第319話 薬と呪具


 時間をかけてじっくりと水壺を制圧したシュウは、それを転移魔術によって妖精郷まで移送した。水壺を動かしているAIは自動で位置情報を発信してしまうため、未だにハッキングで電力を落としたままにしている。これを無効化するにはAIに干渉するか、通信を遮断する結界に閉じ込めなければならない。



「これでいかがでしょう」

「充分だ。流石だなアレリアンヌ」

「いえ、我らが神の望みとあらば当然のことです」



 妖精郷の環境を管理する神樹妖精セラフ・ドライアドのアレリアンヌは謙遜しながらも誇らしげであった。彼女は能力によって通信を妨害する霧を張り、拿捕だほした水壺を完全に封じたのだ。妖精郷の中央にそびえる巨大樹に宿る彼女は、その魔導によって周囲の環境を掌握している。常に感覚を狂わせる霧を張っているお蔭で妖精郷は外部から見つからないのだ。

 ただし、強大な能力を持っていながら『王』ほどの力はない。常時消費される凄まじい魔力もシュウから供給されるものを使っているほどだ。



「妖精郷のメインコンピュータから俺のマザーデバイスを介して水壺これのシステムを掌握できるようにしてある。研究所のメンバーを何人か回しておいてくれ」

「かしこまりました」

「それとアイリスはどこにいる?」

「少々お待ちください」



 アレリアンヌは目を閉じ、何かを探る。

 妖精郷は彼女の庭だ。大樹自身でもあるアレリアンヌにとって、誰がどこにいるかは簡単に把握できる。アイリスのこともすぐに見つけることができた。



「現在は魔術研究所の秘匿区画におられます。第二魔力実験場ですね」

「となると実験中か。それにあそこということはあの実験だな。なら伝言を頼む」

「はい。承ります」

「コントリアスに向かうように言ってくれ。『暴竜』と合流して黒猫としての任務をやってもらう。俺は別の仕事があるからアイリスに頼みたい、とな」

「お任せください」

「詳細は妖精郷サーバー内の共有ファイルに入れてある。確認するように言っておいてくれ」

「はっ!」

「しばらく俺は出かける。また留守を頼むぞ」



 シュウはそう告げて足元に転移の魔術陣を展開する。

 するとアレリアンヌは深々と頭を下げ、こう述べた。



「いってらっしゃいませ」



 彼女はシュウが何をしているのか詳しく知らない。

 だが妖精郷という神の拠点を任されているという事実に胸が高まる。

 今日も信頼に応えなければ。

 それを思いつつ、アレリアンヌは冥王を送り出した。








 ◆◆◆









 転移したシュウが訪れたのはラムザ王国であった。

 この国はかつてシュウが転生して誕生した国でもあり、今も国家として存続している。三百年以上前に冥王が誕生した悲劇の地として、旧王都はクレーターのまま残されていた。初めて《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》を発動したあの場所である。

 だがシュウが訪れたのはそこではなく、遷都された現王都であった。



「悪いな。遅れた」

「いえいえ。私たちも到着したところですよ」



 シュウがやってきたのはとある会員制飲食店であった。そこは黒猫が管理しているもので、昔で言うところの黒猫の酒場である。時代に合わせて黒猫の拠点も変化しており、今はこういった会員制の飲食店へと改装していることが多い。

 そして出迎えたのは三人。

 小さな円卓に座る彼らの前には自分たちの立場を表すコインが置かれていた。

 三つ目の鷹、尾を咬む蛇、そして枝と葉と果実。それぞれ『鷹目』、『白蛇』、『若枝』を示す幹部のコインである。シュウはそこに髑髏とナイフが刻まれた『死神』のコインを加え、空いている四つ目の席に腰を下ろした。



「お久しぶりです『死神』」



 まず挨拶したのは『白蛇』であった。

 口髭の濃い細身の男で、肌の状態はあまりよくない。ただ会員制であるこのレストランに来るため、最低限の身だしなみは整えてきたらしい。応急処置であることは隠せておらず、普段から見た目に頓着しない男であることが分かる。

 彼はこの中で最も後に黒猫の幹部となった人物であり、腰も低かった。



「お前は確か呪具を開発していたな。成果でもあったか?」

「ええ。まあ色々と」



 『白蛇』は薄ら笑いを浮かべて誤魔化す。

 彼は魔道具を研究する黒猫の幹部だ。自身の研究を言いふらすような人物ではない。まともな研究でないから黒猫の幹部をしているのだから。

 シュウも特に追及せず『若枝』へと目を向ける。

 今代の『若枝』は若々しい美女であった。艶やかなウェーブのブロンド、染み一つない肌、くっきりとしたパーツの物静かな女である。



「おひさ、『死神』。あなたの身体を調べさせて」

「却下だ。『鷹目』にでも頼め」

「え、私も嫌ですよ」

「残念」



 彼女はそう言いつつもそれを表情に出さない。

 それが神秘性のようなものすら感じさせる。

 薬品を扱う『若枝』は不老不死というテーマで研究していた。勿論、このテーマそのものが世から弾かれた理由ではない。彼女はその目的のためならば躊躇うことなく人体実験を敢行するという異常な精神性により指名手配されている。

 故に黒猫でもシュウや『鷹目』に会うたび、人体実験を希望していた。

 力ずくで実験しようとしないのは二人の実力を知っているからだろう。逆に言えば力でどうにかなる相手であればどんな手段も厭わない異常性を備えているということだ。

 今回はそんな『若枝』がメインとなる。



「では『若枝』さん。さっそく例のものを」

「ええ。これよ」



 持ってきた小さなバッグから小箱を取り出す。彼女は魔力認証によって鍵を開き、中に入れられていた小瓶を取り出した。中には緑色の粉末が半分ほどまで詰められている。



「これが今回の作品、緑塵ろくじんよ。酩酊強め、幻覚症状は弱め、中毒性はやや強めってところかしらね。これの特徴は毒性が分解されやすく、検出が難しいことね。幻覚の持続時間はほんの少し。呼吸で取り込み、その成分が血液に乗って脳に届く間にほとんど分解されてしまう。血中酵素で簡単に消える仕組みなのよ。けど、酩酊効果が強いから、酔ったり冷めたりを繰り返すことになるわ。どう? オーダーの品よ『鷹目』」

「それはいいですね。素晴らしい。生産数は?」

「これはサンプル。計画に必要な分は倉庫に保管してあるわよ」

「分かりました。では後で輸送してください。『赤兎』さんに依頼していますので、引き渡しだけお願いします」

「いいわ」



 時代錯誤ということで仮面をつけていない『鷹目』は分かりやすい笑みを浮かべる。

 わざわざ『若枝』に依頼して用意させた緑塵ろくじんという薬品は、お香として焚くことで効果を及ぼすタイプのものだ。幻覚作用とその持続時間は弱く、強い酩酊感によって対象をトランス状態にさせる。 『鷹目』はこの薬品を使ってひと騒動起こそうと計画していた。

 サンプル品を受け取った『鷹目』は続いて『白蛇』へと目を向ける。すると彼は何かを言われるまでもなく持参したアタッシュケースをテーブルの上に持ち上げ、開いた。



「時間はかかりましたが、完成しましたよ。名を浄日じょうじつといいます。基礎設計はソーサラーデバイスを参考にしていますが、首飾りにしてみました。デザインの関係でね」



 ケースの中には三つの首飾りが丁寧に収められていた。『白蛇』が言う通り、五芒星のデザインされたこの首飾りはソーサラーデバイスとなっている。ただし、ハデスが開発したトライデントシリーズと異なり魔術を発動する機構しか付いていない。

 浄日じょうじつと名付けられたこの魔道具は、呪具に分類されるものであった。



「呪術の応用品か」

「『死神』も興味がありますか?」

「仕組みにはな。デメリットを背負ってまで強化を享受しようとは思わんが」

「あなたほどになればそうでしょうね」



 ふふふ、と薄気味悪い笑みを浮かべる『白蛇』。

 彼がメインで研究する呪具は呪術を元にした魔道具だ。本来、呪術とは魔力以外に特定の代価を支払うことで術を強化する縛りのようなもの。特定の一族にのみ伝わる希少な技術だ。現代ではほとんど途絶えてしまったが、この『白蛇』も一族の者である。

 かつてはラザード・ローダという覚醒聖騎士も呪術の使い手として知られていたものの、彼が死んでからはすっかり下火であった。そもそもソーサラーリングが一般に普及してからは余計な代価を支払ってまで魔術を強化する必要もなくなったので、呪術を知らない者も多い。

 シュウとしても呪具そのものには全く興味がなかった。

 呪具とは力なき者がリスクを承知で使用するものなのだから。



緑塵ろくじん浄日じょうじつ。これで欲しいものは揃いました。お二人とも協力に感謝しますよ。報酬はこちらです」



 満足したらしい『鷹目』は懐から二枚の紙切れを差し出す。それはハデス銀行が発行している小切手だ。『若枝』も『白蛇』もそれを受け取ると、さっさと立ち上がってしまう。



「じゃあね。私たちはこれで」

「失礼しますよ。計画の成功を祈っています」



 ここからは『死神』と『鷹目』の仕事になる。

 同僚の二人が退室した後、シュウは改めて『鷹目』へと尋ねた。



「それで……教皇暗殺計画はどの程度進んでいる?」

「内部分裂工作も並行して進めていますので、色々と手順があるのですよ。実際の暗殺決行日はまだ少し先になります。ですが正確な日程をコントロールするのは難しいので、『死神』さんにはマギアへと先に乗り込んで待機してもらいますよ」

「分かっている。その予定で来た」

「良かった。それと神聖グリニアはどうやらコントリアスに狙いを定めたようです。私たちの裏工作が実を結ぶ前にスレイ・マリアスを手に入れ、『聖女』を取り戻そうという算段のようですね」

「黒猫からは時間稼ぎも依頼されている。丁度、あの土地は『暴竜』も住む場所だからな。俺からはアイリスを送る予定だ」

「おや、よろしいのですか? 過保護にしていると思っていましたが」

「あいつもあんな浮遊兵器如き・・に殺されるほど弱くはない」

「《絶魔禁域ロスト・スペル》もありますが?」

「覚醒魔装士の魔力密度を抑え込めるなら大したものだな」

「クク。でしょうね」



 魂の第十四階梯《絶魔禁域ロスト・スペル》は確かに絶大な効果を持っている。しかしながらその仕組みは広域に魔力を撹乱する場を生み出すというものであり、逆に言えばその撹乱をものともしない魔力制御能力や魔力密度を持っていれば問題にならない。

 シュウのような『王』は勿論、覚醒魔装士に対しても効果は薄い。多少の妨害にはなるだろうが、完全に無力化することは不可能だ。発動した魔術ならともかく、本人の魔力行使については多少制限するくらいが限界だ。

 アイリスが赴けばコントリアスには『暴竜』、『聖女』、スレイ・マリアスを含めて四人の覚醒魔装士が揃うことになる。また反魔力を操る『聖女』セルアの魔装は特に《絶魔禁域ロスト・スペル》の効果を受け付けないので、充分有利に立ち回れるだろう。

 故にシュウは全くと言ってよいほど心配していなかった。



「さて、今後の計画を伝えておきます」

「ああ」

「現状ですが魔神教内部で幾つもの派閥を作ることに成功しました。聖騎士ホークアイとして色々立ち回っている他、部下も使って色々とね」

「具体的には?」

「主流となっている熱心党、次いで原典派は有名なので良いでしょう。しかし熱心党の中には過激な思想を持つ者がいましてね。私の伝手を使って集め、コミュニティを作らせました。特に名称はありませんが過激派として認知されています」

「そんな堂々としてよかったのか?」

「これでも現教皇の懐刀として働いていたこともあるんですよ? 不穏分子をまとめておく戦略とでも言えば問題ありませんでした。同様の理由で異端派についても表立って調べることができましたよ。以前に目を付けた聖杯教会もその一つですね」

「なるほどな。他には?」

「神子を文字通り神の使いとして神聖視する神子後援会、『聖女』や『剣聖』を信仰して離反したお二人こそが正義と主張する聖人教会、あとはディブロ大陸の奥地に神の国が存在すると主張する聖戦派、神がこの世に降る器を生み出そうとする聖杯教会、そして今回の標的とする神言しんごん派です」

「神言派? 聞いたことがないな」



 聞いただけで随分と派閥が存在するものだと驚いていたが、幾つかはシュウも初耳のものだった。神言派もその一つである。

 すると『鷹目』は分かっていますとばかりに用意していた資料を仮想ディスプレイに表示する。



「簡単な歴史を説明すると、六年ほど前に原典派から分離独立したようですね。原典派は忠実に聖典を守ろうとする派閥ですが、神言派はそれが最も厳しいのです」

「どういうことだ?」

「普通の原典派は聖典の内容にある程度の解釈を加えます。例えば魔装は神からの賜りものであり、神に属するべきという言葉があります。神に属するという解釈について、原典派はある程度の寛容を見せていますね。たとえば国軍に属する魔装士は神の秩序を守る者として認められますし、企業に属する魔装士も魔装ではなく魔術をメインにしているということで見逃されています。ですが……」

「神言派というのはそれを直訳しているわけか」

「ええ。国家や企業に属する魔装士を一切認めないと言っているのです。まぁこれは有名な対立の一つで、他にも多くの議論がされているようですがね」



 神言派などと言っているが、つまりは過激派の一種である。

 思想そのものが現在の社会情勢を破壊しかねない。少なくとも魔神教の中枢部を支配させてはいけない派閥ということは容易に理解できた。教皇が警戒するのも頷ける。



「そして神言派はディブロ大陸での魔物殲滅に力を入れるべきと言っています。聖典が敵と定めているのは魔物であって人ではない。エル・マギア神を信じない者に救いなどないのだから、放っておけばよい。裁くのは神であって人ではない。それが彼らの主張です」

「まぁ間違いではないな」

「ええ。そういう事情もあって神言派はディブロ大陸に信者を多く抱えていますね。ややこしいことに神言派の中にも過激派というべき人たちがいて、今回はそれがターゲットとなります」

「具体的には緑塵ろくじん浄日じょうじつを使うわけか」



 深く、無言で『鷹目』は頷いた。



「きっかけはコントリアスへの完全な宣戦布告。良い物語が演出されると思いますよ」



 情報によって世界を操り、軽々しくひっくり返す黒幕。

 時を越えた憎悪は『鷹目』自身ですら気付かぬうちに狂気へと変わっていた。





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