第317話 狂いはじめ
スラダ大陸は東西に長く広がる大陸であり、南部には広大な海が広がっている。北の海には幾つかの島が存在するものの、無人島ばかりだ。また北の島々は極寒の環境であるため、進んで住み着く者もいない。
「こうしてみると随分大きいな」
大陸南方の海上へと転移したシュウは、眼下にある巨大な構造物に対してそんな感想を述べた。神聖グリニアが黄金要塞と共にお披露目し、バロム上空決戦では多数のヘリを運用することで大帝国同盟圏連合軍の撃退に貢献した。
その名称は
また艦載ヘリは
今、海上に浮かんでいる水壺は二番艦ビルコインであり、バロム上空決戦に現れたうちの片方しかいない。しかしながら凄まじい威容であり、大波すら寄せ付けない。黄金要塞と並んでいたのでそこまで大きいとは思えなかったが、実際には全長一キロ以上はある。
シュウは早速とばかりにマザーデバイスを起動し、魔力通信を傍受し始めた。
『――によりエリス共和国湾岸の観測に成功しました』
『そうか。軍備はあるか?』
『多少は強化されているようですが、機械装備は少数に見えます』
またチャンネルを切り替えると別の通信が流れ始める。
『水爆砲弾の生成はどうなっている?』
『最大数まで完了しています』
『よし。安全装置は?』
『問題ありません』
『気を付けろよ。あれが起爆したらとんでもないことになる』
通信網はかなり複雑で、無駄な通信も幾つかある。しかしそのどれもが高度に暗号化されていた。それらは電気通信だが、処理しているのが魔晶を核とした魔力コンピュータであるため、シュウの持つマザーデバイスで問題なく盗み聞きできる。
結果として水壺二番艦ビルコインの狙いがエリス共和国の港であることが分かった。
『西側にはあまり余計なことをするなよ。あっちは冥王が住むと言われる海域だ。下手な刺激をして冥王と戦うなんて御免だ』
「もう遅いんだよなぁ」
そんな通信まで流れる始末だ。
ただ、一応は狙いが妖精郷でないことが分かり一安心である。霧の海域で包まれているとはいえ、物量作戦を仕掛けられたら見つかってしまう。
水壺はまるで移動基地だ。多数の航空機を艦載しており、通信を聞く限りでは特殊な砲弾もあるらしい。エリス共和国への上陸作戦を企てているのは明白だった。
おそらくまだ動かず、上陸部隊がもっと揃ってから作戦を開始すると思われる。黒猫の情報網から逃れることはできなかったものの、今のところ各国は気付いている様子がない。このままでは作戦が成立してしまうことだろう。
黄金要塞で手一杯になっている今、エリスの港は手薄だ。
ここから上陸されると戦略的に痛いので、シュウとしても作戦の妨害を決意する。
(とはいえ、まだ時間もあるけど)
まずは『黒猫』から依頼された水壺の調査である。
シュウは霊体化して海中へと潜り込み、水の抵抗を無視して水壺へと接近する。空中浮遊する一方で海を渡ることも可能としているからか、基本的な外観は船を踏襲している。また巨大な分、死角も多い。観測魔術を何重も広域に展開しているらしく、シュウは一定まで近づいてそこで止まった。
そしてマザーデバイスから仮想ディスプレイを呼び出し、幾つか操作する。すると水壺ビルコインに向かってハッキングが行われ、数秒ほどで観測システムがダウンした。バックドアを利用した暗殺のようなハッキングである。完全にセキュリティの隙を突いており、傍受している通信からも混乱が見受けられた。
(さて、行くか)
観測システムが復帰するまで数十分はかかる。
その間にシュウは水壺へと向かう。霊体となったシュウは壁もすり抜けることができるため、これだけ時間があれば充分に潜入ができる。水中をすいすいと進み、シュウは水壺の喫水部分にまで辿り着く。こうして近くで目の当たりにしたことで、水壺の装甲を構成する素材が見えてきた。
(まさかこれ、本当に氷か?)
実際に手で触れてみてシュウは確信した。
遠目には青白い金属のように見えたこれは、全て氷であった。内部には植物のようなものが根を張っており、それが脆い氷を頑丈にしている。本来、氷は堅い代わりに靭性が低く、割れやすいという性質がある。こうして植物の根のようなものを細かく網目状に張り巡らせることで弾性を与えているのだ。
つまり水壺とは、網目状に張り巡らせた繊維質の構造体に水を含ませ凍らせたものを装甲として使っているのである。
(なるほど。これなら破損しても海に入るだけで簡単に修復できる。それにエネルギー的にもコストカットできるしな。黄金要塞にエネルギーを回すための省エネ兵器ってことか)
シュウが見た限り、水壺は海水から魔術的に熱エネルギーを奪い取り、それによって装甲を構築すると同時にエネルギーを得ている。つまり海にいる限り、この兵器を沈めることは不可能ということだ。
例外としてシュウのように魔法を使ったり、禁呪を連発できるような存在なら話は別だが。
ともかく水壺の正体を理解したシュウは、するりと内部へと入り込んでいく。
高密度な氷がしばらく続き、光が激しく散乱してまともな視界が得られない。だがこのくらいは慣れたもので、いとも簡単に内部へと侵入することができた。
(ここは……兵装の保管庫か)
人工的な暖かい色の明かりに照らされた広い空間が広がる。
シュウが兵装保管庫と評価した通り、武器や弾薬と思われるものが大量に積み上げられ、そこかしこに並べられていた。そのため障害物には困らない。適当な物陰に身を隠す。
「さて、いくか」
実体化したシュウはできる限り魔力を抑え込み、隠密を試みる。
目的は
そしてエリス共和国への上陸を試みている以上、可能な限りは阻止する。
この二つの目標を心に留め、行動を開始した。
◆◆◆
バロム上空決戦が魔神教勢力の勝利として終わったことにより、バロム共和国の領土も大部分が取り戻されることになった。ロレア・エルドラード連合軍は黄金要塞の力をみて大きく戦線を下げ、また参戦していた幾つかの同盟国軍も完全撤退した。これによってバロム共和国を占領していた部隊もすっかり消えてしまい、特に戦闘もなく領土は解放されたのである。
このことでバロム首相ブルメリは感謝の意を述べると共に、大きな借りを作ってしまったことを理解していた。
「しかし、それは……」
ブルメリは取り戻した首相官邸に招いた司教に対し、渋い表情を浮かべる。その司教はバロム首都の大聖堂を管理する人物であり、ブルメリも面識がある。だが今日、その司教は魔神教の代表としてこの場に参上していた。
すなわち、実質神聖グリニアからの使者である。
「首相、これは今後のために必要なことです」
「だが我が国での行軍を無条件にするというのは」
「私たちは多くの領土を取り戻しましたが、まだ西部には大帝国の占領によって苦しんでいる民がいるのです。早急に救出するためにも、連合軍の行軍を自由にさせるべきと考えています」
納得はする。
理解もできる。
事実、バロム共和国は非常に大きな領土を持っている。かつて幾度となく魔物の被害を受けてきたことで小国が滅び、やがてバロムという一つの国になったという歴史があるのだ。国家としては一つだが、民族的には国家内で幾つもの軋轢が存在する。
そして今回の戦争でそれらの棲み分けが大きく崩れた。
今のバロム共和国は表面上こそ平和が訪れようとしているが、争いの種がそこかしこに芽吹いているという状況なのだ。下手すれば国家が分裂しかねないほど危うい場所もある。
「まずはコルディアン帝国の方を優先していただけないでしょうか。行軍を許可するとして、そのためには戦争に巻き込まれないよう一般人の立ち入りを禁じる必要があります。ただでさえ、安全な場所が限られているのです。まして黄金要塞ほどのものをとなると……」
「……コルディアン帝国への援助も計画されています。私は詳しいことを存じ上げませんが、あちら側はコルディアン帝国を攻めているエリス共和国とモール王国へと直接攻撃をすることで敵軍を撤退させるそうです」
「直接、ですか?」
「はい。黄金要塞と同じ新兵器を用いて南方の海から上陸作戦を仕掛けるとか。ですので黄金要塞はバロム共和国での運用が決まっているのです」
「そんな勝手な!」
司教の言い方では、バロム共和国側に選択の余地がないということになる。つまり大人しく行軍権利を与えろという脅しに他ならない。
「一体いつからそのような傲慢な姿勢になってしまったのですか! 我々が指定する場所を行軍する。それでいいではありませんか。なぜ無条件に――」
「勘違いしないでください」
「勘違いも何も! 私の言うことに何かおかしなところがあるのですか?」
「これは聖戦なのです。三百年という時を越えて現れた神の試練を乗り越えるため、我々は協力しなければなりません」
「物は言いようですな!」
「どうか興奮しないで聞いてください。私たちはこの国を蔑ろにしたいわけではありません」
ブルメリは興奮して熱くなっていることを自覚する。
怒鳴り散らしてしまいそうな心を制し、何度も深呼吸した後に再び口を開いた。
「……何が目的なのか教えていただきましょう。よもや西方国家を滅ぼし尽くしてしまうということはないでしょうな?」
この質問は黄金要塞にそれが可能である、という前提を元にしたものであった。
圧倒的な防御性能。
絶大な火力。
空を支配するそれが本気を出せば、国の一つを灰燼に帰すことすら容易いだろう。
この問いに対し、司教は少しばかり声を潜めて返した。
「力とは象徴です。本来、振るわれるべきではありません」
「その言葉、信じますよ」
「勿論です。しかしマギア大聖堂の一部はまだ力が足りないと考えています。象徴となるべき力にはなり得ないと考える勢力が存在するのです」
「そんな馬鹿な。あれほどの力があり、今やほぼ存在しない覚醒魔装士まで抱えていながら……」
ブルメリは驚愕と同時に、信じられないという思いを素直に表へ出してしまう。表情に現れるのは施政者としてよくないことだが、こればかりは仕方なかった。黄金要塞、戦艦空母として登場した水壺、純粋機械の航空兵器である水天、また地上を支配する殲滅兵。これらを保有していながらまだ足りないというのは到底信じられることではない。
だが司教は手元に紙の資料を取り出し、差し出した。
より正確には写真で、そこに映っていたのはバロム上空決戦でも威容を示した黄金要塞である。地上からしか見たことがなかったブルメリは、その写真によって初めて全容を確認した。
「これは……その、不思議な形ですな。デザインでしょうか?」
彼がそう言ったのは、黄金要塞の一部を指してのことである。そこは地上からは見えにくい上部であり、綺麗に球状に抉られたような形状をしていたのだ。
それに対して司教は首を横に振る。
「これはかの決戦で受けた黄金要塞の被害です。おそらくは禁呪と思しき魔術により、このような被害を受けました」
「そんな馬鹿な! あのエリア一帯は魔術が使用不可となっていたはずです」
「間違いありません。しかし黄金要塞のごく周辺だけは魔術制限の範囲外になっていました。あれも魔術で浮かんでいますから。そこに直接……おそらくは魔術制限の範囲外となる相当な遠距離から、座標指定により直接撃ち込まれたのです。すぐに対応しましたのでその後の攻撃はありませんでしたが……」
「……なるほど。黄金要塞を破壊し得る何かがある、と」
「そう考えているようです」
まさか冥王と魔女が黄金要塞の力を試すために禁呪を放ったなどとは夢にも思わない。故に大帝国が何かしらの攻撃を行ったのだと錯覚していたのだ。
「我々は更なる力を求め、狙いを定めました。コントリアスです」
「コントリアス……まさか」
「はい。スレイ・マリアス。この世に残る貴重な覚醒魔装士の一人、そしてコントリアス王家の騎士として仕える彼を聖騎士にするため、我々は手段を選ばないつもりです。またコントリアスには裏切り者として手配されている『剣聖』や『聖女』も保護されているとされています。どういうことか、分かりますね?」
コントリアスはバロム共和国の北に位置する国家だ。国土はそれほどでもなく、経済規模としても大国とは言い難い。しかしながらスレイ・マリアスというたった一人のために各国から重要視されていた。
ここまで言われてブルメリも分からないわけがない。
(我が国は通り道、というわけか)
思わず苦い表情を浮かべてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます