第327話 浄化砲①


 時は少し巻き戻る。

 教皇が謎の魔術によって死を遂げるよりほんの少し前にコントリアスでも動きがあった。セルアの結界で守られた首都に対して、黄金要塞は魔術砲撃を続けていた。奈落の民とコントリアス軍が黄金要塞内部に侵入していることなどまったく気にしない。次々と湧き出る殲滅兵を迎撃し、自分たちの陣地を確保するのに必死な侵入者など放置しても問題ないという判断だった。



「流石です神子様。こいつら半分は倒れましたよ」



 補佐官がそう言ってディスプレイの一つを指さす。

 映されていたのは空中適応型殲滅兵によって囲まれ、苦戦している奈落の民である。ナラクが率いる奈落の民は疲れ知らずの戦闘民族だ。だが生身である以上、いずれ限界が訪れる。ちょっとした緩みやミスから怪我を負い、そこから崩れて一人ずつ倒されていた。

 むしろ真夜中を過ぎても半数しか減らせなかったと彼らを褒めるべきかもしれない。



「そうね。コントリアス軍もじきに崩れるわ」

「やはり問題は覚醒魔装士ですか。スレイ・マリアスは想定通りですが、こっちの大男もですね……それと要塞内を歩き回っているこの女も」

「スレイ・マリアスはそろそろ体力の限界ね。一人で逃げれば助かるのに」

「大男はどうでしょう?」

「体力切れを期待するだけ無駄ね」

「魔女の方は?」

「手を出すのは止めておきなさい。冥王が出てくるわよ」



 セシリアは未来が分かる。

 片目となり、本来のよりは劣るものの充分な効力を持っている。その未来視にかかれば、少女アイリスに余計なちょっかいを出した未来すらわかってしまう。下手をしなくとも冥王が現れ、黄金要塞が消し去られてしまうだろう。

 だが、補佐官は首を傾げながら尋ねる。



「黄金要塞さえあれば冥王も怖くないのでは?」

「無理ね。『王』の魔物からすればこんなもの、おもちゃも同然」

「そんな馬鹿な」

「事実よ。無駄なことをしない方がいいわ」



 セシリアがそう言っても補佐官は信じられないらしい。それすら知っているのか、セシリアは深い溜息を吐いた。

 黄金要塞は強力な兵器だ。

 重力による位置エネルギーを魔術抽出することで浮遊しており、エネルギーは実質無限といえる。当然ながら無制限というわけではないが、これ一つあれば国を滅ぼすことすら容易い。現状、二人の覚醒魔装士に攻撃されて落ちないことを鑑みれば、単純なランク分けで絶望ディスピア級魔物にも匹敵するのだ。

 だから信じられなかった。



(言うだけ無駄ね)



 無駄と分かっていることには力を注がない。セシリアは中央に大きく表示されているディスプレイへと目を向ける。そこに表示されているのは黄金要塞の簡単なエネルギーフローだ。どこにどれだけエネルギーが割り振られているか一目で分かる。

 現在、黄金要塞の下部へと膨大なエネルギーが集中していた。

 時間をかけてチャージされているエネルギーは、魔力換算すれば禁呪を千発は放てるほどのもの。



「浄化砲はもう使えそうね」

「はい。既に発射最低ラインはクリア済みです。もう少しチャージすれば威力は底上げされますが……まぁ規模から考えれば誤差ですね」

「ええ。撃って」



 まるで落としたペンを拾い上げるかのようなさりげなさで告げる。

 補佐官も、同じくセシリアの話を聞いていた他の乗組員も、聞き間違いを疑った。だが敢えて聞き返すような者はいない。神子にして黄金要塞司令官の命令なのだ。彼らは一拍ほど間をおいて、すぐに行動を開始する。



「浄化砲発射シーケンス開始します」

「安全ロック解除。第一、第二、第三……最終ロック解放」

「魔力圧縮臨界に到達!」

「砲身を解放します」



 中央立体図に表示されている黄金要塞のホログラムが変化を起こす。その下部が大きく開き、その奥から複雑な機械によって構成された砲身が現れた。砲身といっても、これは実弾兵器ではないので筒のような形状とは異なる。中央部には発射点となる魔術媒体が存在し、その周囲に幾つもの突起が並ぶ。これらは昔でいうところの杖なのだ。

 黄金要塞そのものを巨大な杖として放つ破壊の魔力臨界爆破、浄化砲。

 その名の通り、放たれた圧倒的魔力は万物を破壊して浄化してしまうことだろう。



「黒い、魔力……初めて見た」

「ぼさっとすんな! 砲塔内部の魔力圧を常に見ておけ。暴発したらシャレにならんぞ」

「はい!」

「サブ制御システムを起動します。メインシステムを補佐」

「照準システム正常に作動。誤差は許容範囲内。距離補正値を入力」

「臨界魔力安定化しました。射出術式スタート。観測数値をインストールします」

「砲塔内の温度が上昇中です。冷却システムを稼働します」

「最終計算完了しました。マップに表示します」



 立体映像地図にある黄金要塞の下部から、赤いラインが伸びる。その先には結界が張られたコントリアス首都があった。

 計算により狙いは正確。

 主砲内部の術式も安定化し、膨大過ぎる魔力も閉じ込めが安定化した。砲身の先に巨大な黒い塊が生じ、綺麗な球体となって留まる。限界を超えて圧縮された魔力は黒色に染まり、そこから漏れ出すエネルギーが稲妻のように閃いていた。



「シーケンス八十パーセント完了。後は待つのみです」

「よし、次は侵入者にターゲットロックだ。終わっているか?」

「問題ありません」

「術式処理は?」

「どれだけ時間があったと思っているんですか。個別処理で問題なく完了していますよ」



 黄金要塞に侵入している奈落の民とコントリアス軍に対して術式処理を行う。それは侵入者一人一人に対し、これから発動される魔術の対象から外す・・・・・・という作業である。



「発射準備完了しました。トリガーを司令官に預けます」



 黄金要塞主砲の引き金となるボタンが仮想ディスプレイとしてセシリアの前に現れる。赤で強調されたそのボタンをタップすれば、それは解き放たれるのだ。



「じゃあ撃つわね」



 威力は保証されている。

 禁呪千発分もの魔力を圧縮した砲撃なのだ。

 普通ならば緊張で指が震えるであろうその場面で、遥かな昔からこの景色を知っていたセシリアは躊躇いなく押した。







 ◆◆◆







 黄金要塞による猛攻に晒されるコントリアス首都は、セルアの結界によって守られている。普通の防御結界の他、聖なる光による防御膜まであるのだ。普通はどんな攻撃も通さない。

 だが、広大な範囲を守り続けるセルアは不眠不休で術を維持する必要があった。



「まだ……ですか?」



 セルアは額から汗を流しつつ、警備兼連絡役の近衛兵に尋ねる。



「成功の報は届いておりません。黄金要塞の張る魔力妨害のせいか、通信もままならぬ状況でして。攻撃が止んでいないことから戦闘が続いていると思われます」

「そう、ですか」



 いくら覚醒魔装士の魔力が実質無限とはいえ、結界を張り続けるのは楽ではない。魔術として設定すれば意識を手放しても結界は維持される。しかし、それでは黄金要塞の激しい攻撃によってすぐに突破されてしまうのが目に見えている。常に気を張って維持する必要があるのだ。

 肉体の疲労を治癒の魔術で誤魔化し、何とか不休で続けている。このままでは不眠で結界を張り続ける必要がありそうだ。

 祈るように座していたセルアは立ち上がり、窓へと近づく。

 結界によって淡く光る夜空は星の輝きすら塗り潰されている。ただ見えるのは月と、黄金要塞だけだ。休むことなく魔術砲撃や実弾砲撃が結界に阻まれ、その光が途切れることはない。首都に残された人々は不安を感じながらセルアと同じように空を見上げていることだろう。

 だがその瞬間、空が漆黒に染まった。



「え?」



 驚く暇もなく二重の結界に亀裂が走った。更にはその隙間から黒い稲妻が侵入し、コントリアス首都を破壊していく。



「これは……っ! 第一防衛ラインを破棄します! 第二結界へと移行!」



 慌てつつもセルアは計画通り、次の結界を張った。

 元々、コントリアス首都を守る結界は五重が想定されていた。王宮を中心として都市全体を覆う結界を第一結界とし、破られたらそこから範囲を縮めていくのだ。万全を期すため、国外へ避難しきれず残った民衆は全て最後の砦となる第五結界の範囲に集めている。

 しかしセルアの張った第二結界もすぐに破られそうになった。



「く……ぐ、ぅ……」



 物理結界と聖なる光の結界を組み合わせた二重防壁であるにもかかわらず、あっという間に壊れる。そこで結界は更に縮め、第三結界を発動することになった。

 ここまでくると第一結界と比べて直径は半分ほどにまで縮小されている。

 つまりそれだけ結界の強度に力を入れることができる。

 結界の外では黒い稲妻が天地を結び、放棄された首都外縁部を破壊しつくしていた。そして結界が縮小されたことにより、黒い稲妻が発生する中心点を目視できるようになった。



「あれが……攻撃の大元ですか」

「セルア様! ご無事ですか!」

「我々に手伝えることは……」

「私のことは構う必要がありません。何としてでも守ります」



 普通の人間には何もできることはない。

 災害のような凄まじい魔力の塊が渦巻いており、それが結界と衝突することで黒い稲妻のようなものが発生しているのだ。実際に結界を砕いたのは稲妻ではなく、その魔力の塊である。



(聞いたことがありますね。魔力は臨界点まで圧縮すると黒く転じる。ただの圧縮魔力でこれほどの威力が出せるとは……)



 セルアの予想は正しい。

 これは黄金要塞から放たれた、ただの圧縮魔力砲撃だ。物理現象として具現化させるための術式もなく、ただ魔力を圧縮してぶつけるだけのものである。消費魔力の割に威力がなく、使われることはまずない魔弾と呼ばれる無系統魔術の一種だ。

 だが今、セルアの結界と拮抗している魔力の塊は見たことも聞いたこともないような威力であった。これだけの魔力を消費するなら、普通に禁呪として使った方が良いのではないかと思うほどである。

 だが彼女は知らないが、この臨界圧縮魔力には一つの利点がある。

 自己圧縮によって黒い魔力の塊はブラックホール相転移フェイズシフトを引き起こす。それは中心部におけるごく僅かな領域で発生する現象だが、それでも魔力がブラックホール化するのだ。これによって賢者の石が限定的に完成し、三次元空間の外に広がる発散空間から根源量子を魔力として引き寄せることができる。

 つまり黒い渦巻く魔力は、周囲の魔力を飲み込んで、それ以上の魔力を放射する炉になっているのだ。中心部のブラックホール化した魔力が蒸発するまでこの現象は続き、凄まじい濃度の魔力が放射され続けることになる。

 そしてセルアの聖なる光は反魔力というもので、魔力と対消滅を引き起こして運動量を持たない根源量子に変えてしまう。だが、あくまでも対消滅なのだ。問答無用で魔力を消しているのではなく、セルアの放つ聖なる光の分だけ魔力を消しているに過ぎない。

 言い換えれば、セルアの限界を超える魔力で押し潰せば、聖なる光の結界など容易く破壊できてしまう。



(不味いです。このままでは第三結界も)



 まだ第四、第五と二つの結界が残っているとはいえ、簡単には諦められない。体力を絞り出すつもりで聖なる光を放ち、空から落ちてくる膨大な魔力を相殺していく。



「セルア殿! 何が起こった!」



 結界が破られたことを知ったイグニアス王は跳んできた。まだ戦いが続いているとはいえ国王にできることはなく、眠ろうとしていた矢先だ。着替える余裕がなかったからか、かなりの薄着である。



「お下がりください陛下。セルア様が集中なされています」

「む、すまん。状況は?」

「この通り、セルア様の結界が突如として破られました。黄金要塞からの攻撃と思われます。威力から想定するに切り札なのではないかと」

「禁呪なのか……? これは?」

「いえ、申し訳ございません。私ではどうなっているのかも。しかし既に第二結界が破られ、第三結界も時間の問題かと思われます」



 セルアを警備する近衛がそう報告した瞬間、第三の結界も破られた。



「……どうやらそのようだな」

「もうしわけございません! 我々も見守ることしかできず……」

「構わん。セルア殿に任せるしかないのだ」



 苦い表情を浮かべるイグニアス王は、セルアと、巨大な窓を通して見える空をじっと見つめる。空には黒いいかずちが鳴り響き、まるで夜が押し寄せてくるようだ。誰もが、夜空に押し潰されるような感覚すら覚えた。

 第四の結界はまだしばらく持ちそうだ。

 イグニアス王も素人目ながらそれだけは分かった。

 滅びるかどうか。

 それはセルア・ノアール・ハイレンただ一人に託されている。



「く、う、あ、う、あ、ぁぁぁぁぁっ!」



 食いしばる歯の隙間から呻きが漏れる。

 セルアは自分自身を魔道具として、心を無にして聖なる光を発動し続けた。どこからともなく流れ込んでくる魔力を集め、ひたすら聖なる光へと変換する道具になった。そんな風に考えなければ狂ってしまいそうだった。

 落ちてくる黒い魔力は衰えず、そればかりかますます威力を増している。

 意志の限りを尽くして魔力を掻き集め、聖なる光を放ち続ける。魂が悲鳴を上げているのを自覚しながらもセルアは止まらない。一瞬でも気を抜けば第四の結界も崩壊すると分かっているから。

 いや、こうしている間にも四番目の結界すら今にも砕けそうだ。



(ここで! 諦めは――)



 ブラックホール相転移フェイズシフトした魔力の塊が、やがて蒸発する。つまり圧縮され続けていた魔力が発散へと転じたのだ。

 その場にいた者たちの視界が青白く染まった。








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