第326話 教皇暗殺


 ディブロ大陸第二都市はマギアより東にある。二時間程度の時差が存在しており、マギアでは夕暮れでも第二都市では夜となる。まともに戦闘できず、更には水壺三番艦グラールも第二都市を滅ぼすつもりではないということで、休戦状態となっていた。

 しかし何もしていなかったわけではない。

 司令官のバルカークはある作戦を進めていた。



「すみません。三小隊が限界でした」

「いや、充分だ。本来、水壺は水天を運用する空母。隠密ができる戦闘員はそれほど多くない。それで分かれて降下するんだな?」

「はい。ここ、ここ、そしてここですね」



 第二都市の立体地図に赤い矢印が追加される。

 時間をかけて分析した結果、ここならば空挺降下しても問題ないということになったのだ。だがその目的は第二都市の制圧ではない。そもそも規模も不明な神言派テロリストを相手にたったの三小隊で制圧など不可能である。



「これで敵情が少しでもわかれば良いのだが」

「ええ。普段、私たちがどれだけネットワークに頼っていたか分かりますね」

「便利なものということは分かっているがな」

「はい。マギア大聖堂技術部も全力でネットワーク防壁の解除を試みています。ただ、今は世論の対処で手一杯みたいですから後回しになるかもしれません」

「情報操作か。私は好かんが……いや、分かっている。それも必要なことだ」



 バルカークは清廉さを好む実直な男だが、立場もあって清濁併せ吞むこともできる。ただ、聖騎士になるほどの男なのだ。



「さて、そろそろ作戦を――」



 始めよう。

 そう言いかけたところで水壺の回線へと通信が入ってきた。しかも司令官への直通である。そこでバルカークは片手で制止の合図を出しつつ、通信を開いた。



「こちら水壺三番艦グラール司令官シュライヤ・バルカークで――教皇猊下!?」

『ああ、すまない。私だ』

「失礼しました。ただいまより作戦を開始するところでして、失礼しました」

『邪魔をしたね。いや、都合が良かった』

「……とおっしゃいますと?」



 そう返すと、画面の教皇は一息置いた。



『……神言派を名乗る者たちと対話せざるを得なくなった。世論とは難しいものだ』

「心中、お察しいたします」

『そういうわけだ。私はすぐにそちらへ向かうことになる。四番艦グラディウスでな。君にはひとまず待機を命じる。停戦状態を維持しつつ待ちなさい』

「はっ、かしこまりました」

『今はあまり刺激したくはない。慎重に頼むよ』



 その意味をバルカークが履き違えることはなかった。

 見つからないように状況把握を進め、教皇が安全に対談できるよう取り計らう。そしていざという時のために脱出ルートを確保しておく。それが言外に語られた彼の役目であった。



「お任せください」



 バルカークは胸に拳を当て、頭を下げた。








 ◆◆◆








 教皇は異端派や少数派として定められている派閥から糾弾された程度では動かない。だが、民衆からの声を無視できるわけではない。

 ネットワークを通じて拡散した神言派との対談を許容する声は、遂に魔神教上層部を動かすことになった。とはいえ即座にディブロ大陸へ向かえるほど教皇のフットワークは軽くない。時間稼ぎの意味もあったが、動き始めるのは深夜を回ってからであった。



「猊下、お疲れ様です」

「ああ。少し休ませてもらうよ」

「はっ! 充分にお休みください。我々が安全に第二都市までお送りいたします」



 待機中だった水壺すいこ四番艦グラディウスへと乗り込んだ教皇は、すっかり疲れた表情であった。彼もそれなりの歳である。若い時のようにはいかない。



「コーネリア殿も休んでいてくれたまえ」

「ええ、そうしますわ」



 護衛として付き添うのは覚醒した聖騎士だ。テロリストの下に向かうのだから当然と言えば当然である。本来ならば汎用性の高い魔装を持つアロマが良いのだが、彼女はマギアの守りを任せる必要がある。安易に連れ出すわけにはいかない。

 『魔弾』の二つ名が与えられているコーネリア・アストレイは直接戦闘に向かない狙撃手だ。ただ、ソーサラーリングを使えば多彩な魔術も使える。頼りにならないということはない。

 側にいたコーネリアは従騎士の案内で別の部屋へと行った。



「不自然なほどの動き。内部に裏切り者がいる、と考えるべきか」



 一人になった教皇はそんなことを呟く。

 だが、内部に裏切りどころではないということには気づかない。彼が頼りにしているホークアイという男が初めから敵であるなどと思いもしなかった。







 ◆◆◆








 月が空高くまで昇った深夜、巨大な影が第二都市周辺へと到着した。教皇の乗る水壺すいこ四番艦グラディウスである。世論に押される形で慌てて出張ってきたは良いものの、今は深夜だ。本来は朝まで待つべきなのかもしれない。

 だが、念のためということで第二都市に向かって通信が送られた。

 その結果、すぐに会談の用意を整えると返事があったのだ。



『申し訳ございません猊下』

「君が謝ることはない、バルカーク。それよりも……」

『はっ! 闇に紛れて聖騎士を配置しております。もしもの時は離脱を援護します』

「うむ。よろしく頼む」



 少しばかり眠ったとはいえ、教皇も流石に顔色が悪かった。疲労が隠し切れていない。だが、画面の向こうで心配そうに気遣うバルカークに笑みを向ける。



「私は水天で第二都市総督府へと向かう。コーネリア殿にも付き添ってもらうから君が心配する必要はない。君は君の任務に集中したまえ」

『はっ! 心得ております。こちらからも護衛の水天を出します』

「話を聞いてすぐに戻る。ではな」



 教皇は通信を切り、前を向いた。

 今、彼が座っているのは水天の座席だ。生憎と軍用であり、座り心地はお世辞にもよいとは言えない。側には護衛としてコーネリアが座り、窓の外を眺めている。尤も、景色は機械が張り巡らされた壁ばかりだが。

 専用エレベーターで甲板まで持ち上げられ、そこから発進する。

 今は上昇している最中だった。

 振動はほぼないが、その感覚だけはある。



「コーネリア殿は彼ら……神言派をどう見るかね?」

「妥当、かと」

「ほう。どういう意図かね?」

「戦争は嫌。その点だけは同意です」

「なるほど。参考にしよう」



 スバロキア大帝国は魔神教を否定し、自らの利益を追求している。確かに西側諸国は貧困や不自由を強いられてきた。自分たちの利益を求めるだけの理由はあるのだ。

 また魔神教過激派の暴走もあり、西側を刺激しすぎた。

 更には皇帝暗殺未遂が引き金となり、この世界大戦が始まったのだ。教皇は自分たちの正義を疑ってはいないが、それでも自分たちが戦争の引き金を引いたという自覚はある。

 そんなことを考えていたのだろう。

 コーネリアが咎めるように呟いた。



「私は後悔していますよ。天空都市を滅ぼしたことを」

「……そうかね」



 中立を宣言し、激しく抵抗した天空都市に対して神呪弾《重力崩壊グラビティ・コラプス》を放ったのはコーネリア・アストレイだった。確かに天空都市は過剰とも言える攻撃によりバロム共和国領土を焦土に変え、放射能に侵された危険地帯を生み出した。それでも神呪で都市を丸ごと消滅させたことは彼女もやりすぎだと考えていたのだ。



「南ディブロ大陸の戦いで私はたくさんの禁呪弾を使いました。でも、あれは人に向けるべきではない。それは分かっていました。でも、私は向けた」

「……戦争は止めるべきと?」

「この兵器……水壺すいこといったかしら。これも、コントリアスに投入している黄金要塞も、そして禁呪弾も……酷い虐殺兵器。私はもう嫌です。魔物が相手ならともかく、人と戦うなら聖騎士を辞めたいくらい」

「ああ。そうだな。確かに聖騎士の本来の役目から逸脱している。そうだったな」



 教皇という立場になってから、物事を大きなスケールで測るようになった。それは間違いではないし、教皇は神聖グリニアだけでなく魔神教全体のことも考えなければならない。神聖グリニアに仇為す存在を許すわけにはいかないし、魔神教の教えとして許しが必要な時もある。

 アギス・ケリオンという人物は一人なのだ。

 彼もまた、教皇という立場に押し潰されそうになっていたのかもしれない。彼自身ですら今気付いたことだった。

 エレベーターにより水天が夜空のもとへと晒される。

 すぐにメインと左右のサブローターが回転し始めた。水天の内部はそのローター音によって会話もままならない。そのため、教皇もコーネリアもヘッドホンを装着している。これからはヘッドホンに付属しているインカムを通じて会話することになる。

 耳元にパイロットの声が流れてきた。



『飛びます。揺れますが我慢をお願いします』



 浮遊感と嫌な揺れに襲われ、慣れていない教皇は顔をしかめた。疲れているところにこの揺れなので気分はよくない。

 ただ、早く到着することを願っていた。







 ◆◆◆







「来たな」



 シュウは第二都市の近くに潜み、待っていた。彼の足元には聖騎士の遺体が幾つも倒れている。本来は対談に訪れた教皇を支援するための部隊なのだが、既に『死神』によって処理されていた。

 そしてシュウは神言派が配信している画面を眺める。

 教皇の乗った水天が六機の護衛機に囲まれて空を飛んでいる様子が映されていた。このまま教皇を出迎えたということを印象付けるためだ。



「画角もこれくらいか。教皇が乗ってるのは……まぁいい。全部吹き飛ばせば」



 わざわざここで待機していたのには理由がある。

 教皇暗殺を計画しているシュウは、その責任を神言派に押し付けるために『鷹目』と協力して手の込んだことをしてみせた。

 魔術陣の光が漏れないよう、賢者の石マザーデバイスを使って炎の塊を生成する。それはほんの小さな塊であったが、圧縮されたプラズマ球である。

 それが都合七つ。

 護衛機含む水天の数だけ出現した。








 ◆◆◆








 その映像はリアルタイムで公開されていた。

 故に隠しきることなど不可能であった。

 流星の如く地上から放たれた七つの光が夜空に浮かぶ水天へと直撃したのだ。その動画を眺めていた者たちは驚く暇もない。次の瞬間、教皇が乗っているはずの水天が護衛機を含め爆発したのだから。

 とても事故とは思えない動画だ。

 明らかに魔術による攻撃があったのだから。

 そして状況から見て神言派を名乗るテロリストが犯人であると断定されてしまった。彼らは戦争を止めるために教皇と対談するのが目的ではなく、初めから暗殺が目的だったのだと世間に認識させる結果となった。どんな言い訳をしようと、世論がそれを認めるはずがなかった。



「いい感じに内紛が始まりそうですよ。流石ですね『死神』さん」

『ああ。これで第二都市を自滅させることができる。神の霊水がないだけでもかなり有利になるだろう。後は任せるぞ』

「ええ。『若枝』さんの緑塵ろくじんで洗脳済みですからね。あとは『白蛇』さんに用意していただいた浄日じょうじつがあればある程度は抵抗できるでしょう。それに乗じて第二都市が潰れるように誘導しておきます」

『それとアイリスから連絡があった』



 その言葉と共に『鷹目』の下へと一枚の画像が送信される。



『想定通り、コントリアスは滅亡した』



 写真はノイズが酷く、はっきりとしたものは映っていない。

 そこにあったのは、暗雲に覆われ、無数の黒い雷が天と地を結んでいる景色。そしてコントリアスがあったはずの大地はお椀状に抉られて消滅していた。








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