第329話 悪魔の囁き


 教皇暗殺事件に加えて、コントリアス滅亡。

 世界に二つの大ニュースが駆け巡った。

 特に前者は大騒ぎである。あくまでも対話を望んでいると語っていた神言派テロリストが、教皇の乗る水天を爆破したとみなされたのだ。より正確には地上から放たれた魔術によって爆破されたのであり、神言派の仕業かどうか断定できたわけではない。状況からそのように推察されただけだ。当然ながら神言派は無関係だと主張したが、神聖グリニア上層部はそう考えなかった。



「体はもういいのですか?」

「一応は」



 そう答えたのは最強の聖騎士の一人、コーネリアであった。

 彼女は教皇の護衛として同じ水天に搭乗していたが、その任務を達成できなかった。そのことで幾つか責任を追及されたが、最終的には減給という処分になった。爆発に巻き込まれてコーネリアも怪我を負ったものの、覚醒魔装士だけあって死ぬほどではなかったのだ。

 そして彼女は臨時教皇クゼン・ローウェルに呼ばれていた。



「まぁ今や貴重となった霊水を使ったのですし、当然ですか」

「ええ」

「貴女を呼んだのはその霊水の件です。第二都市が占拠され、神言派は激しく抵抗しています。どういうわけか強力な魔装使いが多いようですね。登録された魔力の質から寝返った聖騎士は判明しています。ただその聖騎士はBランクばかりで、従騎士も多いです。何か絡繰りがあるのでしょう。場所が場所だけに高火力で焼き払うわけにもいきません」



 クゼン・ローウェルは技術部の司教だ。他の者よりも魔神教の保有する技術に詳しく、それゆえ臨時教皇として選ばれている。その知識を使えば神言派を殲滅することなど簡単なことだ。

 しかしそれをするには第二都市は重要過ぎる。

 簡単に焼き払って良い場所ではない。

 なぜか強力な魔装を使う神言派聖騎士に苦戦している理由だった。



「『魔弾』の聖騎士コーネリア・アストレイ殿。あなたに依頼です。第二都市のテロリストを狙撃により無力化してください。情報を取るため、生きてとらえるのが優先です」

「……分かりました。やります」

「それが終わったら戦争の続きとなるでしょう」

「コントリアスのあの状況を見てまだ続けると?」

「大帝国がやる気なのです。仕方ないでしょう」

「またアレを使うつもりですか?」

「いや、流石に許可できませんよ。少なくともスラダ大陸では」



 黄金要塞の主砲にして切り札、浄化砲。

 その仕様はクゼンも知っていた。膨大な魔力を圧縮させることでブラックホール相転移を引き起こし、理屈不明のよくわからない魔力増幅と共にそれを解き放つというもの。理論上の破壊力は都市とその周辺を一掃すると分かっていた。

 だが、その後に訪れる凄まじい魔力汚染までは知らなかった。

 今やコントリアス首都があった場所は魔力の嵐に覆われており、誰も近づけはしない。巨大クレーターのある場所は日光も差さず、黒い雷が落ちている危険地帯だ。ソーサラーリングも一瞬で狂ってしまう魔力濃度で、魔術どころか魔装すら発動できない。そして近づけば魔力汚染で魂を傷つけられ、魔装使いでない者は一瞬で死んでしまうと予測されている。

 流石に試すわけにはいかないので予測の範囲だが、天空都市の極光弾によって攻撃されたバロム領に勝るとも劣らない汚染具合だ。



「神言派を鎮圧した後、私たちはエルドラード王国を目標とします。分かりましたね?」



 有無を言わせぬよう、クゼンは念を押した。








 ◆◆◆








 コントリアスの状況はスバロキア大帝国にも伝わった。

 クロニカ宮殿において状況の確認が行われ、緊急の対策が練られていた。この会議に参加するのは皇帝、そして陸軍と空軍の将軍、また外務大臣や財務大臣といった政治的幹部、元老貴族、更には魔術に詳しい学者、果てには魔術系企業の役員や取締役までもいる。ともかく総力を尽くした会議であった。

 そして驚くべきことに、この会議にはハデス財閥二代目会長エレボスも参加していた。



「――といったデータから分かりますように、コントリアスは近づくことすら困難です。魔力環境図の作り直しを進めていますが、このままでは魔物分布図にまでも影響が生じるかと」



 状況説明のために呼ばれた知識人の一人が、ワールドマップや魔力データ、また不明瞭ながら撮影できた写真を交えつつ説明する。

 黄金要塞の攻撃により地図すら書き換わったのだ。

 コントリアス首都を中心として巨大なクレーターが生じ、舞い散る塵や荒れ狂う魔力によって覆われることになった。凄まじい衝撃はスラダ大陸そのものを揺らし、各都市にも影響が出ている。荒れ狂う魔力の嵐も危険な要素だが、学者が危惧するのはもっと別の問題だった。



「大量に舞った塵は大気中を漂い、気流に乗って全土へと浸透するでしょう。分厚い塵の雲が太陽光を遮るという予測があります。すると気温が低下し、植物はまともに育たない……氷河期に突入するでしょう。水の第十三階梯《氷河期グレイシア》が全世界に広がると考えていただければ分かりやすいかと」



 それすなわち、戦争どころではないということだ。

 戦争が終わったとしても、氷河期によって食料不足になれば大量の餓死者が出る。復興どころではなくなるのだ。

 それを危惧した元老貴族の一人が学者に尋ねる。



「質問をいいかね? その氷河期は何年続くと予想される?」

「現時点での予測に過ぎませんが、三百年以上は確実かと思われます。早急に対策しなければ七割の生命が死に至るでしょう。特に野生動物は致命的です。たとえば大量の食物を必要とするディブロ大陸の巨獣などは絶滅するでしょう」

「それほどなのか……」

「これでも最低限の評価です。まだ旧コントリアスを取り巻く魔力嵐の影響が計算に入っていません」



 この予測に多くの者がざわめく。

 黄金要塞主砲は、まさに一撃で世界を変えてしまう兵器だ。神呪にも匹敵するか、それを超える恐ろしい兵器である。そんなものを保有している神聖グリニアと戦えるのかという議論が一つ。また戦争の後、どのように乗り切るのかという議論も同時に交わされる。

 この中で元老長、レイヴァン家当主は弟でもある覚醒魔装士ギルバートへと尋ねた。



「ギル、お前ならば黄金要塞を潰せるか?」

「できませんよ」

「ふむ。となるとジュディス殿も」

「無理ですわね」



 軍の最重要人物として扱われる二人の覚醒魔装士、ギルバートとジュディスもこの会議には参加していた。この二人の娘が皇帝の正妃ということもあり、今やレイヴァン家が外戚でもある。故に元老院をまとめる立場という以外にも重要視されていた。

 ただ、ギルバートとジュディスは覚醒しているとはいえ人だ。

 黄金要塞のような規格外兵器とは違う。

 スレイ・マリアスに加えてセルア・ノアール・ハイレンやシンクまでもが――シンクが消えた事実は一般に知られていない――いたコントリアスが滅亡したという時点で、黄金要塞の脅威は充分に伝わった。少なくとも今の大帝国に抵抗の余地がほとんどない。ありとあらゆる魔術や魔装を無効化する領域を展開する上に、あのような国家を滅ぼすほどの攻撃手段を保有している相手にどう立ち向かえばいいのか分からない。

 陸軍大将も独り言のように上の空で意見を述べる。



「奴らが止まることはないでしょうな。圧倒的に有利ですから。次に仕掛けてくるとすればエルドラード王国でしょう。あそこを抑えれば我が国への足掛かりとなる……」



 エルドラード王国は北にロアザ公国、南にカイルアーザから挟まれた東西に延びる国家だ。そしてこの国の先にスバロキア大帝国の本土がある。目の付け所に間違いはない。



「エルドラードで総力戦をしなければ、国土が蹂躙されますぞ」

「ですが黒竜はあの魔術無効領域で動けないとか」

「ギルバート殿とジュディス殿に動いてもらうしかあるまい」

「あの攻撃の中をどうやって近づくというのだ」

「魔神教を内部分裂させる工作は上手くいっているようですが……それだけで勝てる相手ではありません。禁呪弾の出番でしょうか。確か魔術無効化の結界は、黄金要塞付近までは広がっていないのでしょう?」

「南側で動きがないのも気になりますな。コルディアン帝国は放置ですか」

「あそこはエネルギー経路を破壊していますからね。まずはそちらをどうにかしないと取り返すのは難しいと考えているのでは?」

「それにしては動きがなさすぎると思うが」



 黄金要塞一つが現れただけで大帝国は窮地に追い込まれた。今は内部分裂工作によりディブロ大陸第二都市での事件に注力しているが、それが解決すれば次はこちら側だ。時間稼ぎも長くは持たない。

 大臣も元老も、口々に意見を交わす。

 しかしながら政治家である彼らに具体的な案はない。すぐに学者や、招聘された企業の代表へと視線が向いた。

 すると最も巨大な組織を運営するエレボスがまずは口を開く。



「まず我が社からは黒竜の改良案を提示しますわ。黄金要塞は《絶魔禁域ロスト・スペル》という禁呪によって魔力を制限しています。その仕組みは解明しておりますので、対策を施すことは可能です。またあちらが高度な魔術兵器を持ち出すのであれば、禁呪弾を提供しましょう」



 これには皆が息を呑む。

 特に禁呪弾の提供という部分でだ。

 広域に影響をもたらす禁呪は、暗黙の了解で勝手な使用を禁止している。ある種の抑止力なのだ。現代では魔物に限定して使用が許可されている。

 だが神聖グリニアは神呪弾《重力崩壊グラビティ・コラプス》で天空都市を破壊し、更には黄金要塞を使ってコントリアスを滅亡させたばかりか世界的危機を引き起こした。躊躇う余裕もなければ、遠慮する必要もない。



「魔力活動を阻害するフィールドは厄介ですし、新型の禁呪弾をお渡ししましょう。よろしいですか皇帝陛下?」

「ああ。揃えられた分だけ購入しよう」

「ではもう一つご提案があります」

「そうか。言ってみよ」

「僭越ながら、我が社が提供いたしました暗号装置がございますね?」



 悪魔の口。

 名称を知る者は誰もがそれを思い浮かべた。ここにはその名称どころか存在を知らない者もいるので、誰も口には出さない。

 主に国家元首とその側近、また軍のトップだけが知る機密だからだ。



「それに拡張装置を付けるというのはどうでしょう。そうすれば、敵軍の通信に割り込み、勝手に暗号化して、彼らの通信を無作為な情報の羅列に変換することもできますわよ?」



 まさに悪魔の提案であった。

 高度に情報化された現代において、それが全く機能しないとなると重大な失敗が起こり得る。



「情報撹乱用ですし、解読コードを暗号に混ぜなければ問題ありません。あれを解読コード無しに解き明かすのは不可能ですから。強制暗号化アップデートをネットに流すだけで可能ですわ」



 下手をすればそれだけで国家崩壊しかねない方法である。

 高度な通信によって現代国家が成り立っている以上、それが完全に封じられた時点であらゆる秩序が崩壊してしまう。本当の本当に最後の手段でもあった。

 おそらく、その危険性を本当の意味で理解しているのはこの中でもごく一部だけだろう。幾人かは青ざめた顔をしていた。

 その一人である兵器会社の代表が震えた声で尋ねる。



「エレボス、殿……そ、そんな恐ろしいことを本当に……?」

「問題ありませんわ」

「そ、そんなわけ――」

「そちらの会社の情報は保護して差し上げますから」

「――」



 思わず言葉を失った。

 すなわちあらゆる情報をハデスが握っていると語っているに等しいからだ。企業の持つ機密から始まり、顧客情報に他者との取引情報、特に銀行との取引情報までも暗号化によって役に立たない文字列へと変換される恐怖が湧き上がる。

 ネットワークを掌握しているハデスなら、そこにウイルスという形で強制暗号化を流すだけで情報化社会を崩壊させられる。

 まずはあらゆるメディアが力を失うだろう。

 交通整備を行っている信号システムが狂うことであらゆる流通が混乱する。それ以前に必要なものと、それが必要な場所が伝わらずに流通産業自体が機能停止するはずだ。

 銀行は顧客情報の全てを消失し、金融の信用は砂上の楼閣の如く消え去る。

 金銭という信用取引を失った国家は、それを国民に伝える間もなく暴動の対処に追われることになる。

 警察や軍は何の情報もなく場当たり的な対処を強いられる。

 やがて民は明日食べるものにすら不安を覚えることになるだろう。

 まさに文明の崩壊だ。

 エレボスは情報という武力以外の側面から、簡単に国家を滅ぼせると語っているのだ。彼女の言葉で、意味を理解していなかった者たちもようやくその恐ろしさを知った。



「どうされますか陛下?」



 だがエレボスは極めて自然に、引き込まれるような笑みで問いかける。

 スバロキア大帝国皇帝、アデルハイト・ノアズ・スバロキアは命じた。



「エルドラード王国へと攻め入る意志を見せれば脅せ。それでも聞かぬようなら……潰すのだ。神聖グリニアをな。我らスバロキア大帝国は悲願の独立を果たした。その努力を、歴史を、紡いできた希望を途絶えさせるわけにはいかない。すべて私が背負うつもりだ。私を悪の皇帝とするか、大帝国の救世主とするか……それは後の歴史が判断してくれるだろう」



 若き皇帝は覚悟の光を目に宿していた。





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