第313話 反撃の一撃
神聖暦三百年、魔の大陸とされていたディブロ大陸で人類は快挙を成し遂げた。それは七大魔王として連ねていた『王』の魔物を二体討伐したことである。だがその十四年後、南ディブロ大陸にて怠惰王ベルフェゴールと遭遇し、大敗する。また神聖暦三百二十年には東ディブロ海と呼ばれている巨大湖へと調査船団を派遣し、全滅した。
しかしディブロ大陸から完全に撤退したわけではない。スラダ大陸との玄関口になっている第一都市、エリュトを栽培する第二都市、強欲王が住んでいた黄金の都市を改造した第三都市、そして東ディブロ海に面した第四都市は今も運用されている。
一般にはこの四つの大都市を中心にディブロ大陸を運用しているのだが、神聖グリニアは他国に秘密で北ディブロ大陸の海岸を改造した兵器工廠を築いていた。
「お待ちしておりました神子姫様」
それは神聖グリニアが上層部のみで情報共有する秘匿兵器工廠の中でも、更に秘匿された場所である。司教や教皇の他、ごく一部の関係者だけが知る特別な工廠であり、アゲラ・ノーマンが開発を主導する新兵器の開発地かつ実験地であった。
当然ながら魔神教において重要視される未来視の神子とて入れる場所ではない。
しかし神子セシリアは驚くほど丁寧に迎え入れられていた。
左目を眼帯によって覆った彼女は自身を迎えた男へジッと視線を向ける。男は全てを見透かされているような気がして、僅かにたじろいだ。
「あの、何か……」
「いいえ。何でもないわ」
「はぁ。そうですか。案内してもよろしいですか」
「ええ。よろしく」
その男はこの秘匿零號兵器工廠において長官を務める人物であった。彼はその指に装着した専用の指輪によって、厳重にセキュリティを施された扉を通過していく。
「ここは見ての通り辺境です。魔物も出現しますが、自動迎撃設備もあるので基本的には安全です。単純な広さはマギアにも匹敵しますが、職員は百人もいません。永久機関のエネルギーを受け取って稼働する機械がほとんどの仕事をします」
男はふと立ち止まった。
「ご覧ください。完成間近の黄金要塞を」
彼が指さす先には全容の見えない黄金の塊があった。
秘匿零號兵器工廠は海岸を大規模なコの字型に削り、人工的な入り江を作っている。元から崖の多い海岸だった所を削って補強し、地下までも掘って巨大ドックにしているのだ。直径にして三キロメートルもある黄金要塞を建造するためにはこれほど大規模な施設が必要だったということである。
「これらはすべて魔術で建造しています。我々はシミュレーションを利用して外観から内部までを詳細に設計したに過ぎません。尤も、それが一番大変な部分ですがね。配線も含めて細かく設計する必要があるので、まずはデータ容量を確保することに苦労しました。ノーマン博士が大部分のシステムと配線を設計してくださったので、我々はそこに部屋や設備を当てはめるだけでしたけどね」
「思った通り、大きいのね」
「それはもう。空を支配するという目的で作りましたから。乗組員の最大数は十万人以上。実際は五千人ほどで運用することになりますが、まさに空の王国と称して問題ないほどかと」
「空を支配……そうね」
セシリアが意味深に笑う。
その珍しい光景に男は思わず次の句を失った。神聖で不可侵を思わせる面持ちでありながら、どこか悪魔めいた雰囲気すら感じさせる。この二面性にどこか恐れのようなものが這い寄ってくる。
「ええ。そうね。この兵器があればバロム共和国は取り戻せる。そして空を支配する。間違いないわ」
予言の神子がそう断言する。
彼女に残された右目は何を見たのか。
それは誰にも分からない。
ただ一つ言えるのは、人類史上最悪クラスの兵器が開発されてしまったということだった。
◆◆◆
神聖暦三百二十一年、六月。
ゆっくりと撤退を繰り返していた魔神教勢力に動きがあった。
「神聖グリニアがバロム共和国との国境に大規模な戦力を集結させている?」
「ええ、そのようです」
久しぶりに訪れてきた『鷹目』の報告はそのようなものであった。
とはいえシュウが驚くことはない。ただ、意外というだけの話だ。バロム共和国は八割以上が大帝国同盟圏の勢力によって占領されており、国家としては崩壊寸前だ。まだブルメリ首相が抵抗の意志を見せているために神聖グリニアも支援しているが、時間の問題だと思われる。
神聖グリニアはバロム共和国を見捨てて残存戦力を亡命させ、聖騎士部隊に組み込んで集中運用する者だと思っていた。
「このタイミングで反撃か」
「キナ臭いと思いませんか?」
「ああ。勝てる算段があるということか」
「更に言うとコントリアスに対して再度勧告を出しました。魔神の教えに立ち返れ、と。さもなくば神の鉄槌が降るという脅しをつけてね」
「よほど自信があるらしいな。今のコントリアスにはスレイ・マリアスと『聖女』がいるってのに」
「あとは同盟相手として『暴竜』さんもいますね」
「そういえばそうだったな」
未だに中立国家としてどちらの勢力にも加担しない姿勢を見せるコントリアスだが、もはやその力は無視できる程度にまで低下している。大帝国同盟圏の勢いは凄まじく、とても止められないのだ。一応は言葉によりスバロキア大帝国と神聖グリニアの和平を求めているが、全く効果はない。
スバロキア大帝国は古き国を復活させた偉大な皇帝を暗殺されかけたという動機がある。
一方で神聖グリニアは宣戦布告と同時に首都を空襲されたという引けない理由がある。
もはやどちらかが滅びるまで止まれない世界大戦に発展しているのだ。如何に覚醒魔装士を保有していようとも、コントリアス程度の中規模国家だけで止められる事態ではなくなっている。
「とりあえずコントリアスは無視でいいでしょう」
「そうだな」
シュウも『鷹目』も眼中にすら入れていなかった。
武力介入してこない限り、コントリアスは脅威になり得ない。また武力介入をしてくるならば中立国家としての大義を失い、存分に叩き潰すこともできる。大帝国同盟圏と魔神教勢力圏の両方を同時に相手しなければならない可能性がある以上、コントリアスはそのような手段を取れないはず。それがシュウと『鷹目』の予測であった。
「神聖グリニアが反撃を決意した理由ですが、黒竜に対抗する手段が完成したということではないでしょうか。つまり航空兵器が完成したと」
「あり得るな。おそらくは殲滅兵の改造型だと思うが……」
「私の方でも情報は上がっていません。よほど秘匿されているのでしょう」
「アゲラ・ノーマンが開発にかかわっているのは確実だな。俺のマザーデバイスでネットワーク空間を検索しているんだがヒットしない。独自にクローズドネットワークをゼロから生み出しているに違いない。こんなことができるのは奴くらいなものだ」
「私も色々と手を伸ばしているのですが、どうも情報がありません。よほど制限しているのか……流石にお手上げです」
「お前レベルでもダメとなると、いよいよ実際に見てみる他ないな」
こればかりは『鷹目』を責めることができなかった。
神聖グリニアの内部にも深く食い込んでいる『鷹目』で見つけられない情報ならば、もはや誰にも突き止めることはできない。こういった時に便利なハッキングも、外部から切り離されたネットワークにある情報であるため取得できない。
「そういえば『死神』さん。連合軍はどのような攻勢計画を立てているのですか?」
「今は占領したバロム共和国の各地を抑え込んでいる。数日以内に落ち着くから、部隊を結集させて残るバロム軍を叩く予定だ。コルディアン側もできれば同時に落としたいが、あっちは現地民の抵抗が激しくてな。やはり一人の王が支配する国はそのあたりが強い。逆にバロムは共和国だし、強く抵抗する者は少ない」
「意外ですね。同時に攻めるものと思っていました」
「できれば黒竜は集中運用したいからな。空からの援護が潤沢にある状態で一気に叩きたい、というのがスバロキアの判断だ」
「まぁ、それも正論ですか。現状、最大でも六百四十機ですからね。広い戦場をすべてカバーすることはできません」
「二面攻勢を仕掛けるなら最低でも二倍。可能なら三倍は用意したいところだな。一応は黒竜の巣を増築する計画はあるんだが、山間部だから難航している」
黒竜は画期的な航空兵器だ。
遠隔で操作するため墜落しても死人が出ることはなく、空から一方的に敵軍を殲滅する。しかしながら製造コストはそれなりに高く、幾らでも作れるというわけではない。特にターミナルのコアとなっている人工賢者の石はブラックホール
また操縦者の訓練も必要である。
空軍は新設の部隊であり、スバロキア大帝国においても予算や人員が多く分配されているわけではない。寧ろ実験的な意味合いが強く、最近になってようやく人員と予算が増加されたくらいだ。黒竜のターミナルとなる黒竜の巣も追加建造が予定されているが、竣工まではまだ時間がかかるだろう。
「最悪は災害ってことにして俺が出てもいいが……」
「それは面白くないので止めてください」
「……ま、そう言うだろうな」
神聖グリニアを滅ぼし、戦争に勝利するだけならばシュウが戦場に出て無双するだけでいい。あるいは《
それをしないのは『鷹目』の願いによるものだ。
絶対の神を理由に横暴を許してきた神聖グリニアに、傲慢を教えて滅ぼす。それが彼の願いである。実に執念深い願いだ。スバロキア大帝国が復活し、反乱を起こしたことで半分ほどは達成したことになる。ここまできてシュウが暴れ、台無しにするというのはあり得ない。
またアゲラ・ノーマンを確実に仕留めるという意図もある。
「戦争を起こして覚醒魔装士を仕留めていけば表に出てくると思ったが、アゲラ・ノーマンも中々姿を現さないな」
「ええ。噂では最近その姿を見た者はいないとか。しかし今も様々な技術開発が進んでいるので、生きているのは確かでしょうね」
「……悪魔騒動で永久機関が一時ストップした時、アゲラ・ノーマンが殺害されたというログが一瞬だけネットワーク上に浮上した。すぐに無意味なデータに書き換えられて消去されたがな」
「となれば虚偽情報かもしれませんね。覚醒魔装士が死んだという事実に反した噂は神聖グリニアにとって都合の悪いことでしょうから。特にアゲラ・ノーマンは表に出ない人物。他の聖騎士と異なり、民衆の前に出して生きていることを証明するわけにはいきません」
「ああ。だがあの状況で誰かが嘘を流したとは考えにくい。勘違いか、あるいは……」
「あるいは?」
「肉体は破壊されたが魂は生きている、ということが考えられる。魂を別の肉体へと移し替えれば、生きていることに変わりない」
「やはりその結論ですか」
肉体とは霧散してしまう魔力の塊を留める器だ。巨大で精密な術式である魂は、放置すれば霧散してしまう。故に魂を移し替えるというのは簡単ではない。
事実、シュウも死魔法によって魂が存在できる煉獄と冥府を創り出し、ようやくまともに扱えるようになったのだ。
しかしながらアゲラ・ノーマンの正体は月に封印された虚飾王パンドラの分体のようなもの。ナノ粒子で作られた義体に疑似魂を埋め込んだこの世ならざるの生命体なのだ。虚飾に塗れた『王』が生み出した神の意志に反する生命体であるがゆえに、その魂は魔法の一種を宿し、摂理に反した動きをする。
「仮にアゲラ・ノーマンが次々に身体を乗り換えるなら厄介だぞ」
ネットワークが構築された現代はアゲラ・ノーマンにとって最高の世界だ。
当然ながらマザーデバイスによってネットワーク空間を支配するシュウならば介入の瞬間に発見することができるのだが、独自ネットワークを作っていると思われるのでどこまで効果があるのか不明だ。
何もわからない、ということが一番の脅威になっている。
「どうしますか『死神』さん」
「取りあえずお前は『灰鼠』や『赤兎』と協力して魔神教の分裂工作を進めてくれ。それと新型兵器を使ってディブロ大陸の魔王を倒す話をそれとなく流してくれ。新兵器があれば魔王を倒せる、って感じで煽るんだ。異端が食いつくようにな」
「なるほど。悪いことを考えますね。賛成です。やっておきましょう」
シュウの提案は『鷹目』の目的とも合致したらしい。
仮面の下で笑みを浮かべ、了承したのだった。
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