金要塞はどうなっていますか?」
「未確認です。建造を知るごく一部の者たちと連絡を取ることが難しく……秘匿性が仇となっています。今はどうなっているのやら……あ、すみません」
「いえ、大丈夫です。あなたには苦労を掛けています。エルドラード王国を攻めている黄金要塞とも連絡が着きませんし、これでは戦争どころではありませんね。氷の時代が始まる前に戦争を終わらせなければ……」
時間がないことはクゼンが誰よりも理解していた。
科学者の予想によると、これから訪れる氷の時代はあらゆる生命を絶滅させるほどだという。寒さによる直接的被害より、作物が育たないことによる食糧不足が深刻となるのだ。対応するためには永久機関が必須であり、それを全人類に行き渡らせなければならない。
今は戦争しているが、クゼンにとってスバロキア大帝国は決して憎い相手ではない。救うべき対象であると認識している。神の救いを伝えるべき相手だと思っている。大陸西側に住む多くの人々をも救うため、彼は必死に頭を働かせた。一刻も早く大陸全てに魔神教の教えを広め、救われた世界を実現するためだ。
今回の情報基盤大破壊も早急に復旧させなければ、氷河期を乗りきれない。
「ハデス一強だったことがここまでになるとは」
「猊下、致し方ないことかと。ハデスは似た技術を有する企業を積極的に買収し、取り込んでいきました。私たちにそれを止める権利はなく、どうしようもありませんでした」
「分かっています。だからこそ、技術部でハデスに成り代われる技術を開発するべきでした。技術部ですらハデスの開発した魔晶に頼っていましたからね。ノーマン博士だけは別でしたが。あの方は自前でコンピュータを用意していましたから」
かつては扱うOSが異なるため、データの変換も面倒だったと思っていた。だが今は頑なに自前のコンピュータを使い続けたアゲラ・ノーマンに感謝である。そうでなければ技術部の機密コンピュータまでも使い物にならなくなっていたかもしれないからだ。
そしてこれを利用し、技術部では暗号解読を急ぐと共にOSを丸ごと置き換えて情報技術を刷新する計画も進んでいる。その場合は既存のデータが元に戻らないので、それでも混乱は生じる。またしばらくはマギア大聖堂が社会コントロールを行う必要もあるだろう。資本の没収と再分配を行い、計画経済によって復活を図ることになるため、最終手段であった。
だがこの最終手段が現実味を増していた。
クゼンは手元にある『最終復活計画書』を手に取り、そしてもう一度置く。その行動が彼の心の内を表していた。
◆◆◆
神聖グリニア南西部にはファロンという砂漠国家が存在する。
かつては
この大ファロン工業地帯は民需物資に留まらず、軍需物資として火薬や銃火器なども生産している。魔神教の後押しを受けて最新技術のもと、多くの兵器を各国に輸出しているのだ。
「これが新兵器だと?」
コルディアン帝国皇帝、ロンド・コールベルトの前には数枚のカードが並べられていた。それらは僅かに黄金色を発しており、金属のような光沢もある。特徴としては表面に複雑な幾何学模様が描かれていることであった。
そしてこのカードを提示したカーラーン社の取締役が深く縦に頷く。
兵器会社として老舗のカーラーンは、銃などの純科学兵器をメインとしつつも魔術兵器も開発している。特にハデスが西へと移ってからは、魔術兵器といえばカーラーンとして認識されていた。
「ええ。本土を取り戻したいというお話は聞いております。我が社の新型兵器、
「使い捨て魔術、ということか……ログリット、確かめよ」
「はっ!」
皇帝は側近のログリットへと命じる。
彼は並べられた術符の一枚を手に取り、軽く念じた。するとオリハルコンの黄金色が一瞬で抜けてただの紙となり、代わりに揺らぐ液体の塊が浮かぶ。
「そちらは水の第一階梯《
「なるほど。確かにこれ一つで銃弾より安いのならば……陛下、これは兵装の見直しをするべきです」
「ログリットがそう言うのならば間違いあるまい」
「我が社の新技術、魔力印刷を気に入って頂けて嬉しい限りです。この技術はまだ開拓中でして、他にも多くの応用が可能と言われております。たとえば布の衣服に魔力印刷を行い、金属鎧にも匹敵する防御力を備えさせるなどです。低コストで大量の魔術道具を生産できる可能性を秘めています」
カーラーンの取締役が自信たっぷりにそう語る。
事実、これは革新的な技術といって差支えがない。術符をとっても分かる通り、まず低コストという点で大きな利点がある。更には精度の高い大量生産が可能なのだ。
通常、魔晶は特殊な機器で精密に作成し、何百もの工程を経てようやく完成する。更に魔晶は生産段階で不良品も生まれてしまい、それらをテストによって排除してから出荷されるのだ。
一方で術符は魔力印刷という新しい手法によって生産されている。ただの紙に魔力印刷で術式を刻み、オリハルコン化によって魔力を保存する。そして発動時にはオリハルコン化に使用されている魔力を消費して魔術が発動するのだ。発動後はただの紙に戻るので処理も簡単というわけである。魔晶と比較すれば汎用性に大きく劣るが、それを補ってあまりあるほどの生産性がある。魔晶一つ分のコストで術符が百枚以上も生産できるうえに、魔晶一つを作る時間で数千枚の術符を生産できる。物資を大量消費する戦争において魔晶より遥かに優れているのだ。
また術符に込められている魔力を使用する性質上、魔力がなくても魔術を発動できる点も良い。魔術師や魔装士に持たせるなら魔晶を使ったソーサラーリングだが、一般兵には術符を持たせた方が遥かに効率的で経済的だ。
世界大戦が起こっている現状では莫大な需要がある。
カーラーン社が自信をもってプレゼンテーションを行う理由であった。
「アポプリス式魔術で炎、水、風、土。また光と闇属性も用意しました。ご要望があれば特定術符を大量生産することも可能です」
もう皇帝の心は決まっていた。
何としてでも国を取り戻さなければならない今、そして神聖グリニアからの支援が絶望的となった今、あるもので勝たなければならない。
「ログリット、何を購入するかは任せる。予算はいくら使っても構わん」
「はっ!」
占拠されたコルディアン帝国を取り戻すため、集結した帝国軍が動き出した。
◆◆◆
コルディアン帝国は帝都空襲の時点で防衛を放棄し、全軍を東に集結させて反撃する準備を整えていた。国土を明け渡したのはあくまでも計画の一部であり、魔神教の協力を得て一気に奪い返す予定だった。しかし魔神教本土である神聖グリニアが情報社会基盤崩壊により動けなくなり、コルディアン帝国は独力で動く必要が出てきた。
いつまでかかるか分からない神聖グリニアの回復を待つわけにはいかない。
皇帝がそんな弱腰でいられるはずがない。
使える限りの伝手を使い、何とかして反撃の体を整えていた。
その計画が筒抜けとも知らずに。
『情報感謝するぞログリット』
「何、私の仕事だよグレムリン」
ロンド・コールベルトの側近貴族として知られているログリット・ヴァルキュリアは人間ではない。人間に扮した妖精系魔物なのだ。コルディアン帝国内で急成長した企業を取りまとめており、その経済力によって側近にまでなっている。またかつては現皇帝の学友として接しており、個人的にも信頼されているのだ。
まさか裏切られているとは思わないロンド皇帝は、あらゆる軍事機密をログリットに任せていた。
『しかし術符か。興味深いな』
「人間が使うならば有用だろう。だが冥王様は喜ばれぬだろうさ。どちらかといえば本質部分の、魔力印刷に興味を抱かれるのではないか?」
『ふむ。確かにな。献上できるよう努力しよう。お前が寄こしてくれた情報があればコルディアン帝国解放軍を打ち破るなど造作もない』
「その通りだ」
ログリットが情報共有する相手はスバロキア大帝国空軍大将にして妖精郷の魔物、グレムリンだ。コルディアン帝国領を占拠するエリス・モール連合軍と解放軍との戦いは茶番劇でしかない。最終的にコルディアン帝国が消滅するという演出はこの時点で決まっていることだった。
『冥王様は黒猫を使って魔神教の兵器も使わせるそうだな。分裂工作の一環だと言っておられた』
「ああ。コルディアン帝国南の沖に
『ふっ……それさえわかっていれば対処の仕方もある。引き込んで殲滅してくれよう。それにこちらも間もなく二隻の
「順調なようで何より。これではエレボスも暇だろう」
『彼女にはヘルヘイムを管理するという大事な仕事がある。軍事コントロールは我々の仕事だ。ヘルヘイムでも念のために迎撃準備をしていたようだが、使わないに越したことはない』
「実に簡単な仕事だよ。トップが動けない魔神教は新たな指導者を求めて容易く分裂する。我々は各個撃破するだけでよい」
魔神教は一つの巨大な宗教組織であると同時に、内側に多くの勢力を抱えている。大きなレベルで話せば国家も絡んでくる。神官一人とっても、その人物は国家への所属意識と魔神教神官としての意識を持っている。その人物が持つもう一つの帰属意識を煽ることで簡単に分裂させられるのだ。まして今は魔神教最高意思たるマギア大聖堂がまともに動けない。黒猫の力を以てすれば分裂は容易かった。
『こちらの鹵獲作戦はもう少し時間がかかる。時間稼ぎを頼むぞ』
「任せてくれ」
『何、仕上げだけだ。すぐに終わる。そろそろ奴らも疲弊している頃だろうからな。突入して制圧するだけの簡単な仕事だ』
「頼もしい限りだよ」
世界大戦の裏で、情報格差による差が現れ始めていた。
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