第308話 紅の惨劇
神聖グリニアを襲った悲劇は瞬く間に世界へと広がった。
まず大きな事件は第二の都市とまで言われたメンデルスの消滅である。強大な悪魔が出現し、それによってメンデルス大聖堂が崩壊。訪れていたアステア司教は死に、民もほぼ全てが行方不明となった。後に大帝国が三十二機の黒竜により空襲し、完璧に滅ぼし尽くしたからである。死体も爆炎や雷撃の雨によって灰となってしまったのだ。何よりも民衆が恐怖したのは『天眼』『禁書』『凶刃』『光竜』『幻魔』という五人のSランク聖騎士が死亡したことである。血で赤に染まった廃墟の様子から、
そしてもう一つはマギア大聖堂に悪魔が襲撃し、永久機関の活動が一時低下したのだ。聖騎士にも多くの被害が生じ、情報秘匿されているが神子姫までもが襲われた。
この二つの事件について聖堂が公表していることは少なく、ただ五人の覚醒した聖騎士が殺されたという印象だけが強く残ったのだ。
「シンク……」
その一方で、コントリアスに留まるセルアは信頼する騎士を心配していた。
連絡がなくとも問題ないと考えていた。それはシンクが強く、決して自分から離れることはないと信じていたからである。しかしマギアでの事件を耳にして、巻き込まれてしまったのではないかと恐れていた。少し落ち着いた今も連絡がないことがその証拠である。
「貴方は今、どこに……」
コントリアスとしては神子を連れ出し、その予言の力を利用して和平に導くつもりだった。だが頼みのシンクは戻らず、ただ焦りのみが募る。
マギア大聖堂を襲った悪魔というのは隠語であり、実はシンクのことだったのではないかと思ってしまう。寧ろそれで辻褄が合う。シンクは永久機関の存在について懐疑的だった上に、マギアに壊滅的被害を与えてしまう程度の実力がある。
「シンクゥ……」
その名を呼ぶだけで喉の奥や目頭が熱くなる。
彼女自身も、まさかこれほどシンクに依存していたとは思わなかった。
◆◆◆
その日はアギス・ケリオン教皇にとって最悪の一日となった。
メンデルスが滅亡し、五人の覚醒聖騎士が死亡し、更にはマギア大聖堂までもが正体不明な戦力によって大きく破壊された。
「それで神子セシリアの様子は?」
「左目を抉られた以外に傷はありません。しかし神の霊水で治癒を試みたのですが……なぜか治らないのです。あれはどんな致命傷すら治癒するはずなのですが」
「何? 原因は?」
「おそらくは目そのものが魔装として変質しているからではないかと。つまり魔装が奪われ、その結果として元から存在しなかった部位になってしまったのです」
「何ということだ……」
そして被害の一つはセシリアの魔装であった。
歴代最高といわれる彼女の未来視は目を基点としている。彼女はあらゆる景色を見るのだ。その力が片方とはいえ失われた。由々しき事態であった。
「彼女の未来視はどうなった?」
「それが……その……」
「どうしたのだね?」
歯切れの悪い神官に対し、教皇は再度尋ねる。
すると彼は懐から一枚の紙を取り出し、差し出した。教皇は受けとり、中身を確認する。たった一行しかない文章だったが、中身は衝撃的だった。
「……君はこの中身を確認したかね?」
教皇は尋ねる。
だが手紙を持ってきた神官は首を横に振って否定した。
「そうか」
そう呟いた教皇は紙を破いて手近なガラス皿に乗せ、灯の魔術で焼く。
記されていた内容は予言であった。
決して予言することのなかったセシリアが自らよこした貴重な情報である。
(黄金要塞には私が乗ります、か)
まだ誰にも教えていない新兵器の名称を出され、教皇は溜息を吐いた。
◆◆◆
スバロキア大帝国空軍大将グレムリンは黒竜システムの運用において全権を与えられている。名目上は皇帝に作戦を献上する必要があり、独断で作戦を実行することはできない。しかしながら献上した作戦は特に修正されることなく実行されるのが通常であった。
史上初の空軍であり、しかも黒竜の性能が高すぎる。
高高度、超音速、そして爆撃から空中戦まで何でもありの高性能機体だ。更にはターミナルからの遠隔操作ということもあり、撃ち落とされた所で人的被害はない。
「陛下、以上の作戦によりコルディアン帝国の帝都を落とすつもりであります」
御前会議で黒竜の運用方法を述べたグレムリンは、一通りの説明は終えたとばかりに着席する。コの字に並べられた長机には軍関係者の他、執政を司る貴族たちも着席している。そして口の開いた側に一段高い御座が用意されており、そこに皇帝アデルハイト・ノアズ・スバロキアが座していた。
まずはグレムリンの作戦に対し、幾つかの質問が上がる。
「地上の占拠ではなく、戦略爆撃か……初戦でマギアに実行したあれですな? しかしコルディアン帝国を落とすに足るのかね? まだエリス・モール連合軍は国境沿いに留まっていると聞いておりますが」
「確かに。まずは戦線を突破せねばなるまいて。殲滅兵が一時停止したことで有利になった戦場はあります。しかしそこはかのエータ・コールベルトが埋めてしまった。奴を何とかしなければどうしようもないでしょうな」
彼らの一番大きな危惧は、覚醒魔装士エータ・コールベルトであった。彼は流動する黒い質量体を操るという万能の魔装であり、攻撃も防御も自由自在だ。彼が一人いるだけで戦場は圧倒的不利を強いられてしまう。
遠距離の攻撃は全て黒い壁に阻まれ、逆に天より数多の黒い槍が降り注ぐ。
それを何とかしなければコルディアン帝国の完全攻略は難しいだろう。
対してグレムリンは新しい資料を仮想ディスプレイに映し出す。
「その疑問は想定しておりました。ここにエータ・コールベルトを誘い出します」
「ここは作戦の第一段階で狙うコルキス要塞。なるほど。確かにかの覚醒魔装士を誘い込むならば自然になるかもしれませんな」
「誘い出す方法は偽装情報ですか?」
「暗号をコルディアン帝国に漏らします。コルキス要塞への爆撃は勝手に気づくことでしょう。我々は偽の情報を解読させ、本当の情報は『悪魔の口』でやり取りするのです」
「悪魔の口か……皮肉なものよな」
貴族の一人がそっと呟く。
ハデスが開発し、スバロキア大帝国へと提供した新型の暗号技術が『悪魔の口』だ。複雑な暗号化を行っているため、仕組みも知らずに解読することはまず不可能である。
まさに人外の言葉を吐きだす口。
悪魔の口だ。
それが大帝国にとって本当の切り札になっている。
「情報戦は全てを制するのです。航空兵器によって敵拠点や補給場所を的確に叩く戦略爆撃も情報がなければ実行できません」
グレムリンは航空兵器の運用に留まらず、情報戦にも詳しい。
大帝国軍の中で最も近代戦を知る人物だろう。彼の作戦を本当の意味で理解できる人物は稀だ。そもそも魔装や魔術といったお手軽殲滅方法が主流だった時代が長いため、戦略的に勝つという概念が薄い。戦略など圧倒的な力を持つ魔装士によって塗り変えられてしまうからだ。あるいは禁呪一つで戦場が決するということを歴史が証明しているからだ。
戦争とは如何に魔装士を運用し、魔術を運用するかということに尽きる。
勝つべき戦線、負けを許容する戦線を選別するのが戦争だった。
そこにグレムリンは戦略爆撃という概念を持ち込んだ。
当然ながら敵の継続戦闘能力をそぎ落とすという戦略は昔からあった。しかしながら戦略爆撃はこれを効率的に行う。あまりにもお手軽過ぎて皆が戸惑っているというのが正確かもしれない。
「しかしグレムリン殿。一度しか使えぬ手をコルディアン帝国に使って良いのですか?」
「確かにこの手は一度しか使えません。ですが早期に使うことに意味があるのです。一度見せておくからこそ、神聖グリニアは今後戦いにくさを強いられます。また作戦は夜間の予定です。混乱の中にあれば、多少は情報の正確さも欠けるでしょう。一度しか使えぬということはありますまい」
自信たっぷりに告げるグレムリンに対し、陸軍大将は深く頷いていた。
一方で内政に重きを置く貴族たちは渋い表情を浮かべている。
「しかしこの一連の作戦はあまりにも非道ではないかね。無辜の民にまで犠牲が出かねない」
「確かに、占領後を考えれば良い作戦ではないな」
「そのお考えは心に留めております。しかし今更ではございませんか」
「コルディアン帝国が帝都空襲前に降伏するというのが我々の予測だ。故に最終手段として、完全にかの国を滅ぼす手段として許可したに過ぎん。初めから犠牲を許容しているわけではないのだ」
戦争とは敵国を皆殺しにし、その土地を焦土にすればよいわけではない。
何も得るものがなければ戦争の勝者ですら疲弊し、内部分裂を起こして破滅してしまう。貴族たちはそれを危惧していた。力で占領した土地は反乱の温床だ。コルディアン帝国を滅ぼすということが、大帝国同盟圏にとって負担であることを彼らは理解していた。
だからこその苦言なのだ。
しかしグレムリンはどこ吹く風である。
なぜなら彼が本当に忠誠を誓うのは大帝国でも皇帝でもない。妖精郷と冥王シュウ・アークライトだけ。妖精系魔物の一種である彼は何よりもシュウの命令を優先していたのだ。
「最優先は戦略爆撃によりコルディアン帝国を孤立させ、降伏させること。私の作戦を聞いてくださった皆様であればご理解のはず。気を使ったばかりにこちらが大きな被害を受ければ元も子もないではありませんか。エータ・コールベルトを打ち倒すことは難儀なれど、戦えぬようにすることは容易いのです」
高い軍事力と覚醒魔装士を有するコルディアン帝国は、バロム共和国と違って簡単な相手ではない。だからこそ、常識を破る作戦によって打ち倒す必要があるのだ。
グレムリンは一段高い場所に座す皇帝に向かって尋ねた。
「陛下、如何しますか?」
「実行せよ」
アデルハイト・ノアズ・スバロキアは重々しく告げる。
その一言で、御前会議は決した。
◆◆◆
メンデルスが滅亡し、マギアが悪魔に襲われてから五日後。
シュウとアイリスはコルディアン帝国を訪れていた。
訪れたといってもそこは帝都ではなく、東に位置するバーメントという都市である。実を言うとここはコルディアン帝国にとって非常に重要な都市となっている。そのため都市に入るためのゲートは軍によって厳重に閉ざされ、検問が行われていた。それ故にシュウとアイリスは転移で内部に入ったのだ。
時間は夜。
しかしながら星空すら見えないほど煌々と照らされていた。
「凄く明るい街ですね」
「ここはエネルギー中継点だからな。コルディアン帝国は神聖グリニアからエネルギーを買っている。永久機関のエネルギーだ」
「この街で全部受け取って、各都市に配っているということですか?」
「ああ、察しが良いな」
「私でもそのくらいは分かるのですよ!」
バーメントはコルディアン帝国において最も東に位置している大都市だ。ラムザ王国の他、タマハミによって滅ぼされた小国と接している。そのため神聖グリニアとは領土的に接していないのだ。エネルギーは空間魔術によって輸送され、一度バーメントに送られる。そしてコルディアン帝国は自国のエネルギー事情に沿って各地に送っている。
「本来は空間魔術で各地に直送した方が効率はいいんだがな」
「なぜそうしないのですか?」
「神聖グリニアにエネルギーの使い方を知られないためだろうな。大量のエネルギーを送り込む都市ほど重要ということが分かってしまう。それに人口に比例しないエネルギーが送られている場合、工業的に重要地だと明らかにしてしまう。エネルギーの割り振り方を知られるだけで不利な点が幾らでもあるからな。だからコルディアン帝国はこの方法を使うしかない」
「それってこの国が神聖グリニアを仮想敵国としている……ということですよね?」
「これだけ軍事力を抱えている時点で分かりきったことだろ」
大通りを走る車が次々と通り過ぎる。
明かりの付いていない建物はなく、高層ビルの窓からは光が漏れ出していた。飲食店からは騒がしい笑い声が聞こえており、道行く人々は仕事帰りなのか正装を着用している者が多い。
シュウとアイリスも紛れる服装になれば特に咎められることもない。
軍人が各所で見張っているものの、逆に堂々としておけば問題ないのだ。
「じゃあ私たちの目的って」
「そのエネルギー中継地点を破壊してコルディアン帝国を資源不足に陥らせることだ」
「そんなの簡単に壊せないですよね?」
「『鷹目』でも調べきれなかった。この都市の地下のどこかということしか分かっていない。一般にはどこがエネルギー中継点になっているか公表していないし、存在している都市を調べただけでも大したものだ。普通に国家機密だからな」
「どうやって見つけるのです?」
「マザーデバイス」
「ああ……」
アイリスは納得する。
賢者の石を使ったマザーデバイスには他の魔晶を支配する権限がある。その機能を使えば位置を把握することも簡単だ。エネルギー転送用の空間魔術にはハデスの技術が使われており、すなわちシュウのデバイスで位置を調べることができるということ。
流石に情報ゼロから探索するのは面倒だが、バーメント内に存在するという情報さえあれば後はしらみつぶしで空間魔術を起動している魔晶を検索すればよい。
「今夜、ここが空爆される。その混乱に乗じて破壊するぞ」
「はーいなのですよー」
栄華が突如として途絶える。
これまでの戦争ではなかったことだ。空より襲来する黒い竜が、今夜この街を焼く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます