第338話 水壺拿捕作戦


 大地が爆発し、巨大な煙幕が立ち昇る。

 その光景は遠く離れたヘルヘイムからも見ることができた。中央に六角柱の巨大ビルがそびえるハデス本社の最上階で、エレボスもその光景を眺める。



「始まったわね」



 そう呟く彼女の下に通信が繋がる。

 エレボスは表示された仮想ディスプレイをタップして応答した。



「私よ。そっちも見えたかしら?」

『ああ。見えたとも』

「それと予定通り、水壺すいこ二隻がこっちに向かっているわ。レーダーでも探知している。ここから北西に二十キロってところかしら。準備はどう、グレムリン?」

『問題ない。最新型の黒竜を向かわせている。それに地の利は整えているのだろう?』

「ええ。存分に」



 通話の相手はスバロキア大帝国空軍大将グレムリンであった。だがグレムリンには裏の顔もある。幻術にて化けた妖精系魔物であり、系統としては森妖精エルフ種にあたる。彼もまた、シュウの指示で動いている妖精郷の魔物なのだ。

 それ故、シュウの命令により今回も動いていた。



「そちらは任せたわ。まさかヘルヘイムまで来させるわけじゃないでしょ?」

『勿論だ。辿り着く前に全て落としてくれよう』



 グレムリンは自身たっぷりに、そう答えた。

 またエレボスも頼もしいとばかりに笑みを浮かべた。







 ◆◆◆







 スラダ大陸最西端の海岸に、二隻の巨体が浮いていた。浮いているといっても海ではなく、空に浮いている。網目状の張り巡らされた有機物がスポンジのように水を吸着し、それを氷に固めることで頑丈さを確保しつつもコストカットを実現した巨大兵器である。

 この巨大兵器、水壺すいこは戦艦でありながら空母だ。内部には純機械で作られた軍用ヘリコプター水天が格納されている。本来、この兵器は黄金要塞が《絶魔禁域ロスト・スペル》発動下でも小回りの利く空中兵器を運用するために作られたものだが、最終的には水壺に格納されることになった。



『ジェノ艦長殿、そろそろ射程に入りますな。一番艦メイスは水爆弾を装填し終えましたよ』

「ええこちらもですよマルカス艦長」



 一番艦メイスと四番艦グラディウスは至近距離による魔術通信により連絡を取り合っていた。長距離はネットワークを介する必要があるため遮断されているが、ここまで近づけば直接通信できる。

 そしてこの水壺すいこに搭載されている主砲による二撃を開幕の狼煙にしようとしたのだ。

 ただ不安もあった。



「先の大爆発について何かご存じですか?」

『いえ、情報収集は進めていますが何も。地図と照らし合わせる限りスバロキア大帝国からエルドラード王国のどこかだとは思いますが』

「もしやとは思いますが黄金要塞が浄化砲を……? あれはコントリアスの件で使用禁止になったはずではありませんか?」

『まだ断定には早いでしょう。問題があればホークアイ殿が連絡に訪れるでしょうし、我々は我々の仕事をするべきです』



 ジェノは有機的に状況に応じて動くことを好む一方、マルカスは命じられた通りに実行する男だ。決断力という意味ではマルカスの方が上かもしれない。

 初めの命令を信じ、ヘルヘイムを攻撃する。

 それが方針となった。



『ジェノ艦長殿、それでは――』



 作戦計画通りに攻撃を開始しよう。

 マルカスがそう言いかけたと同時に緊急警報が鳴り響く。それは通信相手である一番艦メイスでも鳴り響いており、ジェノは誤報でないことを即座に理解した。



「何事だ!」

「南より高速で迫る物体を確認しました! 数え切れません! 艦長指示を!」

「なんだと!? 迎撃だ。対空火器制限解除。エレベータ作動、水天出撃だ」

「了解。火器制限解除」

「緊急発進! 緊急発進! 水天パイロットは格納庫へ集合せよ」

「光学映像確認……これは……敵航空機です!」

「なんだと!? 我々の動きを察知していたというのか!」



 ジェノは驚くと同時に表示された映像を確認する。すると確かに幾度となく苦しめられてきた黒竜の姿がそこにあった。超音速で迫る黒竜はあっという間に防衛システム圏を突破し、真っすぐ迫ってくる。



「照準急げ!」

「了解。自動照準を設定しました。右舷副砲全解放。装填術式を誘導実弾に設定。二重チェックお願いします」

「右舷副砲全解放、誘導実弾を装填。チェック完了」

「火器掃射開始!」



 すぐに四番艦グラディウスは迎撃を開始する。少し離れた場所に浮く一番艦メイスも同様に迫る黒竜をレーダーに捉え、次々と砲台が火を噴く。

 しかし超音速で飛行する物体へと的確に当てるのは誘導弾でも難しく、急旋回を繰り返す黒竜を捉えきれない。砲弾は全て外れ、散開した百を超える黒竜が全方位から襲い来る。分隊規模に分かれて飛行する黒竜の姿が鮮明に写される。

 美しい流線形が生物を思わせ、まるでドラゴンが空を飛んでいるかのようだ。ジェノも黒竜を映像記録で閲覧したことがあったので、よく知っている。だが、一箇所だけ心当たりのないパーツが黒竜胴体下部に取り付けられている。それはまるで砲身であった。



「何だあれは……」



 ジェノがそう呟くと同時に、答え合わせと言わんばかりに砲身が淡い魔力発光を引き起こす。そして次の瞬間、黒竜下部に取り付けられた砲身から質量体が放たれた。同じ映像を眺めていた誰かが『あっ』と声を漏らす。

 一番艦メイスの後方部に直撃し、爆発が起こった。

 その爆発は一度で終わらない。次々と一番艦メイスへと着弾し、氷の装甲が爆散していく。根のように張り巡らされた有機物のお蔭で氷の装甲は金属に匹敵するほど頑丈になっている。表面で爆発した程度で砕けることはなく、表面が多少削れる程度で済むと実証されている。その装甲が容易く突破されてしまったのだから驚きは小さくない。



「メイスより情報共有! 敵の実弾は高い貫通性を有している模様! あの爆発は内部で引き起こされています。生じた熱エネルギーによって氷が昇華し、水蒸気爆発によって想定以上の破壊が起こったと予想されます。これにより四号、および六号エレベータが破損したとのことです」

「なんだと? ならば装甲部の熱エネルギー奪取率を限界値にせよ」

「はっ! 熱エネルギー奪取率制限限界値まで上昇!」

「着弾! 甲板エレベータが一機破損しました!」

「遅かったか! どこだ?」

「二号エレベータです!」



 艦橋の正面モニターには、グラディウスの全体図が表示されていた。甲板の一部が赤く染まっており、そこが破損したと一目で理解できる。破損したのは水天を甲板へと移動させるエレベータだ。水天の運用をメインとする水壺すいこにとって、これは腕をもがれたにも等しい。



「修理急げ! 対空砲を全解放し、エレベータを死守せよ! この直撃を偶然と思うな。敵は我が艦の特徴を知っているぞ!」



 的確にエレベータが破壊されたことを偶然とは思わない。一番艦メイスでも同じようにエレベータが破壊されたからだ。元から水壺すいこに搭載されている砲台は攻撃よりも防御に重きを置いている。決して落とされないよう、最後まで戦場に留まることが任務となる。だからこそ、その氷の装甲は厚くて硬く、決して水天の邪魔にならないよう最低限の砲台と超長距離用の主砲しかない。



「このままでは一方的に攻撃され、落とされる!」



 その一言で艦橋に緊張が走る。

 また同時に揺れた。甲板に激しい爆発が起こされる。緊急用の仮想モニターが次々と現れ、搭載されている人工知能が事態を知らせてくれた。水壺の外装が氷で作られているということもあり、炎はない。しかし破砕された氷の破片が飛び散り、剥き出しになった機械が破壊の痕をくっきりとさせている。



「熱エネルギー奪取率はどうなっている!」

「現在急速上昇中! 窒素液化温度まで間もなくです!」

「間に合え……っ!」



 水壺に搭載されている砲台は全て解放し、超音速で飛び回る黒竜を迎撃する。軌道変化の際にも全く速度が衰えず、高性能人工知能による自動照準ですら全く砲撃が当たらない。黒竜は完全魔術制御であるため、一切の物理的制約を受けない。慣性力や空気抵抗による減速、および変形にも容易く耐え抜く頑丈さ。また魔術によるベクトル制御が減速なく方向転換を可能とする。つまり人工知能によるアルゴリズム解析でも黒竜の軌道を読み切ることができないということだ。

 超音速で一直線に飛んでいたかと思えば、突然直角に曲がる。本来ならば減速しなければ慣性力により機体が空中分解してしまうのだが、魔術ベクトル制御によって慣性力すらコントロールしているので問題ない。空気との摩擦も素材の強度があれば問題なく耐えられる。迎撃する側からすれば戦意喪失するほどの光景を見せられているわけだ。艦橋の中も次第に士気が低下していく。



「三番エレベータ破損! 動きません!」

「甲板の水天が炎上しています! 燃料の水素に引火して……ああっ!」

「消火急げ! エレベータの修理はどうなっている!」

「二号のパーツ交換が間もなく終わります」

「あ、あ、攻撃が、あああああああああああああああ!」

「くそ。落ち着け!」

「もうだめだ! ここが俺たちの棺桶になるんだああああ!」



 状況対処に手いっぱいとなり、それすら追いつかない。

 中には発狂してしまう者すら現れる。逃げ場のない空が戦場である彼らは、本来ならば精神的な訓練を必要とする。しかし世界大戦がそれを許さなかった。急激に広がる戦禍を乗り切るべく開発された兵器の一つがこの水壺だ。あらゆる技術的段階を飛び越えて開発されてしまったが故に、それを操る人間が追いついていない。

 迫る死。

 逃走不可。

 一つも落とせない敵機。

 敗北を察してしまった兵は視野狭窄に陥り、逆転の目が完全に失われる。



(不味いな)



 明らかに対応が手抜きになっている。ジェノは奥歯を噛みしめた。

 見た限り、彼らも意図的に手を抜いているわけではないだろう。どちらかといえば戦意喪失により能率が低下しているのだ。

 また甲板が大爆発を引き起こす。

 黒竜の爆撃によりようやく発進寸前まで漕ぎ着けた水天を爆破されてしまったのだ。希望である水天による機動的な迎撃も為せそうにない。加速度的に士気が低下していくのをジェノは見ていることしかできない。



(仕方あるまい)



 敵軍の背後を突き、物資供給地であるヘルヘイムを攻撃する簡単な任務だったはずだった。だが実際のところ、自分たちは不意打ちをされる側でしかない。

 元は前線で戦う聖騎士であったジェノも、自分たちが追い込まれていることは充分理解できていた。そしてこの状況を逆転するためには、援軍が必要であることも分かっていた。だが通信機能が制限されている現在、援軍など期待できるはずもない。いつ来るかもわからない援軍を待って耐えろと命令するしかない。

 彼は苦渋の決断で命じる。



「着水シーケンスを開始せよ! これより本艦は熱エネルギー奪取システムを最大効率で稼働させ、海上にて迎撃に徹する!」



 水壺はどれだけ装甲を破壊されても、水を凍らせることで自動修復する。無限に等しい水に覆われた海上であれば、黄金要塞にも匹敵する耐久性と継続戦闘能力へと跳ね上がることだろう。

 だがそれは終わりの見えない戦いを強要する最悪のものだ。

 ジェノはそれを隠さなかった。



「水天は出すな。対空砲のみで迎撃せよ。敵の攻撃が止まるまで……耐えるのだ! この情報は一番艦メイスにも伝達せよ。これより我々は苦しい戦いに入る。だが神を信じよ! 必ず勝利は我々の下に訪れる!」



 唯一の希望はスバロキア大帝国に攻撃を開始しているという黄金要塞のみ。

 ありもしない希望に縋り、彼らは背水の陣で戦いに挑んだ。








 ◆◆◆







 一番艦メイス、四番艦グラディウスが着水したその様子は黒竜の捉えた光学映像により空軍本部基地である黒竜の巣へと伝えられた。



「実に安直。誤った情報はここまで愚かな選択をさせるのか」



 空軍大将グレムリンは思わずそんな言葉を口にする。

 また誰に聞かせるわけでもなくこう続けた。



「もはや逆転は不可能。奴らは超長距離砲によってヘルヘイムを攻撃し、一矢報いるしかなかった。だが奴らは希望を見てしまった。それが誤った選択をさせたのだ。希望などない。黄金要塞の助けがないとは知らずにな」



 地中に存在するホットスポットを禁呪で刺激し、大地の爆発によって黄金要塞を撃退する作戦は成功している。つまり黒竜のリソースも水壺すいこへと割り振ることができるのだ。

 幾ら墜落させられても人的被害のない黒竜は、実に効率の良い兵器だ。幾度も死の危険が伴う実戦を経ることで操縦者は成長し、エース級の実力を備えた者が大量にいる状態にまでなっている。これに伴ってスバロキア大帝国も空軍予算を増額しており、できることは増えるばかりだ。



「大将! 黒竜による空域確保が完了しました」

「そうか。これでアレを檻に閉じ込めることができた。後は時間の問題。だが気は抜くな」

「はっ! 続けて波状空爆フェイズを開始します」



 グレムリンは革張りの椅子に身体を預け、中央モニターを眺める。



「発想としては充分。耐久力も申し分ない。だが扱いがなっていないな。その兵器、我々が存分に利用してくれよう」



 彼の手元には一つのディスプレイが浮かんでいた。

 そこに表示されていたタイトルは『敵性浮遊戦艦空母および機動航空兵器鹵獲計画書』であった。






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