第328話 浄化砲②


 黄金要塞で戦っていたスレイたちコントリアス軍も、浄化砲により生じた異変に気付いた。彼らが戦う場所は黄金要塞外縁部であり、魔術砲台の他、殲滅兵の出撃ハッチが大量に取り付けられている部分だ。その大部分は破壊して安全を確保しつつあったのだが、それでも迫ってくる殲滅兵に対処に追われていた。地上のことは見えないが、凄まじい魔力の何かが放たれたことには気付けたのだ。



(この魔力……! なんて量だ)



 戦場で殲滅兵を屠り続けるスレイは、ただここで目の前の敵を倒すことしかできない。コントリアスと、王、そしてそこにいる家族を守っているのは『聖女』セルアなのだ。彼女の聖なる光を信じてここで戦う他ない。

 だが、その信じて戦うという選択肢すら彼らは奪われることになる。

 ピカッと青白い輝きが地上で起こったのが分かった。



「え?」



 気付いたときには空中に放り出されていた。

 さっきまで殲滅兵に魔装を叩き込み、スクラップに変える作業をしていたはずだ。仲間の兵士も必死で戦っていた。だが気づけば重力に囚われ、地上へと落下していたのだ。あの巨大な黄金要塞は影も形もない。空は真っ黒に染まって月明りすら消え去り、魔力の閃きとして黒い稲妻が次々と落ちていく。

 また次の瞬間、激しい突風のようなものに襲われてスレイは吹き飛ばされた。

 地上で起こった大爆発の衝撃波がやってきたのである。



(何が起こった!? くそ!)



 理解できなくとも仕方ない。

 黄金要塞は浄化砲を放ち、ブラックホール相転移フェイズシフトした膨大な魔力が根源量子より引きずり出した魔力を伴って爆発した瞬間、消えてしまったのだ。

 アゲラ・ノーマンが設計したということで当たり前のように搭載されている転移魔術である。

 今回、スレイを含むコントリアス軍はこの転移魔術から非対象とする個別処理が行われた。転移魔術において、黄金要塞を対象とするとそこに乗っている者や搭載されている荷物も一緒に転移される。これは魔術の対象が領域的に区別されているからだ。逆に、個別処理によって対象外とする術式を加えると、その対象を残して転移することができる。

 つまりスレイたちは転移から取り残され、空中に放り出されたのだ。



(何が? 俺は? どうする?)



 魔装を発動しようとするが、周囲に充満する膨大な魔力がそれを許さない。覚醒魔装士の魔力ですら上手く魔装が発動しなかった。

 《絶魔禁域ロスト・スペル》という魔術は魔力ベクトルを無作為化することで術式を破綻させる。だが覚醒魔装士ほどの実力があれば、その妨害を気にせず魔装の発動に至れるのだ。基本的に魔術や魔装の妨害は、それを上回る魔力やその操作技能によって無効化できる。

 しかし覚醒魔装士のスレイですら、今は魔装がまともに発動しない。

 濃すぎる魔力によって邪魔をされているのだ。浄化砲による攻撃は環境を一変させるほどの高濃度魔力を散布することになり、当たり前を粉砕する。



「く、そ……」



 地上は渦巻く黒い魔力嵐に覆われ、何も見えない。

 そしてスレイもこのままでは地上に叩きつけられ死んでしまうかもしれない。



「ぉ、ぉ、ぉぉおおおおおおっ!」



 力を振り絞って聖なる光を発動する。

 魔装発動の邪魔をしているのはあくまでも高濃度の魔力だ。つまりそれを分解し、僅かでも魔力濃度の低い状態を作れば話は変わってくる。



(発動するべきなのは樹海か? 磁力操作か? それとも水晶竜? いや暗黒物質?)



 ともかくこの魔力嵐から離れる必要がある。

 そう考え、使うべきは魔装ではなく転移魔術だと悟った。



(俺の魔装は……コピー! 魔装も魔術も同じ術式! 魔装をコピーできたなら、魔術だって)



 術式は見えた。

 記憶は曖昧だが、覚醒した自分の魔装ならコピーできないはずがない。不完全でも、初めての発動でも、生き残るためにはやるしかないのだ。



「ぐっ……おおおおああああああああ!」



 聖なる光で中和しているとはいえ、高濃度魔力嵐に加えて初めて操る不完全な術式だ。様々な動揺もあって精神も不安定。とてもまともに術式を扱える状態ではない。

 だがスレイはやり遂げた。

 かすかな記憶から術式を読み解き、それを自らの魂に刻み込む。

 不完全なそれはスレイの力となり、意志一つで発動する。



「が、ああああああああ!」



 ブチブチ、バキリと嫌な音がして右肘に激痛が走る。

 不完全な術式でも転移は発動したが、それによって座標指定に欠損が生じていたのだ。スレイは肘から下の右腕だけ転移し損ねてしまう。

 術式の欠損はそれだけではない。

 転移魔術の肝となる慣性系での座標変換までもが不足していた。転移は時間の流れが異なる慣性系を生み出し、座標変換するところから始まる。その慣性系において移動魔術を発動し、移動したという結果だけを残して元の慣性系へと座標変換するのだ。つまり転移魔術の本質とは、移動時間のスキップに他ならない。ただ、その際に別の時間に支配された空間を経由しているのだ。その空間から元の空間へと正確に座標変換できなければどうなるか。

 答えはどことも知れない空間に取り残される、だ。

 スレイの姿が消え去る。

 ごうっと魔力の風が吹き荒れる。

 転移魔術の座標変換過程失敗により、スレイ・マリアスはこの時間・・から追放されることになった。その期限は転移に使われた魔力が消費されるまで。すなわち転移用の経由亜空間が消失するその時まで、彼はこの空間せかいに戻ることがない。








 ◆◆◆







 黄金要塞の転移に取り残されたのは何もスレイ達だけではない。奈落の民もまた、生き残っている者は宙に放り出された。その内の多くは魔力の嵐に晒され、体内から爆散してしまう。自身を自然の一部に見立て、体の内と外で魔力を循環させる法が仇となったのだ。

 奈落の民にとって呼吸も同然の魔力循環は、この空間においては仇となる。人間にとって過剰な酸素が毒なように、過剰な魔力は毒となる。



「ぐっ、お、が……ぁ」



 それはナラクですら例外ではない。

 身体強化の覚醒魔装を有するヴェルドラ・ナラクですら苦痛に悶える。覚醒魔装士として膨大な魔力容量を有する彼ですらこのざまだ。他の奈落の民では即死である。



「ぐ、お、おぉぉぉぉぉおおおおおおおおっ!」



 ナラクは魔力吸収を止めて、放出に専念する。

 それによって凄まじい外部の魔力に抵抗したのだ。

 黒く染まるほど高密度の魔力は毒だ。同じく魔力で構成されている魂が損傷してしまうからだ。強い魔力は人にとって負担となる。それこそ魔装など発動している余裕がないほどに。

 圧倒的な身体能力と代謝能力を有するナラクも、その魔装がほとんど発動できない状態であった。今の彼は常人よりも多少強靭な肉体を有するという程度。高高度からの落下に耐えられるほどではない。



「ぐ、は!」



 しかしそれは生存を諦める理由にはならない。

 迫る死は彼を奮い立たせる。

 あまりにも強すぎる彼は、死を経験したことが滅多にない。かつてSランク聖騎士フロリア・レイバーンから光の禁呪《聖滅光ホーリー》を食らったとき以来だろう。



(思い出す……あの時をよォ!)



 漆黒の魔力が雲のように空を覆い、いくつもの黒雷が魔力の閃きとして散る。見渡す限りの闇と、みるみる迫る地面は、ナラクにとって思い出深い光景でもあった。

 それは奈落の民にとっての試練。

 大地の裂け目の底に住む彼らにとっての成人の儀式だ。

 奈落の底に住む彼らは、空がほとんど見えない地の底から自力で這い上がることで大人と認められる。もはや記憶すら擦り切れるほど昔、ナラクも成人になるためこの試練を受けた。だが、彼はもうすぐ地上というところで手を滑らせた。地の底に向かって真っ逆さまに落ちていくあの感覚は、今と似ている。



(あぁ! そうだ。俺はあの時に力を得た)



 ナラクが覚醒したのはその時だった。

 死に瀕した時、彼は身体強化という分かりにくい魔装を覚醒させる。湧き上がる魔力は無制限に肉体を強化し、魔術的な強靭さを与えた。陽も差さぬ闇の底へと落下する彼は恐怖に打ち勝ち、生を掴み取り、人としての次のステージへ進む。

 今もあの時と同じ状況であった。



「うおおおおおおおおおおお!」



 全身全霊を以て肉体を強化し、魔力を放出する。自然と入り込んでくる魔力を押し返すのだ。少しでも気を抜けば膨大な魔力の嵐に押し潰される。

 そして刻一刻と迫る地面。

 生か死か。

 これこそがナラクが望んで止まない『生きている感覚』だ。



「クハハハハハハ! 俺は! 俺は生きているぞォ! そうだ。これこそが」



 天秤が傾く瞬間は近い。

 この分岐点を通過した時、ナラクは次なるステージに進むのだろう。彼は根拠もなくそう確信していた。

 それは天罰か、それとも祝福か。

 大空を覆う濃密な魔力の雲が閃き、漆黒の雷を落とす。



「これこそが――っ!」



 余波の魔力とはいえ、漆黒に染まるほどの密度。

 ナラクは即死級の魔力でその身を貫かれた。








 ◆◆◆







 その瞬間、コントリアス首都は大爆発に見舞われた。

 膨大な魔力が拡散し、物質から大気まであらゆるものを押し流し、破壊の衝撃波を撒き散らした。魔力の閃きによって漆黒の雷が天地を結び、大災害となって襲いかかる。

 この日、スラダ大陸北の地にあったコントリアスは完全に滅びた。

 浄化砲とは名ばかりの、魔力汚染攻撃によって消し飛んだのだ。コントリアス首都を中心として広がった巨大クレーターは北の海にまで接続され、海水が流入することになる。やがては巨大な塩の湖として完成するのだが、それはまだ先の話だ。

 ともかく尋常ではない魔力汚染により、周囲は強力な魔物が発生する危険地帯へと変貌する。生き残りなど望むべくもない。空は圧縮された魔力の雲に覆われ、高濃度の魔力が嵐となって吹き荒れる。対策されていないありとあらゆる魔道具が一斉に狂わされ、魔術どころか魔装すらまともに発動できない場所になり果てた。電子機器でいうところの電磁パルスEMP攻撃に相当する。

 ケリオン教皇が暗殺されたとほぼ同時刻、この世から一つの国が消え去ったのだった。



「あーあ。酷いですねー」



 凄まじい魔力汚染の中、少女が一人歩く。

 大爆発によって生じたクレーターでは幾つもの魔力が凝縮しており、いずれ強力な魔物が誕生することだろう。普通の人間は環境の魔力圧で魂を損傷させられ、死に至るほどだ。

 だがその少女アイリスは平然とその場で生存していた。

 その理由は《量子幽壁クオンタム・フラクト》という術式のお蔭である。魔術と魔装の組み合わせで、シュウはこれをフィルター魔術と呼んでいる。量子力学の不確定性を利用した魔術で、今は魔力を指定していた。

 量子とは運動量と位置情報が常に揺らいでいる。一瞬ごとに確率選択が行われ、存在確率の範囲で揺らぐのだ。これが粒子であり波動の性質を有する所以である。《量子幽壁クオンタム・フラクト》はアイリスの表面に張られた境界面に到達した量子の時間を強制的に一瞬戻すというもの。そして量子が再び境界面に到達するたびに戻され、位置情報の再選択を強制される。こうして量子は離れていくという選択をするまで時を戻され続けるのだ。

 つまり魔力も、電子も、光子も、指定された量子はアイリスに到達できない。またフィルターであるため到達濃度を調整することもできる。発動したからと言って酸素不足に陥ることもない。

 この高濃度魔力が渦巻く環境ですら、アイリスにとっては問題なかった。



「まぁ目的は果たしましたし、私も帰って良いですよねー。《量子幽壁クオンタム・フラクト》が遅れたせいでソーサラーリングも壊れかけですし」



 そのせいでノイズだらけの不明瞭な写真を送ることになった。

 とはいえコントリアスが消滅した様子はしっかり映っているので問題なさそうだが。

 最後にキョロキョロと周囲を見渡したのち、アイリスは転移で消えた。






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