第318話 水壺二番艦の受難


 エリス共和国南方の遠洋に浮かぶ水壺は、その色合いもあって比較的周囲に溶け込んでいる。近くで見れば明らかにおかしいと分かるが、遠目には流氷にも見えるのだ。

 それもそのはず。

 水壺は網目状に張り巡らせた繊維質のフレームを元に、水を凍らせて装甲としているのだから。



(なるほどな。海の上なら無敵だ)



 内部へと潜入したシュウは正直な感想を漏らす。

 勿論、シュウならば問題なく破壊できる程度の兵器だ。終焉アポカリプス級は伊達ではない。世界を滅ぼせるというのは事実である。

 だが人間レベルの戦いにおいて、これほど強力かつ厄介な兵器は中々ない。



(確か水が氷に変化する時、一キログラムあたり三百キロジュール以上の熱が発生する。この規模の氷装甲を維持するだけで相当なエネルギーを確保できるだろうな。その辺の発電所なんか目じゃない。それにこれが海だけじゃなく空も航行するとなれば、これ一つで制海権も制空権も確保できてしまう。見る限り、上陸用中型船も幾つか保管されているな)



 シュウが見る限り、水壺の内部はほとんどが倉庫であった。

 航空兵器たる水天の他、幾つもの実弾兵器や魔術兵器が保管されている。また厳重に閉ざされた場所もあり、危険な兵器も保管されているのではないかと予測できた。他には巨大エレベーターもかなりの数が配備されている。これによって広い甲板へと水天を引き上げるのだ。

 ただ多くの装置が自動化されているらしく、規模に対して人数は少ない。おそらくは二千人も搭乗していないだろう。

 倉庫内を歩き回るシュウは装備品からおおよその規模を推定していく。

 これでも多くの兵器を開発してきたハデスの総帥なのだ。今のシュウはいわば兵器の専門家。見るべき場所を見ればその性能も測れてしまう。



(整備パーツが多めか。純科学製品だから仕方ないといえば仕方ない。これはエンジン周りのものか?)



 誰もいないことをいいことに、倉庫に備蓄されているパーツ類を見ていく。軍用ヘリ水天は《絶魔禁域ロスト・スペル》の影響下でも動けるように一切の魔術的要素が排除されている。だがこの方式には欠点も存在しており、それは機械が複雑になるということだ。魔晶で一括管理していた様々なシステムを、複雑な機械によって補う必要がある。

 その一つがエンジンだ。

 たとえば黒竜は魔術によって浮遊しているため、パーツとして最も重くなるエンジンが存在しない。浮遊魔術も質量に依存した魔力消費を強いられるだけなので、実はかなり効率が良い。

 逆に水天すいてんは巨大な回転翼を高速回転させて浮遊するという特性上、大型エンジンによる絶大なパワーを必要とする。大きなエネルギーを生み出すエンジンは非常に重たく、また損耗も激しい。

 ここに置いてある交換用整備パーツもそれを見越したものだった。

 またシュウは倉庫の一角であるものを見つける。



「これは……小型ミサイルか。大きさからみてヘリに搭載するものだな」



 思わず声が出てしまう。

 元々アゲラ・ノーマンはロケット技術にも力を入れていた。なので開発できていたとしても不思議ではない。何度も宇宙へと飛び立つ実験をしていたことは知っているし、それを応用したミサイルによって暴食タマハミをコントリアスへと撃ち込んだことも知っている。

 ならばヘリに搭載できる小型ミサイルがあっても不思議ではない。

 もっと言えば、既に滅びた天空都市という科学都市は核ミサイルも開発していた。



「これなら色々と収穫がありそうだな。丁度、妖精郷にも近い。このまま拿捕だほさせてもらおう」



 そう言うと、シュウはマザーデバイスを使ってある魔術を発動させる。それはクラッキングの魔術だ。水壺二番艦ビルコインの中枢へとアクセスし、あらゆる権限を掌握。通信機能から航行機能、内部にある諸々のシステムを完全に奪い取り、一切の動きを封じた。

 もはや水壺はこの場から一切動けず、エレベータも動かせないので水天を出すこともできない。

 後はじっくりと処理するだけだ。

 シュウは一人、混乱する水壺の中を移動し始めた。








 ◆◆◆








 黄金要塞という新兵器のお披露目によって焦りを感じている者がいた。

 黒猫の『鷹目』である。

 彼は神聖グリニアが愚かにも自滅していくという歴史を演出するべく、何百年と暗躍してきた。だがここにきて再び神聖グリニアを中心とした魔神教が世界を支配する流れへと傾きかけているのだ。故に慌てて各所へと働きかけていた。

 今日もコンサルタント系企業ホークアイ・カンパニー社長として、マギア大聖堂を訪れていた。



「お久しぶりです教皇猊下。お元気そうですね」

「ええ。神の加護でしょう。喜ばしいことです」



 既に着席した二人は挨拶もそこそこに本題へと移る。

 ホークアイ社長として訪れた『鷹目』は早速とばかりに幾つかの資料を取り出した。



「まずは以前より依頼を受けていた謎の暗号についてです。率直に正直に申し上げますと、暗号の解読には至りませんでした」

「失敗、ということかね?」

「大帝国が最上位命令として使用している暗号通信の解読は不可能という結論に至りました。これが傍受した幾つかの暗号コードになります」



 教皇は示された紙の資料を眺める。

 使用されている文字はスラダ大陸西部で古来より用いられているシビル文字の他、神聖グリニアでも使われるグリニア文字のものまである。しかしながらそれらは言葉として意味をなさない文字の羅列であり、文章として理解することはできない。またシビル文字は表意文字なので文字の一つ一つに意味が存在するものの、文章として見れば理解できないものであった。

 これを見せつつホークアイは説明する。



「この暗号ですが、文字の一つ一つに別の暗号処理が施されている可能性があります」

「は? どういうことだね」

「つまり、一文字ごとに暗号方式が変化しているということです。コンピュータを利用してありとあらゆる解読方法を試しました。また数学的な解析手法を応用して文字列から規則性を導き出すことも試みました。ですが結果は全くのゼロ。考えられる可能性がそれです」

「……既存の暗号ではないということではないのかね?」

「そもそも文字列を利用した暗号は幾つかパターンがあります。しかし共通するのは置換暗号であるということです。置換方法は電子コンピュータによって全パターン網羅しました。かなりの時間をかけて精査したと自負しています。しかし意味のある文字列を見つけることはできませんでした」



 当たり前だが、文章を暗号化する際に用いるのが置換だ。

 たとえば文字をずらすことで全く別の文章へと置き換えたり、単語そのものを比喩的に置き換えることで暗号文にする。応用として一行目は一文字ずらし、二行目は二文字ずらす、といった方法もある。他にも三つの文字を法則に従って一文字に置き換えるなど、応用方法は様々だ。

 しかしながら暗号化の基盤として置換が用いられるのは変わらない。

 つまりコンピュータを使って時間をかけて総当たりで調べれば判明するはずなのだ。



「一文字ごとに暗号方式が異なるとすれば探りようがない。ホークアイ殿、暗号の対応表を入手することはできないのかね?」

「可能であればそう申します」

「そう、か。そうだな」

「おそらくはコンピュータで解析するのは不可能でしょう。仮に一文字ごとに暗号化されているのだとすれば、総当たりによる解析は全くの無意味です。どのような文章でも作れてしまいますから。つまり暗号機そのものをこちらで手に入れるしかありません。せめて設計概念でもあれば話は変わるのですが」



 教皇は額に皺を寄せる。

 大帝国同盟圏が使っている最上位の暗号を破らなければ裏工作まで見抜くことができない。現状、通信傍受によって不可思議な暗号が飛び交っていることだけは分かっている。それさえ分かれば大帝国同盟圏に更なる打撃を与えられるだろうというのが教皇の予測であった。

 黄金要塞を使えば力ずくで戦争に勝てるのではないか、という意見もある。

 だが戦争とは武力だけで勝敗を決するものではない。たとえ圧倒的な力を以て進撃しようと、たった一つの工作活動によって自国が内側から崩壊する例もある。

 現状、それを示唆するような動きも存在するのだ。



(異端派の勢力拡大、原典派によるディブロ大陸での動き、そして熱心党を名乗る過激派の活動……どうも大帝国の手の影を感じる。油断してはいられない)



 プロパガンダ作戦を続けることで、世間では魔神教勢力が優勢という認識になりつつある。しかしながら余裕が生まれたからこそ、内部分裂のようなものが表面化しているのだ。これまでは危機意識もあって何とか意思統一ができていた。しかしそれも時間の問題である。



「ホークアイ殿は西側にも伝手があると聞く。どうにか調べていただきたい」

「努力はしましょう」

「我々としても黄金要塞で押し切れるならいいが、どうも内側が不安だ。これからも不穏な――」



 言葉を締めくくろうとした教皇の元に緊急通話のコール音が入る。教皇という立場上、会談中であっても緊急通信ばかりは遮断するわけにはいかない。



「失礼、少し席を外す」



 教皇は短くそう言って立ち上がり、離れていく。

 扉一枚を隔てた隣室に防音加工の部屋が用意されており、緊急の秘匿されるべき通信があればそこに入って聞くことになっていた。扉を閉じ、防音魔術を発動させる。



「どうしたのかね?」

『上陸作戦のためにエリス共和国遠洋にて待機させていた水壺すいこ二番艦ビルコインが消失しました』

「何だと! 沈んだのかね!?」

『よ、より正確には反応が途絶えました。現在応答を試みていますが反応ありません。現在は聖騎士を使って偵察に向かわせております。しかし明日までかかるかと』

「観測魔術で調べられるだろう?」

『いえ。観測魔術は基点となるものが必要です。水壺を中心として領域的に観測魔術を展開し、ネットワークを通じてそれを取得する必要があるので本末転倒になります』

「……状況は理解した。消えたビルコインの捜索を続けるのだ」

『はっ!』



 黄金要塞ほどでは無いとはいえ、水壺も機密の詰まった新型兵器だ。それが消えたとなっては大きな損失である。特に拿捕されて技術流出があったとなればとんでもないことだ。



(せめて強大な魔物に襲われて沈んだというのであれば……いや、なんと不謹慎な)



 教皇は首を横に振って自分の考えに自嘲する。

 仮に魔物に襲われて沈んだのだとしても、搭乗員として乗っている者たちの命が失われることには変わりない。二千人ほどの命が海に消えるという大事件だ。

 戦争により自分の感覚が狂い始めていることを自覚した。









 ◆◆◆






 同時刻、水壺二番艦ビルコインは狂気に侵されていた。



「うわあああああああああ! ああああああああっ!?」



 発狂するような、いや事実として発狂している声が木霊する。

 闇に包まれた通路を走り抜ける男は息が切れても足がもつれても走っていた。その理由は背後から迫ってくる『死』である。



(トールも死んだ。ヴァレリーも死んだ。エブリムも死んだ。ガルーラも死んだ。オニキスも死んだ。死んだ、死んだ死んだ……みんな死んだ)



 それ・・は突然やってきた。

 何の前触れもなく全ての電力が落ちた。また魔力を使ったシステムも完全に停止したのである。氷の装甲によって覆われた水壺内部で電気が使えないということは、完全な闇になることを示している。そして暗闇に潜む何かが、次々と船員の命を奪い取っていったのである。

 最初は完全な停電で混乱していたこともあり、人が死んでいることにすら気付かなかった。

 だが何か恐ろしいものが潜んでいることはすぐに周知となった。



「死にだく、ないいいい! うあああああああ!」



 闇の中、次々と仲間が死んでいく。

 そして正体不明の『死』が音もなく迫ってくる。

 正気のまま耐えられる者はいなかった。



「だ、だずげ……」



 声も枯れて、涙でまともに前も見れない。

 壁に沿って手探りのまま走っているため、何度も躓いて転んだ。グニャリとした何かを踏んづけたこともあった。それが何かを考え、身の毛がよだつ思いで走った。

 だが、そんな彼にも遂に終わりが訪れる。



「がっ!?」



 硬い壁にぶつかり、よろけた。

 鼻から血が流れていることも気にせず、彼は目の前にある壁の正体を探る。手探りでもわかる金属質のそれは、水壺内のエリアを別つ隔壁であった。特定の認証キーを持っていなければこのエリア間を移動することができず、警告されることになる。船員たちの持ち場をはっきりさせるための仕組みなのだが、これが彼に絶望を与えた。



「そ、そんな。電気が……」



 彼の水壺における役職は統括情報部上級伝令兵。

 他の船員と比べれば多くのエリアを行き来する権限が与えられている。そのため、胸にある認証キーを示せば隔壁は自動で開くようになっていたのだ。

 だが電力が途絶えた今、その機能は使えない。

 このエリアに閉じ込められていた。



「あ、ああ……ああああああああああっ!? 開け! 開けえええええ!」



 背筋がぞわりとする。

 全身の産毛が逆立つような悪寒を覚える。

 後ろから迫る大きな魔力を感じたからだ。



「俺は上級伝令兵だぞ! 開けよ! なん、開、あ、あ、あああああああああああああ」



 何かがいる。

 今振り返ったら何かがそこにいる。

 直感的にそう感じた彼は必死に隔壁を殴る。骨が痛み、皮が剥がれても気に留めない。



「『デス』」



 彼はその言葉と共に恐怖から解放された。

 永久に。








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